トゥルーマン・ショーのレビュー・感想・評価
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真実を知ることは怖い事なのか
もちろんこの作品はフィクションで現実にはありません、ですが人の人生というものが見せ物ってかなり残酷だと思う。もしあなたがトゥルーマンで真実を知ったら、どんな感情が込み上げてきますか?驚き、怒り、悲しみ、そして恐怖などだと思います。今まで生きてきた人生は人に作られたもので、プライベート何てものはなく、世界へ自分の私生活がリアルタイムで放映されているなんて知ったら、僕は恐怖と怒りでいっぱいだと思います。周りの街の人間は全てを知っていて、長い付き合いの友人、ましてや好きな人まで…裏切られた気持ちで辛くなります。ここから出る気力は出てこないと思います。そんなことを考えてしまい、あまり楽しめませんでした。そして、自分とは違うトゥルーマンは外の世界を見るために決死の脱出を試み、無事脱出することが出来ました。そのトゥルーマンの姿に感動と勇気を貰いました。真実を知ってもなお、外の世界に行くという夢を叶える強い意志のある人生を作ったのはこのトゥルーマン・ショーという番組でした。人に作られた、決められた人生を歩んでも自分の意思を曲げない強い人間になれたトゥルーマンは世界中から愛されたでしょう。
白々しい
現実と思った社会が虚構だったというのはSFでも定番、公開は本作より数か月後だが「マトリックス」と似たコンセプトですね、映画の冒頭でエドハリス扮する謎の男が俳優の演技の嘘や派手な爆破シーンやSFXの多用に物申しトゥルーマンこそ本物だと訳の分からないことを言う。まさかとは思うがマトリックス製作の話を聞きつけて、あてこすりを行っているようにも思えて可笑しい。
こんな大掛かりで手の込んだドッキリなんてありえないし非現実的な点ではSFものと大差はない。アンチ・マトリックスと言わんばかりにシュールなコメディで押している、ただクリストフのキャラは「007 トゥモロー・ネバー・ダイ」(1997年)のメディア王カーヴァー を連想させる、これも皮肉のターゲットだったのか・・。
日本でも1998年1月から日テレの「進ぬ!電波少年」でタレントが懸賞だけで生きられるかといった無茶な中継企画がスタートし高視聴率をとっていたので覗き趣味の番組がダメとは決めつけられないが私には他人の生活をみて面白がるセンスはありません。したがって、頭の固さも手伝って、この壮大なフィクションには入り込めず、白々しく眺めているだけでした。
メディアへの痛烈な批判
一番痛快なのは、トゥルーマン・ショーが終わった途端、視聴者がテレビガイド探す最後のシーン。
視聴者ってそういうものだよね。
どんなに人気のある番組でも、終わればすぐに次ぎに行く。
そんな社会批判とは別次元で、エド・ハリス今回もかっこいい。
ラストカットでぶん殴られるような衝撃
劇場公開時鑑賞。
人生生中継とか個人的には無理無理絶対無理。
でも今や嬉々としてそれを行いたがる人が山ほどいるのだからね。
擬似親子関係から親離れするみたいな流れになって、めでたしめでたし…じゃ済まなかった。ラストカット観客は(少なくとも私は)醜悪な消費者の姿が画面に映し出され、結局は自分も無責任な視聴者の1人だったと突き付けられて、「ホラ、これお前らだぞ」と脳内でナレーションを勝手に足してエンドロールを茫然と観るしかないのだった。
ピーター・ウィアー、コワイ。
偽りの中でつくられた真実
3回目鑑賞。
1回目に何も知らずに観た時が1番衝撃が大きかった。
ただ最後のシーンはいつも印象に残る。
船が壁にぶつかり色々と悟るトゥルーマンの顔。
自分の姿が全世界に24時間生配信されている。
途中から違和感に気付きだす。
カメラの監視を知ってかそれを騙すような感じで海へ逃げる。
【4回目】4.5
素晴らしい点
毎日同じ日常、ある時周りがオカシイと気づき、島から脱出する。
脱出劇はショーシャンクを彷彿させた
最後の船が壁に当たった時のトゥルーマンの顔
広がっていると思っていた世界で無いと知り、嘆く、
あのシーンは胸にくる
それでも負けずに外の世界に出ていくのも良い
発想は面白い
だがしかし、こんな世界恐怖すぎる。
