「自由ということの不自由さ」冬の旅 redirさんの映画レビュー(感想・評価)
自由ということの不自由さ
自由でありたいと突き詰めれは突き詰めるほど、自由のようなものに心は捉えられてる手を伸ばしたその先で自由は雲を掴むように遠のく。
そして,もともと住んでいたところからどのくらい離れていたのかわからないけど、自由を求めて彷徨うにはその行動範囲があまりに狭くて堂々巡りにハマり,最初から見ていた農地の溝にて事切れてしまった。あまりにも痛々しくあまりにも鮮明な若さ、自由への渇望、やがてくる絶望。
農具や、農耕機や、固く乾いた土やモロッコ人移民労働者とら剪定する灌木。オブジェとしてアップで捉えられるものはあまりにも冷たく硬質で、自由を求める魂も肉体もあまりにも脆く弱々しい。
樹木の名前忘れてしまったが,毒素に侵された木を伐採する、立ち枯れる木もまた弱い肉体である。
木のお医者さんである学者さん(女性の教授)との出会いがモナと社会,世間をつなぐ心地よいひとときをもたらした,その後学者さんにおこる衝撃の出来事も,驚いたけど無機的ではない有機的な帰結。
お屋敷の持ち主の老女との楽しいコニャックのひとときも刹那的で老女もなに不自由ない富裕の暮らしをしながらこのコニャックとモナとのひとときを最後に老人ホームという不自由に追いやられるからモナと意気投合してのだろう。お屋敷の家政婦をしてボーイフレンドともなんとなく不安定な女性も,自由に生きるモナに惹かれてしまう。
羊飼いの家族の哲学者の男もやがて楽して生きたいモナに苛つき無口だが妻の方が需要していたように見える,他の家でも、学者さんほどではなくても女性たちはそんなに厳しい態度ではないように思えてそこも大事な目線かなと思う。
最初は威勢が良かったモナ。肌身離さず食料や大事なものを入れているバッグにはMのイニシャルが、社会とのつながりかってあったなんらかの家族とか自分の名前とか断ち切り難い関係性を見ているものに常に意識させる。
自由とは孤独なものだが,孤独は自由なのか。不自由な自由を頑なに強情に追い求める強いモナ。
自由がどんどん不自由になり、貧困の束縛となる。
深くにも男に襲われるところから,ローリングストーンのように転がりはじめる、このシーンで、若い男子がやはり究極の自由を追い求め挫折し絶望と死に至るInto the wildでヘラジカをしとめるが処理に時間がかかりうじが湧いて食べることもできず体力だけが無駄に消耗し絶望するシーンが想起されそれから頭を離れなかった。
この映画が公開された当初は見ていなかった。もっとちっさくて不甲斐ない感じだけど若さゆえ同じことを考え同じような行動もしたし、妄想もした。あのころこれを見ていたら行動は妄想となり妄想は活力となり、逆説的に不自由を選択して自由を部分的に享受しただろう。これをみなくてもそのような疑似体験や現実と非現実日常と非常の境界を自由に行き来できるものはさがせばたくさんあった。
今も不自由の自由を甘んじて生きる。自由の不自由ほど苛烈ではないから、、、