ダンス・ウィズ・ウルブズのレビュー・感想・評価
全28件中、1~20件目を表示
異文化との共生と調和を考える今こそ観るべき!
以前に衛星放送で観て、大自然の描写が美しく
撮影当時でもすでに激減していた本物のバッファローを
寄せ集めて撮影された暴走シーンの迫力など、
いつか映画館で観たいと思っていた作品。
上映時間は長いけれどほとんどダレることもなく、
主人公と先住民のスー族とのふれあいの段階や
愛馬や、
タイトルとなった狼とのコンタクトの様子も
生き物同士として観ていて心が暖かくなる。
そしてラストシーンに静かに涙が溢れて来る。
本当に良い映画です。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
自分たちと違う生き方をしているからといって
それを排除するのではなく、
お互いにお互いを知ることで調和して行く。
それは人と人だけでなく
自然のサイクルともお互いに折り合いをつけて、
感謝しながら調和してゆく。
今の時代に改めて見直すべき映画だな〜
誇り高きスー族の戦士たちと
醜悪な白人の兵士たちの対比が
観ていて本当に腹立たしい〜〜
スー族を理想的に描きすぎという意見もあるそうだけど
部族同士の争いによる戦闘シーンも描かれていて
決して彼らを無条件に「平和の民」と
美化している訳でも無いと私は感じた。
彼らが戦うのは家族や誇りを守るためであって
けして汚い政治に操られたり
イタズラに利益を貪るためでは無いことが
ちゃんと伝わって来る。
別れのシーンであの声が山にこだまして
ああ、涙〜〜
観てよかったです。
@お勧めの鑑賞方法は?
チャンスがあれば是非映画館で観ましょう!
あの雄大なバッファローの狩のシーンはスマホなんかじゃ
伝わらないわ!!
オスカーに相応しい名作
最近のオスカーは変化球が多いですが、ど真ん中直球です。
西部の大自然を使ったダイナミックと白人、インディアンの交流を描いたドラマチックが見事に融合してます。
コスナー先輩としてはフィールドオブドリームス、アンタッチャブルと並ぶ三大主演作でしょうね。
狼と踊る男
今年公開されたスコセッシ監督の『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は白人がネイティブアメリカンに対して行った暴挙、言ってみれば白人にとっての歴史の恥部を包み隠さず描いた作品だった。
あの映画には良心的な白人は一人もいなかったように思う。
もちろん当時の白人の中にも良心的な者はいただろうし、一括りにネイティブアメリカンとはこうだと規定することも出来ない。
ネイティブアメリカンの中にも調和を重んじる者もいれば、好戦的な者もいる。
これはまだネイティブアメリカンが狭い居住区に追いやられる前の時代の物語。
人間と自然が調和していた最後の時代の物語かもしれない。
南北戦争で足を負傷したダンバーは、自殺をするつもりで単騎で敵陣に突っ込む。
しかし敵の弾は一発も当たらず、彼の行為によって鼓舞された北軍は見事勝利を収める。
一躍英雄となったダンバーは開拓の最前線へと送られることになるが、彼がたどり着いた砦はネイティブアメリカンの襲撃を受けたのか、廃墟と化していた。
彼はいつかは援軍が来るだろうと、その砦に留まることを選ぶ。
独りで砦を整備する彼に寄り添うのは愛馬シスコ、そしていつの間にか彼の前に姿を現すようになった一匹のオオカミ。
ダンバーはそのオオカミに「白い靴下」という名前を与える。
やがて彼の前にネイティブアメリカンのスー族の男たちが現れる。
はじめは牽制状態だった両者だが、身振り手振りでコミュニケーションを取るうちに少しずつ打ち解けていく。
