バード(1988)のレビュー・感想・評価
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「もっと音を出したかった」
モダン・ジャズの巨人チャーリー“ヤードバード”パーカーの半生をクリント・イーストウッド監督がジャズ愛を込めて映画化した作品。
戦前・戦中を通して主流だったスウィング・ジャズがダンスミュージックと化していた中、「ビ・バップ」を創始してモダン・ジャズの草創期を牽引しながらドラッグと酒に溺れ、34歳で夭逝した天才サックス奏者C・パーカー。
熱烈なジャズ・ファンとしても有名なイーストウッド(俳優経験もある息子のカイルは、父の影響でプロのジャズ・ベーシストに)が、モダン・ジャズの功労者を美化することなく、パーカーや、彼と時代を共にした人たちの生き様を、ジャズの名曲に載せてリアルかつノスタルジックに描き出す。
ビ・バップの試みが理解されずにシンバルを投げつけられる有名なエピソードや白人のエリートからもサインを求められるシーン、終盤で先輩格のミュージシャンがロックンロールに転向する場面など、単なる主人公のバイオグラフィーにとどまらず、ジャズを取り巻く時代の変遷が作品に散りばめられている点に、監督の趣向が垣間見えて興味深い。
R・ロドニーに誘われて参加したユダヤの結婚式で長老から歓迎されるシーンも、黒人音楽と誤解されがちなジャズの本義を糺されているようで暗示的。
レトロで美しいセットの数々を暗いトーンで撮影することで、悲劇的な結末を視覚的に予感させる演出も見事。
主人公のフラッシュバックや回想シーンで何度も時間軸を往き来して少しややこしいので、理解するには見直しが必要かも。
主人公を演じたのは、若き日の名優フォレスト・ウィテカー。
神格化せずに等身大の人間チャーリー・パーカーを描こうとした監督の意図に応えて、起伏の多い主人公の人生を突出せずに演じ切ったのはさすがの一言。
実際にプレーしてないと分かっていても、彼の演奏シーンは本人とダブって見えて惹き込まれてしまいそう。
『ブルーに生まれついて』(2015)のイーサン・ホークには、ウィテカーの爪の垢を煎じて飲んで貰いたいものです。
出番は少ないが、浮ついて落ち着かない登場人物が多いなか、パーカーの最期を自宅(ホテル)で看取る伝説の「ニカ夫人」をエレガントに演じて存在感を示したベテラン女優ダイアン・サリンジャーも印象的。
国内の公開当時、パーカー本人の音源から抽出した楽曲を使用したことが話題になったものの、興行的には振るわなかったと記憶しているが、あらためて観てもやはり名作。
ジャンル映画なので好みが別れるとは思うが、再評価して欲しい作品。
BS松竹東急で拝見。
「秋の夜長のJAZZ映画特集」で放送して戴けたのは大変にありがたいが、折からの熱帯夜でエアコンなしには我慢できず。しかし、わずかな空調の音すらジャマなので、今回ヘッドホンを着けて視聴。
次はぜひ、音響とエアコンの効いた劇場で観てみたい。
"bebop"
イーストウッドが描くチャーリー・パーカーはボロボロで危うい雰囲気のまま救われない、時間軸がごちゃ混ぜで少し困惑するがチャーリー・パーカーというよりも演じたフォレスト・ウィテカーの存在感に和まされながらも容姿が似ている感覚はなく、少年時代のチャーリー・パーカーがフォレスト・ウィテカーに寄せている感じもする。
時代的にも珍しいようなチャーリー・パーカーの周りには奥さんも含めて白人女性ばかり、ロックンロールを受け入れられない拒絶反応、確かにアレは頂けない、60代に見間違う程に精魂尽き果てた若過ぎる最後。
あまり知識のない方々には不親切な作りにも、イーストウッド自身が万人ウケとは関係なく撮った感も、ジャズ愛好家は本作をドウ観たのか、気になるところ?
緊急事態宣言がまたもや延長されて、夜遊び出来ずにモヤモヤした気分なら本作を観て夜の街に繰り出した気分を味わいましょう!
