ブエノスアイレスのレビュー・感想・評価
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滝が巨大化した洗濯機みたいで怖かった
ついさっき知りました。アルゼンチン・タンゴは女性がどんなに酔っていても男性がリードして踊る、だからあれだけくっついて女性が男性に寄りかかっているんだと。社交ダンスのタンゴと全く異なる由来が分かった!自分向きじゃないですか~!私の酔っ払い状態を完璧に受けとめてくれるパートナーが居れば私もアルゼンチン・タンゴいけるかな?でもステップが面倒くさいのかな?ファイがなかなか覚えられなくて、ウィンはイライラしてた。
そして映画です。
アパートの共同キッチンで二人がアルゼンチン・タンゴを踊る場面が一番心に残った。その時二人はと
ても幸せででもなぜか悲しくなって私は泣いた。あと好きなのは、ファイがご飯を作ったり激しくも甲斐甲斐しくウィンの面倒を見るところ。ウィンがファイ不在のアパート室内の片付けをしてベッドメイキングして沢山の煙草をきちんと棚に置いて床掃除をするところ。そして赤い毛布抱きしめて泣くところ。ファイが録音機片手に泣くところ。
音に敏感なチャンが様々な音や声に耳を傾ける姿に同感した。声は何よりも人の心情を伝えてくれると思う。
地球の裏側からこっちにやっと戻ってきて安心した。何で二人で香港の裏というだけで、そしてイグアナだか何とかいう滝の絵のキッチュなランプに引かれてブエノスアイレスなんかに来たの~!心細くて仕方ない!
男の人が、夢見がちで限りなく優しくて未練たらしくて嫉妬深いことが男同士の恋愛だからとてもピュアに表現されていたように思う。
個人的にとても残念で情けなかったのは、トニーがどうしても三島由紀夫に見えてしまって映画に没入できなかったことです。
台湾とアルゼンチンを舞台にした愛の物語
台湾大学に初めてのゲイサークルが1993年に、翌1994年にレズサークルが設立された。この映画が製作された1997年は中国本土で初めて同性愛が非犯罪化された年だ。台湾ではまだまだ同性愛への風当たりは強かったらしい。映画の主要な舞台となる地球の裏側にあたるアルゼンチンでは、1886年に既に非犯罪化されており、映画の中でも男娼が多い様子が描写されている。
同性同士であっても異性間の恋愛と変わらない。描写されるのは、小悪魔のように魅力的なクズ男。悪事をして祖国から逃げるように遠い異国に来たが人寂しく、クズ男と別れたりヨリを戻したりの辛い思いをする主人公。自由に旅を楽しむ若い友人の登場で主人公はようやく1人で祖国に戻る。過去を精算するのだ。かすかに明るいエンディングでよかった。
ターコイズブルー、エメラルドグリーン、バーミリオンレッド、マンダリンオレンジ等のアジアンカラーが浮き立つノスタルジックな映像とBGMはタンゴ。回想部分はモノクロ。
主演二人はこの映画に出るのはとても勇気が要っただろう。カーアイ監督の脚本なしで現場でメモを見せて即興で撮るやり方は、特にこの内容では、彼らの力量なしでは成立しなかったと思う。熱演に拍手を送りたい。
やり直すための旅
交互に映される二つのパスポート。「やり直そう」というのがウィンの口癖でフェイにとっては殺し文句のようなもの。結局また体を重ねてしまう。冒頭の短いシーンだけで、この映画がどのような世界観を持っているかを観客に分からせ、そしてその世界観に引き込んでいくような映像表現は見事だと思った。
ゲイのカップルの二人はやり直すための旅をするために、香港からブエノスアイレスにやってきた。
何もかも正反対の二人。旅費を稼ぐために堅実に働き口を見つけるフェイに対して、ウィンは放蕩三昧の日々を送る。イグアスの滝を見るために出掛けたのだが、途中で口論になってしまった二人はまたしても別れてしまう。
しかし、綱渡りのような危ない生き方を選ぶウィンはある日血まみれの状態でフェイの部屋を訪れる。
まるで赤子のように身を委ねるウィンに、フェイが食事を食べさせるシーンが印象的だった。
そしてまた「やり直そう」の台詞。