ある日、自らスー族のもとに出向いたダンバーは、怪我をした女性を助ける。
その女性はスー族と共に生活をしているが、どう見ても白人である。
後に「拳を握って立つ女」という名の彼女は、好戦的なネイティブアメリカンによって家族を殺され、スー族の「蹴る鳥」という聖人に助けられたことが分かる。
英語を理解する彼女の登場によって、ダンバーとスー族の関係はより深まっていく。
自然と共に生きる彼らの姿にダンバーは感化されていくが、彼にはいつか白人がこの地に大挙して押し寄せ、彼らの生活を脅かす存在になることも気づいていた。
スー族の生き方に同調していくダンバーの目線で物語は進んでいくが、やはりこの映画の中では白人は悪の存在として描かれている。
印象的なのはスー族がバッファローの狩猟をする場面だ。
道中で彼らは毛を毟り取られ、肉塊と化したバッファローが至るところに転がっている姿を目撃する。
白人は毛皮を取るためだけにバッファローを殺し、その死骸は放置していた。
そこには自然に対する敬意はまったく見られない。
悲しいがこうした人間の横暴の上に、今の社会が成り立っているのも確かなのだと思い知らされた。
スー族が好戦的なポーニー族と戦う場面も印象に残った。
戦闘能力ではおそらくポーニー族が上なのだろう。
大切な家族を守るために立ち上がるスー族に、ダンバーは銃を分け与える。
結果的にスー族は勝利を収めるが、彼らが銃でポーニー族を圧倒する姿に何とも言えない哀しさを感じた。
やはり彼らは白人の力によって本来の生き方を奪われる運命にあるのだと感じさせられた。
ダンバーは拳を握って立つ女と恋に落ち、蹴る鳥の許しを得て結婚をする。
しかし彼は大切な日記を取りに砦に戻った時に、白人の部隊に取り押さえられてしまう。
スー族の格好をした彼はあっという間に裏切り者扱いされ、囚われの身となる。
愛馬のシスコも白い靴下も銃弾によって倒れる。
ダンバーはネイティブアメリカンを討伐しようとする彼らへの協力を拒む。
処分を受けるために連行されるダンバーだが、彼の窮地を聞きつけたスー族によって救い出される。
白人部隊は殲滅されるが、中にはダンバーに少しは理解を示そうとした将校の姿もあった。
共に暮らすことを求めるスー族に対して、ダンバーは彼らを助けるために別の道を歩む選択をする。
裏切り者のダンバーを裁くための追手はすぐそこまで迫っていた。
ダンバーは拳を握って立つ女と共に自由に生きられる道を目指して雪山を歩いていく。
歴史的名作と言われるだけに、ひとつひとつの場面がとても印象的で、特にダンバーと白い靴下との交流場面は心が暖まる。
それだけに観終わった後に、哀しみが残る作品でもある。
星条旗が何度も登場するが、物語が進むに連れて印象がどんどん変わっていくのにも感心させられた。
今だからこそまた見たい映画 明日の為に
人と人、人と自然とが共に生きるってこういうことか。
焚火の前のダンスに胸が締め付けられて叫び出したくなる。狼が友を呼ぶように。
辺境に赴任した白人と、ネイティブアメリカン達が友情を育んでいく。そのプロセスが心に沁みわたる。
望んで赴任したダンバー。一人であることを改めてかみしめて生活している。そこに訪れる訪問者。狼、ネイティブアメリカン。
他のレビューにもあるが、ネイティブアメリカンとの宴の後で、一人で踊るダンス。人と心が通じた後だからこその、孤独。胸が締め付けられる。これほど孤独が胸に響く場面はあるだろうか。
だけど、その後ああなって幸せになるけど、こうなって…、やっぱ切ない。そして侵略者への怒りが…。
侵略者だって、「発展」を掲げた行為。う~ん、発展て何だろう。世界紛争の絶えない今だからこそ、考えたいと思った。
ラストの展開が「そうしたって、攻めてくるじゃん」と不満だけど、感動作。いつまでも余韻が残ります。
