「いつか見た風景」冬冬(トントン)の夏休み Kさんの映画レビュー(感想・評価)
いつか見た風景
冬冬の夏休み
小学校を卒業し、秋から中学校へ進学する冬冬。少学生最後の夏休みを母方の祖父母の田舎で過ごすことになる。最初は、冬冬がゴムが切れたハイソックス(病気の母は気づいていないのか?)に靴を履いていて、田舎の子らはビーサン。仲良くなると、冬冬もビーサンになった。田舎の子がラジコンカーに興味を持っても、のちに予測不可能な動きをする亀と遊ぶようになる。思春期の入り口の冬冬は、大人の世界を否が応でも見ることになる。観る者に、なんとも切ない思いにさせられる。どうしても、主人公の冬冬に感情移入して観てしまうが、妹の婷婷や寒子にも感情移入させられた。冬冬お兄ちゃんたちの仲間に入れてもらえない婷婷が、同じように誰にも相手にされない寒子との心の交流が観る者の胸を打つ。寒子は障害がある女性として描かれているが、婷婷を危機一髪助けるシーンや、婷婷と一緒に寝た後の母になれなかった寒子が婷婷の髪にふれる優しい仕草のシーンは心がゆさぶられる。婷婷との心の結び付きがあるからこそ、婷婷との別れのシーンでは、別れの場に見送りに行きながら、婷婷の声をあえて聞こえないふりをして台北へ送り出したと思う。ここも、切なく泣けてくる。
誰もが通る無邪気な子供時代。心も身体も少しづつ大人になりつつある時代。
どこか懐かしく、自分自身のほろ苦い記憶を呼び覚ましてくれる映画でした。
以下は、私の妄想です。
冬冬は、子供のままいたいので、亀と遊んだり川遊びや木登りをしつつ、母のことを誰よりも心配しています。
婷婷は、自分自身をGirlではなくLady だと思っているので、麦わら帽子を被り、携帯扇風機をどこへ行く時も持っています。また、大事な扇風機を怖いしキライな亀とは交換しません。さらに、男の子のようにハダカになって川で泳ぎません。パンツもお気に入りのものしか穿きません。
冬冬 婷婷 寒子のその後の人生の妄想
冬冬は、兵役を終えた後、アメリカへ留学してハーバードメディカルスクールを卒業して、母と同じような病気に苦しむ人を救う為に台北大学医学部附属病院で医師とし活躍しています。
婷婷は、大きくなって、あの夏の日の寒子の思いを理解するようになって、イギリスのオックスフォード大学医学部へ進み、寒子のような病気の人の研究をしています。いずれ、台湾へ戻って寒子の治療をしたいと思っています。
寒子は、寒子のことをすべて受け入れて愛してくれる男性が現れて結婚しました。穏やかに暮らしています。子供が欲しいと思っていますが心配です。婷婷が台湾へ帰ってきたら再会を楽しみにしています。
私は、妹と弟のいるお兄ちゃんです。なので、冬冬の気持ちが痛いほど分かります。2階の廊下で滑って遊んでいても、おじいちゃんが睨むのは冬冬なのです。おじいちゃんから見れば、冬冬も秋から中学生で、大人として接しようと漢詩を読ませてたりしているのですが、冬冬は母が恋しい子供なのです。私の 子供は、息子だけです。
寒子は、みんなが思っている以上に感情豊かな女性なのだと思います。亡くなった鳥に対してあのように泣けるのは正常な精神なのです。別れの日、それだけに、婷婷の声に反応すれば、寒子も婷婷も別れが辛くなるので、寒子は遠くから婷婷の顔だけを見て振り向かず去っていくのだと思います。きっと泣いていると思いたいです。(映画にそのような暗示はありませんけれども)
大人になった婷婷は、その様な思いで見てくれていた寒子に本当の母以上の愛を感じることと思います。
冬冬は長男なので、なんでも自分が一番で育ってきたのです。それが急に『お兄ちゃんなんだから』となるわけです。病院でお母さんに『なんでも妹に譲るのよ』と言われていたと思います。そういう譲って守らなけばならない妹は邪魔な存在なので男の子集団に入れたくないのです。
精神的には、婷婷よりも冬冬のほうが幼い子供なのです。
わがまま勝手な私見です。
どうぞ、お許しください。
私はあの女性が鳥を抱いて大声で泣いていたシーンが忘れられません。
台北へ送り出した場面は、聞こえてたのに聞こえなかった振りをしてるとは考えていませんでした。そんな考えもあるんだと思いつつ読ませていただきました。
冬冬くんは、(多分あの年頃の男の子にはありそうなことではありますが)どこか(特に妹に)冷たすぎて、なかなか受け入れられませんでした。