パルプ・フィクションのレビュー・感想・評価
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2019/02/01~28まで午前十時の映画祭9で2週間だけ再上映します!
タランティーノ監督の最高傑作です! 1994年の作品ですが、きっと色褪せてないことでしょう。 ユマ・サーマンが格好いい!おかっぱ髪が似合っててスタイリッシュ! 酔っぱらいながらトラボルタとダンス?する場面が思い出されます。 最も好きな場面、サミュエル・L・ジャクソンがハンバーガー屋さんで長台詞を朗々と吟うシーンも。 音楽も最高でサントラにはこの台詞も入っております。 当時、上映中にトラブって中断したのですが、理由は解りませんでした。 もしかして、フィルム上映だったのでしょうか?ご存知の方がいれば教えて下さいm(__)m とにかく劇場で観て下さいませm(__)m
一度見ただけじゃわからなかった。
時系列をごちゃまぜにしたタランティーノの集大成のような映画。最初に観たときには、なぜ死んだはずのトラボルタがまた出てくるのかと悩んでしまったくらいだ(恥)。 ストーリーはボスのマーセルス(ヴィング・レームズ)を中心としたオムニバスと考えれば、トイレットペーパーの巻かれた紙が隣合わさるようにクライムストーリーが絡み合う。ボスの女ユマ・サーマンとデートするビンセントの話が一番スタイリッシュだが、ブルース・ウィリスのハチャメチャな場面やタラちゃん本人のシーン、金時計のクリストファー・ウォーケン、掃除屋ウルフのハーヴェイ・カイテルと会話を楽しめるところが満載。一度観ただけでずっと残りそうな映像ばかりでもある。
タランティーノが映画を抱いていた頃の最高のFxxK!!
この映画を見たのは高校2年生、16歳のとき。 ビデオ屋で借りてきたVHSで見るというパルプフィクションを視聴するには最高の環境だった。 まず登場人物がカッコいい。細い黒ネクタイを締めたスーツの殺し屋、革ジャンを着たボクサー、ギャングのボスの情婦で薬中の女…。出てくる奴が皆カッコいい。 出てくる小物もカッコいい。タバコ、銃、麻薬、クラシックカー、腕時計…。 そしてストーリー。今まで見てきたどの映画とも違う。いやどの物語とも違う。 主人公は誰なんだ、オチは何なんだ、どれも明確ではない、が、面白かった! 当時はなんで面白いのか分からなかったが夢中になった。 ガンプラから卒業してエヴァンゲリオンとマトリックスの衝撃から日が経っていた高校生の「この世の中なんてクソみたいな所だぜ」という青臭い価値観にバッチリとはまった。 「パルプフィクション」は俺の人生最高の一作になった。 タランティーノの虜になった俺は彼の他の映画も追っかけるようになった。 レザボアドッグス、フォールームス、ジャッキーブラウン。どれも感動した。独特の雰囲気があった。香ばしいコーヒーを飲んでいるような、映画を見ているその瞬間をとても心地よくさせてくれた。そうジャッキーブラウン迄は…。 今回、長文になりますがタランティーノについて自分の考えをまとめてみます。 タランティーノと言えば映画オタクのビデオショップ店員で勤めていた店で朝から晩までB級映画を見て、その豊富な映画知識の引用によって映画を作っている、というのが彼を語る上でよくに言われるエピソードである。 が、それ以外にも彼の作品を理解する上でタランティーノが歩んできた人生の重要な要素がある。それは彼が元々舞台俳優だったということである。 タランティーノの経歴をざっとまとめる。超天才少女のお母さんが10代の頃に産んだのがタランティーノでそこからお母さんが付き合うヤンチャな彼氏達を父代わりに育つ。至福だった幼稚園時代を経て小学校、中学校と登校拒否に。その間ずっとZ級映画を見たり、ハードボイルド系の低俗小説(パルプフィクション)を読みふけったりして普通は高校に行く年頃には学校に行かず、俳優学校に通っていた。 その後、有名なビデオ屋でのバイト時代を経てマーティンスコセッシ主催の映画ワークショップで映画作りを学び、シナリオライターとしてハリウッドに入る。そしてレザボアドッグスのシナリオがハーヴェイカイテルに認められ映画監督デビュー、というのがざっくりではあるがタランティーノのデビューまでの経歴である。 以上を踏まえた上でタランティーノの映画を考えてみる。 彼の得意な会話劇というのは大学などで映画・映像を学んだ人間は書かない、というか書けない。