ブエノスアイレスのレビュー・感想・評価
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イグアスの滝は、先住民グアラニ族の言葉で「大いなる水」という意味。...
イグアスの滝は、先住民グアラニ族の言葉で「大いなる水」という意味。だけど、別名は「悪魔の喉笛」。
イグアスの滝は、ふたりのあいだで、愛や性の喜びが迸る象徴であり、理想像、でもある。まさに、大いなる水、なのだ、
しかし、大喧嘩をして、イグアスの滝にふたりで辿り着くことはできないし、いつもすれ違ってしまう。部屋にあるのは、イグアスの滝がデザインされたランプ。ふたりのあいだにあるのは、本物のイグアスの滝ではなく、光で照らし出されるイメージ(幻影)でしかないことが暗示される。まるで、悪魔がふたりを惑わせてるのではないか、というくらい、2人の関係はうまくいかない、
圧倒的なイグアスの滝とは真逆の性質を持つ、澱んだ川で、ファイがボートで当てもなく漂うシーンがある。それも苦悩に満ちた表情で。
そして、ファイは旅の最後にひとりでイグアスの滝に行くのだけれど、ウィンがこの場に一緒にいないことに虚しさを感じるだけだった。
愛や性の喜びはふたりのあいだでは実現されない、
台湾にかえったファイは、旅先で親しくなったチャンの実家を見つけて、会いたければ会える、と希望を見出す。最後はモノレールに乗って、夜の街の灯りに照らされて、再出発が暗示される。だけれど、あんなに、耳が良くて、人の声をきくだけで、その人の感情がわかると言っていたチャンは、録音されたファイの声を「機械が壊れてしまっていたのかもしれない」「泣き声のような音」しか聞こえなかったと、彼の悲しみを理解することが、できない。悲しいすれ違いは、ここでも再生産されてしまう、
パスポートを奪われたままのウィンはどうするのだろう、出国もできず、ブエノスアイレスを漂うことしかできない、
メモ✏️
・「ここにウィンがいないことが悲しかった
と」
・「ウィンのやり直そうがこわい」
4Kレストア版(シネマート新宿は2K)
クラシカルサウンドにて鑑賞
血を流すような辛い別れ
心の変化ををそのまま映したかのように、モノトーンの世界から、色の着いた世界に変わる。
初めてこの映画を知ったのは、傷つき、心がモノトーンの世界になってしまっている時だった。
辛い辛いと思っていたら、そんなに辛いならこれを観ろと随分年下の男性に勧められた。
観てみるとゲイカップルの話で驚いたが、みるみるその映像美に惹き込まれた。
トニーレオンの役に感情移入した。
香港に帰るため、稼ぎのいい精肉店で働いている時に、赤い血を水で流すシーンは、執着を断ち切ろうとする傷だらけの、血だらけの心の中を洗い流しているように見えた。
離れられない気持ちと葛藤しながらも離れないと前に進めない。やり直すのはごめんだ。また同じ繰り返しになるから。
イグアスの滝の壮大な流れが執着を洗い流してくれるようだ。
人を愛しすぎてしまう人が、執着を断ち切る手助けをしてくれるのはイグアスの滝であり、新しい出会いだ。
カセットレコーダーのシーンが好きだ。
心の声は聞こえない。
聞こえないけれど悲痛な叫びがそこには確実にあったんだ。
2020年になって久しぶりに映画館でリバイバル上映されているのを観てみると、今とは時代が全く違う。
スマホもネットもない時代、タバコを吸っては酒を飲んで運転する。好きな後輩の実家で写真をこっそり盗んでくる。
そんな時代を振り返って、人が人に執着する気持ちも当時は今と違って随分、ウエットだったなと思う。今なら後輩の実家に行くなんてストーカー紛いと言われそうだ。
だけど、人が人を好きになる気持ちは今も変わらない。
表向きはドライな振りをしているだけで、心の中では傷つき血を流している人は今もいるのだろう。
久しぶりに、ウォンカーワイの世界観に浸りながらそんなことを考えた。
軽快なエンドロールのタートルズのハッピートゥギャザーの曲を聞く頃には、辛いことがあっても、前を向いて新しい世界に進んでいこうと思えるから不思議だ。
台湾とアルゼンチンを舞台にした愛の物語
台湾大学に初めてのゲイサークルが1993年に、翌1994年にレズサークルが設立された。この映画が製作された1997年は中国本土で初めて同性愛が非犯罪化された年だ。台湾ではまだまだ同性愛への風当たりは強かったらしい。映画の主要な舞台となる地球の裏側にあたるアルゼンチンでは、1886年に既に非犯罪化されており、映画の中でも男娼が多い様子が描写されている。
