ブエノスアイレスのレビュー・感想・評価
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イグアスとイグアナをよく間違える・・・
男同士のベッドシーンから始まる。イグアスの滝を見るまでは帰れない二人だったが、ウィンが手を怪我したことで、ファイはずっと面倒をみる。薄汚いアパートと共同炊事場。雨が続くときにはベッドにシラミも。
2人が再会するまでは白黒映像。それぞれの浮き沈みが感じられたため、この前半が一番好きな部分。アパートの赤っぽい映像は、レスリー・チャンのわがままぶりにキュンっとなりそうでやばかった。イグアスの滝はナイアガラよりも雄雄しくていいですね。
時間の流れが速いのか遅いのかさっぱりわからないのが難点かも・・・これがいいという人もいるのでしょうけど。
公開当時から何回も映画館で見てる唯一の映画。レスリーとトニーの倦怠...
公開当時から何回も映画館で見てる唯一の映画。レスリーとトニーの倦怠期カップルよりトニーとチャンチェンの友情…以上?の関係性がとても好き。特にチャンチェンがおバカでいい子。王家衛で1番好きな映画。
地の果てで思うこと
ストーリーはゲイカップルのイニシアチブの取り合いのくっついたり離れたりだけなのだけど、
それを美しくドラマティックに見せるクリストファードイルの映像が素晴らしかった。香港の裏側ブエノスアイレスが舞台なのに、どこかアジアっぽいのは僕が勝手に思ってるだけか、意図しての事なのか…
ウィンとファイの関係性は、なんとなくゲイ物の物語で見るゲイカップルの関係性で甲斐甲斐しく家庭的なファイとフラフラして直情的で激情家のウィン。
僕はウィンとファイの関係よりウィンとチャンの関係性が好きだった。別れの抱き合うシーンは素晴らしかった。
ウィンとまたくっついて終わりかと思ったら、ウィンのあの涙…
ファイは地の果てで今までの事を全て洗い流し前に進む事を選び、ウィンは今までファイを困らせてばかりと思ってたけど、ファイが一度ウィンを嫉妬させようとしたみたいに、ウィンもまた自分を捕まえていてくれと嫉妬させるための振る舞いだったんじゃないだろうか?地の果てまでファイこそが共に歩みたかったんじゃないだろうか?
とは言うもののクリストファー・ドイルの映像が美しかった。
白タンクトップ&ブリーフ
香港俳優さんは、白タンクトップと小学生みたいなブリーフ姿がよく出てきますね。あっちだとアレがセクシーなのでしょうか?ドリフターズのコントが頭をよぎります。
初っ端から濃厚な濡れ場...最初が1番過激かも。目のやり場に困ります。
ストーリーはゲイのすったもんだ。お互い好きなくせにケンカばっかり。(でも今思うとあれは好きっていうのかな?依存とかそっちかなという気もする)とにかく情緒不安定すぎでしょ。ファイは一途ボーイ(ボーイって歳でもないかな?)。ウィンは寂しがりやのツンデレダメ男、あっちにフラフラこっちにフラフラ、ファイを試してみたり。ファイもやめればいいのにウィンに執着してます。で、すぐ怒鳴りあいのケンカ。ゲイってみんなこんななの?違うよね〜?ちょっと煽情的すぎます。.雰囲気映画と割り切ってしまえば良い余韻が残るけど、ストーリーを求めるとウーン...