映像はカットを切り替えたりアップに出来たりと編集が出来る。また作り手が伝えたい心情を画や雰囲気で観客に伝えることができる。また一人の俳優が喋る分量が多くなると観客は飽きてしまうのでセリフは多くても3行までと教わる。 ところがこれが舞台となると少々事情が変わってくる。俳優も画もアップに出来ない、場面も編集出来ない。背景も変えられない。そんな制約の中で観客を退屈させず引っ張って行くには、 ・セリフ ・構成 ・ストーリー ・演技 上記で引っ張っていくしかない。 と、ここで考えて欲しいのはパルプフィクションという映画の面白みがこの上記4点にあることである。 例えばパルプフィクションが下北沢の小劇場でやっていたらと考えて欲しい。かなりしっくり来ると思わないだろうか。パルプフィクションは舞台劇を映画に持ってきているのだ。 パルプフィクションだけではない。タランティーノ作品は舞台劇でも成立する演出である。このセリフ、構成、ストーリーで観客を引っ張るというのは三谷幸喜、宮藤官九郎等、小劇場から出てきた才能のある脚本家に共通している要素だ。タランティーノは過去のB級映画の豊富な知識の引用だけではない、舞台人としての才能が彼の作品を他より秀でているものにしている。 ところがキルビルからどうも彼の作品に乗れなくなった。まず、感じたのは作品へのアプローチが変わってしまった点だ。 ジャッキーブラウン以前は元ネタはあってもそれを彼の中で咀嚼していた形跡があった。 が、キルビル以降はどうも咀嚼した形跡が見られない、というか元ネタに縛られてしまっているように感じる。 キルビル以降の彼は自分の好きなB級映画や映画の鑑賞体験を作り直す作業を始めた。 キルビルは日本の昭和ヤクザ映画、イングロリアスバスターズは欧州製第二次世界大戦映画、ジャンゴはマカロニウェスタン、ヘイトフルエイトは戦前の超大作昔映画の鑑賞体験、グラインドハウスはZ級の低俗映画を2本立て、3本立てで立て続けに見たときの体験を観客に与えようと意図して作られている。 が、これらの作品は元々、映画的演出で優れていた。それを強引に舞台演出でリメイクしてしまった為に歪になってしまっている。 キルビル以降の映画でも良い場面は長回しの会話劇、つまり舞台演出の場面だ。 又、これら元ネタの映画がほとんど復讐劇を描いている点も彼の才能を殺してしまっている。 元々タランティーノの殺しにはカタルシスが無かった。人を弾みで撃ち殺しても「ヤベェ、撃っちまった」とまるで犬のフンを踏んだような乾いたリアクションで描いていた。 そんな男が感情を高ぶらせて人を殺める復讐劇を描くのは難しかったのではないか。 オタクという言葉に感じる感情について考えると彼の映画へのアプローチが説明しやすい。 例えば好きな女性が居た場合、どのようなアプローチをするか考えてみる。 まず1つ目のアプローチ。相手が嬉しかったり心地よいと思われることを行い意思の疎通をして、告白して相手の感情の是非を確認してお付き合いをする。その過程で拒否される、自己が傷つくこともある。このアプローチには好きになった女性という他者との接触がある。 2つ目のアプローチ。彼女を遠くから見て写真を撮ったり、言って欲しいことを妄想したり、姿をかたどったフィギュアを作ったりする。このアプローチでは好きな女の感情はどうでも良い。自己の感情を満たすためのアプローチであり傷も追わない。要するに自己満足である。 この2つ目のアプローチが近年のタランティーノには多い。キルビル以降の彼は映画オタクとしての欲求が勝ってしまい、映画の受け手である観客の方を向かなくなった。なんというか最初、タランティーノは映画と付き合ってSEXもしていたのに、いつの頃からか映画の追っかけをするキモオタになってしまった。 では何故、タランティーノが元ネタを咀嚼しなくなったのか考えてみたい。 それはしなくなったのではなく、出来なくなったのだと考えている。 その理由は彼を支えていた二人の人物の喪失である。 一人目はサリーメンケ。彼女は編集スタッフでレザボアドッグス、パルプフィクション、フォールームスでタランティーノ作品の編集を担当した。 彼女は舞台演出を映画に持ってきても通用する編集ができる重要なスタッフだったが、不幸なことに2010年に56歳の若さで亡くなってしまった。 もう一人はロジャーエイヴァリー。彼はタランティーノのビデオショップ時代の友達でパルプフィクションの共同脚本執筆者である。