「実は賢くて世渡り上手なトントンとひと夏で成長を見せるティンティンの兄妹は台湾新世代の象徴か? 80年代 戒厳時代末期の台湾のリアリティ」冬冬(トントン)の夏休み Freddie3vさんの映画レビュー(感想・評価)
実は賢くて世渡り上手なトントンとひと夏で成長を見せるティンティンの兄妹は台湾新世代の象徴か? 80年代 戒厳時代末期の台湾のリアリティ
20年ほど前、台湾出張時に桃園国際空港から台北市内のホテルまでの道すがら、利用したタクシーの運転手さんの家族の歴史について聞いたことがあります。当時、中国語をかじり始めて数年だった私と、あまり「隠私」(中国語でプライバシーの意)を気にしないその運転手さん(一般的に中華文化圏の人たちは隠私の概念が希薄のような気がします)は、約1時間かけて彼の両親の話をしました(私のあやしげな中国語だと時間の割に話の内容が少なくなりますが)。それによると、彼の父親は国民党員で共産中国が誕生したときに、蒋介石とともに台湾に逃れて来た、いわゆる「外省人」とのことでした。で、彼は最近、両親とともに生まれて初めて中国大陸の土を踏んでご先祖さまの墓参りをしたと話していました。20年ちょっと前の時点での最近ですから、戦後50年以上たってから、彼の両親は初めて里帰りをしたということになります。
この映画で主人公のトントンとその妹ティンティンが夏休みにいっしょに暮らすこととなる母方のおじいちゃんは、この外省人ではないでしょうか。中国大陸内のブルジョワ家庭の出身で教育水準も高く、親は国民党支持者、戦後間もない頃、20代の彼は両親とともに台湾にやってきて、国民党軍が接収した、かつて日本人が住んでいた屋敷にて医院を開業したと考えるとこの映画の背景が腑に落ちる気がします(ちなみに、この作品の監督ホウ•シャオシェンは広東省生まれで1歳のときに家族で台湾に移住してきた外省人です。また、この映画ではトントンの父親で出演している映画監督のエドワード•ヤンも外省人で上海生まれで2歳のとき移住。二人にはどちらも1947年生まれで外省人という共通点がありました)。
この映画は1984年の作品ですが、本篇に1983年開園の東京ディズニーランドについて語られるシーンがあり、ほぼ、同時代を舞台にしていると考えてもよいと思います。この頃の台湾はまだ1949年に布告された戒厳令下にあり、87年の戒厳令解除まで続く38年間の「戒厳時代」の末期で、本篇にあるように海外渡航の制限は続いておりましたが、社会の潮流は近代化、民主化のほうに流れてゆく時期でもありました。外省人と本省人(もともと台湾に住んでいた人々)の関係も徐々に変化していったのではないでしょうか。
さて、主人公のトントンは小学校を卒業して夏休みを迎え(卒業式で『仰げば尊し』が歌われていました。この時点で戦後約40年ですが、日本統治時代から続く日本文化の影響が見られます。ただ、9月から新学年が始まるとか、自動車が右側通行とかの制度面は大陸側の中国と同化しています)、母親が病気で入院しているなか、妹のティンティンとともに夏休みを過ごすために田舎町で開業医をしている母方のおじいちゃんの家に行きます。このトントンがなかなか世渡り上手なんです。地元の子供たちともすぐ仲良くなりますし、あまり出来のよくない(失礼!)叔父(母親の弟。おじいちゃんから見たら、まあ不肖の息子でしょうね)にもいろいろと配慮します。また、おじいちゃんの質問に応えて漢詩の暗誦をきちんとすることからわかるように賢くて、おそらく学校の勉強もよく出来るのでしょう。夏休み中に両親に宛てて書いた手紙の内容もしっかりしていました。一方、妹のティンティンは兄と地元の男の子たちのグループからは仲間はずれにされますし、男尊女卑の風潮の子供版みたいな感じであまりいい思いをしません。男の子たちのガサツさにあきれたりもして、少し精神的に不安定にもなりますが、地元であまりよく思われていない知的障がいのある女性に助けられ、彼女を慕うようになります。
この台北からやって来た兄と妹は夏休みの経験を通じて成長します。彼らは都市の勤労所得者の子供たちで核家族の年少のメンバーでもあるように描かれていると思われます。面白いのは古いタイプの男尊女卑の家父長家族の長である彼らのおじいちゃんに彼らに触発されてか、若干、「軟化」するきざしが見えることです。地元の人たちと交流する自分の孫たちの姿を見て、外省人としてエリート意識の高いおじいちゃん(おそらく、ですが)も今後、地元の本省人の皆さんとの付き合い方を考え直してゆくかもしれません。
ということで、この作品は子供たちの夏休みを描いた詩情あふれる物語であると同時に1980年代半ばの台湾のある側面を活写した作品だとも言えるのではないでしょうか。あそこに出ていた子供たちも今ではもう50代に入っているはず。ここで何回か使った「外省人」「本省人」という言い方が実は「台湾省」という言葉を前提に成り立っている言葉であることからわかるように、台湾の人々は常に中国大陸の政府を強く意識していると思いますが、同時に外省人、本省人の枠を超えた台湾人としての意識もあるように思います。「台湾有事」という言葉が新聞紙面に躍る昨今ですが、今後も関心を持って情報を追ってゆきたいと思っています。
コメントありがとうございます。
牛にもあると思いますね、飼われてたほうが食いっぱぐれ無いと分かるんでしょうか。
ホウ監督作品は恋恋風塵と珈琲時光だけで今サン位だったので、観て良かったです。
共感ありがとうございます。
厳しそうなお祖父さん、医者ってのもあるんでしょうね、息子に追いすがれなくなったのはちょっと可哀想でした。
牛が勝手に戻っていたのはちょっと笑えました。
高雄で中古自転車買って、最南端(?)までサイクリングしました。風景のよい港で写真を撮ろうとしていたら、兵隊さんが来て怒られました。どうも準戦時体制(?)とかで、海岸線や地形がわかるような写真は撮ったらダメだったらしいです。
多分、今もそんな感じなのでしょうね。というか、もっとピリピリしているのかも。
でも、総じて日本人に優しく、とても居心地のよい所でした。
(中古自転車は、ほぼ買った値段で売れました)
Freddie3vさん詳しいんですね。
私は学生の頃、1回だけ台湾に行ったことがあるのですが、地図を買ったら、首都が南京になっていて、とても驚いたのを覚えています。