ファニーとアレクサンデルのレビュー・感想・評価
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観たかった度◎鑑賞後の満足度◎ベルイマンの集大成と言われている映画だが、到達点とも思える素晴らしさ(って偉そうに言える程ベルイマン観てませんが)。先ずは大スクリーンで観て、そして何度でも観てみたい。
①さて、今年はどんな(素晴らしい)映画との出逢いがあるだろうかとワクワクしつつ、最初の一本をどの映画にしようか悩んだ挙げ句、『ファニーとアレクサンデル』にしました。 あまりに素晴らしいので既にというか此の時点で今年観た映画のベストワンにしたいくらい。 さて、2024年、これに勝る映画に出逢えるかどうか。 ②鑑賞中に地震が来ましたが、「大きかったら、俺死ぬかな」と思いつつ見続けました。 揺れが収まった時点でDVDを一時停止して震源地をチェック。 幸い奈良県は大した揺れがなくすみましたが、正月元旦から大災害に見舞われた北陸地方(特に石川県)の方々、心からお見舞い申し上げます。 日本はいつどこで地震が起こってもおかしくない国だけれども、元旦からというのは止めて欲しいよな。 ③何故か勝手に『叫びとささやき』のロングバージョンみたいな映画だろうと思っていたら、ベルイマン版『地獄に堕ちた勇者ども』(勿論あそこまで毒はないしグロくもない)『家族の肖像』って感じで驚いた。 ④先ずはベルイマン映画常連の名撮影監督スヴェン・ニクヴィストによる映像が(当たり前だけれども)素晴らしい。 ⑤『叫びとささやき』と同じ暗調は「赤」。ただ、『叫びとささやき』の方の家族の着る服の基調の色は「白」だったけれども(本作では最後の章が「白」になる)、特に前半は「臙脂(えんじ)色」か基調になる。 これがエクデール家のインテリアに非常によく合っている。 また、エクデール家のインテリアの美術も大変素晴らしい。冒頭から見せられてしまう。 ブルジョア一家ではあるけれども、金持主義を感じさせず上品なセンスの良さを漂わせている。言葉では上手く表現できないので
素晴らしい! 一級の映像美に圧倒される311分
高校生だった1985年の初公開当時、家の近くでは上映館がなく観られず、その後も縁がなく観ていませんでしたが、ずっと気になっており、何十年も経った今日、ようやく観ることができました 本作は、黒澤明さん、フェデリコ・フェリーニさんと並び”20世紀最大の巨匠”と崇められるイングマール・ベルイマン監督の晩年の代表作 劇中に登場する主人公アレクサンデルはベルイマンさんの幼少期、2番目の厳格な父親で主教のエドヴァルドは実父といった様に監督の自叙伝的作品とのこと ストーリーは1900年初頭、監督の故郷スウェーデンのウプサラという地方都市で劇場を営むエクダール家の人間模様をアレクサンデル少年の目を通して描く群像劇 全編通してベルイマンさんがいかに幼少期を危うく脆い精神状態で過ごしたかがうかがえます 作品としては超上級編で鑑賞にはかなりの覚悟が要ると思います 5時間超えの長尺もさることながら、かなり哲学的な内容を含んでいますので下手すると”ワケわかりません・・・結局なにが言いたかったの?”で終わりかねませんが、それを帳消しにするほど映像が素晴らしい 絵画を観るような美しいフレーミングと特にエクダール家の屋敷内は絢爛豪華で圧巻の映像美、数々の映像作家に影響を与えたイングマール・ベルイマン監督の真髄を垣間見ることができますので、話が難解でも一見の価値はあります その裏付けとして本作は、1984年の第56回アカデミー賞授賞式にて アカデミー美術賞(Academy Award for Best Production Design) アカデミー撮影賞(Academy Award for Best Cinematography) アカデミー衣裳デザイン賞(Academy Award for Costume Design) を受賞しています 家族・親族で結束し仲良く、難しいことは考えず楽しく生きていく事が人間にとって一番大事な事 というメッセージを私は受け取りました 現代では到底撮られないであろうスケールで描く、惚れ惚れするほどの一級の映像美に圧倒されっぱなしでした
女系家族に生きる、偉そうで、弱くて、やがておかしきダメ男たち。あっという間の濃密な5時間超!
