パリ空港の人々のレビュー・感想・評価
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国籍・国境という権力装置
劇場公開時に観ていた作品。
ジャン・ロシュフォールの、観客の先入観に縛られることのない演技がいい。空港で夜を明かさなければならなくなったとき、ロビーで小さな男の子と出会う。この時の、はじめは警戒感を表面に出しているが、次第に彼が好奇心や安心感に基づいて行動していることが伝わる表情の変化。幻のエチオピア部族の言語を「発見」したときの真剣な眼差し。胸に残る彼のいくつもの顔。彼の映画を観るときの嬉しさは、まるで大好きな親戚のおじさんに会えたときの喜びである。
空港に到着すると、その国に入国するには当局の定めた手続きを踏まなければならない。飛行機に乗って物理的に飛んでくることはできても、その国への入国が認められないケースはある。この映画は、入国審査で足止めを食らったそういう人々が、空港内に住み着いているという現代のおとぎ話。国籍や国境というものが、所詮人間の頭の中にだけ存在するものであることを伝えている。
ところで、エチオピアの消えた古言語を話す謎の男は、我々が知っている(学術・科学を通じて社会総体として知っているという意味で)知識が限定的なものであり、それは制度してのアカデミズムの知見でしかないことを暗示する存在なのだ。
人に与えられる国籍、人が越えることを管理する国境、アカデミズム。これらは、それを司るシステムによりコントロールされている。そして、そのシステムこそが権力なのである。
しかし、その権力は人間の観念の世界にしか存在しえない。生の世界には、それらを軽くすり抜けていく人々が生きている。映画は、空港から出るに出られない人々の珍妙な生活を通して、制度や権力の枠外にいる人々のたくましさと切なさを描いている。
結局は笑顔なのさ、ということでしょう
1993年製作のフランス映画でございます。フランスの空の玄関口、シャルル・ド・ゴール空港で撮影されたちょっと奇妙な作品。わたくし個人はこの空港を一回利用したことがあります。とにかく大きな空港で、わたくしが経由でいた数時間は、なにやら不信な箱が見つかったとのことで、マシンガンを持った軍隊の人がたくさんいました。そういった意味で、わたくしには記憶に残る空港です。
内容は、カナダからフランスに入った主人公が、パスポートを盗まれ入国ができなくなってしまい、空港内部での寝泊まりを強いられてしまいます。そんな主人公は、同じく入国できない人々と出会い、共同生活するという展開になります。
フランスの国土内でありながら税関を通過しなければ、そこは国籍を持たない場所になってしまうという設定が、とても文学的。そのような異常な空間で人が生活すると、普段味わうことのない自分の存在価値を体験することになる。
社会保障もなければ公的なIDも有効じゃない空間で、人は自分というものがいかに空虚なものかを味わい、そしてそんな苦しみはどこにも届かない。こんな人々を軽いコメディタッチで描きながら、観る人の心にしっかりとほろ苦さを伝えてきます。
普通ではない特異空間に人間を置いても、それまでと同様にいれるのだろうか?わたくしたちが当たり前と思って暮らしている空間がもし崩れたら、それでもわたくしたちは変わらずいれるのだろうか?
そう考えているうちに、幸せとういものの大半が実は脆く、そして儚いものなのかな、なんて思ってしまいました。
優しい気持ちになりたい時にどうぞ。
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