トレインスポッティングのレビュー・感想・評価
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作品に詰め込まれた「戻る」演出が面白い。
○作品全体
この作品は「戻る」に溢れた作品だ。
大筋の物語を辿ってみると、そこにあるのは「クスリに戻る」、「仲間のもとへ戻る」。ヤク禁をしても、まっとうな職についても周りから指を差される環境へ戻っていく。この作品を見ているとその戻り様にもどかしさを感じるのだが、その一方でそのもどかしさがやけにリアルで、自分にとっては別世界のストーリーの中で共感する部分がいくつもあった。
こっちへ進めば成長の兆しがあると分かっているのに、楽な方を選択してしまうもどかしさ。戻り続ける自分はそのままに世界は変わっていくところもそのもどかしさに拍車をかける。劇中でレントンとダイアンが話していた世界の変化は、自分の世界にとってはそこまで大事件ではないものの、間違いなく影響を与えている。その表現の塩梅が絶妙だった。
映像演出面での「戻る」は、やはりファーストカットとラストカットだろう。
この作品のファーストカットは画面奥へ走っていくレントンの足元のカット。そしてラストカットは金の入ったバッグを手に手前に歩いてくるカットだ。
奥へと乱暴に駆け出していったレントンが、ラストカットで画面手前へ戻ってくる。
「今」を重視し「老い」を侮蔑するレントンが、「寿命を勘定して」過ごそうと変わろうとしている。尖った生き様をしようと突っ走っていったレントンが普通の生き方をしようと理性的に歩いてくる...まるで普通の生き方から必死に外れようとしていたレントンが、その輪に戻ってきたかのようだ。
ラストカットのレントンのセリフ、「これを最後に足を洗ってカタギの暮らしをする楽しみだ。あんたと同じ人生さ」とメタ的に話すところも面白い。画面手前へ向かってくるからこそ意味が強まるセリフ。個人的にはごく一般的な人間である自分の元にレントンが近づいてきたような印象が残った。必死にレントンは遠ざかろうとしていたのだろうけど、戻ってきてしまった...そんな印象。
人物の映し方、そして歩かせ方から伝わる「戻る」の演出。ファーストカットとラストカットは特にその表現が素晴らしかった。
そのほか、レントンの芝居には「戻る」という芝居が多かった気がする。ダイアンをナンパした時、ベグビーが競馬で騒ぐのを廊下で聞いた時、終盤のシーンでベグビーからタバコを要求された時...物語の分岐点では特にそういった芝居が目についた。
刺激的なシーンが多い作品だけれど、根本にあるのは突拍子のないものではなく、「戻る」という感情。戻っているのだからその変化は目に付きにくいけれど、戻っている間にも世界も自分も変わり、過去とは違う何かであるのは確かだ。
『トレインスポッティング』は、その微妙な変化をビビッドに映し出した作品だった。
○カメラワークとか
・カメラの置く位置が面白いカットがたくさんあった。便器の中、カーペットに沈んだままの主観視点、ラストシーンの90度傾いたカメラのカット。どれもテンポの良いカット割りが上手く効いてた。
・大自然を堪能しに行く四人のシーンはどれも構図が良かった。手前の電車が過ぎて映るバラバラの方向を向いた四人のカットは、それぞれが違うトラブルに遭ったけれど同じ結末(女難)を辿っている四人に絶妙。四人のバックショットと山、というカットも良かった。曇り空がいい感じに虚無感を孕んでた。
・影と色の変化で魅せる演出が良い。終盤、暴れるベグビーを背に映すレントンの半分影に埋まった表情が印象に残った。友人への裏切りの感情を抱えたレントン。このカットがバッグを攫うところへ繋がる。
○その他
・『木更津キャッツアイ』っぽい。いや、『木更津キャッツアイ』が『トレインスポッティング』っぽいんだけど。『木更津キャッツアイ』のうっちーはもうそのまんまスパッドって感じなんだなあ。モヒカンっぽい髪型、キョドリ具合、表情の作り方、時たまマトモなことを言う不思議空気とか、まんまだ。
観終わると、粗雑さが感染ってた
A Tale of a Hustle to Escape Euro Misery
Trainspotting has reached antiquity and still stands as the stylish film it was. As much a drab portrayal of the Scottish low-life, it's also a considerably convincing education piece against heroin abuse. Gross-out squibs aside, its script is highly poetic and well-transcribed by Boyle's filmmaking, who established himself as a leading auteur here. The soundtrack adds additional nostalgia.