いやあ、濃厚な、5時間超。 超重量級だったが、観に来た甲斐はあった。 やっぱり、世界的な傑作と言われている映画は、迫力がちがうね。 最初のクリスマス編は、いつまでこんな退屈なドキュメンタリーまがいのパーティーシーンを観させられるんだってだいぶ辟易したけど、オスカルパパが子供たちに椅子の小噺を始めたあたりからぐっと引き込まれ、カールおじさんの笑えるゴミっぷりに圧倒的に魅了され、あとは息つく間もない前半の残り2時間半。 後半に入っての第5章は、まさに時を忘れて見入ってしまった。 とにかく、ドラマが濃い。 シチュエーションが濃い。 演技が濃い。 長さにそぐうだけの、コクと濃度が、 もうハンパない。 ー ー ー ー 今までに映画館で観た「インターミッションあり」の映画で よく覚えているものをいくつかあげておくと、 まずは、なんといっても『1900年』のリヴァイヴァル上映。 こちらも5時間半。今はなき、渋谷東急での上映だった。 あと、『七人の侍』。画面いっぱいに出る「休 憇」の文字に圧倒された。 ヴィスコンティの『ルートヴィヒ』は、確か文化村だったか? それから、『ドクトル・ジバコ』と『アラビアのロレンス』の再映。 『サウンド・オブ・ミュージック』と『ウェストサイド物語』にも休憩が入るはずだが、映画館で観たのが小学生のときで、いまはもうどうだったか思い出せない。 昔『1900年』を観たときは、結構腰がガチで破壊されたと思ったが、 あの頃と比べると、映画館の座席の座り心地は格段に改善された。 しょうじき、今回は屁でもなかったな……。 あと2時間は観てられたよ。 (といいつつ、続きで上映された『沈黙』は観ないで帰っちゃったんだけど。結構居残ってたご老人もいたから、連ちゃんで観たんだろうなあ。みなさん、僕より年長なのにすげえ胆力だ。) ー ー ー ー 映画について僕に語れることは、あまりない。 たとえば、これまでに観たベルイマン映画で言えば、『仮面/ペルソナ』や『鏡の中の女』ほど難解で形而上的な映画ではないし、『野いちご』や『処女の泉』よりもドラマ性は強い気がする。 基本は、第一次大戦前の北欧の中産階級家庭を描いた群像劇なので、ありのままに鑑賞すれば、もうそれで十分なのではないかと思う。 監督としても、自身が最後に撮る映画として、半自伝的な映画を製作するというのが動機としては大きかったはずで(アレクサンデルが少年時代のベルイマンにあたる。実際、彼の義父は厳格な牧師で、正義の名のもとに苛烈なしつけを行った)、あまり構えずに、その壮大な時代性の再現と濃密なドラマをありのままに愉しめば、それでいいのではないか。 話の大きな枠組みでいうと、この物語は「女権的/女系の血族」のなかで生きる、さまざまな「出来の悪い男たち」の態様を陳列していくようなところがある。 強い女たちが支えているからこそ、男たちはダメになっていくのか。 男たちがどうしようもないから、女たちが強くなっていくのか。 女たちが一見「服従」しているようにふるまうから、男たちは増長するのか。 レビュアーさんのどなたかが、『渡る世間は鬼ばかり』を引き合いに出されていたが、たしかにそのへんの物語構造は、実のところ本当によく似ているように思う。 ダメ男の極北にいるのが、継父のエドヴァルドだろう。 エクダール家が「おばあさま」に支配されているのと違って、ヴァルゲルス家ではエドヴァルドが専制君主のようにふるまっているが、家族全体に昏い影を投げかける死神的存在として、裏からこの家を支配しているのは叔母のエルサだ。他の構成員も母、妹、メイドとすべて女性で、この「女ばかりのなかで一人だけ男」という家族構成は、キャラクターの元となった監督の義父エリックのそれを踏襲している。 一見、彼は善良で篤実な紳士に見えるし、実際に本人としては善良で篤実なつもりなのだが、彼の心のなかには絶対的な不寛容とサディズムがひそんでいる。 