「冒頭の再開発で激変した自宅周りのシーンは、新しい社会体制になじめない人物像の象徴?」地下室のメロディー KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
冒頭の再開発で激変した自宅周りのシーンは、新しい社会体制になじめない人物像の象徴?
もう60年も前の作品だが、
最初に観たのが映画館だったのか、
TVだったのか、
かなり前のことで記憶も定かではない。
ただ、ラストシーンのプールに金札が浮かぶ
場面だけを印象的に覚えていたが、
耳馴染み深いテーマの音楽も含め
ネームバリューもある作品だったので、
TV放映を機を再鑑賞した。
冒頭の再開発のために自分の家を
なかなか見つけられないシーンに驚いた。
かつての街の面影を全て無くしてしまう
再開発とは何なのか、
少しばかり建築の世界に身を置く者として
考えさせられたが、
映画の構成としては、
このシーンとこの後の物語の関連性が
良く分からなかった。
新しい社会体制に着いていけない人物像を
象徴するためだったのだろうか。
さて、この後の展開は、
各場面に何故そうなったのかのモノローグを
かぶせる編集に上手さを感じ、
分かりやすく鑑賞は出来た。
しかし、
犯罪場面での違和感が全くない訳ではない。
シャルルの家は豪邸で
金持ちでも在るようなのだが、
資金の必要な犯罪で、高級車の手配や
高級ホテルでの長い滞在費などを、
合計8年も刑務所にいても手配出来たとする
ための単なる設定だったのか。
そもそも犯罪で築いた財産だったら
妻に渡した財産でも実刑判決の段階で
財産没収されないのだろうか。
また、カジノのオーナーが金庫室へ行く
EVの前室に入った時、
外の人間からわざわざ見えるように
何故ドアを開け放しにする
不自然な設定にするのか。
更には、ドロンが通風ダクトを這いずる際、
彼が室内を見下ろせるように
金網部分を設けたが、
ダクト内で引き摺ったゴミが
落下する心配はなかったのか。
等々の些細なことが気になってしまった。
ギャバンとドロン二人の共演が魅力的で、
ラストシーンも印象的な作品だが、
何かと細部が気になり、それらが
没入を妨げる鑑賞となってしまった。