劇場公開日 2025年8月1日

「地域社会の記憶──40年で消えたものと変わったこと」冬冬(トントン)の夏休み ノンタさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 地域社会の記憶──40年で消えたものと変わったこと

2025年8月16日
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鑑賞方法:映画館

随分ノスタルジックな映画だった。
舞台は1980年台の台湾。僕も90年代には何度か台湾を訪れた。この映画の祖父母にあたる世代の人から、何度か日本語で話しかけられたりもした。何度訪れても、日本をより親しみやすくしたような居心地のいい国でもある。この祖父母も日本統治時代の台湾で生まれて、日本語を母語のように話せるはずだ。
主人公のトントンは僕より年下だ。作中では10歳くらいに見えるから、今ではおそらく50歳前後になっているだろう。その彼の小学校時代の一夏、父母と離れて田舎の祖父母の家で過ごした日々が描かれる。

最初に目が惹きつけられたのは、映画の細部だった。母の病室に置かれた花柄の魔法瓶、木造の駅舎、窓の開く特急列車──すべて僕の子供時代にも確かにあったものだ。けれどもう失われ、普段は忘れてしまっているものでもある。映画はそれを、確かに存在したものとして思い出させてくれた。

トントンは社交上手で、都会から持ち込んだラジコンカーを駅前で披露し、あっという間に地元の子供たちと打ち解ける。そして気前よく亀と交換してしまう。
祖父母は特別に甘やかすわけでもなく、自然に距離をとって接している。その日々には、親戚の叔父やその交際相手、近所の人たち、そして近所の知的障害のある若い女性までもが関わってくる。妹ティンティンが彼女に惹かれていくサイドストーリーはこの映画の骨子に感じるくらい印象的だ。

思えば、僕の子供時代の近所にもこうした知的障害のある人が普通に暮らし、働いていた。
僕自身も川遊びはよくしたし、近所にたくさん親戚もいて、近隣との交流も絶えなかった。
けれど今はどうだろう。たまに田舎に帰っても、外を出歩いている人がほとんどいない。当然、川で遊ぶ子供も見かけない。小学校のグランドにも子供はいない。
そして40年で親戚も散り散りになり、交流はほとんどなくなった。

たった40年でこれほど多くがなくなったのは、僕が地元を離れたからだけではないだろう。
地域社会の変質、そして2020年代になり、日本で最も多いのが単身世帯になったという社会構造の変化が重なっている。
映画を観終えた帰り道に散歩をして、その喪失感を反芻しているうちに、ついつい新宿武蔵野館から飯田橋まで歩いてしまった。

一服しようと入った喫茶店で携帯のニュースをみたら、単身世帯で亡くなった場合、親しい友人でも死亡届を出せない」という記事を目にした。
日本の社会制度はいまだに血縁と家制度を前提に組み立てられている。けれど実際の社会はもう、そこから大きくずれてしまっている。

侯孝賢が40年前に撮った「当時の台湾の日常」は、僕の子供時代と重なりながら、同時に「すでに失われたもの」として迫ってきた。そしてそれに代わる新しい共同体のかたちを、僕らはいまだに設計できていない。そんな複雑な思いを抱えたまま、映画を見終わった。

ノンタ
Mさんのコメント
2025年8月23日

私も1回だけ台湾に行ったことがあるのですが、確かに「居心地のいい国」でした。

M