だから僕は、人生の節目を迎えたとき、なんとなく本作を見る。シーンとともに、記憶がドッと溢れ出す、そんな類の作品。
「未来に何を選ぶ?」。レントンはタバコやら財布やら、ポケットの中身をボロボロ落とすのも構わず走り、画面越しの僕らに問いかける。僕が本作を初めて鑑賞したのは、就職活動を控えた大学3年生のときだった。
あのころの僕は、未来に何を望み、何を選ぼうとしていたのだろう? 手際よくヘロインを摂取し春の雪崩のように堕落していくレントンたちを「こうはなるまい」と嘲笑する一方で、彼らが茫漠たる不安にまとわりつかれる姿に、自分自身を重ね合わせていたのかもしれない。
「未来に何を選ぶ?」。その問いは、当時の僕の致命的な部分に届いたばかりか、今もなお頭のなかでリフレインし続けている。
レントンを筆頭に、登場人物たちはクソみたいな日常を脱するべく、破滅という名の救いを求める。酔っ払うにもラリるにも金がいる。しかし1秒たりとも働きたくない。いかに楽に稼ぐか、いかに国家にタダ乗りするか、いかに手っ取り早くトリップするか。それだけが彼らを取り囲む日常だ。シンプルでクリアな世界。退廃的で甘美な地獄。
スパッドが失業手当で暮らすため、面接で「就職しちまわねえように」荒唐無稽の戯言を繰り返す。レントンが“スコットランドで最悪のトイレ”に頭から潜り込み、アヘンの座薬を探し出す。レントンがバッドトリップし、かび臭そうなカーペットにズブズブと沈んでいく。
しかし若者たちは、宿命的な絶望から逃れようともがき、のたうつ。「未来を選べ 人生を選べ」「こんな国クソッたれだ! 最低な国民 人間のカスだ」「生きていくのさ 未来を見すえて 死ぬその日まで」。そうして物語は、なんとも言えず爽快な結末へと疾走していく。
こんなことを言ったら「甘えんなボケ」と怒られるが、大学3年生の時の僕は、できれば働きたくなんかなかった。就職活動なんてしたくなかった。森見登美彦やヘルマン・ヘッセの言葉をまんま借り「詩人か、高等遊民か、でなければ何にもなりたくない」とつぶやく、そんな痛いタイプの学生だった。
しかしレントンの決して器用ではない生き様と、破れかぶれとも思える決断を見ていると、僕の悩みなどとてもちっぽけなものに思えた。鑑賞する間、ふわふわとした浮遊感に包まれ、不思議と頑張れるような気がした。もちろん、この物語はシニカルなメッセージを投げかけてもいる。でも本作は僕にとって、“何か”を埋めてくれた大切な作品なのだ。
だから僕は、人生の節目を迎えたとき、なんとなく本作を見る。誰かにとっての「ニュー・シネマ・パラダイス」が、僕にとっての「トレイン・スポッティング」。シーンとともに、記憶がドッと溢れ出す、そんな類の作品。
コロナ禍により自宅を出ずに過ごす2020年4月某日、何度目かわからない鑑賞を終えた。「未来に何を選ぶ?」。レントンの言葉が、また身体の奥深くに染み込んできた。ここにある“現在”が、すぐそこにある“未来”をつくる。世の中はこんな状況だけれども、不思議と、また頑張れるような気がしてきた。
この映画は、見る者に勇気をくれる。次に本作を見るときは、僕はどんな未来を選び取っているだろう。
”クール・ブリタニア”を決定づけた一本
