バウンティフルへの旅のレビュー・感想・評価
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今は幻の駅、バウンティフル
イントロに出てくる草原の景色のピントが合ってないのは過去を表しているのだろうと想像は付いたが、昔、過ごしたそこに帰りたいと願い、ようやくなんとかたどりついたがまた息子夫婦に連れ戻される老婆のお話。 まあ、なんと切ないことか。というのはおばあさんの立場で考えるとそうなのだが嫁の立場から思うと「もう堪忍して欲しい」というところか? 息子は母にも手を焼くが気の強い嫁にも同様で見ていて気の毒というか気持ちがよくわかる。 道中、持病を抱えた老婆の冒険はちょっとドキドキも色んな人の優しさに接しながら昔住んでいた家にたどり着いたときは、ひょっとして安堵の余りそこで死んでしまうかもと思ったが・・・ 最後まで 嫁は鬼嫁のままだったけれど離婚もせず、母親と同居も許しているところは決して鬼嫁だけではないのだろう。 まあ、おまえもちょっとは働けよと思ったけれどこの時代はアメリカも情勢の社会進出は大変だったのかも。 ジェラルディン・ペイジは若くして死んだとのことだが老婆役では年齢より大分老けて見えた。 バスの同乗者レベッカはじめ駅のおっチャンといい、保安官といい、本当にいい人に巡り会いながら旅を続けられて良かった。 しかし、親の年金を娘が取り上げるというのはいかがなものか? そこは嫁に腹が立ち、其れをとがめない息子にも腹が立った。 そんな息子の給料は上がったのだろうか? 上がっていなかったらまた、気の強い嫁に責められるだろうなあ・・・
おばあさんのロードムービーは?
ヒューストンで息子夫婦と暮らす、キャリー・ワッツ。しかし嫁の姑いびりもあり、故郷バウンティフルへ行きたいという、望郷の念が募るばかり。そしてついに夫婦が留守の時に、家を出る。しかしバウンティフルの駅は廃止されていた。 おじいさんのロードムービーは、面白い作品が多い。おばあさんのロードムービーはあまりないように思います。序盤の姑いびりは不快ですが、キャリーの行動にわからなくもないと感じました。ずっとしゃべり続けるおばあさんに付き合わされるようで、途中疲れてしまいました。 ほかの作品でも思いましたが、アメリカでは数年で駅や町が消滅することがあることに驚き。
アンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」
アンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」を思い出した。
30年以上前にレンタルビデオで見た。でも、内容の詳細を覚えていなかった。
僕もガキの頃、全国を旅していた。そんな時何度か、駅に泊って、始発の列車を待つような事が何度もあった。また、この映画が封切られた時期は、まだ青函連絡船が運航していた頃だ。夜行列車から最終の連絡船に乗って、朝一番に函館に着く。又はその逆。兎に角、いつも一人で旅していた。だから、この老婆の寂しい姿を、記憶に焼き付けた気になっていた。だが、僕の記憶からはすっかり恩讐の彼方だった。
しかし、今は年齢もこの老婆と同じになり、「アンドリーワイエス」の「クリスディーナの世界」を思い出すに至ったのだ。
僕は引っ越しを13回以上した。だから、ふるさとのある人達が物凄く羨ましい。かなぁ?
アカデミー賞主演女優賞受賞
私にとってジェラルディン・ペイジといえばドン・シーゲル監督の「白い肌の異常な夜」でクリント・イーストウッドの脚を切り落とした女が印象に残っている。 嫁に頭が上がらない息子夫婦と同居している母親は、20年前に離れた故郷の町バウンティフルに帰りたいと思っている。最近、心臓の具合も良くない。今日もだらしない息子の嫁に文句を言われ、なけなしの小銭と年金の小切手を手に家を出る。 駅でバウンティフル駅行きの切符を買おうとすると「その駅は閉鎖になった」と言われてバスで行く事にする。なけなしの小銭でバウンティフルの手前までの切符を買い、追ってきた息子夫婦をまいてバスに乗る。バスに同乗したレベッカ・デモーネイに優しい言葉をかけられ、故郷に帰ってからしたい事を語る。 到着した故郷の手前のバス停留所で、故郷での再会を楽しみにしていた友が亡くなり昨日葬儀だった事を知らされる。小切手を入れた鞄をバスに忘れたため折り返しのバスで届けてもらうの待つ間に息子夫婦が出した捜索願で保安官がやって来る。心臓発作で呼ばれた医師がバウンティフルに言っても良いと許可を出したので、保安官は車で彼女をバウンティフルまで送る。20年ぶりに見た故郷の空は青かったが、町は見る影もなかった。生まれ育った家に到着した彼女は昔を思い出す。保安官からの連絡を受けて息子夫婦が迎えに来る。 生家と故郷の状況を確認できた母親は踏ん切りがつき、息子夫婦と前よりも仲良く暮らしていこうと決心して戻るのである。 ジェラルディン・ペイジは、この作品でアカデミー賞主演女優賞を受賞したが、翌年亡くなっている。「バウンティフルへの旅」は、彼女にとっても最後の花道であった。
嫁と姑?
