トレインスポッティングのレビュー・感想・評価
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作品に詰め込まれた「戻る」演出が面白い。
○作品全体
この作品は「戻る」に溢れた作品だ。
大筋の物語を辿ってみると、そこにあるのは「クスリに戻る」、「仲間のもとへ戻る」。ヤク禁をしても、まっとうな職についても周りから指を差される環境へ戻っていく。この作品を見ているとその戻り様にもどかしさを感じるのだが、その一方でそのもどかしさがやけにリアルで、自分にとっては別世界のストーリーの中で共感する部分がいくつもあった。
こっちへ進めば成長の兆しがあると分かっているのに、楽な方を選択してしまうもどかしさ。戻り続ける自分はそのままに世界は変わっていくところもそのもどかしさに拍車をかける。劇中でレントンとダイアンが話していた世界の変化は、自分の世界にとってはそこまで大事件ではないものの、間違いなく影響を与えている。その表現の塩梅が絶妙だった。
映像演出面での「戻る」は、やはりファーストカットとラストカットだろう。
この作品のファーストカットは画面奥へ走っていくレントンの足元のカット。そしてラストカットは金の入ったバッグを手に手前に歩いてくるカットだ。
奥へと乱暴に駆け出していったレントンが、ラストカットで画面手前へ戻ってくる。
「今」を重視し「老い」を侮蔑するレントンが、「寿命を勘定して」過ごそうと変わろうとしている。尖った生き様をしようと突っ走っていったレントンが普通の生き方をしようと理性的に歩いてくる...まるで普通の生き方から必死に外れようとしていたレントンが、その輪に戻ってきたかのようだ。
ラストカットのレントンのセリフ、「これを最後に足を洗ってカタギの暮らしをする楽しみだ。あんたと同じ人生さ」とメタ的に話すところも面白い。画面手前へ向かってくるからこそ意味が強まるセリフ。個人的にはごく一般的な人間である自分の元にレントンが近づいてきたような印象が残った。必死にレントンは遠ざかろうとしていたのだろうけど、戻ってきてしまった...そんな印象。
人物の映し方、そして歩かせ方から伝わる「戻る」の演出。ファーストカットとラストカットは特にその表現が素晴らしかった。
そのほか、レントンの芝居には「戻る」という芝居が多かった気がする。ダイアンをナンパした時、ベグビーが競馬で騒ぐのを廊下で聞いた時、終盤のシーンでベグビーからタバコを要求された時...物語の分岐点では特にそういった芝居が目についた。
刺激的なシーンが多い作品だけれど、根本にあるのは突拍子のないものではなく、「戻る」という感情。戻っているのだからその変化は目に付きにくいけれど、戻っている間にも世界も自分も変わり、過去とは違う何かであるのは確かだ。
『トレインスポッティング』は、その微妙な変化をビビッドに映し出した作品だった。
○カメラワークとか
・カメラの置く位置が面白いカットがたくさんあった。便器の中、カーペットに沈んだままの主観視点、ラストシーンの90度傾いたカメラのカット。どれもテンポの良いカット割りが上手く効いてた。
・大自然を堪能しに行く四人のシーンはどれも構図が良かった。手前の電車が過ぎて映るバラバラの方向を向いた四人のカットは、それぞれが違うトラブルに遭ったけれど同じ結末(女難)を辿っている四人に絶妙。四人のバックショットと山、というカットも良かった。曇り空がいい感じに虚無感を孕んでた。
・影と色の変化で魅せる演出が良い。終盤、暴れるベグビーを背に映すレントンの半分影に埋まった表情が印象に残った。友人への裏切りの感情を抱えたレントン。このカットがバッグを攫うところへ繋がる。
○その他
・『木更津キャッツアイ』っぽい。いや、『木更津キャッツアイ』が『トレインスポッティング』っぽいんだけど。『木更津キャッツアイ』のうっちーはもうそのまんまスパッドって感じなんだなあ。モヒカンっぽい髪型、キョドリ具合、表情の作り方、時たまマトモなことを言う不思議空気とか、まんまだ。
観終わると、粗雑さが感染ってた
オシャレな先輩が「この映画はいいぞ」と言っていた本作を、20年後にようやく観ることできた。 へぇー、こんな映画だったんだ、、、。まあ期待値MAXで観たら渋くなるのはしようがない。 確かに音楽は引っ掛かったものがあったな。かっこいい! しかし、 「だらしなさが感染る映画」、、です。 お気をつけて。 (冒頭部のトイレでのシーンは吐きそうになった。。)
A Tale of a Hustle to Escape Euro Misery
Trainspotting has reached antiquity and still stands as the stylish film it was. As much a drab portrayal of the Scottish low-life, it's also a considerably convincing education piece against heroin abuse. Gross-out squibs aside, its script is highly poetic and well-transcribed by Boyle's filmmaking, who established himself as a leading auteur here. The soundtrack adds additional nostalgia.