彼はパルプフィクション以外にも初期タランティーノ作品の全てに関わり、シナリオを一緒に作っていた。しかし、パルプフィクションのシナリオクレジットをタランティーノが独占しようとした為に険悪になり喧嘩別れしてしまった。ロジャーエイヴァリーはパルプフィクションの中であのブッチの金時計のパートを執筆している。 タランティーノは彼の才能・舞台演出を用いた映画を可能にする二人の重要なスタッフを失ってしまった。 現にジャッキーブラウン後の一時期低迷している。それは今までのノウハウで映画を撮れなくなった為に次にどのようなアプローチで映画を撮ろうか悩んでいたのではないか。 そんなタランティーノが選んだ新たなアプローチは昔のB級映画や映画の鑑賞体験をハリウッドでリメイクするという手法だった。 この手法はタランティーノに一つの幸運をもたらした。タランティーノはオタク気質の映画評論家から俺たちが作って欲しいものをハリウッドで作ってくれている男、映画オタクの俺たちの代表者という好意的な仲間意識で見られるようになった。 そのためタランティーノが作る映画を分からないようでは映画を語れない、語る資格がないとタランティーノを批判しにくい状況が出来上がった。 それが映画として歪な仕上がりでもタランティーノの映画は好意的な評論が出やすいのだと思う。 映画好きの仲間内ではそれで良いのかもしれないが、普通に生きている一般人にはその絶賛が届かない。 彼がここまで自由に映画を撮ることが出来たのも、ハーヴェイワインスタインという男の存在無くしては語れない。 ワインスタインのミラマックスはタランティーノを発掘して製作会社になれた。またタランティーノはワインスタインに見出され映画監督として世に出ることが出来た。 相互に影響しあい映画産業の中でのし上がっていった両者だが、今、その片輪が外れた。 これからタランティーノはワインスタイン抜きで映画を撮らねばならない。 これはタランティーノがもう一度、傑作を取れる最後のチャンスだと思っている。別のプロデューサーの元で映画に逃げないで、立ち向かって欲しい。 ジュールスのように自身に銃口が向けられていても覚悟を決めて真正面から立ち向かって欲しい。 その時、タランティーノはまた傑作を撮ってくれると信じている。 94年、映画と最高のFxxKをかましたこの作品のように。
斬新な構成、映像、監督の才能を感じる
まず時制の再構成が目を引くが 大量の台詞で舞台劇を思わせる芝居で進行させる撮り方が全く斬新だ それでいて過去の映画の遺産をうまく自己消化した上で全く新しく再構成し直されている 配役にもそれが活かされている トラボルタを初めとした主要登場人物の造形は見事 ヌーベルバーグの映画を当時の人々が初めて観た時の興奮とはこのような感じだったのだろう 誰も観たことの無い映画を作った そしていまだに斬新さが失われていない 手垢にまみれていないのだ つまり真似のできない監督の才能の凄さを、それが証明しているのだ
スプライトとハンバーガーは最強の組み合わせ
2回目、3回目の鑑賞で面白さが上がっていく映画です。音楽、俳優、ストーリー全てが一級品で、高級食材を使ったハンバーガーみたいな(笑)、毎日は濃すぎるけど定期的に観たくなる感じの作品ですね。 毎回思うんですが、Misirlouで始まりSurf Riderで終わるレストランのシーンは死ぬほどかっこいいです。
パルプ・フィクション:羊飼いになろうと一生懸命努力している【洋画名言名セリフ】
【パルプ・フィクション:個人評価=★★★★★】 ★★★★★:今すぐ観るべき‥人生を生きる為の何かを教えてくれる貴重な映画 ★★★★:早めに観るべき‥観る人だれにでも何かを与えてくれる大事な映画 ★★★:まあ観ても良し‥観る人によっては全く意味を持たない普通の映画 ★★:観なくても良し‥単に時間だけを浪費してしまう可能性が高い映画 ★:観てはいけない‥観た後に非常に残念な気持ちを感じてしまう映画 【パルプ・フィクション:おすすめポイント(個人評価理由)】 1.クエンティン・タランティーノ監督による代表的な作品!!! 2.主役級男優3人(ジョン・トラボルタ、サミュエル・L・ジャクソン、ブルース・ウィリス)の配役が最高!! 3.最初っから最後まで観客を引き付ける映像と脚本・愉快セリフが凄すぎる! 【パルプ・フィクション:名言名セリフ→発した俳優とその場面】 ・「羊飼いになろうと一生懸命努力している」 →サミュエル・L・ジャクソンがファミレスで強盗しているティム・ロスに発する名言名セリフ。