ふだんは聖職者としてのペルソナと威厳でなんとか抑え込んでいるが、「子供」というある種の「暴君」(理屈では従わせられないうえ、道徳で縛られない行動をとり、大人を「試してくる」存在)を前にすると、その「タガ」が外れてしまう。 ダメ男の典型とでもいうべきが、アレクサンデルの叔父カールだ。 これだけどうしようもない人間を、これだけ真正面から、こんなにもえげつなく描ききる胆力をもつ映画監督が世の中にどれくらいいるものだろうか。 あまりに強烈すぎて、僕なんかは最後には、カールおじさんに愛着まで湧いてきてしまったくらいだ。腺病質で、文句ばかりで、常に外部に責任を求め、いらだちを暴言の形で嫁にぶつけながら、猛烈に奥さんに依存しているダメな文豪みたいな男で、奥さんがダメンズ・ウォーカーで本当に良かったって感じ。ただ、このふたりはまさに「破れ鍋に綴じ蓋」で、共依存が強いせいで浮気などせずに「仲良く」やっている気配もある。 逆に、もうひとりの叔父グスタフは、性的に放埓で、その言動は狒々親父そのもの。 平気な顔で家の女中をお手付きにしたあげく、孕ませてしまい、それを認知するだけでなく、家族の一員として女中ごと迎え入れる。奥さんはこの破廉恥な男の所業を全て大きな心で許容するばかりか、意外に性生活なんかも持続していて、こちらもなんだかんだで仲がよさそうだ。 グスタフは頭が弱くて直情径行だが、どこか憎めない愛嬌のあるダメ人間として描写されており、カール同様観ていてだんだんと「このキャラなら許されちゃうのかな?」みたいな気分になってくる。 では、アレクサンデルのお父さんであるオスカルはどうか。 彼は温厚で、家族思いで、劇場支配人兼主演男優としても頑張っている。 少なくとも「ダメ人間」ではない。ただ、彼は「弱い」男だ。 まずはとにかく、身体が弱い。何度も発作の症状を見せ、家族からも「あまり長くない」と思われている。そのうち実際、第二章にはいったら、ハムレットの父役を演じる練習中に倒れて還らぬ人に。 それから、気が弱い。受動的な人間だ。頭はいいがいつも受け身で、自分からは動こうとしない。それは幽霊になってアレクサンデルの前に姿を現すようになってからも変わらない。 あと、おそらくなら「精力」も弱い。観ていてなんとなく感じるのだが、どうやら女優の奥さんは旦那を人として愛してはいても、夜のお勤めが果たせないので、「外で」いろいろやっている気配がある。加えて、アレクサンデルの本当の父親かどうかもけっこう怪しい。なにせ、キリスト降誕劇だとオスカルはヨセフ役やってるし。 エミリーが、オスカルの死後にエドヴァルドと再婚するのも、オスカルの「弱さ」に対してのエドヴァルドの「強さ」、「受動性」に対しての「なんでも指図して導いてくれる主導性」に惹かれてしまったからではないか。 本作に登場するなかで、唯一「まとも」で「頼りになる」のが、イサクとその甥たちだが、彼らはある意味「魔術師」のような異能の存在で、全面的に信用できる連中なのかと言われると怪しい部分が多々ある。 実は本作は、家族ドラマを模した、ある種の「擬似宗教戦争」劇と解釈することも可能だ。 「スウェーデンに土着的なキリスト教」を代表するエクダール家と、「厳格なプロテスタント」を代表するヴェルゲルス家(エドヴァルド)、そして「ユダヤ人の神秘」を代表するヤコビ家(イサク)。 この三者が絡み合って話が進んでいくなかで、土着的キリスト教(クリスマス・パーティのきらびやかさに象徴される)が、厳格なプロテスタント(あの牢獄のような質素な部屋!)と深い軋轢を生じて、そこにもともと土着キリスト教とは親和性があった(=ヘレナとイサクの慕情)ユダヤ教が神秘的で魔術的な力で介入し、プロテスタント側からある一家を救い出すという流れでも読める、ということだ。 ー ー ー ー 本作を観ていてもうひとつ気になるのが、「オカルト」に関する部分だろう。 