「世代のギャップ」パンと植木鉢 ku-chanさんの映画レビュー(感想・評価)
世代のギャップ
若い時をまっしぐらに生きた監督。それをもう一度描いてみようと映画にしても、同じようにいかない。若い頃、人類平等の革命に燃えていた監督は自分の意思を遂行したけど、世代の違う若者は同じ感覚ではなく彼のようにはなれない。監督の若き時代はナイフとピストルでも、若者は食と植物である平和のシンボル、`パンと植木鉢という平和主義?
モフセン監督の十代の設定で、当時を再現するという構成は実にユニークで面白いが、もう時代背景が全く違う。老人が『今の若者は』というが、それと同じ。
モフセン監督が十代の時といえばシャーの時代だから、その後、この映画を撮っている時には明らかに、イスラム原理主義が強くなって、コーランを中心に社会規範が出来上がってきていると思う。シャー時代の若きモフセインは時代的に社会革命を望んでいた時代だ、天皇シャーの追放革命のあと、ホメイニをヨーロッパから呼んで、リーダーにしたわけだから。
イスラム教の浸透で善悪の違いは明確に教えられ、たとえ、映画撮影で本当のことでなくても、若者の心の中にはモスク、学校教育での教えはここで現れていると思う。しかし、警察官(モフセン監督に、映画に出たいと申し込んだ当時刺された警官)は革命時代の人だし、元警察官。花をあげようと思っていた女性が、それが、モフセンの仲間であると分かれば憎しみにつながるかもしれない。
今ここでモフセンの歴史を検索してみよう。推測だけで話してもあまり意味がないと思うので。どう調べてこう決定されたかか定かでないがFlickchartではこの映画がモフセンの中でベストにあがっているが、理解できない。1979年の2月にシャーが追放されている。モフセン監督はそのまえの、シャー権力の横暴、浪費、欧化主義などに反対する人々の一人だったと思う。反体制派で警察を刺すとという内乱分子の一人だったようだ。
この映画でいくつか気になったことがある。まず。路上で子供と物乞いをしている女性がパンをもらったら、メルシーといったが監督はフランス語を使うなといった。彼女も役者で、当時はシャーの時代で、原理主義との端境期だからフランス語はつかってもいいように思えるが、モフセン監督はシャーを倒そうとしていたから、だめだという言葉を使ったとおもった。
他に、1979年以前の状態を映画にしているんだったら、女性全員がブルカを着用していただろうか? 革命が1979年だから、ホメイニ体制に入っていいないのにおかしいなあ?