イノセント(1975)のレビュー・感想・評価
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細かいところまで釘付け
主人公の俳優さんは「バチカンで逢いましょう」で出てきたおじ様だったのか。
細かいところに最後まで釘付けになってしまうのは、さすが。
中でも印象に残るのはリラの館、あの明るい心地よさげな雰囲気。
主人公たちは、「自由に生きるのだ」とやたら主張し、その方が素晴らしいのだと言わんばかり。なのに彼らは実際は気持ちが不安定で不幸せそうだ。パートナーを失いはしないかといつもビクビクし、相手には「自由」を認めず拘束しようとする矛盾。
トゥルーリは顔色悪く(もしや愛人の気をひくための化粧?)、無表情だ。健康的で明るい弟と対照的。 何にも拘束されないのだから欲望を駆り立てない大抵のことには無関心、ということらしい。
無神論、自由。聞こえはよいが、イコール、精神的な軸を失い心はさ迷うことに…。西欧文明の一側面かと思うけれど、 いずれにせよ、 これは明日どうやって食べていくかを心配しなくてよい層の話だ…。あまり自分には関係なかった。
無神論者の主人公の「救いようのなさ」
主人公の トゥリオ(ジャンニーニ)に対する監督の容赦ない視線
神が原罪を見つめる視線は このようなものか、あるいは また、別のものだろうか…
妻の側で愛人を想い、妻の心が離れると嫉妬で狂わんばかりになる… 支配欲は男のDNAに組み込まれたものなのか
「猫の子殺し」を思い起こさせる様な行為も 本能なのだろうか
こんなことを 長い間「男らしさ」で済ませてきた 男の愚かさと無神経さをも含めて 監督は原罪というものを、問い直している
また、妻の心身のゆらぎや 思うがままに生きる愛人の心も 無垢なものが失われる悲劇に繋がっている
しかし、信仰を持つ国の無神論者への冷たい視線も感じられる原作ではある
(監督もあまり好きではなかったらしい… )
長い間 イタリア艶笑映画に貢献してきた アントネッリを 貞淑な妻役に、「想い出の夏」くらいしか印象にない オニールを愛人役に配している
アントネッリは本来、清純派と思われる容姿だし、
オニールは米女優だが ヨーロッパ勢に囲まれても 何ら遜色なく、あのクラシカルな美貌は むしろ自国向きではなかったのだと、 ヴィスコンティに教えられた
全体に悲劇的なムードだか、夫が 妻の恋人の身体を確認してしまうあたり、おかしい
マルク・ポレルの裸体の美しいこと!
最後に 己の罪を理解し、 逃げるように霧の中へ消えてゆくオニールの姿が 美しく、監督の人生の終焉を暗示しているようでもあり、哀しい
遺作となった作品で 妙にひんやりした 出来となったが、監督が最後まで 完成させたものを 見てみたかったな… という思いはある
ヴィスコンティにしか撮れない
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