「選挙の意味」ノートルダムの鐘 movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
選挙の意味
選ぶ人を間違えたようね。
ジプシーエスメラルダが狡猾判事フロローを前に言う台詞。
ですよねー日本も蓋を開けたら税金地獄政治よ。
でも登場人物を見て思う事は、みんな人間してるなぁと。
国の中でどんな水準でも、どんな容姿でも、どんな性格でも、人を好きになったり妄想したり。
弱者を描くフランスのユゴーが書きたかったのは愛の普遍性なのかなと思った。
レミゼではマーマレードは改心するが、本作のフロロー判事は最期までしょーもない。
権力があるだけに、その一方的身勝手な判断が公私混同された時、パリ市民に理不尽すぎる大暴れ。
たとえ生きていても市民に狩られていただろうから、聖域ノートルダムから転落という劇的な死でも充分なのではないか?
異常なまでにジプシーに固執する彼の何がそんなに駆り立てているのか?
フロローこそがジプシーの母親に捨てられた過去があるのかなとか、身内がジプシーに騙されたのかなとか、色々考えたが作中に答えは出てこない。
初老になってからフロローの価値観では悪となるジプシーのエスメラルダを好きになってしまったこじらせと書く人もいるが、その前にフロローは人殺しだからね。
ジプシー狩りの趣味は昔から。
ジプシーが赤子連れとも知らず、その赤ちゃんの容姿に気付くよりも前に、過失だがはずみで殺めている。
しかも赤子を雪吹雪の中、井戸に捨てようとした。
とんでもない凶悪な人物。
しかも赤子には出来損ないという意味のカジモドという名前を付ける。
自分も優れた容姿でもなければ人殺しなくせに、あなた本当に人間ですか?
出来損ないはあなたでしょと。
唯一真実を知るノートルダム寺院の神父にばらされないように、カジモドを寺院の鐘撞堂に軟禁し、醜さに街がどれだけ冷たいか言い聞かせて洗脳し、カジモドを依存状態にさせようとする悪党具合。
「さぁ選ぶのだ私か死か」
いやこれまでの流れで1秒たりとも好かれる態度をしていないのに選ばれるわけがなかろうに。
境界性の病気か何かか?
人と会話してお互いの考えや気持ちを知り合う経験が欠如しすぎでトップダウンしかわからないのではないか?
最期も転落なのでそういう人物像なのだろう。
相対するように出てくるのが、エリート軍人フィーバス。武力も強くて、そこそこの社会的地位もありながら、対等にジプシーやカジモドと話そうとする。
立場があるからみんなしょーもないわけではないんだなと、フロローの悪が際立つ。
魔女狩りに障がい者いじめに、パリの排他性は昔からなんだなと。女性蔑視はおさまった気がするが、宗教や人種や言葉の異端に寛容でないのは未だにだと思う。
そのせいで、ジプシーになるしかない人もいて、褐色に緑の目が美しいエスメラルダもその1人。
でも、作中では大道芸的な稼ぎ方で住んでいるが、フロローが邪と言うように、実際にはジプシーは窃盗や詐欺や売春も働いていただろう。
エスメラルダがどうかはわからないが、フィーバスは病気に気をつけた方が良いかもねぇ。
原作ではフィーバスは既婚者らしいので、自業自得。
ただ、エスメラルダに先に出会ったのも先に助ける機会があったのもフィーバスでありながら、フィーバスはカジモドを出し抜こうとせず、正直な良いところがある。カジモドに花を持たせたとしても、エスメラルダは健常な自分を最終的に選ぶはずという過剰な自信と余裕があるからなのかはわからないが。
カジモドは勇気を出して外に出てみて、フロローの言う通り容姿を蔑まれる目にも遭うが、エスメラルダに恋して守り、フィーバスと出会って協力して、失恋する劇的経験をした。最後は街の市民に担がれるハッピーエンドかのように描かれているが、ミサの時間には鐘に戻るんだろうなぁ。しかも暫くはフロローが焼き払ったり暴動で亡くなった犠牲者や兵士達の追悼だらけだろう。うわー。銅像達とお話、、統合失調も疑われる。
ジプシー達の隠れ家は地下カタコンベ。
表と裏をしっかり書くユゴーは、下水道やカタコンベなど、街の裏部分も出してくる。
ローマ帝王を信仰せずキリスト教を選び迫害された者達の埋葬地に、キリスト教フロローから迫害されるジプシー達がいる皮肉。そして、フロローやフロローに盲目的に従い、逆らう市民暴動で亡くなった人達がカタコンベに更に詰められ、いたはずのジプシー達が地上で堂々と生業を見つける世になるのだろうか?
全体的に、政策による街や治安の混沌を考えさせられる作品。
舞台となった相当昔のパリのみならず、今の日本も、パパ活にトー横に立ちんぼに。。
老害が若者や弱者を苦しめる構図は見苦しい。