後半出てくる、まとも君の旅人ボーイ(名前忘れた)がかなり好青年。個人的にはファイは彼とくっついてくれたら幸せになれそうですが。旅人ボーイはノンケらしく残念。とりあえずトニーレオン何やらせても上手いね、彼じゃなかったら全部見れなかったと思う。
映画としてはかなり色々模索的な試みが見える作品でした。
ふわっと、香港の裏側ってアルゼンチンなんだ、日本はブラジルだな。香港人もコンコン「アルゼンチンの皆さん聞こえますかー?」ってやるのかなとか考えた。
同じ空の下
ムーンライトでもオマージュされているという事で再び。
どれだけ想おうとどれだけ身体を重ねても信じ合えず傷付け合って、そんな事望んでないのに。テープレコーダーのくだりは胸が詰まる思いがした。世界の果てに置いてきた涙。
会いたいと思いさえすれば、いつでも何処に居ても会える。地球の裏側でも。
地球の裏側で繰り返される男同士の愛と憎しみ
映画にはそれぞれ、その人にとって観るべき時があるようで、そのような時分に幸運にも巡り合い、観た映画は一生の宝物になる。だが、そうでない時に観た映画は、どんな名作であっても心の琴線に触れずに、忘れ去ってしまったりする。
十年以上も前に観た『ブエノスアイレス』は、記憶が非常に曖昧だった。それはきっと、まだ子供だった当時の私にとっては、期が熟していなかったせいだろうと思う。
しかし、本年度アカデミー賞作品賞を受賞した『ムーンライト』のバリー・ジェンキンス監督が多大な影響を受け、『ムーンライト』でもオマージュを捧げている事を知ったのをきっかけに、ウォン・カーウァイ監督の『ブエノスアイレス』が再び気になり、鑑賞するに至った。
関係をやり直す為に、アルゼンチンのイグアスの滝へとボロ車で旅に出た、恋人同士のファイ(トニー・レオン)とウィン(レスリー・チャン)。だが行く途中で道に迷ったせいで喧嘩となり、二人は別れてしまう。
旅費が尽き、香港に帰れなくなったファイは、タンゴのバーでドアマンの仕事を見つけるが、その店に愛人の男と一緒のウィンが偶然現れる。嫉妬に駆られるファイを横目に、何事も無かったかのように、姿を現しては消えるウィン。
だがある日、愛人に殴られて両手が使えなくなったウィンが、ファイのアパートへ逃げ込んでくる。そして「やり直そう」とファイに言う。何度も裏切られているファイは、ウィンと体の関係を拒むが、自分のアパートで甲斐甲斐しく傷ついたウィンの世話をしてやる。本心では、蝶のようにフラフラしているウィンが、傷ついて自分の元から離れられないのが、ファイ嬉しくて仕方がない。
だんだんウィンが回復してくると、ファイの居らぬ間に勝手にウィンが出歩くようになる。自分からまた離れて行くのではないかと怖れたファイは、ウィンのパスポートを隠してしまう……。
そして、そんな不安定なファイの心情を、職場の同僚のチャン(チャン・チェン)は見抜き、ファイと親しくなっていく。
と、上記にあらすじを書いたが、脚本が殆ど無く、即興的に撮られたこの映画には、大きな物語がない。
カメラは、ファイとウィンの二人の感情のぶつかり合いと、すれ違いをひたすら追う。台詞は少なく、その代わりに、クリストファー・ドイルの鮮やかで影の濃いドラマティックな影像と、アストル・ピアソラの情緒的なメロディが、雄弁に二人の心情を語ってくれる。
これまで、ファイはウィンから「やり直そう」と言う言葉をかけられ、何度も関係の修復を試みて、そして失敗してきた。だからファイはウィンに「やり直そう」と言われることを、どこか期待しながらも、激しく怖れている。
それは、「うん」と言いたくないのに、ファイはウィンを結局拒めず、受け入れてしまうから。自分の中のウィンへの執着を、思い出すことになるから。そして、再び付合い出しても、二人の間に決定的な断絶があることを、思い知ることになるからだ。
帰る場所があり、前へ進もうとするファイと、(おそらく)帰る場所が無く刹那的に生きるウィンは、噛み合わない。求めあっても、求めあうが故に、互いを傷付けてしまう。
求めあうが故に泥沼にはまっていく二人の関係は、男同士の関係に限らず、普遍的な愛のテーマのように思える。