「霊感」のあるアレクサンデルが、父親の幽霊や、エドヴァルドの元で亡くなった先妻と姉妹の亡霊を視る、というのは、この物語のなかでもかなり特異な要素だ。 一義的には、ベルイマン自身が少年時代は霊感が強くて幽霊が「視えた」といっているのだから、単純に実際に「視えている」というルールで観ればいいわけなのだが、このルールがあるからこそ、本作が『ハムレット』的な要素をサブストーリーとして取り入れられている点は見逃せない。 ついこの間観た『ノースマン』でも『ハムレット』の物語が祖型の一つとして導入されていたが、本作でも、「先王が亡くなり、その実子が継父に疎まれ、母親を奪われた形となって、先王の亡霊に導かれるかたちで復讐を遂げようとする」という『ハムレット』の「骨」の部分は、そのままストーリーに取り込まれている。 もちろん、アレクサンデルの父親オスカルは、少年の眼前で『ハムレット』の上演中に倒れたわけで、それが強烈なトラウマとなって、ふだんの生活でも「父王の亡霊」を視るようになったというのは十分にありそうな話だ。 また、本作における『ハムレット』の導入を、「エディプス・コンプレックス」の精神分析的文脈から解釈することも大いに可能だろう。 アレクサンデルが、エドヴァルドの死んだ先妻と娘たちの亡霊を「視る」というのも、実際に彼には「視えた」と考えても別段構わないし、過酷な幽閉生活のなかでストレスを極限まで募らせたせいだと考えてもおかしくはない。ただ、この「視える」という部分を積極的に「認めて」こそ、終盤でユダヤ人の両性具有者(?)イスマエルが放つ「呪」がエドヴァルドを襲う部分にも一定の真実味を見いだせるとはいえそう。ラストにわざわざ、神秘主義者でもあったストリンドベリの戯曲の話を持ち出してくるのも、なかなかに意味深だ。 ー ー ー ー まあ、中身以上にインパクトがあるのは、やはり「演技」と「演出」かも。 前に『魔術師』や『仮面/ペルソナ』の感想を書いたときにも触れた気がするが、ベルイマン演出の引き出しには、間違いなく「ホラー」の要素があって、観客の一番「刺さる」ところにグサッと刺さる「怖い」演出をしてくることがままある。 今作でも、オスカルの葬儀の夜に、昼のあいだは気丈にふるまっていた妻のエミリーが何度も何度も絶叫しつづける心臓に悪いトラウマシーンや、エドヴァルドの家に移ってからのエルサおばさんの不気味きわまる描写、いかにも幽霊譚らしい死んだ先代一家の登場とゾンビメイク、イサクの迷宮のような館を埋め尽くす怪奇な人形の群れ、燃え上がるエルサおばさんのショックシーンなど、随所に「ホラー的演出」の冴えを見てとることができる。 演技でいうと、やはり一家の大黒柱であるゴッドマザー、ヘレナおばあちゃんを演じるグン・ヴォルグレンがすさまじい。背の低さや見た目のぽやっとした感じは、少しエディット・ピアフに似ているか。日本で同じ役を今やるなら、大竹しのぶかなといった感じ(そういやピアフも大竹しのぶがやってたなw)。とにかく、巧い。迫力と威厳があり、しかも慈愛に満ちている。 叔父たちの奇矯な変人演技、エドヴァルドの冷徹なサディズムと感情の爆発、エミリーの絶叫や泣き笑いなど、端役に至るまで本当にみな演技が上手で、その背後にはしっかりした演劇文化の土壌があることが感じられる。アレクサンデル役の子役の、びっくりするくらい透き通った肌とつややかな唇、深みのある青い目も一見忘れがたい。 あと、あの幽閉されていたユダヤ人のイスマエル(操りテーマの本格ミステリの真犯人みたいな美青年)を、女性(スティーナ・エクブラッド)が演じていたのは観ていてすぐ気付いたのだが、寝たきりのエルサおばさんの演者名見てみたら、ハンス・ヘンリック・レールフェルトって書いてあってびっくり。なにこの人、男優さんじゃないか(笑)。 ベルイマン、融通無碍すぎる! 試みに名前で検索をかけてみたら、ロン毛で鬚モジャの巨デブのオッサンの写真が出てきて大笑い。でも……たしかに、この顔はエルサおばさんだよ!!