だから僕は、人生の節目を迎えたとき、なんとなく本作を見る。シーンとともに、記憶がドッと溢れ出す、そんな類の作品。
「未来に何を選ぶ?」。レントンはタバコやら財布やら、ポケットの中身をボロボロ落とすのも構わず走り、画面越しの僕らに問いかける。僕が本作を初めて鑑賞したのは、就職活動を控えた大学3年生のときだった。 あのころの僕は、未来に何を望み、何を選ぼうとしていたのだろう? 手際よくヘロインを摂取し春の雪崩のように堕落していくレントンたちを「こうはなるまい」と嘲笑する一方で、彼らが茫漠たる不安にまとわりつかれる姿に、自分自身を重ね合わせていたのかもしれない。 「未来に何を選ぶ?」。その問いは、当時の僕の致命的な部分に届いたばかりか、今もなお頭のなかでリフレインし続けている。 レントンを筆頭に、登場人物たちはクソみたいな日常を脱するべく、破滅という名の救いを求める。酔っ払うにもラリるにも金がいる。しかし1秒たりとも働きたくない。いかに楽に稼ぐか、いかに国家にタダ乗りするか、いかに手っ取り早くトリップするか。それだけが彼らを取り囲む日常だ。シンプルでクリアな世界。退廃的で甘美な地獄。 スパッドが失業手当で暮らすため、面接で「就職しちまわねえように」荒唐無稽の戯言を繰り返す。レントンが“スコットランドで最悪のトイレ”に頭から潜り込み、アヘンの座薬を探し出す。レントンがバッドトリップし、かび臭そうなカーペットにズブズブと沈んでいく。 しかし若者たちは、宿命的な絶望から逃れようともがき、のたうつ。「未来を選べ 人生を選べ」「こんな国クソッたれだ! 最低な国民 人間のカスだ」「生きていくのさ 未来を見すえて 死ぬその日まで」。そうして物語は、なんとも言えず爽快な結末へと疾走していく。 こんなことを言ったら「甘えんなボケ」と怒られるが、大学3年生の時の僕は、できれば働きたくなんかなかった。就職活動なんてしたくなかった。森見登美彦やヘルマン・ヘッセの言葉をまんま借り「詩人か、高等遊民か、でなければ何にもなりたくない」とつぶやく、そんな痛いタイプの学生だった。 しかしレントンの決して器用ではない生き様と、破れかぶれとも思える決断を見ていると、僕の悩みなどとてもちっぽけなものに思えた。鑑賞する間、ふわふわとした浮遊感に包まれ、不思議と頑張れるような気がした。もちろん、この物語はシニカルなメッセージを投げかけてもいる。でも本作は僕にとって、“何か”を埋めてくれた大切な作品なのだ。 だから僕は、人生の節目を迎えたとき、なんとなく本作を見る。誰かにとっての「ニュー・シネマ・パラダイス」が、僕にとっての「トレイン・スポッティング」。シーンとともに、記憶がドッと溢れ出す、そんな類の作品。 コロナ禍により自宅を出ずに過ごす2020年4月某日、何度目かわからない鑑賞を終えた。「未来に何を選ぶ?」。レントンの言葉が、また身体の奥深くに染み込んできた。ここにある“現在”が、すぐそこにある“未来”をつくる。世の中はこんな状況だけれども、不思議と、また頑張れるような気がしてきた。 この映画は、見る者に勇気をくれる。次に本作を見るときは、僕はどんな未来を選び取っているだろう。
”クール・ブリタニア”を決定づけた一本
公開は96年、しかしこの物語の舞台は(一説では)80年代の終わりと言われる。つまりサッチャー政権による経済政策のあおりをモロに食らった年代。社会保障は切り詰められ、国営企業は民営化され、格差はますます拡大し、まさに人々は冒頭で吐き出されるレントンの「choose」スピーチそのままに、日常生活や人生の全てを自己責任で選択しなければならなくなった。
本作はよく「時代を変えた」と言われるが、ドラッグをめぐる快楽主義をブリット・ポップに乗せてテンポよく紡いで見せるスピード感、リズム感は今見ても全くもって色褪せない。この類稀なるセンスとともに、限られた予算の中でスタジオのセットを多用し知恵と創造性を存分に絞り出したことも大きかったに違いない。
やがて一人で旅立つ主人公。善悪の価値基準なく、信じるものも、仲間の後ろ盾も全くない。彼らは「瞬間」を生きている。その意識の流れが「born slippy」の調べと相まって、何度見直しても、今なお極上の陶酔を生み出してくれる。
ドラッグ中毒者視点の映像が面白い
中盤のロンドンの風景や、容姿端麗なダイアン(ケリー・マクドナルド)の見た目、主人公レントン(ユアン・マクレガー)の言動が今作の良いところであり好きなところです。 下半身に関することもしっかりやってくれるので満点にしたかったのですが、推したくなる要素を見出すことができず、円盤やグッズが欲しくなるほど氣に入ったというほどではなくて70点くらい(☆3.5)になりました。
トイレのタバコの臭いに満ちた映画かなと