衝動的に行動し自分の主張だけをわめくウィンの姿に翻弄されっぱなしのフェイは度々「もう会いにくるな」とウィンを突っぱねる。
「それ本気か?」というやり取りも毎度のこと。フェイは本気だが、実は彼の本音ではない。
どれだけわがままに振り回されようとフェイにとってウィンはなくてはならない存在だ。
ウィンの方がフェイに依存しているように見えて、実はフェイの方が彼を束縛したがっている。
だから、彼はウィンが夜タバコを買いに出かけなくても良いように大量のタバコを買い置きするが、自分を縛るようなフェイの行動にウィンは全身で反発する。
ついにはウィンのパスポートまで取り上げてしまうフェイ。しかし、それでも彼の身体を繋ぎ止めることは出来なかった。
この映画はフェイとウィン二人の物語だが、ここにもう一人チャンという男が関わってくる。フェイが働く中華料理店で旅費を稼ぐために皿洗いをしている男だ。
フェイとチャンの間に肉体関係はなく、純粋な友情だけが結ばれる。ひょっとしたら、フェイはチャンに引かれていたのかもしれない。
何人もの男と関係を持っているウィンを嫉妬させたくて、フェイはチャンと関係を持っていることを仄めかす。そこにはフェイの希望的な考えもあったのだろう。
結果的にウィンと結ばれている間、フェイは幸せだったと語るが、それは常に心の乾きを満たされない空虚な時間でもあった。
純粋な友情だったからこそ、フェイはチャンに救われた。
耳がいいチャンは人の声を聞くと相手がどんな人なのか分かると言う。
「幸せなふりをしていても声を聞けば分かる。そして先輩はあまり幸せではない」
ブエノスアイレスを離れて更に最南端を目指すというチャンはフェイの悲しみをそこから捨ててあげるという。
席を離れている間に渡したテープレコーダーにメッセージを吹き込んでとチャンは言うが、フェイは泣き声をこらえるだけでメッセージを残せなかった。
イグアスの滝を一人で見に行き飛沫を浴びるフェイ、最南端に到着したチャン、パスポートを返して貰うために再びフェイに連絡をするウィン。
結果的にウィンともう一度やり直すことなく香港に戻ったフェイは、疎遠になった父親とやり直す決意をする。
そして、チャンのいる台北を訪れ、彼の写真が飾られた露店から一枚だけ写真をくすねる。
会いたいときにいつでも会えるのだからと。
愛に燃え上がった時間が鮮烈であったからこそ、意外とあっけない結末でもあり、更にそこから発展していく物語を予感させる終わり方でもあった。
白黒とカラーの映像表現が美しかったが、フェイにとってはウィンと離れている時も結ばれている時も結局心の中はカラフルに満たされてはいなかったんじゃないかと思った。
細かい人間描写も面白くて、フェイがアパートで食事を作っている時に毎度何を言っているか分からないが口やかましくわめきたてる老女の姿が気になった。
悪循環
イグアスに行くのになぜアルゼンチンを?それは香港の裏側に当たるかららしい。ファイ(トニー レオン)は中国人の客の引き込みをしているが、袖の下で給料をもらっていると思うが、そんな簡単にアルゼンチンで働けたのか? 正直いってこの映画は好みではなかった。
1997年の香港映画で私の好きなスタートニーレオンが出ているのに驚いた。彼がずいぶん若い頃の作品である。若い頃の顔つきに今のトニーの面影がある。でも、彼はゲイ役があまり合わない。彼の怒鳴る声を聞くとギャング映画でも見ている気分になっちゃう。ごめんなさい。
もう一方の俳優レスリーチャンの方が似合うかもしれない。ううん、、、両方ともなんとなくマッチしない。有名な俳優だからこの映画をスターダムに載せるため監督が使ってみたかったのではないかとかってに想像してしまう。
この二人の役者にはゲイ特有(私感)のセクシーさが足りないんだなあ。二人がゲイじゃなくてもいいんじゃない? 男と女でもいいんじゃない?なぜ、ゲイに? 私の仕事場にもゲイはいるし、ごくふつうの存在(ごめんなさいこんないいかたしかできなくて。)として身近に感じるけど、90%はゲイだと私が思える人だ。この二人はそれから外れる。もちろん10%のゲイに中に入っているかもしれないが。