同性同士であっても異性間の恋愛と変わらない。描写されるのは、小悪魔のように魅力的なクズ男。悪事をして祖国から逃げるように遠い異国に来たが人寂しく、クズ男と別れたりヨリを戻したりの辛い思いをする主人公。自由に旅を楽しむ若い友人の登場で主人公はようやく1人で祖国に戻る。過去を精算するのだ。かすかに明るいエンディングでよかった。
ターコイズブルー、エメラルドグリーン、バーミリオンレッド、マンダリンオレンジ等のアジアンカラーが浮き立つノスタルジックな映像とBGMはタンゴ。回想部分はモノクロ。
主演二人はこの映画に出るのはとても勇気が要っただろう。カーアイ監督の脚本なしで現場でメモを見せて即興で撮るやり方は、特にこの内容では、彼らの力量なしでは成立しなかったと思う。熱演に拍手を送りたい。
やり直すための旅
交互に映される二つのパスポート。「やり直そう」というのがウィンの口癖でフェイにとっては殺し文句のようなもの。結局また体を重ねてしまう。冒頭の短いシーンだけで、この映画がどのような世界観を持っているかを観客に分からせ、そしてその世界観に引き込んでいくような映像表現は見事だと思った。
ゲイのカップルの二人はやり直すための旅をするために、香港からブエノスアイレスにやってきた。
何もかも正反対の二人。旅費を稼ぐために堅実に働き口を見つけるフェイに対して、ウィンは放蕩三昧の日々を送る。イグアスの滝を見るために出掛けたのだが、途中で口論になってしまった二人はまたしても別れてしまう。
しかし、綱渡りのような危ない生き方を選ぶウィンはある日血まみれの状態でフェイの部屋を訪れる。
まるで赤子のように身を委ねるウィンに、フェイが食事を食べさせるシーンが印象的だった。
そしてまた「やり直そう」の台詞。
衝動的に行動し自分の主張だけをわめくウィンの姿に翻弄されっぱなしのフェイは度々「もう会いにくるな」とウィンを突っぱねる。
「それ本気か?」というやり取りも毎度のこと。フェイは本気だが、実は彼の本音ではない。
どれだけわがままに振り回されようとフェイにとってウィンはなくてはならない存在だ。
ウィンの方がフェイに依存しているように見えて、実はフェイの方が彼を束縛したがっている。
だから、彼はウィンが夜タバコを買いに出かけなくても良いように大量のタバコを買い置きするが、自分を縛るようなフェイの行動にウィンは全身で反発する。
ついにはウィンのパスポートまで取り上げてしまうフェイ。しかし、それでも彼の身体を繋ぎ止めることは出来なかった。
この映画はフェイとウィン二人の物語だが、ここにもう一人チャンという男が関わってくる。フェイが働く中華料理店で旅費を稼ぐために皿洗いをしている男だ。
フェイとチャンの間に肉体関係はなく、純粋な友情だけが結ばれる。ひょっとしたら、フェイはチャンに引かれていたのかもしれない。
何人もの男と関係を持っているウィンを嫉妬させたくて、フェイはチャンと関係を持っていることを仄めかす。そこにはフェイの希望的な考えもあったのだろう。
結果的にウィンと結ばれている間、フェイは幸せだったと語るが、それは常に心の乾きを満たされない空虚な時間でもあった。
純粋な友情だったからこそ、フェイはチャンに救われた。
耳がいいチャンは人の声を聞くと相手がどんな人なのか分かると言う。
「幸せなふりをしていても声を聞けば分かる。そして先輩はあまり幸せではない」
ブエノスアイレスを離れて更に最南端を目指すというチャンはフェイの悲しみをそこから捨ててあげるという。
席を離れている間に渡したテープレコーダーにメッセージを吹き込んでとチャンは言うが、フェイは泣き声をこらえるだけでメッセージを残せなかった。
イグアスの滝を一人で見に行き飛沫を浴びるフェイ、最南端に到着したチャン、パスポートを返して貰うために再びフェイに連絡をするウィン。
結果的にウィンともう一度やり直すことなく香港に戻ったフェイは、疎遠になった父親とやり直す決意をする。
そして、チャンのいる台北を訪れ、彼の写真が飾られた露店から一枚だけ写真をくすねる。
会いたいときにいつでも会えるのだからと。
愛に燃え上がった時間が鮮烈であったからこそ、意外とあっけない結末でもあり、更にそこから発展していく物語を予感させる終わり方でもあった。
白黒とカラーの映像表現が美しかったが、フェイにとってはウィンと離れている時も結ばれている時も結局心の中はカラフルに満たされてはいなかったんじゃないかと思った。
細かい人間描写も面白くて、フェイがアパートで食事を作っている時に毎度何を言っているか分からないが口やかましくわめきたてる老女の姿が気になった。
"不如我们从头来过。"
何宝荣带给黎耀辉的那种新鲜感,那种激情,使他沉闷无聊的生活有了不同的色彩。就像何宝荣买的那盏灯上的瀑布,绮丽又刺激,汹涌而来的妙感。而两个人之间巨大的价值观差异,不管怎样分和,终究是不适合。何宝荣是梁耀辉的唯一,梁耀辉只是何宝荣的之一。然梁耀辉最终理解了何宝荣的世界,爱虽像那滩冲不开的血,怎样都舍不弃,却释然而去,"从头开始"。何宝荣独自回去了那段感情里,却再也等不来那个人。愿错过就彼此放过。