美しいけれど。
ベルイマンで5時間越えは正直長い…… そりゃところどころ素晴らしいシーンありましたけどさー 母親役の彼女とか最高でしたよ。 人々もみんな魅力的でさ ただ、ラストに希望が見出せなかったのよね そんなハッピーにならなかったのよ
世界遺産級の素晴らしさ
これは人類の文化遺産だと言いたくなるくらいの素晴らしさ。とてもゴージャスで金かかってそうな超大作感がありながら少年のように瑞々しい感性の映画であることに感嘆する。 天才が本気出して創作した作品という感じで、楽しくて美しくて、もうこれは芸術。こんな映画を作れる監督は名だたる文豪や画家や作曲家と並び立つ芸術家と思う。そんな芸術家の幼年時代が本作のアレクサンドルなのだろうが、彼が世界を眺めると世界は人と違ったように見えるし何か人に見えないものも見えてしまう。そしてその特別な能力は大人になって映画監督になっても消えなかったということかな。 プロ中のプロの作品で物語も面白いし映像も演出も俳優の演技も素晴らしい。主人公の少年はとても綺麗で繊細な表情がすごく良い。目力が強い青い瞳が印象的な母親もすごく美しい。それから20世紀初頭の生活を再現する舞台装置や衣装など美術が素晴らしくて特に芝居小屋の情景が楽しい。 映画版とテレビドラマ版でちゃんと長さや構成を変えているのも良い。そもそも映画館で5時間ぶっ続けで観れるわけないし。僕はテレビ用5時間版(中編x5部の構成)のDVDを観たのだが劇場用3時間版も観てみたいな。 欧州の巨匠と言われる映画監督の名高い大作をいろいろ観てきても「ふーんこんなものか」という映画が多かったけどこれはすごかった!才能が違う感じ。
人間そのもの。
ファニーとアレクサンデル観た。5時間! 登場の大人、特におっさん達がすべからくクズクズしくて、脆弱で一本気で情けなくてぐうの音も出ないのよ。 絢爛豪華と繊細な美と醜悪がいっぺんに堪能できてため息。 人間の弱さと強かさをあけすけに清々しく描いてて最高。希望もちょっと灯るのがいい。
5時間という長さに恐れず挑戦すべき、その価値のある物語
5時間は長い様で見終わって見ればあっという間 中盤以降は物凄い緊張感の中で物語が進行して全くあきささない 流石はべルイマン監督と言わざるを得ない 確かにテレビシリーズをワンシーズン観たと思えばその長さも不思議ではない 北欧版の「渡る世間は鬼ばかり」 冗談抜きでそのテレビ番組の元ネタにだったのかも知れない それほど全体構造は同じ 一族の様々な問題が主として女性を中心に進行するのだ ファニーとアレキサンドルの二人の子供は狂言回しの役割 それを骨格に監督自身の子供の頃の思いでの記録を被せ、更に異常性格者の神父と二人の子供を助け匿うユダヤ人一家の対比をもって 神の相対性、生と死の端境とはを散りばめる 正にベルイマン節そのもの 映像もうっとりするほどに美しい エピローグもまた新たに起こった一族の問題を 正に嫁と姑の二人で相談するシーンで終わる 結局、女の私達が決めちゃうのよねと 5時間という長さに恐れず、最初の2時間を辛抱できればあとは一気に観れます それは登場人物の自己紹介と彼ら彼女らに共感していくのに必要な時間なのです 5時間は、素晴らしい豊かな物語を楽しんだ時間となるはずです
二回見ました
長くて二回とも、途中で寝てしまいましたが、 二回で一回分、一通り見ることが出来ました。 見直してみて、ベルイマン監督作品の目次にあたる、色んなものが詰め込まれた作品のように感じました。 何作か見てだんだんわかってきましたが、少年が出てきたら、それはベルイマン自身の過去の似姿だと思って見るのが、ベルイマン作品を見るときの基本的な作法のようです。 そういう見方で見ると、色んな作品に実は共通の骨組みがあるような、そんな理解が得られます。 個人的には、「家族観」に関して言うと、 ここ最近で動画と含めて見た 「万引き家族」や 「紀子の食卓」「愛のむきだし」 などと並べてみて、 家族のリアル、擬似の境目が曖昧になる、 そんな感覚を味わうのも一興かと。 そんな風に思いました。
5時間の上映時間が長く感じない見応えのあすごい作品。人間模様、ファ...
5時間の上映時間が長く感じない見応えのあすごい作品。人間模様、ファンタジー、サスペンス、哲学、宗教、あらゆる要素が2年間の物語に紡がれていた。
ファニーとアレクサンデルを観た。最近ベルイマンに熱狂している私はは...
ファニーとアレクサンデルを観た。最近ベルイマンに熱狂している私ははとどまることなく、かつて誰にもレビューすらしてもらっていない今作に手をだした。。。命知らずである。 この映画の主人公があくまでファニーとアレクサンデル(ファニー必要か?)なのは、終始スクリーンをうろうろする幽霊の存在で示される。アレクサンデルは動かないはずのものが動くのを見、死者をこの世に見ることができる不思議な能力を持っている。。 『シャイニング』っぽい、、、 まあ映画全体の要素はそれだけじゃなく、ベルイマン監督が銘打つように自身の人生を総まとめしてる内容らしいですから、子どもたちのまわりの大人のドタバタなどヴァリエーション豊かに描かれます。最後ではもれなく宗教がおなじみのテーマとして関わってきますしね。特に(おそらく)スウェーデン土着の宗教の描写が色濃い点では、キリスト教を題材にした他のベルイマン作品と違いが見られますね。 言いたいことはまだありますが、この映画を観たあとでは時間がもったいないのでやめます笑 長いよ!!!面白いけどさ、、
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