ジャズファンでなくとも、チャーリー・パーカーの名前は聞き覚えがあるはず
1955年に34歳で亡くなったジャズの巨人
伝説のジャズサックスの名プレイヤー
バードと言うのは彼の渾名
本当はヤードバード
それを縮めてバード
ヤードバードとは、ひよっことか、一番下っ端の雑魚ぐらいの意味
その雑魚だったかれがジャズの一大ジャンルのビバップというモダンジャズのスタイルを打ち立てた天才であったのだ
エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジら有名ギタリストを輩出したことで知られるロンドンの60年代のロックバンドのヤードバーズはこれに由来していることはロックファンなら知っているはず
NY の有名なバードランドというジャズクラブも彼の渾名から採られたもの
そのシーンも登場する
本作はそのジャズの神様の人生を描いたもの
本作の中の現在は恐らく1955年の彼の死の日
他はすべて彼か、彼の周囲の人々の回想であり、過去や現在が行ったりきたりして進行していく
序盤にドラムのハイハットが宙を飛ぶシーンがある
その意味は、オーディションを兼ねたコンテストで演奏を止めない彼に強制終了を告げるための行為であることが前半に劇中で説明される
そしてラストシーン近くでまたもやハイハットが宙に飛ぶ
その意味は勿論、人生の強制終了だ
デジー・ガレスビーはじめモダンジャズの神々が登場する
ジャズファンならまさに神話の創世記の世界だ
音楽をメインに据える映画だけに、音が良くなければ白ける
しかし心配無用
本人の当時の演奏を切り出して、他の楽器パートを新しい録音してミックスしてあり、彼のサックスの音は確かに昔の音質なのだが、全体としては本当に現代に彼が蘇って新しく録音されたかのように思えるほどのもの
コロナ禍でジャズクラブにも、音楽バーにも長らく遊びにいけずに溜まっていたものが、まるで劇中のクラブに自分もいたかのように錯覚して胸がスッとすること請け合いです!
緊急事態宣言がまたもや延長されて、夜遊び出来ずにモヤモヤした気分なら、本作を観て夜の街に繰り出した気分を味わいましょう!
前半のチャンが18クラブに繰り出す夜の繁華街の華やぐシーンにはこちらまでウキウキしてきます
南部のオンボロクラブのシーンはマービンゲイのアイウォンチューのジャケットのアニー・バーンズのアートの世界そのもので感激します
物語は過去と現在が回想によって、時系列も複雑に入り組み分かり辛いのは確かです
その彼の人生もまた、バンドマンの良くある人生を煮詰めたような、ろくでなしの破滅的なものです
ならばジャズファンでなければ、本作を観る意味は無いのか?
チャーリー・パーカーの名前に畏敬を覚えない人間には観る値打ちはあるのだろうか?
ある
そう断言します
公開は1989年
その当時は見えなかったものが、2021年の現在ならハッキリ見えるようになったと思います
1955年、公民権運動の10年も昔
しかしジャズの世界は腕の良し悪しのみ
肌の色は関係がない
むしろ黒人の方が優れた才能を発揮して、差別どころか尊敬される
音楽を通じた人種平等の世界が描かれているのです
アートに色は関係ない、音楽も無色だ。
これは1960年代世界中にヒット曲を送り出したモータウンの社長ビル・ゴーディの言葉です
人の持つ才能だけが平等に評価される
そこには肌の色は関係がない
そんな社会の有り様が描かれているのです
チャーリー・パーカー生誕100周年
本作公開から32年
21世紀の現代は進歩したのでしょうか?
そんな視点で観ても見応えがある作品であると思います
フォレスト・ウィテカー
カンザス生まれのはぐれ者チャーリー・パーカー。麻薬でボロボロ、しかも胃潰瘍。医者からも余命20年と見離された男が過去を振り返る。
プロポーズというか彼女を誘うシーンでは、サックスを仲間に吹かせ、白馬に乗って迎えに来るウィッテカー。その頃はもう有名人だったチャーリー・パーカーだったので、ダンスホールでも注目の的だ。サックスを質に入れて馬を借りたというエピソードがほほえましい。
結局は音楽と麻薬の世界。ストーリー性やメッセージが薄いけど、フォレスト・ウィッテカーの雰囲気がとてもよかった。
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