全世界の人に生まれてからずっと見られている生活。
愛してる奥様も、偽物。親友も偽物。
全員が俳優さん。
現実なんてありませんでしたね。
トゥルーマンだけが現実だと思っていた世界は全てが作り物で、全てが台本になっていて、監督の指示でしたね。
かなしすぎますね。
彼を撮影するために作られた世界があって、海を行けばこの国から出られると思ったトゥルーマン。
ですが海すらも作り物。
この時のトゥルーマンの絶望感はすごかったですね。
いつもはコメディ感溢れる俳優さんですが、やはり名俳優さんなだけあり、表情を見ていて少しだけ泣きそうになりました。
海を渡るトゥルーマンに津波の試練を与えたり
番組をよくするためにしか動けない監督はもはやサイコパスかと思いました。
君より君を知っているって笑いながら語り出したときは、もうなんかホラーにみえました。
そして笑顔で外への扉を恐れずに出て行ったトゥルーマン。
彼が現実世界で幸せになれることを心から願います。という気持ちになる映画でした。
紛れもなく彼は大スターでした。
もしこれが自分だったら頭がおかしくなると思いました。笑
斬新な設定で面白いのだが少し底が浅い
なんだろうとても難しい映画。
コメディという程、コメディしていないし、感動するという感想もちらほら聞くが、どうにも感動するような話ではなかったと思う。
冒頭からネタバレを示唆するようなシーンから始まり、どこか古くさく何かぎこちない街の人々と風景。
トゥルーマンと一緒にこの映画を観ている視聴者もなんかこの世界おかしくないか?という事に気付き始める。
そして、この世界の世界観が明るみになり、逃亡したトゥルーマンを見守り続けて、トゥルーマンが最後に扉を抜けて、トゥルーマンショーを観ていた映画の中の住人は違う番組を模索し始めて映画は終わる。
やったね、トゥルーマンついに捕らわれの身から自由を手に入れたねという所で感動するのだろうか?もしそうならばあまりにもそれは神の視点すぎないかと思ってしまう。
それにもっと大きな苦難がこれから待ち受けているのは必至だと思うので。
この映画の興味深い点はやはりその世界観であり、四六時中監視されて何気ない日常を演出され勝手にスターにされていたトゥルーマンの自我が目覚めて、現実の世界にどういう影響をもたらしていくのか?という所だと私は思う。
なので言ってしまえば、映画の終わりの部分でエンドロールじゃなくて、オープニングが始まる壮大な話なのだと思うのだが、映画はそこで終わっている。
映画の尺的にそんなに長くは無理だし、作れないよというならば、冒頭から30分ぐらいまでの人形劇はかなり退屈だったので短く出来ると思うし、車のカーチェイスシーンや船での嵐のアクションシーンもそこまで必要に感じなかったので、その辺りを削って、トゥルーマンが現実世界に現れた時にどういう事になるのかが観たかった。
と色々書いたがここまで色々と思考させてくれる実はTVショーでしたという設定は斬新であり、とても面白いものだった。
30年も気付かれなかったのはおかしすぎるとか色々と粗を探せば見つかるが、そういう事を気にする映画ではないだろう。
なんとも秀逸な映画
かなり昔見たのを見返してみると改めてこの映画の秀逸さがわかりました(^^)
壁の中に閉じ込められた男トゥルーマンがある時自分の存在に気づき始める。
ジム・キャリーしか演じれなかったと思えるほどの彼の名演技、そしてトゥルーマンを愛する世界のファン達。
でも一番のファンはエド・ハリスが演じた番組プロデューサーなんだろうなーと見返してみて思います。
素敵な素敵なトゥルーマン・ショー、劇場で見たかった映画です。
新しい世界に踏み出すトゥルーマンと大衆の酷さの対比が秀逸
小さな街で平凡な保険員トゥルーマン。しかし彼の生活の一挙手一投足は全てテレビ放送されていて、彼以外は全て俳優、知らないのは本人だけ。しかし、死んだはずの父親がいきなり現れて・・・と言うストーリー。
サスペンスやアクションを好む私にとって、この手のドラマを鑑賞するのはとても珍しいことです。で結果として、鑑賞して良かったと思える佳作でした。
特異で斬新な設定、その設定に、道化師のように芝居がかった主人公の演技が絶妙にマッチしています。
