劇場公開日 2021年10月15日

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「サイレントとトーキーの過渡期のアバンギャルドな演出が素晴らしいクレールの名作」巴里の屋根の下 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5サイレントとトーキーの過渡期のアバンギャルドな演出が素晴らしいクレールの名作

2025年5月2日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

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ルネ・クレール監督(1898年~1981年)は、26歳の時の短編「幕間」で注目され29歳の時制作した「イタリア麦の帽子」で一流監督として認められたフランス映画界戦前派の巨匠の一人。10代の頃テレビで確かフランソワーズ・モレシャンさんが、祖国フランスで最も尊敬されている映画監督がジャン・ルノワールで次にルネ・クレールと話していた記憶があります。戦前の日本では「望郷」「舞踏会の手帖」などのジュリアン・デュヴィヴィエが最も人気があったようです。そのクレール監督サイレント期の代表作「イタリア麦の帽子」は日本未公開ですが、幸運にも学生の頃フィルムセンターで鑑賞出来たことは幸せでした。(1962年にフランスのシネマテークから東京国立近代美術館に寄贈)これはチャップリン映画に匹敵するフランス喜劇の名画として深く感銘を受けて、個人的にも生涯のベスト映画に選びたいほどの衝撃でした。そして時代がサイレントからトーキーになって漸くクレール作品が日本で公開された第一作が、「巴里の屋根の下」です。

クレール監督の脚本と演出の特徴は、サイレントからトーキーの過渡期を反映させたもので、情景に合った柔らかさと軽快なメロディのフランス音楽が、台詞を省略した会話場面にも使われていることです。これによって男3人と女1人のシンプルなストーリー展開でも、所々で観る者の想像力を掻き立てる面白さがあり、映像のテンポは今日より遥かに遅くゆったりです。この映像のテンポが醸し出す独特な緊張感と情感が素晴らしい。これが詩的リアリズムと称されるのは、例えばチャップリンのサイレント映画のパントマイムの誇張した表現ではなく、登場人物の動きを日常生活に近い言動の自然さで描写している特徴からでしょう。1930年頃の巴里の市井の生活感が感じ取れます。その上で、クレール演出にアバンギャルド的(前衛的、革新的)な創意工夫が見られる斬新さも兼ね備えています。
それは主人公アルベールの無実が証明されて釈放になり、ルーマニア女性ポーラをめぐってヤクザなフレッドと対立し決闘するクライマックス場面の演出です。アルベールがやられると怖れたポーラが慌てて友人ルイに助けを求めるカットでは、“ルイ!”と呼ぶ台詞だけ聴こえて、バーの中に入ると無音になり、アルベールとフレッド一味の対決が始まろうとする路地の場面に繋がります。再びルイとポーラがもみ合っているバーに戻ると、ルイが出て来て“相手はフレッドか?ルイ!これを持っていけ”の友人の台詞だけが聴こえます。サイレントシーンに僅かな台詞だけで、路地の決闘シーンの緊張感を醸成する演出技巧です。いざ決闘シーンになりナイフを取り出すと音楽が流れ、アルベールのナイフが釣り合わずフレッドの仲間が皆差し出すカットでは、近くを走る列車と汽笛の音を被せます。一端フレッドが引いた後アルベールがフレッドを呼び止め殴り、遂に喧嘩が始まります。すると汽笛の鋭い音が響き、アルベールとフレッドが地面でもみ合うカットでは蒸気機関車の音と黒煙。この細かく丁寧な演出の見事さ。そして、そこに銃を持ったルイが漸く現れて、外灯を狙い撃ちして周りが暗くなります。遠くに光る外灯が場面上部に見えるだけで、殆ど真っ暗なカットで緊張感が最大になる。クレール監督の映像センスの、この粋な感覚にユーモアを少しでも感じたらクレールファンの証拠となるでしょう。そしてこの暗がりに警官の笛と野犬が吠える音を被せる展開の変化で彼らが逃げ惑うカットをモンタージュし、警察車両の丸いヘッドライトに照らされてつかみ合う人物が判明すると、それがなんとアルベールとルイの2人という落ち。フレッド一味が捕まり、アルベールとルイが逃げ切るシーンはサイレントのドタバタ喜劇タッチ宜しく、バーでアルベールとルイが取っ組み合いの喧嘩シーンでは、ロッシーニの歌劇『ウィリアム・テル』序曲で恋の鞘当てを演出します。ここからアルベールが身を引く結末のフランス映画らしさ。映画冒頭で予想する男女カップルの展開にならないところが如何にもフランス映画を思わせます。

アルベール役のアルベール・プレジャンは、「イタリア麦の帽子」でも主演して、この作品では歌唱も披露しているベテラン俳優。妖艶で可憐なポーラを演じたポーラ・イレリは、役柄と同じルーマニア出身のこの時20歳の若さ。当時のファッションに身を包み巴里っ子を好演しています。特徴のある飾りの帽子もお洒落で、脱いだ時とのギャップが大きい。女性を可愛くみせる帽子がファッションの必需品であった時代を窺わせます。恋敵フレッドのガストン・モドもベテラン俳優で、調べると1918年にモディリアーニ(1884年~1920年)のモデルをした経歴の持ち主。ルイを演じたエドモン・T・グレヴィルは、アラン・ドロンに似たフランス美青年の系統の俳優で、後に監督にも進出した映画人でした。
トーキー初期のサイレントとトーキーを併せ持つ面白さと、クレール監督の斬新で鋭い演出が、時代を象徴する映画の名作でした。セット撮影の美術も良く、クレーンを生かしたカメラワークの動的な工夫もあり、じっくり映画を楽しめる逸品。

ルネ・クレール監督は一度日本を訪れています。それは1970年の大阪万国博覧会に招待されて、講演のための来日でした。実は日本が招待の手続きをしたのは、「太陽がいっぱい」のルネ・クレマンだったのですが、何かの手違いでルネ・クレールに届いたのでした。淀川長治さんがその時の講演に同席し、クレール映画を役を演じながら紹介したと言います。近い未来に映画は人のポケットに入り持ち歩けると淀川さんに予言しました。お洒落で上品なフランス紳士のクレール監督の時代を見据えるセンスも窺えて興味深い逸話でした。

Gustav
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