くだらなさが良い
ほとんどくだらない話なのに最後全部持ってくところが良い サミュエル・L・ジャクソンがいいですね、面白かったです ただちと長い 人が死ぬシーンが多いけど、何故か最後清々しい気持ちにさせるのはさすがです
余り面白くなかった
観たことありますが、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを獲った作品なのでまた観ました。退屈はしませんでしたが、余り面白くありませんでした。個人的にはウディ・アレンとかクエンティン・タランティーノとか言葉で映画に引き込むのではなく、映像で引き込む映画が好きです☆。「レザボア・ドッグス」は好きですが。
くだらない話。
決め台詞からのOPが最高にかっこいい。 人の時間と物語はパズルみたく組み合わさっていくのですが、その繋がりより交差するセリフとキャストの雰囲気を嗜む作品かと。 字幕で観てしまって、文字を追うのに必死になったのはもったいなかった。(英語のみで理解できるようになりたい・・・・!!!) 歳を重ねるごとに自分に言い聞かせて思い込ませることって増えてきたなぁなんて想いを馳せた私ですが、今度は「何かを感じ得る」ではなくてくだらない時間を過ごす贅沢な154分にしたい。そして違った解釈をまた味わいたい。
夢中。
夢中になれる映画でした!!魅力的なヒロイン、かっこいいキャラクター、テンポのいいストーリー、コメディ要素、バイオレンス、映画の面白いところがぎゅっと詰まった映画でした! 何よりも、ヒロインが魅力的なだけで、ここまでいい映画になるか!?っと思いました。
愛煙家諸君よトラボルタ兄貴を真似ようぜ
三つの物語が交錯し、バラバラだったピースが一つになる。いかれたファンキーな登場人物たちを適材適所の役者が演じ、70年代B級映画のような映像、それに合ういかした音楽。兎にも角にもカッコいいこの作品に当時20代だった私ベタ惚れ。 鑑賞後はジョン・トラボルタ演じるヴィンセントの煙草の吸いかたを真似る筈。
250-42
ひたすらくっだら無い会話を繰り返し、しょうもないミスで大変な目にあい、ドタバタしながらもまたくっだらない会話をする。そしてトイレに行ってひどい目にあう。 見た直後はあまり面白さが分からなかったが、上記の通りくだらない、"パルプフィクション"であると言うのに印象に残るシーンがかなり多く、それがこの映画のすごいところであり、それが良さのだと気づいた。 (映像3 脚本4 演出3 音楽4 配役5)×4=76点
凝った作りの中のダラダラ語り
映画館で見ることできました。ティム・ロスとダイナーの映像を除いて全部忘れていました。それだけパルプ・フィクションということなんでしょうか! ダイナーとかモーテルとかバーガーとかシェイクとかスプライトとかデカい車とかすごくアメリカだった。だからトラボルタがオランダのメーカー(多分DRUM)の葉っぱタバコを自分でシガレットペーパーで巻いて吸ってたからアムステルダム帰りのあんちゃんだとリアルにわかった。ボスの女=ユア・サーマンの命救助のアドレナリン一発打ち初体験の為にトリセツ読んで心臓箇所に赤でマーキング❗️こういう凝り方が面白かった。 ブッチ=ブルース・ウィルス、かっこよくてとても良かった。強くて優しく義理がたい男!彼はダラダラ話してなかった。幼いブッチ君と共に観客はダラダラと金時計の由来を聞かされたけど、曾祖父も祖父も父も結局死んでしまったんだからお守りではないよ、その腕時計、取りに戻らない方がいいのでは?と思ったけど・・・。ヴィンセント=ジョン・トラボルタ、とても良かった。ダンスシーンがあるとは!頭に血が上りやすい単細胞であること自覚していて間抜けで優しくてすぐトイレに行く男。 クスリ、ハンバーガー、メートル法、足マッサージ、朝食、パンケーキ、コーヒー、エゼキエル書、石鹸、タオルやシーツ、妻や離婚がどうのこうのどうのこうのダラダラダラダラ、みんなセリフ覚えるの大変だったろうなあ。カイテル、早朝からなんでブラックスーツを着てる?かっこよかったけど!一方の二人のTシャツ&短パンは小学生みたいで可愛いかった。話の内容も登場人物も全部忘れていたのでほぼ初鑑賞、新鮮でした!(2022.8.1.) 面白い!:セリフ、長台詞、時間軸解体、音楽、映像が!
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