でも、一つロマンティックに思えたシーンがある。それは街角でウィン(レスリーチャン)が暴力にあって傷ついているところタバコが欲しいとファイにいって火ももらうシーンだが、ファイが持っているタバコの火をウィンが吸うことにより、自分の指先も吸われていく感覚がすごくいいね。
ウィンがもう一度やり直そういうが、二人の間はすでにそのチャンスは何度かあったはずだ。悪循環で失敗から学べない感情があるんだけど。お互いに好きあっているが、やはりこの二人は別れた方がいいと思う。一緒にいてこれだけ喧嘩をするし、信じあえないから。好きという感情だけにに溺れてしまってお互いを解りあっていない現実をみていない。
ファイがナイフを出してドアに突き刺すシーンがあるが、ウィンを引き止めるには、彼がもう一度、傷つけばファイの元にとどまると考えてる。独占欲の塊のファイはウィンを傷つけるかわり、ドアにナイフをさすのだ。このシーンからしても、悪循環にはまって精神的問題が出てきて、正常心をなくしていっている。これから抜け出てイグアスにより香港に戻ることはファイにとってよかった。ファイにとって心の傷は簡単に癒えないけどいつがどこかの時点で決断がいる時も人生にはあるとおもう。
ファイが一人でイグアスの滝にいるシーンがあるが、イグアスはアルゼンチン側からみても、ブラジル側から見てももうこのように滝のしぶきが浴びられるところはもうない。囲いの外から見なければならない。カメラどりが変わっていていいが専門的なことはまるっきり知らないから、なんとも言えない。カメラの動きはときどき目が回る。
最後のシーンでファイが台湾に立ち寄ってチャン(チャン チェン)の家族の経営している屋台で食事をしている時の顔は幸せに見えた。そして電車でのシーンは私が知っている笑顔のトニーレオンだ。家族に送られた絵葉書を一枚、自分のものにして、いつでもチャンとコンタクトできるよというシーンもファイの将来を明るくする。
二人でいる時が幸せという( Happy Together)意味が刹那にしか見出せない作品だった。
一人でも二人でなくてもHappyに見えた。この幸せな表情が彼の未来を明るくした。
最後に、LGBTQ+と言われる映画だが、アンドリューヘイのようにゲイの監督はゲイの作品を作るが、ゲイの俳優がゲイの役割をする映画をみる機会がない。私はジェンダーに対してのこだわりがないから、かなり広範囲にジェンダーを意識化させる映画を見ているがなぜ、ゲイの役にゲイの俳優を使わない?まだまだ差別の世界だな。
ブエノスアイレス
赤と緑がやりすぎ。
タンゴを使うためだけのブエノスアイレス。
愛情なのか依存なのか執着なのかただの孤独なのかの二人。
ただ喚いているだけの、画面に出てくるだけの役柄のない脇役アルゼンチン人たち。
心地悪い間の取り方。
久しぶりにこの手の映画を観ました。
完成度低いなと思いました。
イグアスとイグアナをよく間違える・・・
男同士のベッドシーンから始まる。イグアスの滝を見るまでは帰れない二人だったが、ウィンが手を怪我したことで、ファイはずっと面倒をみる。薄汚いアパートと共同炊事場。雨が続くときにはベッドにシラミも。
2人が再会するまでは白黒映像。それぞれの浮き沈みが感じられたため、この前半が一番好きな部分。アパートの赤っぽい映像は、レスリー・チャンのわがままぶりにキュンっとなりそうでやばかった。イグアスの滝はナイアガラよりも雄雄しくていいですね。
時間の流れが速いのか遅いのかさっぱりわからないのが難点かも・・・これがいいという人もいるのでしょうけど。
"不如我们从头来过。"
何宝荣带给黎耀辉的那种新鲜感,那种激情,使他沉闷无聊的生活有了不同的色彩。就像何宝荣买的那盏灯上的瀑布,绮丽又刺激,汹涌而来的妙感。而两个人之间巨大的价值观差异,不管怎样分和,终究是不适合。何宝荣是梁耀辉的唯一,梁耀辉只是何宝荣的之一。然梁耀辉最终理解了何宝荣的世界,爱虽像那滩冲不开的血,怎样都舍不弃,却释然而去,"从头开始"。何宝荣独自回去了那段感情里,却再也等不来那个人。愿错过就彼此放过。
公開当時から何回も映画館で見てる唯一の映画。レスリーとトニーの倦怠...