男同士のいちゃいちゃがかわいい。
アジア映画を開拓中2017
京都シネマ名画リレーにて
恋する惑星はかろうじて見てるんですがね、90年代は文化的過疎地に住むティーンエイジャーだったので、この映画は知りませんでした。当時の私には楽しめなかっただろうなと思います。2017年に見て正解です。
多分香港のゲイの男の子2人がブエノスアイレスへ旅行へ来て、お金なくなったから現地で働くってゆう話です。
でも、ストーリーどうでもいい。
ウィン(レスリーチャン)とファイ(トニーレオン)がいちゃいちゃして、喧嘩して、またくっついたけど怒ってるからいちゃいちゃの誘いには断じて乗らん!!みたいな意地を張って、怒って泣いて!みたいなのを愛でればいいんです。
私は初めて白ブリーフ男子を可愛いと思いました。その絡みですよ。ごちそうさまでした。
後、アパートの炊事場でのダンス。よかったです。
若いトニーレオンがめっちゃかっこよかったです。
ウィンは、ちょっとビッチ系です。なんとかの滝を目指す旅の道行きで喧嘩別れした後、現地人のパパに可愛がってもらうジゴロになります。
ファイは純粋で真面目なので、地道に働きます。
元々ウィンに振り回される付き合いだったらしくブエノスアイレスでもそんな感じです。
再会して、ウィンの怪我をファイは甲斐甲斐しく看病しますが、エッチは拒否(拗ねてるから)、でも離れたくなくて、可愛さ余って憎さ100倍的な感じで、ウィンのパスポートを隠してしまう。
ウィンはワガママで、でも可愛くて。そう思ってしまうファイが切な可愛いぜって感じです。
回想部分が白黒映像なのかな?はっきり覚えていませんが。ブエノスアイレスの街並みやなんとかの滝とか、見たことない景色も見られました。
男女でも男男でも女女でもそれ以外でも、恋した人にはわかるあれやこれやが詰まったおしゃれムービーですね。
ファイのご飯美味しそうでした。
切ない
ファイのダメ男からの再生物語として
最後まで見てました。
が、ラストのウィンが泣き崩れてるところで
ハッとしました。
ウィン目線でもう一度観たいですが
うーん、ウィンをあまり好きになれないので
また年取ってから観ます笑
ゲイの切ないお話は幻想的な映像とともにイグアスの滝に流れる
16年前?に劇場でみて、そのインパクトを忘れられなくて、思わずDVDを買ってしまいました。
いや、やっぱり今見てもすごいです…。その映像美に圧倒。
当時大学生だった自分は、「こんな部屋に住もう!」って本気で思ったり、アルゼンチンに行こうと思ってしまっていました…
さて、お話はというと、真面目なゲイとちゃらいゲイが別れと再開を繰り返しながら自分の人生を見つめ直して行くというもの。僕はゲイではないので、ベットシーンとか本当にやめて欲しかったですけどね…。
ウィンとファイは喧嘩しながらもお互いに依存をして、最後はここに戻る…的な感じがあったんでしょうね。ウィンはファイに甘えに甘え、ファイはおそらくそれをよしとはしなくとも、自分の存在の確認にはなっていた…って男女の恋愛でも良くある話ですよね。
ウィンとファイは本当に愛し合っていたかはわかりませんが、2人でイグアスの滝を見ようと。2人でみようと約束します。そして、その旅の途中で道に迷ったことがきっかけで、ストーリーはうごきだす…と。
ファイが働く厨房の後輩のチャンと仲良くなり、ファイはチャンに思いを寄せて行くものの、チャン自体はノーマルな旅人。世界の果てを目指して旅をしていたため、別れに。そこで、チャンはファイの悲しみをテープに記録しそれを世界の果てにすててくる…と。
そして、チャンは南米最南端の灯台に。ファイは香港に帰るお金をためてイグアスの滝に。
このラストを飾るべく2つの場所の映像と、その後の香港に戻ってからの、喧騒と近代的な鉄道のシーンの美しさがとてもよかったです。
ファイはイグアスの滝を一人で見てから、香港に戻るわけですが、チャンの実家の飲食店によって、チャンが南米最南端の灯台にいった写真をくすねてくる、そして、「いつでも会える」ということを実感します。
お互いの存在そのものに固執し依存をしていたファイは、ウィンと喧嘩をしてチャンと出会い、イグアスの滝を見ることで、物質的なつながりではなく心のつながりということに気づくのでしょう。
といいながら、男だけでこのストーリーってはっと気付くとかなり異質ではありますが、ブエノスアイレスの感じと男だけの異質な感じはとてもマッチしていたと思いますし、なにより映像がすごい!!
