冬の旅のレビュー・感想・評価
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こんな作品に出会うために映画を見続けている
未見だったアニエス・ヴァルダ監督作。
そしてこれはオールタイムベスト級の決定的な作品だった。
少女の凍死体。ヒッチハイクをしながら旅を続けていた彼女が命を落とすまでの数週間を彼女と出会った人たちの証言でたどった。
世間に馴染むことなく一人で生きる彼女。
面倒だと言って働こうともしない。
彼女自身も予期しなかったであろう自らの死。
周りに存在するリスクにさえ無頓着だった。
う〜ん、これは感情を挟む余地がない必然的な悲劇。何にもないクソのような人生に共鳴した。ヒリヒリした。
今年出会ったバーバラ・ローデンの
「WANDA ワンダ」(1970年)、
そして昨年出会ったケリー・ライカートの
「ウェンディ&ルーシー」(2008年)
を思った。
時や国を超えて脈々と受け継がれるDNAがあることを確信した。
自分はこんな作品に出会うために映画を見続けているのだと思う。
「冬の旅」の、タイトル通り、主人公の少女モネが冬にテント生活をしな...
「冬の旅」の、タイトル通り、主人公の少女モネが冬にテント生活をしながら旅をするおはなし。
原題をそのまま訳すと「家もなく、法もなく」らしい。たしかに、序盤は、モネは家もなく、法にも縛られず自由に生きているように描かれる。
だけれど、どんどん行き詰まって、最後は死んでしまう。モネは家がない代わりに、法に縛られず自由に生きていたはずだった。
死んだあとには、国家の象徴ともいえる警察が彼女の身体を引き取りにくる。旅先で出会った人たちが、それぞれ優位な視点で彼女のことを証言する。ここには、モネの自由など、存在しない。
モネ自身の視点が抜け落ちた「証言」によって、この映画(彼女が死ぬまでにたどった記録)は構成される。警察が気にしているのは、事件性があるのか、ないのか、だけであり、それを判断するための記録を取ることが目的であろう。彼女はなぜ死ぬほどの過酷な旅をしたのか、彼女の心情、ホームレスが増えていく社会背景などは抜け落ちてしまう、
当事者の証言は欠落していて、他人の言葉のみで再構成される「モネが死ぬまでの旅の記録」はどこまで事実が担保されるのだろうか。事実の記録のようでいて、実はそこに真実はなにもないのかもしれないということを思ったりする。
モネはいろいろなところを旅しているように見えるのだけれど、過去に出会った人たちと、ニアミスする場面が多く描かれるから、遠くまで移動しているようで、実は、近くをぐるぐるしているだけなのかもしれない。どこにでも行ける自由さがあるようで、どこにも行けない閉塞感を孕んでいる。それはきっと、物理的な移動のことだけではない。閉塞感のある社会、そこで生きづらさを感じている人間たち、のことも含めて表現されているような気がしている、
冬の寒い朝、南フランスの畑の一角でひとりの若い女性(サンドリーヌ・...
冬の寒い朝、南フランスの畑の一角でひとりの若い女性(サンドリーヌ・ボネール)の死体がみつかる。
事件性はなく、風体からも野宿の旅行者、もしくはホームレスのよう。
彼女に出逢ったというひとびとの証言を綴っていくと、彼女の人生が垣間見えてくる・・・
といった物語。
冒頭から、死体があらわれるが、ミステリではない。
彼女の人生の、ミステリアスな側面を描くという意味でのミステリでもない。
ただただ、人々が構成する社会から意図して逸脱した若い女性の物語。
映画は、彼女の過去と、彼女の人生と少しばかり知り合ったひとびとの証言で構成されている。
ある意味、ドキュメンタリー映画のようなのだが、アニエス・ヴァルダ監督の構成力が恐ろしい。
彼女の死体が発見されたのち、過去へと遡るのだけれど、彼女の行動は大過去から直近へと一方向でありながら、証言者たちはの登場は必ずしも一定ではない。
だからといって、観る側に混乱はもたらさない。
映画が持つ、時系列的性質の解体と再構築のように感じられます。
この解体と再構築がもたらすのは、鑑賞する側への「委ね」の大きさなのだけれど、それは彼女の行動の是非ではなく、彼女がとる非日常的行動の意味合いで、彼女の存在はある種の「稀れ人(異世界からの神)」のようにも見えます。
自由でありながら、自由でない。
ひとびとを縛している「社会」からの逸脱は、自由のように見えて、生きることには不自由。
でありながら、幾人かのひとびとからは「憧れ」のようなまなざしを向けられる。
