ハンバーガー・ヒルのレビュー・感想・評価
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【”WELCOME TO HAMBURGER HILL"今作は名もない米兵たちがベトナム戦争の最前線で、激烈な闘いを展開する様を、ヒロイズムを一切排除したトーンで描いた強烈な反戦映画である。】
■1969年10月、北ベトナムの戦略拠点を抑えようと、アメリカ軍第101空挺師団は南ベトナムにある937高地へ侵攻を開始する。
丘の上で彼らを待ち受けていたのはベトコンではなく、装備も練度も充実した北ベトナム正規軍であり、名もなき米兵たちは正義を信じて険しい斜度の丘を這い上がり戦い続ける。
◆感想
・私の記憶では、今作には、チャリー・シーンやトム・クルーズという有名俳優を敢えて起用せずに、オーディションで選んだ若者達を兵士として訓練し演じさせたという記事を読んだ記憶がある。
・劇中でも、彼らは固有名詞はあるが、扱いはあくまで一兵卒であり、士官ではないため危険極まりない敵がすぐ近くにいる937高地を振りそそぐ銃弾の中、這い上がって行くのである。
・多くの兵が負傷し、又命を失いながらも残りの兵が、豪雨の中、丘を這い上がって行くシーンは凄まじい。
次々に死体袋の中に収納される、多くの無名兵たちの姿。
■唯一、ヒロイックなシーンとしては米国から来た取材陣が、曹長に対し”ケネディ上院議員も、撤退を・・。”と愚かしくインタビューする中で曹長が”丘を落としたらお前らの頭を撃ち抜いてやる。”と吐き捨てるシーンである。
多くのベトナム戦争を描いた映画でも描かれているが、1960年代末期から米国内では、一向に進展せず、死傷者を出し続けるベトナム戦争に対し、政府や、あろうことか兵士たちに対し批判的な意見がぶつけられていた事は周知の事実である。
が、最前線で命を懸けて戦っている兵士たちにとっては、”安全地帯にいながら、何を言ってやがる!”と言う思いは、多くの従軍者が後に記している事である。
<今作が心に響くのは、名もなき兵士たちを名もなき役者が必死で演じ、且つそこには格好良いヒーローなど存在せず、只管に戦争の悲惨さを描いている点であろう。
今作は、昔レンタルビデオ屋で借りて見た作品であるが、「地獄の黙示録」「プラトーン」とは趣が異なる、リアリティある一兵士の視点から見た強烈な反戦映画ではないか、と思った作品なのである。>
アメリカの戦争
兵隊さんは、どこまで為政者や軍幹部の意気を感じて闘っていたのだろうか? それでも命令に従いひたすら勇敢に戦う。
国の直接的な危機かを守るためでなく、しかも本土からはるかに遠い。東西緊張のいびつな関係で戦争の泥沼が続く。「アメリカの戦争」。これだけの資本と人命を失ったこの戦争は、なんだったのか。
高地奪還は、日露戦争の203高地と同じで、攻撃側の悲惨さは目に余る。いま振りかえってみて、兵士たちの死がどう活かされているのか?
平和で良かった、と思わずにいられない。
「愚かな戦争だった」と言えるのは、その愚かな戦争を戦った者だけ。
1968年1月の「テト攻勢」で、サイゴンのアメリカ大使館は南ベトナム解放戦線(NLF)に一時占拠されてしまいます。最終的にNLFは撤退しますが、アメリカに与えた政治的打撃は甚大で、世論は反戦・停戦に一気に傾いて行くことになります。
ハンバーガー・ヒルの麓で休息する小隊に届いた故郷からの便り。兵士の妻は、「周囲がどう言おうとも、私はあなたを信じている。愛している。」と語り。別の兵士の恋人は、「ベトナム戦争を支持していると思われるのは嫌だから、この手紙を最後にする」と伝える。当時のアメリカ世論を反映した描写ですが、辛いですよね。どちらの兵士も。
後に、それが愚かな戦争だったと言われることになっても、そこには勇敢に戦った兵士たちがいた。
全く、その通りなんです。その通りではあるんですが。失われていった、多くの尊い命の教訓として、私たちは「愚かなる戦争」を繰り返してはなりません。って事で。
良かった。とっても。
これは、やっぱり良作です。
以下「エイショウ・バレーの戦い」とは何だったのかについて、その背景等を。
◆アシャウ渓谷の戦略的価値
映画の中での記述は「エイショウ・バレー」でしたが、「アシャウ」と発音する方が一般的なので、「アシャウ渓谷」と呼ぶことにさせて頂くとして。後に、アメリカメディアは一斉に、この「937高地の戦い」を非難し、「戦略的価値は皆無だった」だの、「爆撃だけで十分であった」だのと騒ぎ立てます。
