ダンス・ウィズ・ウルブズのレビュー・感想・評価
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狼と踊る男
今年公開されたスコセッシ監督の『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は白人がネイティブアメリカンに対して行った暴挙、言ってみれば白人にとっての歴史の恥部を包み隠さず描いた作品だった。
あの映画には良心的な白人は一人もいなかったように思う。
もちろん当時の白人の中にも良心的な者はいただろうし、一括りにネイティブアメリカンとはこうだと規定することも出来ない。
ネイティブアメリカンの中にも調和を重んじる者もいれば、好戦的な者もいる。
これはまだネイティブアメリカンが狭い居住区に追いやられる前の時代の物語。
人間と自然が調和していた最後の時代の物語かもしれない。
南北戦争で足を負傷したダンバーは、自殺をするつもりで単騎で敵陣に突っ込む。
しかし敵の弾は一発も当たらず、彼の行為によって鼓舞された北軍は見事勝利を収める。
一躍英雄となったダンバーは開拓の最前線へと送られることになるが、彼がたどり着いた砦はネイティブアメリカンの襲撃を受けたのか、廃墟と化していた。
彼はいつかは援軍が来るだろうと、その砦に留まることを選ぶ。
独りで砦を整備する彼に寄り添うのは愛馬シスコ、そしていつの間にか彼の前に姿を現すようになった一匹のオオカミ。
ダンバーはそのオオカミに「白い靴下」という名前を与える。
やがて彼の前にネイティブアメリカンのスー族の男たちが現れる。
はじめは牽制状態だった両者だが、身振り手振りでコミュニケーションを取るうちに少しずつ打ち解けていく。
ある日、自らスー族のもとに出向いたダンバーは、怪我をした女性を助ける。
その女性はスー族と共に生活をしているが、どう見ても白人である。
後に「拳を握って立つ女」という名の彼女は、好戦的なネイティブアメリカンによって家族を殺され、スー族の「蹴る鳥」という聖人に助けられたことが分かる。
英語を理解する彼女の登場によって、ダンバーとスー族の関係はより深まっていく。
自然と共に生きる彼らの姿にダンバーは感化されていくが、彼にはいつか白人がこの地に大挙して押し寄せ、彼らの生活を脅かす存在になることも気づいていた。
スー族の生き方に同調していくダンバーの目線で物語は進んでいくが、やはりこの映画の中では白人は悪の存在として描かれている。
印象的なのはスー族がバッファローの狩猟をする場面だ。
道中で彼らは毛を毟り取られ、肉塊と化したバッファローが至るところに転がっている姿を目撃する。
白人は毛皮を取るためだけにバッファローを殺し、その死骸は放置していた。
そこには自然に対する敬意はまったく見られない。
悲しいがこうした人間の横暴の上に、今の社会が成り立っているのも確かなのだと思い知らされた。
スー族が好戦的なポーニー族と戦う場面も印象に残った。
戦闘能力ではおそらくポーニー族が上なのだろう。
大切な家族を守るために立ち上がるスー族に、ダンバーは銃を分け与える。
結果的にスー族は勝利を収めるが、彼らが銃でポーニー族を圧倒する姿に何とも言えない哀しさを感じた。
やはり彼らは白人の力によって本来の生き方を奪われる運命にあるのだと感じさせられた。
ダンバーは拳を握って立つ女と恋に落ち、蹴る鳥の許しを得て結婚をする。
しかし彼は大切な日記を取りに砦に戻った時に、白人の部隊に取り押さえられてしまう。
スー族の格好をした彼はあっという間に裏切り者扱いされ、囚われの身となる。
愛馬のシスコも白い靴下も銃弾によって倒れる。
ダンバーはネイティブアメリカンを討伐しようとする彼らへの協力を拒む。
処分を受けるために連行されるダンバーだが、彼の窮地を聞きつけたスー族によって救い出される。
白人部隊は殲滅されるが、中にはダンバーに少しは理解を示そうとした将校の姿もあった。
共に暮らすことを求めるスー族に対して、ダンバーは彼らを助けるために別の道を歩む選択をする。
裏切り者のダンバーを裁くための追手はすぐそこまで迫っていた。
ダンバーは拳を握って立つ女と共に自由に生きられる道を目指して雪山を歩いていく。
歴史的名作と言われるだけに、ひとつひとつの場面がとても印象的で、特にダンバーと白い靴下との交流場面は心が暖まる。
それだけに観終わった後に、哀しみが残る作品でもある。
星条旗が何度も登場するが、物語が進むに連れて印象がどんどん変わっていくのにも感心させられた。
先住民について描いた数少ない傑作‼️
アメリカ発展において、恥ずべき行為として2つあると思う。一つは黒人奴隷制について、これは映画で描かれることが多い内容である。もう一つが西部開拓におけるインディアンの土地の略奪、虐殺である。後者を描いた映画をあまり観ないのはなぜだろうか?
