ドラキュラ(1992)のレビュー・感想・評価
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ゲイリー・オールドマンと特殊メイクの親密性をうかがえる快作
カメレオン俳優として知られるゲイリー・オールドマンだが、同様の誉れ高いダニエル・デイ・ルイスなどに比べると決定的な違いがある。それはゲイリーの場合、自分一人の力だけで完結する役づくりに終始しないという点だ。とりわけ本作は自らの俳優としてのオーラに拘束具でもはめ込むかのように、特殊メイクを施して七変化を魅せる。そのクオリティが凄い。そこにはもはや、本家ドラキュラをも凌駕する、恐ろしい「化け物ゲイリー」が解き放たれ、阿鼻叫喚の絵図を巻き起こす。結果、ハーカー役のキアヌ・リーヴスも、ヴァン・ヘルシング役のアンソニー・ホプキンスも、重要役なのにゲイリーに比べるとスケールがまるで違い、小さく見えてしまう始末。いやいや、それでも公開から25年を経て改めて鑑賞しても全く色褪せないのはさすがだ。特殊メイクもコスチュームデザインも映像技術も研ぎ澄まされ、ゲイリーの魅力が存分に味わえる快作に仕上がっている。
見る人を選ぶ映画だなと感じた。 映像、編集のスタイルが僕には合わな...
見る人を選ぶ映画だなと感じた。
映像、編集のスタイルが僕には合わなかった。
監督さんの演出は、
物語というよりも、
映像の美しさに重点を置きたかったのだろうか。
アカデミー賞では
・録音効果編集賞
・衣装デザイン賞
・メイクアップ賞
3部門受賞しているが、
作品を、映像美としての面で多く評価されたのだろうか。
吸血鬼というホラー題材を、
歌劇、またはオペラのように表現しているようだ。
(歌劇もオペラもちゃんと見たことないので、想像で書いています)
僕にはそういった教養がないので、
この作品の美しさを理解することが難しく、
どう解釈すれば良いのかよくわからなかった。
しかしながら、
すごく豪華なキャスティングの映画だよね。
ちなみに
アカデミー賞の衣装デザインは、
日本人の石岡瑛子だよ。
衣装の良し悪しも僕には難しいが、
今までの西洋映画に出てくる、
西洋の衣装とは雰囲気が違う気がした。
映画の中で、
衣装でのホラーファンタジー感素敵でした。
コッポラ監督のテーマ「愛」
ゴシック世界の映像美、豪華キャスト、怪物の表現… どこをとっても完璧だ。
コッポラ監督が手掛けたモンスター作品にあるテーマは「愛」
愛という言葉は、我々日本人には多少難しい。
かつて歌手たちが使っていた愛という言葉はパートナーに対する想いという限定的な表現だったからだ。
親の決めたいいなずけが当然のごとくあった昨今の日本、若者たちは学生運動が広がるように自由恋愛を求め始めた。愛という言葉は日本人にとっては後付けだ。
この作品に描かれる愛は、ドラキュラ公による強い思い込みが転じ、愛とは真逆の位置に立つことで彼自身を貶めることになる。
敬虔なクリスチャンだったドラキュラ公は、劣勢となった戦局を一転すべく自ら先頭に立って軍を指揮する決断をした。
彼の目論見は成功し、軍は劣勢から優勢になった。しかし、ドラキュラ公に対する心理作戦を展開した敵軍は嘘の書簡をお妃あてに送還する。「ドラキュラ公は戦死した」
これによって妃は自害し、それを知ったドラキュラ公は神に対し全身全霊で呪いの言葉を言う。作品では彼の要望を神が叶えたことになる。これがモンスター誕生となる。
コッポラ監督は「怪物が先ではない、愛が先にあった」ことを示唆している。
人間的な二元性コントラストによって、神を信じていれば救われるという勝手な思い込みによって起きた真逆の出来事が、人間を怪物に変えたのだ。
そしてその怪物さえも最期は神の愛によって救われる。
この世界は二元性のコントラストという機軸に立つ。
ここがもし光だけ、つまり愛だけの世界なら、どうやって愛を感じることができるのだろう? そう問いかけるコッポラ監督の声が聞こえてくるようだ。
私が何者であるかを理解すれば、少しは謎が解けるだろう
私は神である 私は女神である 私は至高の存在である
私は存在する全てである 始まりであり終わりである
アルファでありオメガである 私は太陽であり物質である
問いであり答えである 上昇であり下降である 左であり右
現在であり過去、未来である
私は光であり、光を創造し光を可能にする闇である
私は限りない善であり、善たらしめる悪である
私はその全てであり、存在する全てである
そして私は自分のすべてを経験せずに一部だけを経験することは出来ない
そこがあなた(ドラキュラ公)にはわからない
あなたは私をひとつに決めたがり、別のものではないと思う
高いのであって低くない 善であって悪でないと
