「台湾の若い時代を切り取った秀作」冬冬(トントン)の夏休み あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
台湾の若い時代を切り取った秀作
ホウ・シャオシェンと、この映画にも役者として出演している映画監督エドワード・ヤンは実は同じ年の生まれである。(1947年)
この二人の優れた映画監督は、日本統治が終わった後の台湾の、世界史上類を見ない奇怪ともいえる政治的流転、経済発展、社会の変容を、あたかも同時中継するように映画で発信してきた。主として80年代はホウが、そして90年代はヤンが。活動時期がずれているため二人がリレーしているような印象だが、共にターゲットとして捉えたのはトントンの、つまり70年代生まれの現在、50歳前後の世代である。
視点人物は小学校を卒業したばかりのトントン。でも原題は「A Summer at Grandpa's」でありキーパーソンはトントンの外祖父(母方の祖父)である。医師で町の重要人物。この映画は外祖父が統べる家父長制が緩やかに解体する様を描いている。彼は、自分の息子(トントンの叔父)が恋人を妊娠させ勝手に結婚してしまうことを最初は許さない。トントンや妹のティンティンに対しても峻厳な態度をみせる。だがいろいろな騒動があった末、息子は許されて所帯を持つこととなるし、トントンとティンティンはおじいちゃん、おばあちゃんに気持ちよく送られ台北に戻っていく。イエは、核家族単位に分離されていくのである。一方、町として抱える「問題人物」である寒子についても優生思想的な処分をしようとする話から、そのままで地域で共生する方向に落ち着いていく。これも社会の変容を表している。
1984年の作品である。冒頭に「日本のディズニーランドへ行く」というトントンの友達の発言があるため(東京ディズニーランドは1983年開園)同時代を映画化していることが分かる。当時は蔣経国総統時代で総統直接選挙を含む民主化まではまだ遠かったが、地方でもすでに改革は始まりかけていた。台湾の若くそして希望に満ちた未来をこの映画は予見しており眩しいまでに光溢れるトーンはそこに由来する。
ところで、この映画を日本における「少年時代」と並べ同一化する向きがあるがそれは全く違う。
もちろん時代も場所も全く異なるのだが、それ以上に、少年時代(特に漫画)が子どもたちの世界に権威主義的な規律と順位付けが暴力的に持ち込まれる話であるのに対し、本作は個人を重視した相互理解と和解が平和にそしてとても明るく語られる。田園の風景が等しく、美しく描写されているからといって一緒にしては駄目。
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