公開は96年、しかしこの物語の舞台は(一説では)80年代の終わりと言われる。つまりサッチャー政権による経済政策のあおりをモロに食らった年代。社会保障は切り詰められ、国営企業は民営化され、格差はますます拡大し、まさに人々は冒頭で吐き出されるレントンの「choose」スピーチそのままに、日常生活や人生の全てを自己責任で選択しなければならなくなった。
本作はよく「時代を変えた」と言われるが、ドラッグをめぐる快楽主義をブリット・ポップに乗せてテンポよく紡いで見せるスピード感、リズム感は今見ても全くもって色褪せない。この類稀なるセンスとともに、限られた予算の中でスタジオのセットを多用し知恵と創造性を存分に絞り出したことも大きかったに違いない。
やがて一人で旅立つ主人公。善悪の価値基準なく、信じるものも、仲間の後ろ盾も全くない。彼らは「瞬間」を生きている。その意識の流れが「born slippy」の調べと相まって、何度見直しても、今なお極上の陶酔を生み出してくれる。
何度観ても心躍るダウナー映画
前に観たのは覚えているし、あたしにしては珍しくちゃんと覚えてもいるけど、肝心な“いつ”観たのかが思い出せないし、何度観たのかもわからない。そしてシネマカリテさんが35mmフィルム上映してくれるなんていうもんだから初の劇場鑑賞が叶っちゃった💜
つい最近どなたかの何かの作品のレビューで『ストーリー展開がわかっていても、それでも毎度楽しめてしまうのが本当の名作だと思う』的なこと書いてあったのを観た。
あたしにとってトレスポがそうかも。最後に観てから恐らく10年は経ってると思うけど、1秒も退屈しない。好きだなーやはり。
何度観てもあの便器のシーンは気持ち悪くなるし、スコットランド訛りキツ過ぎで毎度“字幕無しは無理ねー”ってなるし、なんでコイツらベグビーとお友達なのかわからーん。ジョニー・リー・ミラーのおでこはまだ普通サイズだし、この時のユアン・マクレガーを見て短髪(出来れば坊主)男子好きを認識した。ダイアン役の女優さん(ケリー・マクドナルド)、これ以外の作品では観たことなかったみたいだけど、その後もキャリアは積んでる模様。今度探してみよっかなー🌀
BORN SLIPPYは最後でチョロっとかかるたけなのにめっちゃアイコニックな曲だし。クラブでかかるとみんな湧いたよなーかつて。(今でもかかったりするんかな…)
あたしの中でヒュー・グラントと勢力を二分するイギリス英語の発音が好き過ぎてやまないジョニー・リー・ミラーのスコティッシュアクセント全開過ぎるのがちと残念だけど、それはそれで。
この作品は再鑑賞するなー。Once in every decade, I guess.
さらば青春の光。 世界の映画界を震撼させた“スコティッシュ・インヴェイジョン“の衝撃を観よっ!
ヘロイン中毒の青年たちの人生を描いたクライム・コメディ映画『トレインスポッティング』シリーズの第1作。
“豊かな人生“に背を向け、薬物に溺れるスコットランド人の青年レントンは仲間たちと共に自堕落な生活を送っていた。ある日、彼は意を決して薬物から足を洗う決意をするのだが…。
監督は『シャロウ・グレイブ』の、後のオスカー受賞者ダニー・ボイル。
主人公マーク・レントンを演じるのは『シャロウ・グレイブ』の、名優ユアン・マクレガー。
第49回 英国アカデミー賞において、脚色賞を受賞!