今作も初めはインディアンがどことなく野蛮なように見える。しかし、主人公は交流していくことで少しずつ友好を深め、彼らが家族や仲間のためを思って行動していることに気づく。
表層的な部分だけ見て判断せず、主人公のように誠意を持って他の白人も接していれば…
バッファローの死体を放置したり、インディアンだから殺そうとする、フロンティアの白人の非情さ、罪に目を背けずに描いた点が良かった。
砦にいた白人たちのウザさ加減がすごい良かった笑。あいつらがインディアンにやられる様はスカッとしたし、エンタメとしても優れていると思った。
主人公はスー族の白人女性と結ばれ、スー族と別れを告げて終わるが、その後のインディアンのことを思うと切なくなる。
I always wanted to see the frontier, before it's lost. まったり異文化交流
午前10時の映画祭で観賞。三時間ある長い作品なのでちょっと敬遠していましたが、「今のタイミング逃すと暫く観ないだろうな」「映画好きを名乗る為の教養」という想いが沸き起こって観に行ってきました。やっぱりこういう作品は映画館で観たいですよね!
長い作品だけあってダンバース中尉とスー族とのやり取りとか、それはもうじっくり撮ってあります。テンポが早い最近の映画に慣れてると昔の映画って余計に長く感じてしまうのですが、そのじっくりした感じがまた1つの味なのでしょう。
「インディアンは差別用語なのでネイティブ・アメリカンと言いましょう」と変わった後の世代なのでインディアンと連呼される本作は先ずそこから違和感がありましたが、観てると「インディアン、カッケー!」ってなります。あんなにカッコいい文化なのに他者を理解しない白人に滅ぼされるのが残念でなりません。
観ているとスー族にどうしても感情移入してしまうわけなのですが、歴史ではインディアンは白人に虐殺されるって事を知ってたりもするわけじゃないですか。で、「虐殺されるシーンまであったらしんどいなぁ」っと思ってたら、そこまでなく最後は字幕で終わってたのでちょっと安心しました。
勿論本作は白人側から描いたファンタジーです。「実際はインディアン虐殺してたくせに」っていう意見もわからなくもないのですが、映画ですもん。夢見ましょうよ。本作からハリウッドにおける映画でのインディアンの描きかたも変わったと聞きます。そういった意味でも映画史において価値のある作品だと思いました。
午前10時の映画祭で観た
■全ての民族と争わない事。
ケビンコスナー演じる主人公は、スー族を殺害する事なく友好的に仲良くなった。
■決して手を出さない
はじめスー族に脅された時、主人公は手を出さなかった。
手を出さなければ友好的になれる。
■バッファローの出現を教えてあげる
主人公はスー族の喜ぶことを進んでしてあげること。
仲良くなるコツである。
インディアン討伐の頃の話である、、
初公開時以上に、いま観る価値の高い作品
初公開時にも観ているのですが、昨年『荒野の誓い』を観た際にこの映画のことを思い出し、それ以降、再度鑑賞したくなった作品です。
1863年、米国は南北戦争の最中。
激戦地であるテネシー州セント・デービッドでは、脚を負傷した北軍少尉ジョン・ダンバー(ケヴィン・コスナー)が野戦病院に運び込まれていた。
負傷した脚が切断される直前、ベッドから抜け出たダンバーは、膠着状態にある平原に、馬を駆って飛び出していく。
彼は自殺覚悟だったのだが、不意を突かれた南軍は彼の行動を機に統制を失い、この場で大敗を期してしまう。
功績を認められたダンバーは、赴任地に対する希望が出すことが許され、フロンティアである最西部サウスダコタのセッジウィック砦に赴任した。
そこは粗末な小屋があるばかりの小さな土地で、周りには荒涼とした荒野が拡がっていた・・・
というところから始まる物語で、その後、ダンバーは砦に近づいてくる一匹の狼と接近し、近くに集落を構える先住民族のスー族と出逢うことになる。
かつてのハリウッド製西部劇では悪役・敵役としか描かれていなかったアメリカ大陸先住民族(インディアンと呼ばれ、この映画でもそのように呼ばれている)。
が、アメリカンニューシネマ以降は、単なる悪役・敵役ではない描かれ方もしたが、これほど丹念に彼らの習俗が描かれ、その遭遇過程も丁寧に描かれた映画は、たぶん初めてだったと思う。
ダンバーがスー族と出逢い、彼らを理解し、そしてスー族のひとびともダンバーを理解するようになる過程が素晴らしい。