唯一、彼女を「逃避者」と語るのが、山羊飼育と農業を営む哲学者である点が興味深いです。
観はじめたあたりはそれほど面白いわけではないのだけれど、彼女の存在を「稀れ人」ではないかと思ったあたりから、俄然おもしろくなりました。
演出では、エピソードのつなぎで、彼女の移動シーンを横移動でとらえているショットで、彼女の移動にあわせてカメラが横移動(右から左へ)するのですが、最終的には彼女を追い越し、背景である風景なり何なりを映し出すところ。
彼女を超えて映し出される風景なりなんなりが、観ている側に、どれほど接近するか・・・
このあたりにヴァルダの非凡さを感じました。
とはいえ、彼女に共感できるかどうかは別。
集団がつくる「社会」という現実からの逃避で得る自由には、「生」に対しても責任が生じるということで、そんな責任は負いたくないので現実のなかで煩悶するのか平凡人ということなのかもしれません。
原題は「家もなく、法もなく」です。
スキャンダラスな無鉄砲娘にワクワク
南フランスでヒッチハイカーが凍死したニュースをヒントにした実験的映画。
ヌーベルバーグの先駆者のアニエス・ヴァルダの劇映画の最高傑作と言われている本作。1985年ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞。
畑の側溝の死体から始まり、遡って目撃者や関わった者たちの証言の映像化に挑戦。
さすらう若いストレンジ・ウーマン。
17歳のサンドリーヌ・ボネールが主人公モネを演じる。
体格も良く大人びている。
四角顔のワシ鼻で顔つきもワイルド。まったく物怖じしない。
人に媚びない。
ふてぶてしいアウトロー。
ぶっきらぼうな仕草。
汚い爪、臭そうな体臭。
でも、そこがカッコいい。
しかし、魅力と脆さは紙一重。
過酷な運命が待ち構えていることはわかっているが、その過程を目撃することはじつにスリリング。
彼女のさすらいの目的や人生の価値観、信条はなんなのか? 果たしてそんなものがあるのか否か?
若い女性がひとりで放浪。
彼女が生きてゆくためのツールはその若い肉体と無鉄砲な危うさだけにも思える。トラブルに巻き込まれる確率は恐ろしく高いはず。
綱渡りのサバイバル。しかし、じつにあっけらかんとしていて、自暴自棄。
気になって仕方ない。
じつに、スキャンダラス。
女中のヨランダを演じるヨランダ・モローの独特の芝居がくさいけれども、おかしみがあって好き。
死から始まる。死ぬと本人すらわかっていながら抗わぬのは本能というか...
死から始まる。死ぬと本人すらわかっていながら抗わぬのは本能というか死を持ってしても譲れないという事か。人間が生きる為に作った全てに抗う。生き物はなんと難解。いやシンプルか。しかし彼女が落ちぶれていく様についつい心震える。ヴァルダはやはり天才だ。同様の映画は他にもあるが、やはり違う、少し。
冷たい社会と温かい他人
作品はモナの死後、彼女と関わった人々のインタビューを通して、彼女の人物像を明らかにしながら、その足跡を辿っていく。事件や自己を説明するのにテレビで用いられる再現VTRのような構成。
自分探しといった前向きな目的は感じられず、ただ何にも縛られない自由を求め彷徨い続ける一方で、寝食やヒッチハイクで他人の力を借りつつも、最終的にはいつも決まって追い出されるようにその場を去っていくことの繰り返し。これは、一体なんのメタなのか?
1980年代前半のフランスは、大統領就任直後のミッテラン・ショック(インフレ、景気の減速、失業者増加)の影響下。「冬の旅」の翌年には「ベティー・ブルー」が公開される。そんな時代背景を大きく反映しているようだった。
モロッコからの出稼ぎにフランスに渡った男性のマフラーへのキスが印象的、
救えない者もいる、この世界
主人公に一切共感するところを許さない傑作!
過去にトラウマを背負っているわけでもなく、ただひたすら本人の資質や考え方が退廃に向かわせる。まわりが手を差し伸べても、救えない人間というものは確かにこの世界にいる。残酷な世界が確かにあるという悲しさが染みる。
そして中にはその堕落と自由に焦がれる人間もいて、それもまた否定できない。
幸せとは何か、あるべき人生とは何かを人間は浅はかに判別できない。ただ彼女と交わった人々の印象に残るだけなのだ。
豊かな生を喜ぶ村の祭りから、異物そのままに逃げ出す彼女がひどく印象的だった。
素晴らしい作品。
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