ダニー・ボイルとユアン・マクレガーの名を世に知らしめたカルト的名作。
監督以外のメインスタッフ、メインキャストはほとんどがスコットランド人で撮影もグラスゴーで行われている、由緒正しきスコットランド映画である(メインキャストではシック・ボーイを演じたジョニー・リー・ミラーが唯一のイングランド出身者。ボンドマニアのシック・ボーイだが、実はミラーのお爺さんは『007』シリーズの初代“M“を演じたバーナード・リーだったりする)。
制作費はわずか150万ポンド(大体225万ドルくらい?)でありながら興行収入は7,200万ドルを超え、批評家からの評価も高く、“ブリティッシュ・インヴェイジョン“、いやさ“スコティッシュ・インヴェイジョン“を全世界に巻き起こした。
“ゴッドファーザー・オブ・パンク“ことイギー・ポップの「ラスト・フォー・ライフ」(1977)をBGMにして、警備員から全力疾走で逃げる若者たち。そこに“豊かな人生“を否定し、ただ“破滅的な快楽“のみを求めるレントンのナレーションが重ねられる。このOPからしてもう名作の匂いがぷんぷんっ。ヘロインに身を委ね、真っ逆さまに奈落の底へと落ちてゆく若者たちの青さや愚かさを一発で観客に分からせる素晴らしい幕開けです。
薬物、アルコール、暴力、貧困、セックス、HIVと、描かれている内容はなんともヘビー。閉鎖的なムラ社会に囚われた主人公が済し崩し的に身を滅ぼしてゆく、絶望感に満ちたストーリーである。
それだけ聞くといかにも暗くて辛気臭い映画のように思えるが、その内実は非常にポップ。奇想天外な編集、往年の名曲からテクノまで幅広いジャンルが用いられた劇伴、キューブリックを彷彿とさせる挑戦的な画角、瑞々しい俳優たちのアンサンブル、ニヤリと笑えるブラックなユーモアなど、どこまでもオシャレで楽しい映画に仕上がっている。
決して説教臭くはないが、薬物の恐ろしさは怖いほどに伝わってくる。そのバランスが見事。特に、レントンにヘロインの離脱症状が襲い掛かるシーンなんてどんな薬物乱用防止啓発ビデオよりも強烈で、この悪夢的映像を見させられたらイキッた不良もつい尻込みしてしまう事だろう。
押し込められる子供部屋の幼稚な電車柄の壁紙が、またあのシーンのエグみを増幅している。天井を這う赤ん坊の人形もあえてチープに作られており、それが逆に恐怖心を煽る。この様なセットや小道具への確かな目配せもこの映画の美点である。
中盤、ヘロイン仲間の赤ん坊が亡くなるところから物語のカラーがよりダークに変化する。結果的にそれがクライマックスの薬物売買へと繋がってゆく訳だが、この「最後に一山」と言わんばかりのサービスが無くても本作は十分に成り立っていると思う。こういう山場がないと映画を終わらせられないというのは分かるのだが、少し製作者の作為が見えてしまった。
ただ、この映画のラストシーンは素晴らしい。仲間を裏切り、1人静かに金を持ち逃げするレントンは、ナレーションで“破滅的な快楽“から卒業し“豊かな人生“を歩んで行くことを宣言する。BGMには当時のレイヴ・カルチャーを象徴するかの様なエレクトリック・ミュージック、アンダーワールドの「Born Slippy Nuxx」(1996)が流れている。
貧しい故郷から豊かな都会へ、スコットランドからイングランドへ、青年から大人へと遷り変わるレントンを、OPと完成に対となる映像と音楽により鮮烈に描き出す。パンクからレイヴへとポップカルチャーが移り変わる様に、人もいつまでも同じところに留まっている事は出来ない。それを伝えるこの演出の妙!これぞ映画だ!!