アシャウ渓谷は、南北に長く延びるベトナムの、ほぼ中央。現在はベトナム第三の観光地となっている、フエの西方。東西に走る、アジア・ハイウェイ16号線の南側に位置します。ラオスからのアクセスが比較的容易であるアシャウ渓谷北側には、北ベトナムの物資貯蔵庫があるものと考えられていました。事実、これらの貯蔵庫は米軍の爆撃から逃れるために穴倉となっており、北ベトナム軍第29連隊が駐留するベースキャンプでもありました。
ラオスからの補給路の要衝であるアシャウ・バレーは、戦略的に重要な場所でしたし、熱帯雨林の樹木の、更に地下に隠蔽された貯蔵庫と施設は、爆撃だけで壊滅させることは困難なものだったと思われます。
"A Shau Valor: American Combat Operations in the Valley of Deathはアメリカ人 Thomas R. Yarboroughの著書。当該地での戦闘は、1963年から1971年まで続きました。アシャウ渓谷の戦争だけで、本が書かれているくらいです。一冊では無く、一人の著者だけでなく、何冊も、何人もの人が、この地での戦争の記録を残しています。
◆アパッチ・スノー作戦
1969年5月10日、この映画で描かれている「アパッチ・スノー作戦」が開始されます。最初に投入されたのは、アメリカ軍の精鋭101空挺師団の7個大隊、南ベトナム第1歩兵師団・第3海兵師団・第9海兵連隊。まず、隊はアシャウ渓谷東側から侵攻し、共産軍のラオスへのアクセス・ルートを絶ち、孤立させます。更に、共産軍の備蓄庫として知られているアシャウ北側へ進軍。共産軍は一歩も引かずに応戦。937高地の「Dong Ap Bia」=「Humberger Hill」の戦いへとつながります。
937高地の西を前進していた187空挺連隊第3大隊の歩兵たちは、進軍するに従い、より激しい攻撃を受ける様になります。直に自動小銃による攻撃が斜面に広がり丘全体での交戦が始まり、航空支援と砲撃を要請。
翌11日から、187連隊第3大隊の各中隊は、頂上に向かって進撃を開始します。密生したジャングルを抜けると、航空支援と砲撃によって植物がなくなっている裸山。そこで各中隊は敵の砲火により釘付けとなります。B中隊の2個小隊はなんとか頂上まで25メートルの地点まで進むも、突然の豪雨により泥濘と化した斜面に進軍をあきらめます。
12日、更に多くの航空支援と砲撃が敵の掩蔽壕が存在する地点に要請されますが、45分間の激しい銃撃戦に味方が耐えられず頓挫してます。
増援部隊である506空挺連隊第1大隊は、Dong Ap Biaの密集した森で部隊を分散し進んだため、激しい敵の抵抗を受け苦戦。18日、3つの中隊が丘にある基地の南西部に到達。そして更なる増援の第2大隊、南ベトナム軍第2・第3連隊を迎え入れます。
5月20日、4つの大隊がDong Ap Biaへ一斉に攻撃を開始。187連隊第三大隊のA中隊、506空挺連隊の2大隊が北側から、506空挺連隊の第1大隊が南、南東から、南ベトナム軍の将兵が南東から、そして501空挺連隊「ジェロニモ」の第2大隊が北東から攻撃を行います。10日間の激しい攻撃で北ベトナム軍第29連隊は壊滅。アメリカ軍側は、頂上を確保しました。
アパッチスノー作戦は、937高地の「ただの丘」を確保した20日後に終了しました。共産軍犠牲者は675人(確認されたもの)。捕虜は3人。241の自動小銃、41の小火器、100,000発以上の弾薬を鹵獲して作戦は終了しています。
◆CBSのインタビュー
CBSの特派員が、攻撃作戦中の第187連隊を取材している動画があるそうです。映画の中での小隊名は「16」。10日からの20日まで通して作戦にあたり、CBSの取材を受けたと描写されていますので、187連隊第3大隊下の小隊と想像されます。インタビューの内容については、現在視聴できないため不明でした。
戦争とは何なんだ、と考えさせられる
1969年5月10日、アメリカ軍第101空挺師団は、南ベトナムのエイショウ・バレーにある丘・937高地(ハンバーガー・ヒル)を奪う作戦を開始した。しかし高地側に陣取っていた北ベトナム軍からの機銃と手榴弾による攻撃により、兵士たちは次々と被弾し命を落としていった。さらに豪雨や味方のヘリからの誤射も重なって戦場は地獄の様になったという、11日間に及ぶ攻防戦が繰り広げられたベトナム戦争の一部を描いた話。
地理的に不利な状況で丘を奪おうとする作戦が無謀だったような気もするが、そんなこと言ってる場合じゃなかったんだろう。戦争をやっていても恋人から反対されたり、妻の声を聴きながら死んでいったり、と、基本誰も勝者じゃ無いという戦争の悲惨さと失うものの大きさを描いていると思った。
負傷すると即座に自ら注射をしているシーンなど、破傷風対策だったのかな?