この御時世の話ではないが、巷間問わずタバコが悪役になって久しいのではないか🤔 昭和の世界はテレビからタバコのCMがジャンジャン流れ、どのエンタメ媒体にも喫煙者が存在してたし公共機関や道端問わず喫煙者はタバコを燻らせていたもんだ🚬 大人の嗜み、不良のマストアイテム、酒と男と女がプラスされればムード歌謡は無敵を誇った時代があった😌 マ王もその昔、1日3箱のメガスモーカーで「マ王の人生はタバコと共にある」とまで思っていた😅 根拠としてマ王は禁煙が下手クソだったのである🌀←止めたいとは常日頃思ってた 48時間以上我慢が出来ないのに加えてニコチンパッチを貼りニコチンガムを噛みながらタバコを飲むほどのニコチン中毒者だったからだ😫 その転機はある日突然訪れた⚡ マ王、脳梗塞で倒れる😱 当然の身体麻痺と両腕から伸びた点滴のラインに拘束され且つ病院内禁煙の縛りルールもあり、約1年の入院の後は見事にニコチンからの離脱に成功していた✌️ 他力本願的な方法でしかマ王はタバコを止めれなかったが、結果は禁煙に成功し健康な身体?と生活を維持してるのが進行形だ😁 「トレインスポッティング」の主人公がドラッグからの離脱に苦しむ(まぁ諦めてるフシもあるが)気持ちをマ王はとても理解出来る✨ また映画を観て嫌悪感を持った人の気持ちも禁煙した今ならよく判る✨ この映画って何かの中毒(特定はしないけど)の最中の人、断てた人、断ちたいけど止めれない人、止める気の無い人そして人生をやり直す一発逆転を出来た人と逃した人の対比なんかも描いているから観ている側の捉え方が様々なんだとマ王は考える🥸 要は自分の成功や失敗と照らし合わせてしまう映画なんだと思うのよ😬 だからって話じゃないけど、トイレのタバコの臭いを嫌う人もいれば好きな人もいるし気にならない人もいれば禁煙中なのに吸いたくなるなんて人もいたり、そういう経験が物語の中に組み込まれているのよね😐 結論として子供が観る映画ではないわな🌀←経験が浅いから多分ピンとこない マ王なんかが観ると(禁煙出来なかったし出来たしまだ衝動は残ってるし人生色々あったし)実に面白いんだけどね😆 映画館での鑑賞オススメ度★★★☆☆ 古さを感じさせないスタイリッシュ度★★★★☆ 中毒症状再発度★★★★☆
これって稲中とか木更津キャッツアイをスタイリッシュな映像と音楽で仕上げた感じなんだよね
何を勘違いしたのか、勝手に残酷描写がエグい映画だと思い込んでおりまして、今までずーーーっと避けてきた作品なんです。 つい先日、物のハズミで友人から「全然違ーう!」と教えられ、「なら見る!」という流れになりました。 主演はユアン・マクレガー(1971年生、公開時24歳)。 それすら知りませんでした。 公開当時バカみたいに流行った作品ですが、超有名なキービジュアルも、ひたすら目を背けてきたのです。1ミリも心を向けて来なかったのです。 おおむね同時期のユアン・マクレガー作品『ブラス!』(1994)はマイベスト映画にランキングされているほど好きなのに…。 本作もイギリス映画ということですが、舞台のほとんどがスコットランドということで、私の中ではスコットランド映画に認定! 『ブラス!』と同じくイギリス(ブラスはイングランド、トレスポはスコットランドだけどね)の斜陽を取り扱った作品ですよね。 共通点の多い2作ですが、トレスポは残念ながらまっっったく響かなかった…。 日本には欧米のようなドラッグ文化が根付いていないというのもあるのでしょうが、それを差し引くと、トレスポって要するに稲中とか木更津キャッツアイみたいなノリをスタイリッシュな映像と音楽で仕上げた感じなんですよね? 私、稲中も木更津キャッツアイもまったく波長が合わないんです。 トレスポも見てみてつまらないから(あくまで個人の感想)びっくりしました。 これだけ大流行した作品がこんなにつまらないはずがないと思い、2周目も頑張って見てみましたよ。英語がわからないので自信ないですけど、多分これ登場人物たちスコットランド訛りがありますよね。そういうノリっていうか、当時のイギリスの地方でグダグダやってる怠惰なヤンキーたちの青春ドラマですよね。 意味がわからないのではないのです。時代背景とか、お国柄とか、文化の違いも多少はわかるのです。ただ単に、これっぽっちも響かないのです。映像表現も音楽も登場人物たちの振る舞いも。 私にとっては、超偶然でナチュラルに30年近く熟成され、また偶然に封印を解くに至った奇跡の映画だったのですが、残念な結果となりました…。
90年代の空気感
ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ、パルプフィクション、フォロウイングなどと近い90年代の独特の空気を感じた。 どの年代でもその時代の空気感を感じる事が出来るのが映画の魅力。 今では感じることの出来ない90年代の無気力な空気感を感じた。 スマートフォンは現代劇に魔法を持ち込んでしまった。
走れユアン‼️
