「さらに奔放を超えた日本の性」デイジー・ミラー Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
さらに奔放を超えた日本の性
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『デイジー・ミラー』(1974)
時代と地域によって『奔放』の意味や程度は変わるが、奔放な女に惚れてしまった真面目な男が、女が別の男との交流しているのをやきもきしたり、女と口論のようにうまく付き合えないうちに、女が感染症か何かで死んでしまい、男が喪失感を味わうという話だったと思うが、主役のシビル・シェパードという女優が相当の美人だったというのはわかったが、彼女も、この映画の監督も、性的に文字通りの奔放で、何人もの異性を取り換えていたらしいのが、気にいらないこうした人達の多い、業界なのか国なのか、美しい女が突然死んでしまう喪失感という面を出したかったのかも知れないが、淡々としていてあまり面白くはなかった。彼女の奔放さを、周囲の年上の女性たちは嫌うが、男はそれを素直とか無邪気とか捉えて食い違う。そうした奔放と言われた女にしても、別の男と性愛的にまじりあったわけでもなく、その後の欧米や、真似したのかもともとそうだったのか日本のほうが乱交状態な人は、乱交である。奔放どころではない。
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