現地の女性と風呂に入るシーンが有るが、流石に慰安婦の様子も描いていてリアルだった。
戦場の悲惨さと戦争の無意味さを学ばせてもらった。
すごかった
WOWOWで随分前に見て以来2回目で、スクリーンは初めてだ。戦場の過酷さが思う存分描かれていて、兵士は消耗品扱い。味方に攻撃されるのがつらい。みんな制服なので誰が誰だか顔を憶えられない。
何の為に
突如始まる銃撃戦、闇夜で姿の見えない敵と戦い、仲間達を次々と失っていく。ラストシーンの若き兵士の頬を伝う涙が重く苦しい。
20代当時、ベトナム戦争で体験した記憶を基に脚本化した作品との事ですが、若いアメリカ兵達のリアルな姿に心を揺さぶられました。
戦争というものの惨たらしさと虚しさを改めて強く感じました。
-部下に死に方を教えるため?
-死が影のようについてくる。何処へ行っても
BS-12 を録画にて鑑賞 (字幕版)
若者たちのベトナム戦争。何のための戦いか? 非戦闘時は些細なことで...
若者たちのベトナム戦争。何のための戦いか?
非戦闘時は些細なことですぐケンカ、女、女とやかましい(笑)あるじゃねえか、慰安所。なぜ日本だけが叩かれる?
閑話休題。戦闘時、どこから来たか分からぬ銃弾に闇雲に応戦。次々と消えてゆく周りの人間。
戦争の真実ってこんなのかもしれませんね。昨今、本作、改めて見直されているようです。しかしうーん、あんまり楽しいものではない。
BS12字幕版鑑賞
Don't mean nothing.
ベトナム戦争で10日間にわたって行われた超過酷な「アパッチ・スノー作戦」を描いた話。
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話としては、丘の上にある北ベトナム軍の陣地を何度もぬかぬかの丘を登って、陣取ろうとするだけ。でもその代わり、一人一人の兵士の描写はじっくり描いていて、ベトナム戦争自体は愚かな戦争だったとしてもそこで戦った一人一人を愛そうというメッセージがよく伝わる。
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特に、人種コンプレックスが人一倍強そうなドックが、最初部下に黒人の人が仲間内で愛称としてよく使う"Bro"(兄弟)と言われた時に激しく怒ったけれど、戦いを共に乗り越える中で自ら白人の人に"Bro"というシーンが印象的だった。
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基本、戦闘シーンは雨が降っていたり泥まみれでぐちゃぐちゃで誰が誰かが全然分かんなくて、最後の戦いなんてめっちゃ人が死んでるのはわかるけど誰が死んだかが不明。そして全てが終わったあとに生き残っている人が誰だか判明する。
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これは単純に日本人だから外国人の区別がつかないだけかもしれないけど、本当の戦場もぐちゃぐちゃでよく分からなくて終わってみて初めて周りの状況がわかるって同じだよねたぶん。
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一応、この戦いに勝ったけれど最後、勝利の匂いは全くなくて疲れ果てた兵士たちがベトナムの深い霧の中で呆然としている様子がなんとも言えないカタルシスを残して良い。
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本当にミンチにされていたのは肉体ではない 心だ、苛烈な戦場で戦う兵士たちの心がズタズタのミンチにされていたのだ
最も心に残った台詞
「アメリカの戦争」
ベトナム人?の慰安婦がそう言う
それまで上機嫌で湯船に浸かって彼女のマッサージを喜んでいたアメリカ兵はいきなり不機嫌になる
誰の為に地球の反対側まで来て大変な目に遭って戦っていると思っているんだと
古里の恋人からは戦争に賛成する事になるからもう手紙を書かないとか書いて寄越す
ハンバーガーヒル
新鮮な人間のミンチが毎日こねくり回されるところ
後半はそのシーンが延々と続く
しかし1987年の製作だからVFXもさほど進んでいない
ハクソー・リッジのようなガチで人体のミンチがそのまま写されるようなものではない
そちらの方がよほどハンバーガーヒルだ
だが待て
本当にミンチにされていたのは肉体ではない
心だ、苛烈な戦場で戦う兵士たちの心がズタズタのミンチにされていたのだ
現場から離れた司令部は、戦場の実態を知らずに攻撃が弱いと批判してくる
ヘリは支援攻撃してくれる筈が同士撃ち
故郷の恋人は戦争反対と縁を一方的に切ってくる
マスゴミは正にゴミのように、これから命のやり取りをする戦場で反戦コメントを兵士たちから取ろうとする
ハクソー・リッジではそんなことは無かった
両軍ともプライドをもって死力を尽くして戦ったのだ
敵よりもまえに味方から心を挫かれることはなかったのだ
それでも悲惨な戦場で突撃しなければならないのだ
こんな地獄はない
ハンバーガーヒル
それは1969年のベトナムのとある戦場
しかし21世紀の日本で、台湾で再現されるかも知れないのだ
尖閣、台湾、南西諸島、沖縄
日本の生命線である以上、自衛隊は有事があれば必ず戦うだろう
しかし自衛隊の隊員達をハンバーガーヒルに送り込む事になるのかもしれない
誰の為に戦うのか
戦うプライドは与えられるのか?
