「オフィーリアがゾゾゾですね。」陽のあたる場所 マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
オフィーリアがゾゾゾですね。
「事実を知っているのは彼一人てす。」しかし、なにを語ろうと、彼だけの真実であると言う事。
死刑はともかく、有罪である事は間違いない。
神父曰う
「君は心の中で殺人を犯したんだ」
「私達、さよならばかり言ってきた見たいね」と言うが、男も女も
「ゴメン」は口に出さない。「ゴメン」では済まさない。それが素晴らしく共感出来る。
この映画をクソガキの頃、亡父に見せられ「いいか、女と付き合う時は気をつけろ」って言ってた。なにに対して、気をつけなけりゃ行けないのか?その理由が分からない。まぁ、こっちに「さよなら」して向こうに行ってら聞いてみる。勝手に
想像するに 亡父はエリザベス・テイラーが苦手だったようで、イーストマン君は、エリザベス・テイラーに人生を狂わせられたと受け取っていたようだ。正に昭和のウマシカ親父てある。
とまぁ、ここまでが、一般的な解釈。
ネタバレ。
「An American Tragedy」まさに「アメリカの悲劇」だが。
原作者はドイツ系とチェコ系の移民の子孫。原作が出版されたのが、1925年の事だから、まだナチスドイツが誕生したばかり。でも、ヒトラーの「マインカンプ」が出版されて、良識あるドイツ系の子孫は、アメリカに於いて、肩身が狭い思いをし始める時期なのだ。
そして、この映画では、もはや戦後。この男の勤める「イーストマン」はアングロサクソン系の企業。
「たとえ心の中であっても殺人を犯したのだ。そして、この男にとってはそれが悲劇なのだ」つまり、ナチスドイツへのドイツ系アメリカ人の思いと重なる。
つまり、ドイツ系アメリカ人の贖罪なのだ。しかし、ジョージ・イーストマンってなぜそんな人の名前を使うかね。全くの実在の人物。
ジョージ・イーストマンって映画にとってはとても大事な人で言わずもがななんだが、彼は自らの手で命を絶っているとウィキペディアで初めて知った。
原作の犯人は別の名前なので、自ら命を絶つ原因は原作には無い。
この映画を演出した製作側にミステリアスな思いを抱く事になった。
愛の無いAIに「なぜジョージ・イーストマンなんだ?」と聞いても「分からない」って答える。まぁ、愛の分からないAIに分かるわけ無いけどね。
一番リスペクトしている映画は
チャプリンの殺人狂時代ダネ。チャプリンが独裁者を描いて、殺人狂に至る経緯があるのかなぁ。深いねこの映画。