未知なるものに対する恐れは、未知なるが故であり、同じ人間であることがわかれば、理解の糸口はあり、理解しあうことは可能。
当初の、ダンバーが彼らに振る舞うコーヒーと砂糖、彼らから贈られる毛皮。
ともに、見つけ出したいとしているバファローのこと。
そして、バファローの狩り。
このバファローハンティングのシーンは圧巻で、ものすごい数のバファローの間を疾走するダンバーやスー族。
アップとロングを併用しての大迫力シーンで、ダンバーは、このバファローの大群を最初に見つけ、スー族の伝え、そして狩りでも活躍したことで、「疑わしき余所者」から「信頼される隣人」へと観方が改められる。
そして、狩りのシーンに先立ち、白人狩猟者による毛皮を剥がれたバファローの死体群を写すことで、白人文化と先住民文化の違いを明らかにする。
白人文化下のバファローを毛皮と舌を得るためのモノにすぎないが、先住民たちの文化下でのバファローは彼らの食糧・生命を繋ぐためのものである。
その後、ダンバーはスー族の文化に共感し感化され、ほとんどスー族の一員のようになり、「狼と踊る者」という族名を貰うことになる(これがタイトルの由来)。
そして終盤。
辺境の地と思われていたセッジウィック砦にも北軍の兵士たちはやって来、砦に戻ったダンバーは彼らに捕らえられてしまう。
無断逃亡の軍規違反、さらに「白人文化を棄ててインディアンに成り下がった野郎」という白い眼でもって。
そして、白人たち軍人の追撃は、当然のことながらスー族にも近づいていく・・・
終盤以降、スー族の行く末については映像で語ることも出来たろうが、それは敢えて行わっていない。
映像化してもただただ悲惨なだけで、先に描かれた皮を剥がれたバファローたちと同じにならざるを得ないからだろう。
失われた文化(言い換えれば、滅亡させてしまった文化)に対する郷愁だけでなく、その責任の重さも含めて、映画は字幕で紹介するにとどまっている。
このあたりは、品が良いと思う。
難点ではないのだけれど、ダンバーが先住民族の文化を理解する一助を担っているのが、幼い頃にに両親を先住民族たちに殺され、彼らに育てられた白人女性「拳を握って立つ」で、彼女のような仲介者がいないと互いに理解しあえないのかもしれず、そういう意味では、相互に理解するためには少なからずの犠牲や痛みも伴うのかもしれない。
そんな犠牲や痛みなどなく、互いに理解できれば良いのだけれども・・・
初公開の時以上に、いま観る価値の高い作品だと感じました。
付け加えて、ジョン・バリーの音楽、かなりの力作で、映画の格をあげているでしょう。
壮大なスケールの映画でした。 鑑賞途中から予想される悲劇的な展開に...
壮大なスケールの映画でした。
鑑賞途中から予想される悲劇的な展開に身構えてましたが、そこは描かれず。
でも史実ではもっと痛ましい現実が有ったんでしょうね。
まさに自作自演のヒーロー映画
正直、インディアンとの友情に終始した内容に違和感しかなかった。日本人が琉球人やアイヌ人と仲良くなって、友情物語を日本人が一方的な感情で作成したら、彼らはどう思うだろうか。侵略者、征服者のくせに、御涙頂戴映画のネタに先住民との友情を創作してしまうのは、征服者側のエゴでしかないと思う。だいたい、少数派の権利を重んじる現代に、そんな御都合主義の映画でウケを狙う神経がよくわからない。
バッファローを追いかけるシーンが延々と続くわりに、主人公の結婚はすぐに決まり、喪に服しているはずの女性はあっさり主人公に心奪われる。前の夫にDVでもされていたならともかく、そんなに簡単に死別した夫のことを忘れられるのだろうか。女性の感情も何も感じられず、見せ場だけを追求したツギハギ映画だ。
ハートウォーミングな作品
言葉も文化も人種も違う人間が、次第に心を通わせ会う様がとてもいい!言葉も通じずに、手探りでなんとかコミュニケーションを取っていくところは、なんとももどかしいが、それがとても魅力的に感じる。コミュニケーションは、恐れを捨て、互いに歩み寄らなければ築き上げていくことは出来ないのかもしれない。逆に言えば、それが出来ればどんな相手とでも交流を図ることができる。そんなことを考えさせてくれる映画。最終的に、主人公は部族の一員となり、もはや家族のようになることが出来ていた。上映時間の長さもあってか、非常に壮大な映画だと思わせる。ひとつ残念なのが、ケビン・コスナーは途中までのヒゲがあるほうが格好良かった(笑)
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