π パイのレビュー・感想・評価
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イデアへの渇望
数学者の狂気を描く。
初公開時はものすごい衝撃を受けた映画だった。
それまで映画だと思っていた映画とは全然ちがっていて、こんな映画があるんだー、と感動した。
音や映像がとにかくスタイリッシュで、センスの固まりって感じ。
「数学」というより、「真実」にとりつかれた話って感じがする。
「真実」のメアファとして「太陽」が出てくる。
太陽を直視すると失明する。だから太陽を見ることはできない。
人間は直接真実を知ることはできない、しかし人間は狂おしく真実を知りたいと求めてしまう。
これを数学者も感じているし、ある種の宗教者も感じているのかもしれない。
プラトンの「イデア論」も連想した。
イデア論では、我々は牢獄である洞窟に閉じ込められており、我々が現実だと思っているものは、外界からさしこむ光による影だという。「本当の現実(イデア界、真実の世界)」は、洞窟の外にあるのだが、我々は外を見ることができない。
我々の感覚器官(五官)が不完全なものであり、我々の認識力や思考力が不完全なものであり、なにより我々の肉体が物質で構成されていて、四次元(三次元空間と時間軸)に閉じ込められた制約だらけの存在である限り、このイデア論の考え方はおおむね正しいように思える。
しかし数学者や物理学者の一部は、まさにこの我々の肉体的制約の限界を超えて、世の真実に迫ろうという情熱をもっている。それは宗教的熱狂にも近いものだろう。
それは壮絶な苦しみも伴うもので、この映画の主人公が太陽を見て以来脳に巣くってしまった頭痛に象徴される。「真実」にとりつかれてしまい、それを求めずにはいられなくなってしまった執着が頭痛の正体であり、最後、主人公は物理的に脳を破壊することでその執着から逃れる。
でも、今回この映画を観ていて感じたのが、「時代が変わってしまった」ということ。
初公開時は、超ひも理論のような、数学で世界の真実に迫るという話がまだ新鮮で、この映画に対する見方が全然違ったと思う。
オカルト
ちょっとうとうとしちゃったからセリフとか曖昧だけど
『子供(何歳だっけ?6か8だった気がする)のころ太陽を見た』ってセリフが何度も繰り返されてたのって
きっと太陽が重要で
太陽=UFO
株屋=CIA
こめかみの傷=チップ
なんじゃないのかなって思ったら
カルト映画じゃなくてオカルト映画だね。
UFOにアブダクションされて
チップ埋め込まれて天才になって
CIAに追いかけ回される主人公の話。
そう見たらなんか色々納得いく気がする。
『神の器に過ぎない』って事はやっぱり
神=宇宙人に
チップ埋め込まれた
器=ただの人ってことじゃない?
最後にチップ壊して凡人に戻れたって感じだったし
オカルト好きだからそういう風に見えちゃうのかな?
同じ考察してる人いたら嬉しい^ ^
妄想力が凄い
1999年の公開当時、今は無き渋谷のシネマライズで本作を鑑賞しました。確か20時とかの遅い時間帯の上映で上映期間も短かった記憶があります。その時の感想が、「監督はジャンキーなのかな?」です。それくらい、ぶっ飛んでいたと感じました。今となっては、私はダーレンのファンなので、この機会に改めて25年振りにデジタルリマスター版をスクリーンで再鑑賞しました。
今観てもカメラも音楽もかっこよく作品の世界観にあっていました。主人公の恐ろしい妄想が初鑑賞の時にジャンキーっぽく感じていたのかもしれません。
ダーレンの作品は、何かに取り憑かれた様なパラノイア的な主人公が多いですが、これはダーレンがユダヤ教徒だからでしょうか。何でこんなに自分を追い詰めるのか、、、これはユダヤ教の教えに起因してるっぽいと後に知りました。確かにユダヤ人監督の作品は、こういう追い詰められ系が多い気がする。
数式、経済、株式はユダヤ人の得意分野ですし、この数式が分かったら人生勝ちですが、最終的には破滅してしまったのが《レスラー》《ブラックスワン》と似ていますね。天才が破滅するまで追い詰められる物悲しさが私の好みでした。
チープ
森羅万象、全ては数学で説明できるという主人公の主張は狂人の妄想と言う訳でもない、世界中の物理学者が神の数式と呼ばれる宇宙統一理論の探求を真摯に続けている。
最新研究の扉を開いた一人が超絃理論を編み出したジョエル・シャークであり、34歳で自殺してしまった夭逝の天才である。彼は宇宙は多次元でできていると書き残した、まさにSF映画でおなじみのパラレルワールドの世界である。
本作を観ながら何故かシャークと似た臭いを感じて惹きこまれたのだが、出てくるコンピューターはどう見てもパソコンだし、大衆受けを狙って研究の効用として株式予想とか宗教とかを絡めるから急に安っぽくなる。ユダヤを持ち出したのもアインシュタインの名声を借りたかったのでしょう。
難しい研究と頭痛と妄想はなんとなく因果関係がありそうだがクスリの常用、挙句にはドリルで頭を突く暴挙まで行って死にもせず、才能を失って安らぎを得ました、めでたしめでたしとはふざけた話になってしまいました。
天才数学者の葛藤の様、心理描写としてあえてモノクロで手持ちカメラの不安定映像を多用するのも前衛的との評価狙いなのだろうが使い古された手法で今や予算の無い学生の実験映画でもやらないだろう。
思い込みに取り憑かれた学者の狂気性を映像表現したかっただけの残念な映画に思えました。
まあまあだった
昔見た時は面白かったような印象があって、監禁されて数字の謎をといて脱出する話だと思っていて『キューブ』と混同していた。見たのが同時期だったのだろう。数学のことなんか分からないので、全体的になんのこっちゃって感じで頭良さそうなのをひけらかされたような気分になった。謎の組織みたいな連中にお金もらって数字を教えてしまえばよかったのではないだろうか。けっこう退屈した。
音楽がジャングルで懐かしかった。
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