トータル・リコール(1990)のレビュー・感想・評価
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その仕掛けに気付かない自分がイヤになる
原作は未読で、シュワルツェネッガー主演のSFアクション超大作という看板に踊らされて、劇場に見に行ったクチです。よく出来た痛快娯楽作品で、なおかつ夢の中の出来事を映像化した実験作でもあり、鼻から風船のようなボールを取り出すビジュアルや、顔が割れて中から主人公が現れ、それを投げつけるシーンなどはその後のSF映画に強烈な影響を与えたVFXの分岐点でしょう。ヴァーホーベンがノリにノっていた時期でもあり、のちにリメイク版も制作された傑作ですが、一部のマニアの評価にとどまり、なぜかそれほど取り上げられる機会がないことが残念です。
ストーリーの構造が、秘密組織のエージェントが正体を隠すために、自分の記憶さえも操作して別人に成りすまし、その記憶が映画(のような体験型、夢再生マシーン)を利用しているときに呼び覚まされてしまうという、ワクワクするような設定だっただけに、のめり込んで見ていたのですが、突拍子もない結末に、やや尻すぼみの印象を抱いて映画館を後にした記憶があります。
ところがのちに映画ファンの人から聞いた話では、2重構造の仕掛けで、「実は映画の途中からは全部夢なんだ。主人公はその夢から覚めないまま映画が終わってるんだよ。」などという珍説を吹き込まれ、相手にしなかったのですが、どうやらその話本当らしくて、気づくことができない自分を恥じたりもしたものです。その時感じた怒りにも似た感情は、映画マニアに対する嫉妬と羨望に代わり、やがて「それが何になる?」というあきらめの境地を見るのですが、映画の中ではチラッと映るシャロン・ストーンの必死の訴えが、どうやらそのヒントになっているようで。
まあ、普通に楽しめたらそれでいいんじゃないかと思います。
二週間ヨ。 ξ(^-^ξξ
この映画の価値がわからない男とは握手もしたくないのだ。
まずは極北ボンクラ映画故の愛おしさ。
そしてそれを高いレベルで成立させる為に、
知的な大人が人生を割いて真剣に取り組む故の、
巧妙に仕掛けられた構造と表象がある。
公開当時日本初公開プレミアレイトショーで事前情報少なく観られたのは幸運だった。
昨今映画サイトなどでこの映画のシナリオ整合性が稚拙と批評する、
数多の自称市井レビュアーの一文木戸銭素人などは、本来公共の場で映画を語る資格もない文盲でしかないのである。
なぜクエイド達が劇中であのような、今時の軽薄なアメコミも裸足の噴飯ものの奇天烈な活躍を出来るのか。
まさにコミック其の物の世界を彷徨う。
観ていれば解ろうというもの。
鼻から卓球玉が出てくる。
ありえない構造の変装お面。
地下組織との出来過ぎた遭遇。
様々な危機からの出来過ぎた脱出。
あり得ない速度でのテラフォーミングと生還。
終幕でのホワイトアウト。
全て「そんな訳ないでしょ!と突っ込みながら観てね」と観客にコソリと耳打ちしながら作っているのだ。
だが耳打ちが聞こえない観客が殆どなのも致し方あるまい。
観客のレベルに依存するからだ。
「Matrix」に先駆けてネオとは逆に、赤いピルを拒否したクエイドは仮想旅行会社社員の警告を無碍にし、
現実の平凡な生涯と引き換えに彼自身の願望の活劇的楽園で閉じ籠る事を選んだ。
そしてオズの魔法使いよろしく古来悪手といわれるそんな種明かしを明確に断言した描写を観る事で、
自分の家の汚した便所を思い出したようにゲンナリしたくない我々のような観客の為に映画はチューニングされた。
なぜなら我々観客こそがリコール社を訪れたクエイドだからだ。
ヴァーホーヴェン監督の見えにくい高い知性によって巧妙に観客の知能指数を低下させる鑑賞体験支配と、
WWⅡ戦争体験者故かの常軌を逸した滑稽なまでの暴力的妄想にブンブンと振り回され眩暈を起こす。
娯楽映画の骨格を諷刺的知性で極限値先鋭化した結果、
芸術的に醜い生肉を纏った滑稽なコミックスミュータントと化した生成物こそ、この映画の透視図だ。
そういったこの映画の構造そのものが
ポール・ヴァーホーヴェン提供のヴァーチャルプログラム「追憶売ります」
というべきものだ。
指摘するまでもないが、このような意味でこの映画は様々な古典の
「映画についての映画達」
自己言及型作品の亜型の一つと言える。
クエイドの欲求や選択から我々が程遠いとどうして言えようか。
後世のクリエイターにとっての数多の古典映画史テキストブックとしては、容易に真似出来るものではない。
しかし微笑ましい鬼子として一ページを割く価値のある作品だろう。
あの時代の衝撃的映画。
今の時代で見たら、アイデアとか、火星とか、
どっかで見た事あるよ?的だけど、
この映画とか、ブレードランナーとか、BTTFとか、
この辺から、みんな始まってるんだよ。
だから、この点数は、それも含めている。
むしろ点数なんて無意味。
原作小説も、読んだ。SFの原点だろうな。
日本なら、星新一も読みやすい、だけど間違いなくSFの原点。
自分では、映画単体の星はつけられないんだろうな。
もう一度、スクリーンで見られて良かった!
