冬冬(トントン)の夏休みのレビュー・感想・評価
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まるで昔の日本のよう
まるで1970年代の日本の田舎のような風景にノスタルジーを感じてしまう癒し系の映画だ。外の風景だけでなく、主人公の少年が夏休み中に住む祖父の家も日本家屋そのものだ。
肝心のストーリーはまとまりのないちぐはぐ感は否めない。環境映画のようでもあるが、事件は色々と起こる。ただ、結局は何事もなかったように過ぎ去ってしまうので、やや肩透かし感もあるが、あえてドラマチックな展開を避けたのかもしれない。主人公の母親が死ななかったのも、妹が列車にひかれなかったのも、親しくなった田舎の子供が川で溺れなかったのも、その表れだったのかもしれない。
主人公の少年が地元の少年たちと仲良くなるエピソードは面白いが、地元の少年たちの顔のアップが余りないせいか、主人公との親密感がイマイチ感じられない。
また、主人公の妹がかわいそうだ。少年たちの仲間に入れてもらえず、最後は慕っていた冬子に呼びかけても無視されてしまった(聞こえなかったか?)。
ラストシーン
夏休みが終わり、トンローから台北へ。兄弟を乗せたセダンが走り去るエンディング。そのままエンドロール。全てがワンシーンのロングショット。まるで自分がその場に入り込んだように自然。ミニシアターに完璧。
懐かしさと幸福に満ちている
侯孝賢の映画にはよく鉄道が出てくる。本作もまた、鉄道での移動が欠かすことの出来ないシナリオとなっている。
母親が入院をするために、面倒を見る者のいない小学生の兄妹は、夏休み祖父の家で過ごすことになる。子供だけの長旅は不安であるため、若い叔父とその恋人が台北から故郷へ帰るタイミングに合わせて、彼らと一緒に列車で祖父の住む町へと向かうのだった。
列車に乗るや、新しく買い求めた服へ着替えることで頭が一杯の恋人。その恋人の些末なわがままに振り回される叔父。この二人が幼い子供を引率する責任を全うする若者ではないことが、旅が始まると同時に観客に知れる。
そのような未熟な若者をよそに、主人公のトントンは妹の面倒を見てやる。さらにトントンは、途中駅で列車に乗り遅れるという叔父の失態が、祖父に知れることのないように慮るという、思慮の深さを見せる。
さて、不思議なことに、トントンたち兄妹が台北に帰るとき、列車ではなく父親が運転してきた自動車に乗っていくのだ。
母親の容態も安定し、夏休みも終わり近くになったので台北へ帰る話しになるのだが、はじめはあの頼りない叔父が再び列車で二人を連れていくことになる。
だが、いよいよトントンたちが祖父の家を出発する日、彼らの父親が自動車で迎えに来ている。
映画の中では、台北へ戻る手段が変更された理由についての説明はないように思う。
ただ、父親が迎えに来なければ、トントンがこの夏出会った人々を知ることにはならない。ほんの一瞥程度でも、その人々との邂逅を通して彼が洞察しているのは、自分の息子がひと夏に様々な幸福な出会いを経験してきたということである。
この経験をしたトントン本人と同じくらいに、この父親もまた、幸せを感じているのではないだろうか。
この幸福な父親への眼差しを映画の最後にもってきたかったために、叔父が列車で連れ帰るシナリオを変更したのだろうか?
そのために不自然なシークエンスの繋がりになっていたとしても、その綻びを補って余りある幸福感に包まれた。
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