だが、この映画は男同士の関係でなければ描けない、愛の葛藤がある。ウォン・カーウァイ監督が(トニー・レオンを騙してまで)、ゲイカップルにこだわったのは、まさにそこにある。
たとえば、ファイとウィンがぎこちなく踊る男同士のタンゴや、タクシーの後部座席でウィンがファイの肩にもたれかけるシーンなどは、まさにその例だろう。(そしてこれらのシーンは『ムーンライト』でオマージュされている)
ファイは傷つきやすく繊細な面があるのに、ウィンの前では弱さを見せず常に男の虚勢を張り続ける。
地球の真裏で繰り返される、愛と憎しみ。遠く離れた異国の地でなければ描けなかった、交錯する男同士の人生の一部分を、この映画を通して垣間見れた気がする。
触れる愛と離れる愛
イグアスの滝を上空から撮った画が、BGMと相まってとても幻想的なオープニング。いつまでも観ていたい快楽を覚える。
人を愛する中で、幸福を感じることができるのは、愛する相手が自分の手元に留まり、自分が唯一絶対に必要な存在なのだと思えるとき。だから手に怪我をしてシャツすら自分では着ることが出来ないくせに、食事についての文句など、我儘を言いたい放題の相手の世話を甲斐甲斐しく行うのだ。
しかし、そうした幸福なひと時を除いては、愛することは苦しみばかりをもたらす。相手の不在を嘆き、相手を失うこと、または去られることへの恐怖、嫉妬、疑念、自分への無理解に対する怒り。これらの感情すべてが映画に描かれている。
物語の最後に知ることになるのは、触れることのできるものへの愛は、苦しくて時に裏切られる。でも、この手で触れることのできない愛は、いつでも自分の中で温かく呼び起こすことができるということ。愛は、相手に触れることで喜びをもたらすが、同時に苦しみももたらすのだ。
鏡や窓といった枠の中に被写体を入れることで、その表情、心情へと観客を集中させる。また、ブエノスアイレスの街の表情は、水平方向へと広がっていく画になっていて、世界の果てしなさを映し出している。広大さを感じさせる映像により、主人公の二人がいずれ、離れ離れになって、この街の外へと去っていくことが予想される。そして、観客はブエノスアイレスの夕暮れを観るにつけ、ここに取り残されることへの不安を、または、ここから出ていくことへの不安を登場人物と共有する。
もう、お互いがどこにいるのかも分からないほど、遠く離れたとき、この不安からは解放される。誰にも触れることのできないところまで自分がたどり着いたときに、誰のことを一番に思うのだろう。その思いを愛と呼ばずして、何というのか。
大好きなトニー・レオンとレスリー・チャンの共演作だ。この上何の不満があろうか。この作品を、ウォン・カーウァイの最高傑作とする人が多いのも大いに頷ける。
ウェイ
ゲイのカップルが流れ流れて三千里。
流れ付いたはブエノスアイレス。
まず、ブエノスアイレスって舞台立てが非常に良い。
最果ての地感まんまん。やる気も満々。
もうね、やってます。
やる気!元気!いわき!
だがしかし、一番セクシーに見えるのは地元のダンサーが踊る
アルゼンチンタンゴに見えなくもない。
いやいや、一番グッと来るのは、電話に出る時のトニーレオンの
「ウェイ、、、、」
だ。
ハングルならヨボセヨ。日本語なら、もしもしだ。
この広東語の響きがグッと来るのは俺だけか?
まぁ、公開当時ノリにノッテタ、ウォン カーゥアイ監督の
一番美味しい部分が堪能出来る作品です。
退廃的なトーンの落とした画の中、イグアスの滝に向かって収束する物語は
これまたドン詰まり感満々でいいのだが、
レスリーチャンが太川陽介に見えてきて萎えたりもするが、
良作である事はまちがいなーい。
ブルーレイが出るが、これまたフィルムで、
出来れば場末の名画座辺りで一人で見たい。
が、アマゾン、予約ぽちってしまった。
関係無いが、好きな映画を並べてるみると
どうもゲイをあつかった作品が多いが、
私は男性よりも間違いなく女性が好きだ。
ようするに、ノンケです。はい。
おっぱいダイスキ!!
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