公開当時から何回も映画館で見てる唯一の映画。レスリーとトニーの倦怠期カップルよりトニーとチャンチェンの友情…以上?の関係性がとても好き。特にチャンチェンがおバカでいい子。王家衛で1番好きな映画。
地の果てで思うこと
ストーリーはゲイカップルのイニシアチブの取り合いのくっついたり離れたりだけなのだけど、
それを美しくドラマティックに見せるクリストファードイルの映像が素晴らしかった。香港の裏側ブエノスアイレスが舞台なのに、どこかアジアっぽいのは僕が勝手に思ってるだけか、意図しての事なのか…
ウィンとファイの関係性は、なんとなくゲイ物の物語で見るゲイカップルの関係性で甲斐甲斐しく家庭的なファイとフラフラして直情的で激情家のウィン。
僕はウィンとファイの関係よりウィンとチャンの関係性が好きだった。別れの抱き合うシーンは素晴らしかった。
ウィンとまたくっついて終わりかと思ったら、ウィンのあの涙…
ファイは地の果てで今までの事を全て洗い流し前に進む事を選び、ウィンは今までファイを困らせてばかりと思ってたけど、ファイが一度ウィンを嫉妬させようとしたみたいに、ウィンもまた自分を捕まえていてくれと嫉妬させるための振る舞いだったんじゃないだろうか?地の果てまでファイこそが共に歩みたかったんじゃないだろうか?
とは言うもののクリストファー・ドイルの映像が美しかった。
白タンクトップ&ブリーフ
香港俳優さんは、白タンクトップと小学生みたいなブリーフ姿がよく出てきますね。あっちだとアレがセクシーなのでしょうか?ドリフターズのコントが頭をよぎります。
初っ端から濃厚な濡れ場...最初が1番過激かも。目のやり場に困ります。
ストーリーはゲイのすったもんだ。お互い好きなくせにケンカばっかり。(でも今思うとあれは好きっていうのかな?依存とかそっちかなという気もする)とにかく情緒不安定すぎでしょ。ファイは一途ボーイ(ボーイって歳でもないかな?)。ウィンは寂しがりやのツンデレダメ男、あっちにフラフラこっちにフラフラ、ファイを試してみたり。ファイもやめればいいのにウィンに執着してます。で、すぐ怒鳴りあいのケンカ。ゲイってみんなこんななの?違うよね〜?ちょっと煽情的すぎます。.雰囲気映画と割り切ってしまえば良い余韻が残るけど、ストーリーを求めるとウーン...