とにかく公開当時のこの作品の反響は凄まじかった‼️普段、映画をあまり観ないような奴まで「カッコいい」「クールだ」とか連発してたし、アンダーワールドのファンになったりしてた‼️実際、親世代が「アメリカン・グラフィティ」に熱中してたように、我々の世代の青春というのは「トレインスポッティング」に代表される、薬物中毒のイギリスのジャンキーたちの方がリアリティがあったのかもしれません‼️仲間たちと愉快ででたらめな日々を過ごしているヘロイン中毒のレントン。せっかく仕事を見つけても、仲間たちのせいでクビ。そんな時、売人から大量のドラッグを売りさばく仕事を持ちかけられる・・・‼️とにかく、ダニー・ボイル監督の映像と音楽のセンスがバツグン‼️公開から30年近く経っても決して色褪せていないと思います‼️いきなり全力疾走するユアン・マクレガーのドアップに始まり、車にぶつかりながら街道を並走する圧巻のカメラワーク‼️ユアン・マクレガーがクソまみれの便器に吸い込まれて水中を泳ぐシーンや、ヘロインを打った後に地面に落ちて吸い込まれていくシーンに代表される幻覚症状の斬新な映像‼️「1000年後には性別もなくなる、大歓迎だ」といったメッセージ性が豊かで、どこか詩的なセリフ‼️アンダーワールドの「ボーン・スリッピー」やイギー・ポップやルー・リードらによるクールな音楽‼️そりゃ、サントラ売れるわけだ‼️ユアン・マクレガーの魅力はもちろん、友人役のロバート・カーライルの凶暴性、ヒロインを演じるケリー・マクドナルドもホントにイカしてる‼️すべての面で一瞬たりと目が離せない傑作なのですが、今の時代に観直すと映像や音楽のスタイリッシュさはもちろんなのですが、この作品の本質が浮き彫りになっていてヒジョーに興味深いです‼️それはつまりドラッグ中毒の迫真性がトコトン追求されているところですね‼️映像も荒涼としてます‼️ジャンキーの母親にネグレットされて、ベビー・ベッドの中で干涸びて死んでしまう赤ちゃんとか、注射器からHIVに感染した顔がカサブタだらけのジャンキーとか、ホントに恐ろしすぎます‼️
今の時代で見ると価値観の違いで評価は割れそう
今年157本目(合計1,249本目/今月(2024年4月度)31本目)。 (前の作品 「メメント」→この作品「トレインスポッティング」→次の作品「ヘレディタリー 継承」) 新テアトル梅田(旧シネリーブル梅田)で、旧テアトル梅田(現在は閉館)の人気作品の復刻上映という扱いで見に行ってきました。1995年の映画だそうです。 個人的には他の方も書かれている通り、(演技であるとはいえ)コカイン中毒などの描写が生々しいので、「薬物はダメですよ」という学習映画的な意味合いも多少はあるのかな…と思ったものの、ミニシアターが中心であったであろう本作品(新テアトル梅田もミニシアター)でそういうのは難しいのかな…というところがあります。 個々、ことわざや格言を持ち出して何の説明もなく進むところがありますが、どうも原作小説からきたらしく、その部分まで完全に理解するにはかなりの知識を要するのかな…というところです。 結局のところ、日本ではこうしたコカインやらヘロインやらこういったものは厳しく規制されますが、いわゆる「薬物中毒でよくあるもの」として描かれているあたり、このあたりは国は違ってもだいたい同じで、映画としても国は違っても言いたいことはだいたい理解できるし、多少字幕が丁寧ではないかな、といったところはあるものの復刻上映なので仕方なしかなといったところです。 なお、上述通り原作小説があるので知っていれば有利であろうとは思うものの、アマゾンなどでみても特段高騰しているわけではないのですが、お届けまでに2か月とあったり品薄なのか流通数が少ないのか、現在(新たに)入手するのは難しいのかなといったところです(大阪市の一般的な書店のオンライン検索では在庫なしの扱い)。 採点に関しては特に気になる点までは見出せなかったので(コカインだのヘロインだの、一部のアダルトシーンなど、R15であることも考慮して)フルスコアにしています。
ファンが多い理由もわかるが
前半までは若者に薬物防止に見せるといいんじゃないか、と思うくらい薬で破滅していく主人公達。 レントンだけ更生してからも友達が転がり込んできて地元の友達の悪質さがよくわかる。 最後の逃亡は気持ちいいような後味悪いような。 作品全体に絶望感が漂っていてファンが多い理由もわかる。主人公グループが貧困やら家族不全など起こしてないあたりも話が暗くなりすぎなくていい。 ただ、面白いかと言われると特に面白みを感じる部分もない気もする。
ドラッグ中毒で、社会の底辺にすむ青年の物語。なにも学ぶものがなかった。
薬物依存の主人公
断薬に挑むが一日も続かない
いろいろあって、家族が断薬に協力し
見事に薬を断ち切る
って書くと、良いお話に感じるが・・・・
作品自体は汚いし、下品だし
たぶん、もう見ないと思う
続編があるようだが、興味なし
当時のイギリスの社会問題に切り込んでるとしても
もっと違う表現があるだろう
って思っていたら
皆さんの評価が結構高くてびっくり
俺、理解力が足りないのかな?