死んだはずの父親(役)との出会いによる転調から、主人公の動揺や周囲に対する不信。そして、危険もあるが予定調和ではない世界へ踏み出す主人公。
彼を応援する劇中の視聴者同様に私も応援したくなりました。そして、直後に悪びれずにチャンネルをいじる視聴者に、大衆の酷さを感じました。
ただ、秀作というにはやや足りない印象です。本当の両親とか、恋人がショーの世界に侵入するなどがあれば、よりスリリングになったと思いますけど・・・逆に世界観を壊す可能性もあるかもしれませんね。
今まで観てきたどんなホラー映画よりも怖いコメディ映画
もし自分の生活全てが生放送されていたら。自分の周りの人々が全員エキストラで、身の回りの出来事は全てドラマ的な演出だったら。
考えるだけでも恐ろしいストーリーです。
下手なホラー映画よりよっぽど怖いですね。
確かに綺麗な奥さんと不自由しない暮らしが保証されているが、その生活の一部始終が記録され公開され、どこの誰かも知らない人々の笑いの種になる。自分ならば到底耐えられません。
また、作中に登場するトゥルーマンショーを観ている視聴者に対して私は「無自覚な悪意」を感じていました。作り物の人生を送るトゥルーマンを観ていることに何の疑問も罪悪感も感じていないのです。一人の男の人生を支配し、見世物にして楽しんでいるという自覚が全く無いのです。ラストシーンでトゥルーマンが作り物の海を渡り外の世界に出て行くシーンで視聴者たちは「外に出られて良かった」と歓喜に沸くシーンがありますが、そもそもトゥルーマンが作り物の世界に閉じ込められていたのは「視聴者がそれを望んでいたから」であり、それなのにトゥルーマンが外に出られて喜んでるという描写には私は心底恐怖を感じました。この恐怖は、今まで観てきたどんなホラー映画よりも群を抜いて凄まじいものでした。
1998年公開の映画ですが、プライバシーも無くネットに晒される現代のSNS文化にも通じる部分があり、我々も他人事ではないなと感じます。
また、この映画は人によって感じ方が全く異なる作品です。
私はこの作品を「どんなホラー映画よりも怖い」と評しましたが、この映画を観た方の中には「外の世界に出ようとするトゥルーマンを視聴者目線で応援しました」というレビューも少なくなく、「トゥルーマンが閉ざされた世界から羽ばたくまでの物語」と捉えている人もいるようです。私にとっては「悪意の監獄に囚われたトゥルーマンが仮初の世界から抜け出す物語」くらいの印象だったので、色々な物の見方であったり感性の違いが分かる作品ですね。観たことある人たちで語り合うのも面白いですよ。
本当に面白いので、オススメです。
『本作に由来する心の病が実在する』
自宅にて鑑賞。究極のリアリティー・ショーをコミカルに描く。時折POVめいた隠し撮り風の映像をインサートしつつ何も知らされていない主人公の日常とこれを見守る視聴者と番組の作り手と云う三点の視点で進行する。日常に突如挟まれるスポンサーのCMを宣う「買い替えるなら“エルク・ロータリー”」 「新製品のこの“モココア”を飲んでみない」等と云う如何にもな科白に吹き出した。ただテンポにバラつきを感じた。特に丁寧に描くそれ迄とは打って変わった中盤~後半にかけては雑な上、急ぎ足気味に思え、バランスを欠いた印象を受けた。65/100点。
・インタビューを受けるE.ハリスの“クリストフ”も云っていた通り、“メリル・バーバンク(ハンナ・ジル)”のL.リニーが“トゥルーマン・バーバンク”のJ.キャリーと仲違いをし、彼の元を去るシーンは観てみたかった。予告されていた新たなロマンスの相手として職場の横の席に配属されてきたH.シャンツの“ヴィヴィアン”との件りにも興味が湧いた。相思相愛でありつつ密かに主人公の解放を目論むN.マケルホーンの“ローレン・ガーランド(シルビア)”の存在や役割が余り活かされておらず、蛇足的で微妙に映ったのは残念。
・近年、SNS等の普及により度々問題視されている認知承認要求、及び行動原理に基づくコマーシャリズム等が盛り込まれている。ただ実際にJ.キャリー演じる“トゥルーマン・バーバンク”の様な言動を繰り返せば、被害妄想に端を発する偏執的な統合失調症か離人症等の診断を受けるであろう。本作以降、精神医学会では日常がカメラ越しに監視されていると云う被害妄想の一種に“トゥルーマン・ショー妄想 "The Truman Show delusion"”、或いは“トゥルーマン症候群 "Truman syndrome"”と云う呼び名が附けられる事となった。