本当によい映画があったな…とあらためておもいました。
涙の意味。
せつなくてせつなくて胸がはりさけそうになる・・・。
故郷香港の裏側、ブエノスアイレスで出会ったウィンとフェイ。情熱的で喧噪あふれる異国でさすらう1組のゲイ・カップル。傷つけ合うのは、互いに愛しすぎているそれ・・・。些細なことでケンカになり、その都度別れる2人。しかし磁石が引き寄せるようにまた元に戻る2人。「くされ縁」と呼ぶには激しすぎる2人の愛は、あまりにも破壊的だ。
2人の夢は、ウィンが買ったランプシェードに描かれている“イグアスの滝”に行くこと。しかし旅の途中、道に迷って口論になり、ついに2人は別れる。帰国の旅費を稼ぐため真面目に働くフェイの元へ、ケンカでケガをしたウィンが転がり込んでくる。言葉では迷惑がるフェイだが、両手の使えないウィンをかいがいしく介抱する。2人の蜜月・・・。手ずから食べさせたり、体を密着させてアルゼンチン・タンゴを踊る甘い時間・・・。かと思うとすぐに口論になりまたもや互いを傷つけ合う。断片的なシーンのモザイク。一見、一貫性のないストーリーだが、ちょっとしたショットによって、2人が深く愛し合っていることを実感できる。フェイは、ウィンが傍に居てくれるだけで幸福だった・・・はずだ・・・。だからこそ彼のどんな傍若無人な行為も許してしまえる。だが彼は解っている、このまま2人でいたら、先に進めないことを・・・。
そんな彼の背中を押してくれたのは、仕事先で知り合った旅行者、チャン。南米の最南端の灯台を目指す彼は、そこで「悲しみを捨てる」ことができるとフェイに語る。レコーダーを差し出し、フェイの悲しみを録音すれば、変わりに捨てることを約束してくれる。
即興演出で知られるカーウァイ監督作品には、明確な台本はない。このシーンもファイ役のレオンが監督から要求されたのはアドリブによるセリフ。レオンがここで表現したのは「涙」だった。彼は自然にあがる声を必死で押し殺して泣いた・・・。チャンが最南端の灯台で聞いたのはフェイの泣き声。彼の泣き声が冷たい空と海に溶けて行く・・・。せつなくてせつなくて胸がはりさけそうになる・・・。
この涙のシーンを後にレオンはインタビューで、自然と涙が出てきたと語っている。もともと彼は監督から違う役柄でオファーを受け、ゲイの役とは知らず、半分だまされる形(!)でブエノスアイレスにやって来たのだ、それなのに・・・。優れた俳優の感受性の高さに軽い嫉妬を覚えた。
チャンに悲しみを捨ててもらったおかげか、フェイは1人で香港に帰る決意をする。必死で働き金を貯め、1人でイグアスの滝へ・・・。渦巻く巨大な滝を見ながら彼は何を思うのか?そして残されたウィンは?刹那的に生きることしかできないウィンは、男娼に身を落とし、ついには路上でのたれ死ぬ。そんな未来が私には見える気がした。
そうして故郷に戻ったフェイは新しい恋を始める。そんな未来が私には見える気がした・・・。
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