時代を感じる
自分が生まれた年に公開された作品のためリアルタイムでは鑑賞したことはない。小さい時にシュワちゃん好きの祖父に半ば強引に見させられた以来の鑑賞。
目に見えて4Kの美しさはあまり感じることはなかった。
作品の内容、描写、そして映像美もやはり年季は感じる。
リアルタイムで観ていて思い入れがある人は楽しめるんだろうけど、改めて初鑑賞する人が楽しめる作品かと聞かれたらなんとも言えない。
シュワちゃん出演作品の割にはあまり迫力も良い意味での暴力描写も少なくは感じる。
改めて久しぶりに鑑賞しても、シュワちゃんのファンだがシュワちゃん作品の中では上位ではない感じかな。
いつも思うのはこの世界観を今のハリウッドの先端を走る監督たちがもう一度リメイクしたらどうなるかは気になる。世界観は好きだ。
悪徳長官に騙された
総合:70点
ストーリー: 80
キャスト: 75
演出: 70
ビジュアル: 75
音楽: 65
けっこうネタバレしていますので、まだ見ていない人は注意してください。
そうじゃなくても秘密工作員が登場する怪しい話なのに、何せ物語の中では自由に記憶を操作できるので、何が本当かわからない。どれが作られた記憶で、真実はどうなっているのだろうかと疑いながら見てしまう。
そしていつの間にかレジスタンスの中にまで来ていた五人の子持ちのタクシー運転手のミュータント。あれ、そういえば彼はどうしてここにまでついて来ているんだと思いきや・・・。たいした役者でしたよ、あなた。
シュワルツネッガー演じるクエイドが自分自身が語るビデオにも騙された。コーヘイゲン長官は「お前に頭を使うことなど期待しておらん」などと言ってやたらと部下のビクターを馬鹿にするが、確かにこいつは頭が良くて、みんなを手のひらの上で踊らせている。金はかかっていても時代を感じるセットではあって映像的にはそれほどでもないが、この裏の計画が良く出来ていた。ビデオの中でクエイドと共に微笑む長官が敵役ながら天晴れ。
名作でありリメイクされた理由
リメイク作品が公開されて、やはりオリジナルって感じで
TV放送を観ました。これで計3回目なのですが、不思議と
観るたびに、私の中での評価が上がるんです。
SF界の名作が原作故に、局本次第でぶち壊しになるものですが
この作品は構想と細部のプロットまで本当に良く出来ている。
夢を観たいという希望が自分の封印された記憶を呼び戻し
でもその記憶自体も植えつけられて、結局は悪者だったの?
でもなぜか、ヒーローになってハッピーエンドって・・・。
どんでん返しのストーリーは見事です。
当時人気絶頂だったシュワちゃんのアクションシーンも良いですが
やはり、旬の女優だったシャロン・ストーンは蓮っ葉な悪女を
演じていますが、最高にセクシーな美女で輝いています。
よく23年前の映画でここまで描いたと思います。
んでリメイク版を観るにあたり、期待する事を書いてみます。
(まだ観てないからね)
・一連の火星のまちなみを描いたCG効果
・武器類(だってふつーに銃だし)
・シュワちゃんの擬装化(オバサンの変装)
・追跡レーダーの取り出しシーン
・タクシーロボット
・採掘マシン(ドリルの効果)
・一連のミュータントのメイク
(特に3つの乳房をもつ女性)
なんてシーンの向上を祈るであります。
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