・当初、“クリストフ”の役はD.ホッパーが当てられており、実際に撮影も行われたが、たった一日で自ら降板したらしい。後に本作とよく似たプロットを持つR.ハワード監督作『エドtv('99)』に“ハンク”役として彼は出演を果たした。急遽、E.ハリスが役を引き継いだが、突然の降板だった為、碌な準備期間も無く役に挑んだ。尚、撮影中にE.ハリスは“トゥルーマン・バーバンク”役のJ.キャリーと一度たりとも顔を合わす事が無かったらしい。
・主人公“トゥルーマン・バーバンク”役は当初、R.ウィリアムズが予定されていたが、脚本を書き、監督も予定していたA.ニコルの薦めやC.チャップリンを想起させると云う監督により、J.キャリーへと変更になった。尚、その段階で『ライアー ライアー('97)』の撮影を行っていた為、本作のクランクインは約一年遅れる事になった。
・TV視聴者に“日本人家族”として、ユウジ・ドン・オクモト、キヨコ・ヤマグチ、中村佐恵美の三名がクレジットされているが、壁には「娘/バーバンク メリル/毎日見て/下さい。」 「バーバンク トルーマン/毎日.../二十四時間」と拙い手書きで記されたポスター(掛け軸?)が貼られている。「ラブ・ラブ・ラブ!トルーマン・ショー」と書かれたトレーナーを着て、胸には妖しげなバッジを着け、ショーを見守るこの三人の様は少し某国っぽい印象である。
・設定上、強調されたメタ的な構造を持っている為、エンドロール時のキャストは"TRUMAN'S WORLD"、"CHRISTOF'S WORLD"、"THE VIEWERS"と三つにカテゴライズされ、表記がなされている。本篇上の情報を繋ぎ合わせると、J.キャリー演じる“トゥルーマン・バーバンク”の誕生日は、'66年1月30日となる。物語は'95年に設定されている。
・物語の舞台となる“シーヘブン”の撮影は主にフロリダ州シーサイドにて行われ、エキストラは連日約300人規模で執り行われた。ショー内への闖入者として、クリスマス・プレゼントの大きな箱から飛び出した視聴者(ファン)の男はM.ルーベンであり、彼は本作のアシスタント・アートディレクターを務めている。
・脚本のA.ニコルによれば、本作はP.K.ディックの著作「時は乱れて('59)」にインスパイアされ、多くのアイデアを引用したと云う。更に具体的にM.ジャクソンの日常を想像し、物語を固めたらしい。当初は自らがメガホンを執ろうとし、G.オールドマンを出演させようと構想していた。尚、決定稿に至る迄、少なくとも12回は書き直しを重ねたとインタビューで答えている。亦、劇中劇の『トゥルーマン・ショー』が「シーズン1のサブタイトルは"Bringing Up Baby"」 「エイミー賞を何度も受賞している」等と云った本篇で触れられないバックストーリーも10本は書いた(当初のシナリオでは“トゥルーマン・バーバンク”のJ.キャリーはフィジーではなく、オーストラリアに行きたがる設定だった)と云う。
・ネタバレとして本作は、前述の『エドtv('99)』に酷似しているが、そもそものアイデア自体は『新・世にも不思議なアメージング・ストーリー2('88)』に収録されているP.バーテル監督の『シークレット・シネマ "Secret Cinema('86年4月6日米国TVにて初放送)"』とソックリである。管理された環境下での日常生活としては『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー('84)』や『ダークシティ('98)』、『シグナル('14)』等にも似ている。
・脚本がA.ニコルの手を離れた後、監督としてS.ライミやB.デ・パルマ、T.バートン、T.ギリアム、B.ソネンフェルド、S.スピルバーグ等、様々な候補を経て、P.ウィアーに落ち着いたと云う。中でもD.クローネンバーグはテスト迄撮ったが、最終的には辞退したと伝えられている。
ラストが泣きそうになった