自衛隊隊員の心がズタズタのミンチにされてしまうのは悲しすぎる
絶対に駄目だ
そのつけは必ず私達国民が払うことになるのだ
ひたすら殺し合いの日々
殺して殺して殺されて殺されて…ストーリーらしいものはなく、ひたらすらベトナムでの戦場の日々。毎日、仲間の誰かが殺される。自分もいつか殺されるかもしれない。国の指令で戦っているのに本国では反戦モード。恋人から手紙を送ると戦争支持者になるので、もう手紙は書かないという手紙を受け取る戦士。なんのために戦っているのか分からなくなる。死んでも生還しても地獄だね。
アメリカ兵が味方から撃ち殺されていくシーンは混乱の極み、観ていていたたまれなくなる。
30数年ぶり
オリジナルの公開から34年振りの劇場公開。当時も激しい戦闘シーンに圧倒されたが、今回も同様にその悲惨な戦場を目の当たりにした。戦争で死ぬのはいつも市井のささやかな人たち。私たちに今出来ることは、人の悪口を避け、争わないこと。そんな些細な日常の延長に戦争があることを忘れてはいけない。戦争は日常と地続きである。日常と非日常はある日突然いとも簡単にひっくり返るのだ。余談だが当時、登場人物のドクが身に付けているレイバンフレームの眼鏡が欲しくて、直ぐに誂えたことを思い出した。
子供の頃見てた北爆…
60年代終わりは海外ニュースって、NHKの国内ニュースとは別に番組があって、その中で毎日のようにベトナム戦争、北爆のニュースが伝えられてた。
まだ子供だったので、戦争は悲惨っては聞いてたけど、コンバット並みのお気楽さも。
今思えば、太平洋戦争で、まだまだ戦地に行かれてた方、空襲の体験がある方、たくさんいらしたのですが、あの映像をどんな気持ちで見てたのでしょうか?
この上映の頃から、やけにリアルな戦場が見られるようになって、本当のことのように可視化され、一層悲惨さが伝わるようになったように思う。
5年余りの自衛隊生活、幸いなことに何もなかったですが、歩兵部隊として、最前線に立ってたかもしれない…
まだ世界中、いろんな原因で戦争、紛争が起こってますが、これから、長くない時間で全て収束することを祈ります。
鉄砲担いで海外へ行けって人は、まず自らが行くべき、議員、大臣は年寄りだけど、身内で最前線に立てよ!
そう思う。
今もある。明日は日本も、
50年以上も前のことなんだ。
終戦から20年も経て撮影されたからか、
あの当時の残酷さや残虐さは伝わらない。
アメリカ兵の嘆き呻きと、
爆音、大爆音の恐怖を煽る音響だけ。
恐怖で、味方さえ発砲し、
誤爆、誤射し続け、薬莢の山がこの映画の自爆キモ。
戦地でも、自国でも、
味方も敵となる無意味な派兵戦闘。
他国に派兵され、
今もあんなことしている国が、
沢山あることを忘れてはならない。
理屈はどうあれ、
あれ以上のことをされている国があることは事実だ。
どうしたら良いのかを考え続けたい。
日本もアジアでやってしまったから、
今も加担しようとしている。
それが怖い。
戦争が日常になる狂気
生死が隣り合わせだから、振れ幅の大きい日常生活がある。普通のアメリカの生活に戻れるのか?、生きて帰れるのか、なんのために闘っているのか?、人種問題、格差、も見え隠れする優れた脚本。
命令に従って他人を殺す、そうしなければ自分が殺される、この狂気の沙汰が戦争だ。なぜ?は禁句だ。そんな人が戦争が続く限り増え続ける。
地獄
後半は地獄絵図そのもの
有名役者が殆ど出ていないので(当時は無名のドン・チードルくらい)公開時はプラトーンの数ある亜流の一つくらいの認識だった
コロナの影響か、当時劇場で未見の作品を再上映しているが個人的には嬉しい限り
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