しかし私の半分を否定すれば、あなたの半分をも否定することになる
それでは決して本当の自分にはなれない
私は光であり、光を創造し光を可能にする闇である
ドラキュラ公に神から届いた言葉が、バシャールの言った言葉とともに聞こえてくる。
これによって我々はドラキュラ公と同じく、愛が何か初めて知りえるのだ。
あちこち飛び散らかって
赤と黒
東京都現代美術館の石岡瑛子展が見たかったが、チケット購入に100分待ちという混雑ぶりだったので断念。仕方ないので、石岡さんが衣装デザインした映画を見ることに。
タイトルが黒バックに赤文字、書体がおしゃれ。物語はそれほどひねってない。が、アカデミー賞を受賞するだけあって、衣装やメイクなどはさすがのクオリティ。闇にうごめく存在だからこそ、あの真紅のガウンが効き、伯爵の高貴さも表現されている。ルーシーの白いドレス、ミナの緑色のドレス、夜中にふらふらする女の子ふたりは体のラインが微妙に透けるオーガンジー。みんなきれいで、作品世界を引き立たせている。
ドラキュラという古くから伝わる怪物を使って、エロスとタナトスを描いたコッポラ。悲しくも美しかった。
【フランシス・フォード・コッポラ監督がゴシック・ホラーとして真っ当に勝負した作品】
当時のパンフレットを読み返して、記憶が蘇ってくるが、キャスティングが豪華すぎる。
・ドラキュラ伯爵をゲイリー・オールドマン
・ヒロイン、ミナをウィノナ・ライダー(当たり前だが、実に美しい)
・バンパイア・ハンター ドラキュラ伯爵の宿敵ヘルシング教授にアンソニー・ホプキンス
・ミナの婚約者で弁護士をキアヌ・リーブス (今作から、ウィノナ・ライダーとは仲良しに・・・、うーん。)
とういう面々・・。いやはや。当時でも一流俳優だった彼らが今でも第一線で活躍している(ウィノナさんは色々ありましたが・・)という事実も感慨深い。
<1992年12月27日 劇場にて当時の意中の女性と鑑賞し、内容が怖すぎて不興を買った記憶がある作品。(すいません・・)>
本物の吸血鬼
劣化
死が2人を別つまで
力の入った作品です
コッポラ作品は、十分に観れていなくて、この作品がコッポラ監督のフィルモグラフィーの中でどういう位置にあるのか分からないんですけど、最近観た『ヴァージニア』につながるものはすでにこの作品に見られていたって感じがしましたですね。
無声映画の時代が強く意識されている感じで、特に序盤はそういう絵作りが中心でした。私的にはそれがとても、どハマりで、この雰囲気でずっと押してくれたら嬉しかったんですけど、後半にいくにつれて、そういう演出が少し弱まったかなって感じました。
でもこれ、やっぱりすごいレベルの映画ですよ。コッポラ監督、はずれなし、って感じです。これからも、ちょっとずつ、彼の作品を観ていこうと思います。
ゲイリー・オールドマンの真骨頂
【タランティーノ】が心から愛するソフィア・コッポラ監督
(この事実 意外と知らない人が多い)
その親父であるフランシス・フォード・コッポラ監督がブラム・ストーカーの原作を
完全映画化 いや~素晴らしい
『トゥルーロマンス』『レオン』『JFK』で頭角を現したゲイリー・オールドマンが
タイトルロールを演じ またもや強烈な怪演で俺の心を【鷲掴み】
『ロミオとジュリエット』並の ウィノナ・ライダーとの400年越しのラブストーリーを
軸に キアヌ・リーブスや トム・ウェイツや リチャード・E・グラント 他 が絡む
アメリカ・イギリス・ルーマニア合作の超大作
2004年にヒュー・ジャックマンが『ヴァンヘルシング』で演じた悪霊ハンターの
ヘルシングを その12年前にアンソニー・ホプキンスが演じていたこの作品
年老いたヘルシングを演じているホプキンスが超カッコイイし 今観ると
『ヴァンヘルシング』のジャックマンと顔もソックリで 格好も同じだ
そして『ザ・セル』や『落下の王国』のターセム作品でも衣装を担当した
石岡瑛子の手がけた全ての衣装がどれも奇抜でスゴイ
ドラキュラ誕生の悲しきオープニングから ウィノナ・ライダーとのクライマックスまで
意外にも【愛】という基本軸が貫かれている
YES 完全に純愛話
そして全てのシーンで役者ゲイリー・オールドマンの真骨頂を見れる
原作がそうであるからだと思うけど コッポラの演出は【エンターテイメント】
よりも少しだけ【芸術】寄りで 文芸大作の様な仕上がりになって
いて ノンストップの恐怖やアクションのある娯楽作ではない
そこらへんはコッポラ監督の『ゴッドファーザー』や『地獄の黙示録』を
観る時と同じ感覚で気合を入れて鑑賞しましょう
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