後半出てくる、まとも君の旅人ボーイ(名前忘れた)がかなり好青年。個人的にはファイは彼とくっついてくれたら幸せになれそうですが。旅人ボーイはノンケらしく残念。とりあえずトニーレオン何やらせても上手いね、彼じゃなかったら全部見れなかったと思う。
映画としてはかなり色々模索的な試みが見える作品でした。
ふわっと、香港の裏側ってアルゼンチンなんだ、日本はブラジルだな。香港人もコンコン「アルゼンチンの皆さん聞こえますかー?」ってやるのかなとか考えた。
男同士のいちゃいちゃがかわいい。
アジア映画を開拓中2017
京都シネマ名画リレーにて
恋する惑星はかろうじて見てるんですがね、90年代は文化的過疎地に住むティーンエイジャーだったので、この映画は知りませんでした。当時の私には楽しめなかっただろうなと思います。2017年に見て正解です。
多分香港のゲイの男の子2人がブエノスアイレスへ旅行へ来て、お金なくなったから現地で働くってゆう話です。
でも、ストーリーどうでもいい。
ウィン(レスリーチャン)とファイ(トニーレオン)がいちゃいちゃして、喧嘩して、またくっついたけど怒ってるからいちゃいちゃの誘いには断じて乗らん!!みたいな意地を張って、怒って泣いて!みたいなのを愛でればいいんです。
私は初めて白ブリーフ男子を可愛いと思いました。その絡みですよ。ごちそうさまでした。
後、アパートの炊事場でのダンス。よかったです。
若いトニーレオンがめっちゃかっこよかったです。
ウィンは、ちょっとビッチ系です。なんとかの滝を目指す旅の道行きで喧嘩別れした後、現地人のパパに可愛がってもらうジゴロになります。
ファイは純粋で真面目なので、地道に働きます。
元々ウィンに振り回される付き合いだったらしくブエノスアイレスでもそんな感じです。
再会して、ウィンの怪我をファイは甲斐甲斐しく看病しますが、エッチは拒否(拗ねてるから)、でも離れたくなくて、可愛さ余って憎さ100倍的な感じで、ウィンのパスポートを隠してしまう。
ウィンはワガママで、でも可愛くて。そう思ってしまうファイが切な可愛いぜって感じです。
回想部分が白黒映像なのかな?はっきり覚えていませんが。ブエノスアイレスの街並みやなんとかの滝とか、見たことない景色も見られました。
男女でも男男でも女女でもそれ以外でも、恋した人にはわかるあれやこれやが詰まったおしゃれムービーですね。
ファイのご飯美味しそうでした。
同じ空の下
ムーンライトでもオマージュされているという事で再び。
どれだけ想おうとどれだけ身体を重ねても信じ合えず傷付け合って、そんな事望んでないのに。テープレコーダーのくだりは胸が詰まる思いがした。世界の果てに置いてきた涙。
会いたいと思いさえすれば、いつでも何処に居ても会える。地球の裏側でも。
地球の裏側で繰り返される男同士の愛と憎しみ
映画にはそれぞれ、その人にとって観るべき時があるようで、そのような時分に幸運にも巡り合い、観た映画は一生の宝物になる。だが、そうでない時に観た映画は、どんな名作であっても心の琴線に触れずに、忘れ去ってしまったりする。
十年以上も前に観た『ブエノスアイレス』は、記憶が非常に曖昧だった。それはきっと、まだ子供だった当時の私にとっては、期が熟していなかったせいだろうと思う。
しかし、本年度アカデミー賞作品賞を受賞した『ムーンライト』のバリー・ジェンキンス監督が多大な影響を受け、『ムーンライト』でもオマージュを捧げている事を知ったのをきっかけに、ウォン・カーウァイ監督の『ブエノスアイレス』が再び気になり、鑑賞するに至った。
関係をやり直す為に、アルゼンチンのイグアスの滝へとボロ車で旅に出た、恋人同士のファイ(トニー・レオン)とウィン(レスリー・チャン)。だが行く途中で道に迷ったせいで喧嘩となり、二人は別れてしまう。
旅費が尽き、香港に帰れなくなったファイは、タンゴのバーでドアマンの仕事を見つけるが、その店に愛人の男と一緒のウィンが偶然現れる。嫉妬に駆られるファイを横目に、何事も無かったかのように、姿を現しては消えるウィン。
だがある日、愛人に殴られて両手が使えなくなったウィンが、ファイのアパートへ逃げ込んでくる。そして「やり直そう」とファイに言う。何度も裏切られているファイは、ウィンと体の関係を拒むが、自分のアパートで甲斐甲斐しく傷ついたウィンの世話をしてやる。本心では、蝶のようにフラフラしているウィンが、傷ついて自分の元から離れられないのが、ファイ嬉しくて仕方がない。
だんだんウィンが回復してくると、ファイの居らぬ間に勝手にウィンが出歩くようになる。自分からまた離れて行くのではないかと怖れたファイは、ウィンのパスポートを隠してしまう……。