ジェシーは化粧技術が凄いのか、自己中の意地悪い形相が適役だった。
この映画に出てくる女性は誰もが嘘をつけない性格なのは個人主義のアメリカだからなのか?それも大切だとは思うけど、一緒に仲良く生活するためには時には、日本的な建前の嘘・優しい嘘も必要なのではないかと思う。
優しすぎる息子ルディには、もっとしっかりして!と背中を叩きたくなるけど、それが人生なのだろう。
主演女優賞を取ったジェラルディン・ペイジは、どこのシーンを観ても凄かった。特に故郷へ向かうバスの窓からの表情は、観ているこちらも幸せになるほどだった。顔も年齢も私の母親とオーバーラップしてしまい、感情移入してしまったことは否めないが。どこかで母親ワッツが昔の最愛の人と再会しないかなぁという淡い期待は最後まで持ってたのだが残念でならない。
駅で出会い仲良くなった女性の存在が希望の光となる。世界中の人がみんな彼女のようだったら、もめ事もなくなるだろうに。愛する人と結婚できることがどれほど幸運なことか、主役の言葉が突き刺さる。たとえそれが叶ったとしてもその幸せを阻む戦争。今も世界のあちこちで起きている戦争・争いには、どちらが悪いとかではなく胸が痛む。
「郷愁」は人の常なのだろうか。年齢を重ねれば重ねるほどに強まってきた。当時の姿は変わり果てていると、心では分かっていても、私も見たい・行きたい・帰りたいと感じる映画だった。
調べてみると1985年に完成し、ペイジは翌86年に受賞。そして翌87年に逝去。幸福な晩年を過ごしたように思えて嬉しくなった。
アカデミー賞主演女優賞受賞作品
嫁にいびられる姑が生まれ故郷への思いを募らせ旅に出る。 残された時間が少ない主人公の願いは、もう一度故郷を見ること。 心に染みる作品と言うのはそう多くない。 この作品はその数少ない中の一本と言える。 こういう映画に出会うために私は生きている。
何故かおばあちゃんもの(?)映画には惹かれるものがある。駅で切符...
何故かおばあちゃんもの(?)映画には惹かれるものがある。駅で切符を買うシーンでは「早くしろよ、後ろがつかえてるぞ!」なんて思ってしまったが、やはり微笑ましい。 ストーリーはトルーマン大統領時代、牧歌的な演劇の様相を呈していて、家族愛や老いについてしみじみと語りかけてきます。最近の中国映画にありそうな内容です。 それにしても、このジェラルディン・ペイジという女優は、1987年に若くして没しているのですね。それを考えると泣けてきます。
感動モノというジャンル
世に感動をねらった映画ってありますが、これもそういった映画のひとつという感じでしょうか。 メッセージ自体は実際、共感できるところ多々あった気がします。 ただ映画としては、なんというか、おそろしく予想通りの筋書なので、これで良いのかという気もしなくはないです。確かに不自然な出来事を入れる必要もないのかもしれませんが、もうちょっと映画的なプロットや、映画的なショットがあっても良かったかなと思います。夜行バスが走るショットがいくつかありましたが、それもどこかファンタジーめいたショットだったので、どうも乗り切れませんでした。もうちょっと寂寥感が出てくるショットが良かったような気がするんですよね。
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