自分の感想としては
・同じ、ドラッグ中毒の主人公を扱っていて
・同じ、イギリスの映画なら
『ボブという名の猫 ~』
の方が良かった
脳みそ溶けてる
若きユアン・マクレガーはかわいい。が、内容はヤク中の青年の話なので、興味も共感も持てない。その時代の空気を描いたという意味では、価値があるかもしれない。あと、薬のためにはどんな汚いことでもできるんだー、って勉強になった。赤ちゃんの世話もどうでもよくなっちゃうし。こうやって人間を辞めていくんだね。 BS-TBSの放送を録画で視聴。
"Choose Life"を笑い飛ばし破滅に向かって暴走する危険でポップな青春
1 "Choose Life"とは何か 映画の冒頭、主人公レントンは”Choose Life”に対する皮肉と嫌みの言葉を洪水のように吐き出し、「そんなもの、俺は御免だ」と宣言する。そして同じ文句のアドリブがラストでも繰り返される。つまり、これが映画を貫くテーマである。 この"Choose Life"とは、1980年代の英国政府によるアンチドラッグ・キャンペーンのキャッチコピーで、日本語にすれば「死ではなく生を選べ」=「死ぬな。生きろ」である。 日本でも「覚醒剤やめますか?それとも人間やめますか?」なるコピーが1980年代に盛んにTV等で放送されたが、その文脈では「人間やめるな」ということだ。 字幕では「人生に何を望む?」などという頓珍漢な翻訳がされており、ネットには「人生を選べ」「生き方を選べ」などと訳しているサイトもある。しかし、それではレントンがこのコピーを茶化して、小馬鹿にする文句が生きてこない。残念ながら原語を聴き取れないので、原作を紹介すると、次のようになる。 「生を選べ。ローンを背負った生を選べ。洗濯機を選べ。車を選べ。ソファに座り、ジャンク・フードをほおばりながら、退屈で気が滅入るクイズ番組をながめる暮らしを選べ。自分が産んだ、わがままでバカなガキどもにとっては居心地が悪いだけの家庭で、自分を呪いながら朽ち果てる生涯を選べ。生を選べ。/だが、俺は生を選ばないことを選ぶ。それを認めないと言うなら、それはやつらの問題だ」 つまり、ここでは「生きろというが、生きたってローンを背負ったり、洒落た車を買ったり、退屈なTV番組を見るだけの話じゃないか」と、ろくに選択肢のない社会を皮肉っているのである。 ところが「人生を選べ」と訳す場合、いろいろな人生の選択肢があるという前提になり、その後に続く否定的な人生が直接つながらないし、最後の「選ばないことを選ぶ」も選択肢の一つに過ぎなくなるから、皮肉が成立しないだろう。 そこで原作のこの部分を意訳すると、こんな感じだろうか。 <生きろだって? そりゃ、あんたたちが毎日やってるように、死ぬほどどうでもいい日常の細々したことにかかずり合って、バカな他人と調子を合わせ、愚かな自分のDNAを再生産しろってことか。そんなこと、金輪際お断りだ! 俺は「生きねえ」よw> ま、そんなことを言っている訳だ。別に「自殺する」という明確な意志表示ではないにしても、「人生などどうでもいい」という態度――それは別に新しいことでも何でもない。今も昔も若い頃には誰だって、そんなことを考えたりするものじゃないか。 例を2、3挙げようか。 1)P・タウンシェンドの場合 大人の奴ら俺たちをこき下ろそうとしやがる ただうろついてるってことだけで 奴らのやることなすこと全部クソ寒くなる 歳なんてとる前に死んじまいたいね これが俺の世代だ (『マイ・ジェネレーション』) 2)D・ボウイの場合 さて、ビリーは一晩中、自殺について喚き散らした 25歳になったらどうやって一発ぶちかますかを 覚醒剤とマリファナでね 25歳じゃ生きていたくもないだろうさ (『すべての若き野郎ども』) 3)T・S・エリオットの場合 なぜなら、僕はもうすっかり知っている、すっかり知っている―― 夕方も、朝も、午後も知っている、僕はコーヒーの匙で自分の人生をはかりつくした はてさて、それだけの値打があるだろうか、わざわざやるだけの値打が、 日暮や前庭や水を撒いた大通りのあとで、小説のあと、お茶のあと、床をひきずるスカートのあとで―― さらに、あれやこれやたくさんの?―― 赤や茶いろの海藻を巻きつけた海の魔女たちのそばにいて 僕たちは海の部屋でだらだら長居をした 人声が呼びさましたとおもったら、僕たちは溺れてゆくのだ。 (『J・アルフレッド・プルフロックの恋歌』) 2 明日なき暴走 ボウイは晩年、禁煙して健康維持に努め69歳まで生きた。エリオットは76歳まで生きて『キャッツ』なんてのも書いた。 本作の原作者アーヴィン・ウェルシュも今年で御年65歳である。『トレインスポッティング』でブッカー賞を獲った時だって、もう35歳になっていた。 そりゃ慶賀の至りではあるが、若い頃には社会の権威や良識に反抗し、世の中に背を向けて人生をないがしろにしたり、死を夢想するのはありがちなことで、彼らは現にそうしたのだった。ロマンティックな自殺願望、あるいは生の蕩尽への意志は若者の特権と言っていい。 本作に登場する若者たちは、別に自殺しようとしているわけではないが、長生きしてもろくなことはないとも思っている。だから未来など毛頭考えず、ひたすら現在の快楽追求に没頭する。サッカー、ロック、喧嘩、セックス、アルコール、そしてドラッグであり、それらを手に入れるための窃盗、詐欺、恐喝、売春等々の犯罪である。 特にドラッグは依存性が高く心身に大きなダメージをもたらすものが多いし、ヘロイン等には注射針を通じたエイズ感染という副産物もある。エイズは1980~1990年代には致命的な病気だったから、死刑宣告みたいなものだ。その意味では彼らが行っていることは、ブルース・スプリングスティーンではないが「明日なき暴走」と呼ぶに相応しい。 そこにはロマンティックな自殺願望などとはケタ違いに大きな危険が潜み、未来はもちろん生命さえ奪われかねない。半端な覚悟で出来ないことは確かであり、だからこそ怖いもの見たさ半分で小説を読み、映画に見入ってしまう。 しかし、見ていると、そこにあるのはおよそ「覚悟」などとはほど遠いポップな冒険とポップな危険の受容であり、「生」が限りなく軽くなっていく感覚ではないか。良くも悪しくもそのポップさが時代感覚だったろうし、ウェルシュの新しさだったのだろう。 暴走の果てに仲間さえ裏切ったレントンは、もはや元の場所には戻れない。あの日々も終わりだ。レントンの最後の述懐を見てみよう。 映画では「俺は悪い人間だが、これを最後に変わろうと思う。足を洗ってカタギの生活を送る。あんたと同じ人生さ。楽しみだ」と語る。ところがその内容は、冒頭で彼が皮肉った日常の些事で埋め尽くされている。 原作はどうか? 「あの場所にいれば、いまの自分以上の自分にはなれない。すべてから永遠に解放されたいまなら、なりたかった自分になれる。すべては彼自身にかかっている。不安でもあり、楽しみでもあった。レントンは、アムステルダムで始まる新しい人生をまっすぐに見つめていた」 映画よりは前向きな表現とはなっているものの、そこには未来を楽しみに感じさせる何ものも書かれていない。 映画、小説ともに、彼が前向きにlifeをchoseしたとは誰も思わない。明日なき暴走という人生の一つの季節に限界を感じ、変えたかったということだろう。その一季節を描くのが本作のテーマに他ならない。 3 政治経済的な背景 1)サッチャーへの不満と怒り 登場人物がドラッグにのめり込む主な理由は、若さゆえの生の蕩尽への意志である。しかし、それとは別に社会的、時代的な原因もあると思われる。 原作にはこんな一節がある。 「労働党が今世紀中にまた政権を握る可能性なんかあるわけない。それから、もし万が一政権を握っても、何一つ、ほんのちょっとだって変わるわけない」 1997年5月総選挙では労働党が勝利しブレア政権が発足したし、1992年の事実上のポンド切下げ以後、英国経済は成長軌道に乗り、その後、同国近現代において最も長い16年もの持続的成長を記録するから、政治経済的にはこの予測は間違っていたわけである。 それはさておき先のセリフから窺えるのは、1979年5月~1997年5月の18年間も続いた保守党政権、なかんずくサッチャー政権に対する不満や怒りである。 原作には政治家の名前はほとんど出て来ないのだが、何故かサッチャーだけは2回も登場するのだ。その一つ。主人公は兄ビリーの葬儀後、兄嫁とセックスして、次のような感想を抱く。 「ビリーにはあまりにももったいない女だ。いや、マイラ・ヒンドリーだってマーガレット・サッチャーだって、あいつにはもったいないくらいだ」 マイラ・ヒンドリーは全英最凶の女と呼ばれた連続殺人鬼である。 