そして、そんな不安定なファイの心情を、職場の同僚のチャン(チャン・チェン)は見抜き、ファイと親しくなっていく。
と、上記にあらすじを書いたが、脚本が殆ど無く、即興的に撮られたこの映画には、大きな物語がない。
カメラは、ファイとウィンの二人の感情のぶつかり合いと、すれ違いをひたすら追う。台詞は少なく、その代わりに、クリストファー・ドイルの鮮やかで影の濃いドラマティックな影像と、アストル・ピアソラの情緒的なメロディが、雄弁に二人の心情を語ってくれる。
これまで、ファイはウィンから「やり直そう」と言う言葉をかけられ、何度も関係の修復を試みて、そして失敗してきた。だからファイはウィンに「やり直そう」と言われることを、どこか期待しながらも、激しく怖れている。
それは、「うん」と言いたくないのに、ファイはウィンを結局拒めず、受け入れてしまうから。自分の中のウィンへの執着を、思い出すことになるから。そして、再び付合い出しても、二人の間に決定的な断絶があることを、思い知ることになるからだ。
帰る場所があり、前へ進もうとするファイと、(おそらく)帰る場所が無く刹那的に生きるウィンは、噛み合わない。求めあっても、求めあうが故に、互いを傷付けてしまう。
求めあうが故に泥沼にはまっていく二人の関係は、男同士の関係に限らず、普遍的な愛のテーマのように思える。
だが、この映画は男同士の関係でなければ描けない、愛の葛藤がある。ウォン・カーウァイ監督が(トニー・レオンを騙してまで)、ゲイカップルにこだわったのは、まさにそこにある。
たとえば、ファイとウィンがぎこちなく踊る男同士のタンゴや、タクシーの後部座席でウィンがファイの肩にもたれかけるシーンなどは、まさにその例だろう。(そしてこれらのシーンは『ムーンライト』でオマージュされている)
ファイは傷つきやすく繊細な面があるのに、ウィンの前では弱さを見せず常に男の虚勢を張り続ける。
地球の真裏で繰り返される、愛と憎しみ。遠く離れた異国の地でなければ描けなかった、交錯する男同士の人生の一部分を、この映画を通して垣間見れた気がする。
切ない
ファイのダメ男からの再生物語として
最後まで見てました。
が、ラストのウィンが泣き崩れてるところで
ハッとしました。
ウィン目線でもう一度観たいですが
うーん、ウィンをあまり好きになれないので
また年取ってから観ます笑
触れる愛と離れる愛
イグアスの滝を上空から撮った画が、BGMと相まってとても幻想的なオープニング。いつまでも観ていたい快楽を覚える。
人を愛する中で、幸福を感じることができるのは、愛する相手が自分の手元に留まり、自分が唯一絶対に必要な存在なのだと思えるとき。だから手に怪我をしてシャツすら自分では着ることが出来ないくせに、食事についての文句など、我儘を言いたい放題の相手の世話を甲斐甲斐しく行うのだ。
しかし、そうした幸福なひと時を除いては、愛することは苦しみばかりをもたらす。相手の不在を嘆き、相手を失うこと、または去られることへの恐怖、嫉妬、疑念、自分への無理解に対する怒り。これらの感情すべてが映画に描かれている。
物語の最後に知ることになるのは、触れることのできるものへの愛は、苦しくて時に裏切られる。でも、この手で触れることのできない愛は、いつでも自分の中で温かく呼び起こすことができるということ。愛は、相手に触れることで喜びをもたらすが、同時に苦しみももたらすのだ。
鏡や窓といった枠の中に被写体を入れることで、その表情、心情へと観客を集中させる。また、ブエノスアイレスの街の表情は、水平方向へと広がっていく画になっていて、世界の果てしなさを映し出している。広大さを感じさせる映像により、主人公の二人がいずれ、離れ離れになって、この街の外へと去っていくことが予想される。そして、観客はブエノスアイレスの夕暮れを観るにつけ、ここに取り残されることへの不安を、または、ここから出ていくことへの不安を登場人物と共有する。
もう、お互いがどこにいるのかも分からないほど、遠く離れたとき、この不安からは解放される。誰にも触れることのできないところまで自分がたどり着いたときに、誰のことを一番に思うのだろう。その思いを愛と呼ばずして、何というのか。
大好きなトニー・レオンとレスリー・チャンの共演作だ。この上何の不満があろうか。この作品を、ウォン・カーウァイの最高傑作とする人が多いのも大いに頷ける。
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