最初はある男(ジムキャリー)の1日の生中継番組で何処で誰が撮られているかのストーカーみたいな撮影でヤバッと思ったが最後の辺りで真実を知ったときでも最後はいつもの挨拶で返してくれるんだと思いました。
考えさせられ心に残る映画です。
トゥルーマンという一人の男の創られた人生を観るエンターテイメント。
コメディタッチでありながらとても考えさせられるメッセージ性の強い映画。この映画を観てトゥルーマンの行末に釘付けになってしまった。まさに映画の中の視聴者と同じように…。
創られた世界シーヘブンはトゥルーマンにとって幸せな場所だったのかもしれない。囚人として演出された人生の方が楽で幸せ。真の世界は醜く残酷だ。でもそこには自由がある。本当の自分の人生がある。そして今その世界を創り生きているのは視聴者である我々なのだ。
実際に人の人生を騙し世界へ放送するエンタメ作品が作られたら人はどう思うのだろう?最低だと批難するだろうか?それとも熱狂するだろうか。正論を言えば当然実際にはあってはならない番組だ。しかし新しい刺激を求めコンテンツを乱暴に消費していると実現してしまうかもしれない。1人の人生が変わる瞬間を観ておきながらすぐ新しい刺激を求める映画の中の視聴者と同じように…。
立つ鳥跡を濁さず
世界観は非常ににイかれてる
イかれてるとしか思えないが、
実際みんな釘付けになる。
彼を束縛する世界に批判する人間、
それを観て楽しんでいる人、
皆彼に釘付けになっている。
それくらい彼のスター性、
ただ一人の本物という環境に
惹かれたり、哀れんだり、
感動したりしているからである。
そしてちょっとした綻びから疑問に、
自分が見られているという
そんな世界を父親の役者をもってして疑問から確信に変わる。
そんな異常な世界に即座に対応した主人公もまた異常なのであろう。
最後にその世界から脱出する時の
彼の最期の台詞と、表情にも注目である。
立つ鳥跡を濁さずという言葉は正に当てはまり、
彼の表情は産まれながらのスターそのものを
表していると言える。
一度観て理解してから、
もう一度観るとまた変わった観点から観れると思います。
negative aspects of media
メディアの残酷性と負の部分をジムキャリーがカバーしているところが凄い。養子を生まれてから24時間監視されているという恐ろしさをあえてシリアスに描いていないところに脱帽
人一人の人生は見世物じゃない
思い出しレビュー19本目。
『トゥルーマン・ショー』
この奇抜な設定には驚かされた。
平凡な男、トゥルーマン。
彼の周りの人々は皆役者、住んでる家も町も全てセット。
彼の人生は産まれた時から24時間、全世界で生放送されていた…!
知らぬは本人だけ。
その奇抜な設定が話題と評判を呼んだが、公開までそれらを敢えて伏せても良かったと思う。
一人の男の人生…なんだけど、何かちょっとヘン。
監視カメラみたいな映像とか、時折挿入されるTVスタッフやTVを見ている視聴者に謎を感じつつ、実は…!
まあ、今となっちゃあどうでもいいけど。
素直に考えると、人権侵害どころじゃない大問題だ。
自分の全てが見られている。夜な夜な、オ○ニーしてる所さえ見られている…!
映画だから成り立つ話。
でも、そういうのを面白がって見る視聴者側。
何かの大きな力のように人一人の人生を操るメディア側の傲慢。
メディアやそれを見る側への風刺や皮肉が痛烈に込められている。
遂にこの秘密を知ったトゥルーマンは脱出を試みる。
何者にも縛られない、自由への憧れ。
(ラストシーン、遂に『トゥルーマン・ショー』が終わり、その途端チャンネルを変える視聴者は秀逸なくらい皮肉めいていた)
ジム・キャリーが好演。オスカーにノミネートされて欲しかった!
神の如きTVプロデューサーで、トゥルーマンに父親のような眼差しをも向けるエド・ハリスが名演。オスカーを獲って欲しかった!
何故かよかったです。
途中まで嘘とプライバシーのない囲まれた不愉快な世界で、矛盾を感じるトゥルーマンが哀れだった。
彼を世界に閉じ込めようとするスタッフ達と虚構に確信を抱き、逃げ出そう大胆な行動をとるトゥルーマン。
彼が世界を脱出するときの監督の父親ような温かさと視聴者達の喜びがすごく伝わりました。
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