2)サッチャー政権の行ったこと サッチャー政治の基本スタンスは、①経済活動に関わる規制をできるだけ除去しようとする経済的自由主義、②モラルや規範の領域への国家介入を是認する社会的・文化的介入主義だった。 経済的自由主義による影響は、業種や階層によってさまざまに異なる形で表れた。 その一つ、「ビッグ・バン」と呼ばれる金融自由化政策は、証券・金融市場を海外へと解放して、海外の投資を呼び込むのが狙いだった。これにより実際、海外から投資が増え、金融やサービス業にヤッピーが急増する。 他方、こうした金融業界の重視と北海油田による税収増は、急速な脱工業化を伴った。金属、機械、化学等の伝統的な産業部門は急速に縮小。それらの地盤であるスコットランド等には失業が直撃し、1993年には男性失業率が戦後ピークの12.3%に達した。 この結果、サッチャーが福祉削減政策を取ったにもかかわらず、失業者の増大により、手当の受給者は120万人(1979)から303万人(1990)へと2.5倍に増えている。 『トレインスポッティング』はまさにこの時代を舞台にしており、地元スコットランドではろくに仕事がなく失業者が溢れ、ロンドンに行けば金融・サービス業が好況で稼ぎたい放題という業種間・地域間格差が描かれている。 3)福祉国家の弊害とサッチャーの功罪 映画ではスパッドがスピード(覚醒剤)をキメて就職面接を受け大チョンボするシーンがある。これはサッチャー政権下の社会保障法改正(1988)で、失業者が手当を請求する条件として「仕事を探している」ことを示す義務を負わされたから、面接に行かなければならなくなった顛末を描いているのである。 しかし、本気で就職する意思がないと判定されたら手当は打ち切り、逆に採用されてしまっても打ち切りであるw 小説によると、内心では「俺にとっちゃ、ひでえ災難だぜ。仕事なんか、いらねえってのによ。悪夢だ」(レントン)、「いまのとこ、失業手当もらってる方が幸せなのになあ」(スパッド)と思っている。 おまけにレントンは地元エディンバラだけでなく、ロンドンも含め計5か所で失業手当を受け取って、荒稼ぎしたカネをせっせとヘロインに注ぎ込んでいるのだから始末に負えない。 英国は階級社会だが、こうした脱工業の中で職を失い長期的な福祉給付への依存に陥った人々は、「ワーキングクラス」ではなく「アンダークラス=底辺層」と呼ばれる。レントン、シック・ボーイ、スパッド、ベグビー全員が社会の底辺層の人間だから、福祉抑制策で自分たちの生活やドラッグの資金を削ったサッチャーに怒りを向けたのだ。 依存文化にどっぷり浸かった人々は怠惰に流れるばかりであるから、経済成長の担い手になれない、レントンたちのようなろくでなしに福祉給付でヘロインを射たせるようなバカな政策はやめろと、福祉抑制に乗り出したのがサッチャーである。その点に関しては、サッチャーの方が正しいに違いない。 しかし、産業構造が第二次産業中心から第三次産業中心にシフトする中、その煽りをくらった階層への福祉切り捨てというダブルパンチを見舞った点から見ると、レントンたちの「人生に選択肢なんかろくにねえじゃねーか」という怒りももっともということになる。 そもそも"Choose Life"したくない連中を増やしたのは、サッチャーだったんじゃないか、ということだ。功罪いずれを重視するかは、見る者の立場による。 これにより保守党の新自由主義は現在に続く格差社会を招き、出口はまだ見つかりそうもない。 (注) 「3 政治経済的な背景」は次の書籍を参照した。 『イギリス現代史』(長谷川貴彦 岩波新書) 『イギリス1960年代 ビートルズからサッチャーへ』(小関 隆 中公新書)
「本当の自分」にたどり着くことは困難
スコットランドでドラッグまみれで生きる若者たちの物語。 「本当の自分」はこんなもんではなく、いまは「世のを忍ぶ仮の姿」であるとデーモン小暮閣下ばりの理屈を振りかざし、時間を過ごす若者は多い。 ただ、実際には、経済、社会、何より自分自身など、様々な問題によって、で、それを閉塞感と呼んだり、モラトリアムと呼んだりする。 そんな曖昧で、他責的で自責的な時間と空間を、ダニー・ボイル特有の生々しく、色彩の強い、時に汚い映像で描く。若かりし頃のユアン・マクレガーの、ドラッグ中毒感溢れるガリガリの身体が魅力的。
監督や制作者は麻薬の中毒の怖さとか実体験なのだろうか?