『さらば青春の光』(1979)にも似た、切ないながらもどこか爽やかな“敗北“の物語。しかし、果たして主人公はこの後本当にクスリから足を洗う事が出来るのか。意思薄弱なレントンの姿を見るに、それは到底不可能な様に思えてしまう。
この映画は最初から最後までクズはクズのまま、という非道徳的な人物描写が為されているが、そこが薬物中毒患者のリアルを映し出しているといえる。ドラッグ汚染は安易な綺麗事で済まして良い事案ではないことを、ちゃんと製作陣はわかっているのだ。
その証拠に、脚本家のジョン・ホッジはなんと元お医者さん。本作に登場する看護師さんたちは、彼のかつての同僚だったホンモノの人たちなのである。退廃的な映画だが、ドラッグを礼賛する内容では無い事は明確であると言えよう。
世界的に有名な俳優は誰1人として出演していない。後にジェダイの騎士となるユアン・マクレガーも当時はまだまだ駆け出しの若手俳優だった。しかし、キャストたちの演技は堂に入っており、スコットランド俳優たちの層の厚さを感じさせる。ちなみに、スパッドを演じるユエン・ブレムナーは映画に先駆けて上演された舞台版ではレントンを演じていたらしい。一体どんな感じだったのか全く想像がつかない…。何はともあれ面白いキャスティングである。
ユアンもユエンも見事だったが、最も目を引いたのはヒロインを演じたケリー・マクドナルド。本作で映画デビューを果たした彼女だが、たまたまバーでチラシを見てオーディションに参加したという、正真正銘の素人だったというのだから驚く。しかしながら、スクリーンの中の彼女は他のだれよりも魅力を放っており、スター性はピカイチ。こんな女の子が偶然オーディションに現れるなんて、奇跡としか言いようがない。その後の大活躍も当然だと思える、堂々たる初陣である。
タランティーノの『パルプ・フィクション』(1994)、フィンチャーの『セブン』(1995)、そして本作。94年〜96年にかけて生み出されたこの3本が、後の映像表現に革新をもたらした事は間違いないだろう。今なお強い影響力を有するクール御三家の一角、映画ファンとしてこれを観ないという選択肢はあるまい。
薬物の恐ろしさと若さの愚かさ、そして成長するためには故郷や友人を切り捨てることも必要だという教訓が詰まった名作。10代の少年少女たちにこれを観せなければなりません!
※Blu-rayの特典映像になぜかノエル・ギャラガーへのインタビューが…。作中で使用されたのはオアシスじゃ無くてブラーじゃねぇか!いい加減にしろっ(まぁデーモン・アンバーンもインタビューに答えてはいたんだけど)!!
ノエル兄貴も流石にこの映画を観た後じゃ「テメーらエイズで死ねっ!」とは言えない…よね?
ドラッグ中毒者視点の映像が面白い
トイレのタバコの臭いに満ちた映画かなと
この御時世の話ではないが、巷間問わずタバコが悪役になって久しいのではないか🤔
昭和の世界はテレビからタバコのCMがジャンジャン流れ、どのエンタメ媒体にも喫煙者が存在してたし公共機関や道端問わず喫煙者はタバコを燻らせていたもんだ🚬
大人の嗜み、不良のマストアイテム、酒と男と女がプラスされればムード歌謡は無敵を誇った時代があった😌
マ王もその昔、1日3箱のメガスモーカーで「マ王の人生はタバコと共にある」とまで思っていた😅
根拠としてマ王は禁煙が下手クソだったのである🌀←止めたいとは常日頃思ってた
48時間以上我慢が出来ないのに加えてニコチンパッチを貼りニコチンガムを噛みながらタバコを飲むほどのニコチン中毒者だったからだ😫
その転機はある日突然訪れた⚡
マ王、脳梗塞で倒れる😱
当然の身体麻痺と両腕から伸びた点滴のラインに拘束され且つ病院内禁煙の縛りルールもあり、約1年の入院の後は見事にニコチンからの離脱に成功していた✌️
他力本願的な方法でしかマ王はタバコを止めれなかったが、結果は禁煙に成功し健康な身体?と生活を維持してるのが進行形だ😁
「トレインスポッティング」の主人公がドラッグからの離脱に苦しむ(まぁ諦めてるフシもあるが)気持ちをマ王はとても理解出来る✨