グロ過ぎる。
絶対に食事時は見るべからず。
『寿命を計算して平穏に暮らす』
こう言ったバカバカしい映画があるから『PLAN75』の様な映画を考える奴が出てくる。
この映画を肯定的でも批判的にも見て心が動いた人って、麻薬系に手を出した事あるのだろうか?監督や制作者は麻薬の中毒の怖さとか実体験であるのだろうか?
そもそも、麻薬とセックスを同一視する事自体どうなんだろう?
やはり、その考え方は男社会だからだと感じる。僕は女性てはないので、セックスのアプローチが分からないが、近年は避妊が重要視されている。この映画でも、避妊する場面がある。つまり、それは女性のセックスに対するアプローチだと思う。男女間で、物凄くエキサイトしても、避妊をしないと、女性は自分の中に子供が出来る可能性がある。だから、男と違って、アプローチする際にはどこか冷めた所があると思う。ましてや、この時代はHIVが猛威をふるっていた。だから、避妊は女性にとって必然だったはずだ。それはつまり、こう言った薬物に対しても、男よりも慎重だったはずだ。その女性と比べても懲りない軽佻浮薄な所がこの男どもにはある。つまり、この映画では、それが男全体の性分と定義していると思う。だから、自虐的男性論であれば、この映画は良いのだが、聞く話ではpart2があるそうで、多分それにはこりていないと思う。
賢明な女性の方々はこんなお馬鹿な映画は見ない方が良いと思う。時間の無駄。暴力を振るうけど、時たま優しくなる貴方の彼氏の姿を見ていた方が、将来の勉強になると思う。
やはり、平穏に暮らそう!寿命を考えてね。いつまでも若くないし、直ぐに『PLAN75』はやってくるよ。
追記
因みにイギリス経済は労働党が政権を握るくらいなので混迷を極めて、この時期が底辺だったと思う。このあと、この不況の波はアジアにも及び、最後は911が訪れるって感じかなぁ。先に少しだけ良くなったので、サッチャーのおかげとか言われていた事を思い出す。しかし、あのお姫様は離婚するし、香港は返還されるし、イギリス本当に大丈夫?なんて思われていたはずだ。
追追記
ちょっとショックなのは、あのフランケンシュタインの舞台監督って事かなぁ。やはり、男なんだね。やっている事は『東○リベン○ャーズ』と同じ。ナ○スがヘロ○ンに変わっただけである。
まぁ、脱亜入欧の日本でもそうだが、白人系の男性はモラトリアムなバカ男を描く事、飽きないよね♥
『甘えの構造』を読む事を勧めたい。
なんだこれ !!
ポップでユーモラスで破滅的で退廃的 … アクの強い映像に引き込まれた。
レントン( ユアン・マクレガー )、その後『薬』は抜けましたか ?… 家族でXmas、年金、税金控除、庭掃除…。
いやー!凄い‼︎
ー the worst TOILET in Scotland
ー あんたと同じ人生さ
BS-TBSを録画にて鑑賞 (吹替版)
生々しいドラッグムービー
序盤から、テンポよくトリップシーンが続いて、観てて飽きない。 「スコットランド1最悪なトイレ」に頭から突っ込んでアヘン座薬探すシーンやらトミーの自作ポルノやら2組のカップルのセックス談義やら… 次から次へと面白いエピソードが湧いて出てくるので、「うわぁ」と思いながらも一緒にトリップしてる感覚で楽しめる。シックボーイがキマると007の話をし始めるのもお決まりで楽しい。音楽もかこいい!! …と、「イカしてる」のは前半の話で、後半からはまさにバッドトリップ。 赤子の死、真面目だった友人が堕落→死、禁断症状… 前半より後半の方が生々しく(特に禁断症状のときの部屋での幻覚のシーンが脳裏を離れない)、悪夢を見ているかのような気分。 薬をやめて地元を離れ、まっとうな職に就いても、昔の悪友との縁が断ち切れずにまた悪い方向へと向かってしまうというのは、とてもリアルな流れだと思った。 主人公が更生しようとしたりなんだりしながらも、結局悪い方へ戻ってしまうのにヤキモキさせられる。 ラストは爽快に前を向いて終わるけど、きっと主人公はまた同じようなことを繰り返すのだろうなと思わずにはいられらない。薬から、悪友から、縁を切るというのはとてもとても時間がかかるものだから。 あとは… カーペットに体ごと埋まっていく、部屋がどんどん長く遠くなっていく、音が遠くなっていく…そういうトリップしたときの感覚をリアルに体験できるのはドラッグムービーの醍醐味だなぁと思った。映画館で観てよかった。
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