また映画を観て嫌悪感を持った人の気持ちも禁煙した今ならよく判る✨
この映画って何かの中毒(特定はしないけど)の最中の人、断てた人、断ちたいけど止めれない人、止める気の無い人そして人生をやり直す一発逆転を出来た人と逃した人の対比なんかも描いているから観ている側の捉え方が様々なんだとマ王は考える🥸
要は自分の成功や失敗と照らし合わせてしまう映画なんだと思うのよ😬
だからって話じゃないけど、トイレのタバコの臭いを嫌う人もいれば好きな人もいるし気にならない人もいれば禁煙中なのに吸いたくなるなんて人もいたり、そういう経験が物語の中に組み込まれているのよね😐
結論として子供が観る映画ではないわな🌀←経験が浅いから多分ピンとこない
マ王なんかが観ると(禁煙出来なかったし出来たしまだ衝動は残ってるし人生色々あったし)実に面白いんだけどね😆
映画館での鑑賞オススメ度★★★☆☆
古さを感じさせないスタイリッシュ度★★★★☆
中毒症状再発度★★★★☆
これって稲中とか木更津キャッツアイをスタイリッシュな映像と音楽で仕上げた感じなんだよね
何を勘違いしたのか、勝手に残酷描写がエグい映画だと思い込んでおりまして、今までずーーーっと避けてきた作品なんです。
つい先日、物のハズミで友人から「全然違ーう!」と教えられ、「なら見る!」という流れになりました。
主演はユアン・マクレガー(1971年生、公開時24歳)。
それすら知りませんでした。
公開当時バカみたいに流行った作品ですが、超有名なキービジュアルも、ひたすら目を背けてきたのです。1ミリも心を向けて来なかったのです。
おおむね同時期のユアン・マクレガー作品『ブラス!』(1994)はマイベスト映画にランキングされているほど好きなのに…。
本作もイギリス映画ということですが、舞台のほとんどがスコットランドということで、私の中ではスコットランド映画に認定!
『ブラス!』と同じくイギリス(ブラスはイングランド、トレスポはスコットランドだけどね)の斜陽を取り扱った作品ですよね。
共通点の多い2作ですが、トレスポは残念ながらまっっったく響かなかった…。
日本には欧米のようなドラッグ文化が根付いていないというのもあるのでしょうが、それを差し引くと、トレスポって要するに稲中とか木更津キャッツアイみたいなノリをスタイリッシュな映像と音楽で仕上げた感じなんですよね?
私、稲中も木更津キャッツアイもまったく波長が合わないんです。
トレスポも見てみてつまらないから(あくまで個人の感想)びっくりしました。
これだけ大流行した作品がこんなにつまらないはずがないと思い、2周目も頑張って見てみましたよ。英語がわからないので自信ないですけど、多分これ登場人物たちスコットランド訛りがありますよね。そういうノリっていうか、当時のイギリスの地方でグダグダやってる怠惰なヤンキーたちの青春ドラマですよね。
意味がわからないのではないのです。時代背景とか、お国柄とか、文化の違いも多少はわかるのです。ただ単に、これっぽっちも響かないのです。映像表現も音楽も登場人物たちの振る舞いも。
私にとっては、超偶然でナチュラルに30年近く熟成され、また偶然に封印を解くに至った奇跡の映画だったのですが、残念な結果となりました…。
90年代の空気感
走れユアン‼️
とにかく公開当時のこの作品の反響は凄まじかった‼️普段、映画をあまり観ないような奴まで「カッコいい」「クールだ」とか連発してたし、アンダーワールドのファンになったりしてた‼️実際、親世代が「アメリカン・グラフィティ」に熱中してたように、我々の世代の青春というのは「トレインスポッティング」に代表される、薬物中毒のイギリスのジャンキーたちの方がリアリティがあったのかもしれません‼️仲間たちと愉快ででたらめな日々を過ごしているヘロイン中毒のレントン。せっかく仕事を見つけても、仲間たちのせいでクビ。そんな時、売人から大量のドラッグを売りさばく仕事を持ちかけられる・・・‼️とにかく、ダニー・ボイル監督の映像と音楽のセンスがバツグン‼️公開から30年近く経っても決して色褪せていないと思います‼️いきなり全力疾走するユアン・マクレガーのドアップに始まり、車にぶつかりながら街道を並走する圧巻のカメラワーク‼️ユアン・マクレガーがクソまみれの便器に吸い込まれて水中を泳ぐシーンや、ヘロインを打った後に地面に落ちて吸い込まれていくシーンに代表される幻覚症状の斬新な映像‼️「1000年後には性別もなくなる、大歓迎だ」といったメッセージ性が豊かで、どこか詩的なセリフ‼️アンダーワールドの「ボーン・スリッピー」やイギー・ポップやルー・リードらによるクールな音楽‼️そりゃ、サントラ売れるわけだ‼️ユアン・マクレガーの魅力はもちろん、友人役のロバート・カーライルの凶暴性、ヒロインを演じるケリー・マクドナルドもホントにイカしてる‼️すべての面で一瞬たりと目が離せない傑作なのですが、今の時代に観直すと映像や音楽のスタイリッシュさはもちろんなのですが、この作品の本質が浮き彫りになっていてヒジョーに興味深いです‼️それはつまりドラッグ中毒の迫真性がトコトン追求されているところですね‼️映像も荒涼としてます‼️ジャンキーの母親にネグレットされて、ベビー・ベッドの中で干涸びて死んでしまう赤ちゃんとか、注射器からHIVに感染した顔がカサブタだらけのジャンキーとか、ホントに恐ろしすぎます‼️
今の時代で見ると価値観の違いで評価は割れそう
今年157本目(合計1,249本目/今月(2024年4月度)31本目)。
(前の作品 「メメント」→この作品「トレインスポッティング」→次の作品「ヘレディタリー 継承」)
新テアトル梅田(旧シネリーブル梅田)で、旧テアトル梅田(現在は閉館)の人気作品の復刻上映という扱いで見に行ってきました。1995年の映画だそうです。
個人的には他の方も書かれている通り、(演技であるとはいえ)コカイン中毒などの描写が生々しいので、「薬物はダメですよ」という学習映画的な意味合いも多少はあるのかな…と思ったものの、ミニシアターが中心であったであろう本作品(新テアトル梅田もミニシアター)でそういうのは難しいのかな…というところがあります。
個々、ことわざや格言を持ち出して何の説明もなく進むところがありますが、どうも原作小説からきたらしく、その部分まで完全に理解するにはかなりの知識を要するのかな…というところです。
結局のところ、日本ではこうしたコカインやらヘロインやらこういったものは厳しく規制されますが、いわゆる「薬物中毒でよくあるもの」として描かれているあたり、このあたりは国は違ってもだいたい同じで、映画としても国は違っても言いたいことはだいたい理解できるし、多少字幕が丁寧ではないかな、といったところはあるものの復刻上映なので仕方なしかなといったところです。
なお、上述通り原作小説があるので知っていれば有利であろうとは思うものの、アマゾンなどでみても特段高騰しているわけではないのですが、お届けまでに2か月とあったり品薄なのか流通数が少ないのか、現在(新たに)入手するのは難しいのかなといったところです(大阪市の一般的な書店のオンライン検索では在庫なしの扱い)。
採点に関しては特に気になる点までは見出せなかったので(コカインだのヘロインだの、一部のアダルトシーンなど、R15であることも考慮して)フルスコアにしています。
ファンが多い理由もわかるが
ドラッグ中毒で、社会の底辺にすむ青年の物語。なにも学ぶものがなかった。
薬物依存の主人公
断薬に挑むが一日も続かない
いろいろあって、家族が断薬に協力し
見事に薬を断ち切る
って書くと、良いお話に感じるが・・・・
作品自体は汚いし、下品だし
たぶん、もう見ないと思う
続編があるようだが、興味なし
当時のイギリスの社会問題に切り込んでるとしても
もっと違う表現があるだろう
って思っていたら
皆さんの評価が結構高くてびっくり
俺、理解力が足りないのかな?
自分の感想としては
・同じ、ドラッグ中毒の主人公を扱っていて
・同じ、イギリスの映画なら
『ボブという名の猫 ~』
の方が良かった
脳みそ溶けてる
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