ダンバーの間抜けながらも感情移入しやすいキャラクター。
対する蹴る鳥の思慮深さかつすっとぼけた所。
風になびく髪の男らしさ。
10頭の熊の威厳ある態度。
とそれぞれのキャラクターも魅力的。
拳を握って立つ女。忘れかけた英語で、しかも自分も白人なんだけど白人であるダンバーを恐れつつ少しずつ魅かれていく様子が見事。(TVドラマ『メジャー・クライム』のレイダーをやってる方)
ファッションも美しい。そのままではとりいれられないけど。ビジュアル系?パンク系?の方なら参考にできるんじゃないか。
そしてバッファローが、狼が、馬が、大地が…圧巻で、雄大な気持ちになれます。
迫力ある場面と、人と人が、人と動物が心通わせていく場面の緻密さ。
友情は少しずつ少しずつ間合いを詰めていくのだが、恋はあっという間(笑)。
何をとっても文句ない。世界観に酔え、人と人の繋がりに心を鷲掴みにされる。
と、映画だけとっても大絶賛。加えて、
今なればこういう映画は他にも作られているけど、西部劇の余波の残る1990年代にこの作品を作った心意気に乾杯。そしてアカデミー賞を総なめにしたということを考えると感慨深い。
1980~1990年代、日本や欧米は成長戦略華々しい、右肩上がりの消費(使い捨て)国家。そんな中、ブラジルで1992年環境サミットが開催される。マクドナルドのハンバーガーの為に先住民族が住んでいる森が焼き払われるとかがニュースになって、授業でも取り上げる先生もいた時代。ハンバーガーだけでなく、各地で先住民族の方々が、成長戦略の犠牲になっているという報告が相次いでなされた。この年の環境サミットでも先住民族が一つの分科会として取り上げられていた。
そして、1492年のコロンブスによるアメリカ大陸発見後500年を記念してヨーロッパでお祝いしようとして、アメリカ大陸の先住民たちから「我々はその前から存在していた」とブ―ング。そりゃそうだ。
そんなことが影響しているのか、1992年のノーベル平和賞受賞者はグァテマラの先住民・リゴベルタ・メンチュウさん。(詳しくは『私の名はリゴベルタ・メンチュウ』参照のこと)
そして、国連は1993年を「先住民の国際年」に制定。日本で、ここに出てくるネイティブアメリカンの方と似たような同化政策に苦しまれたアイヌのお一人北海道ウタリ協会(当時の名称。現北海道アイヌ協会)理事長が基調講演をしたのに、当時の総理大臣は「日本は単一民族」なんて言っていたっけ。
この映画で描かれた、白人のフロンティアによる、ネイティブアメリカンの方々の住む土地略奪の後、ネイティブアメリカンの方々への同化政策の兇行(ネイティブアメリカン語を話すと、棒に縛り付けられて、土を口に入れられたなんてこともあったそうな)による文化・生活基盤破壊を経て、先住民族の方々の復権ムーブメントがじわじわと拡がってきていた時代。
環境問題に絡んで、各地の先住民族・発展途上国と当時名づけられていた国の方々の世界観が見直されてきていた時代。(日本で有名なのは『パパラギ』?)
そういうムーブメントが拡がってきていたとはいえ、国連が「先住民年」を制定しなければならないほどまだマイナーで、メジャーは「なにそれ?バッカみたい、関係ないじゃん」とバブルを謳歌していた時代。
そんな時代にこんな映画作ってコケたらラズベリー賞という選択肢もあったころ。この映画を作ったコスナ―氏に敬意を表したいです。
で、改めて考える。そのころと今と何が変わったんだろう?
なんてこと考えずに、映画の世界にハマって楽しめる映画です。
けれど、できれば彼らに想いを馳せてほしい。地球が生き残る知恵が、人と共存していく知恵がたくさん散りばめられているから。
落ち着いた、大人な映画
広大な自然の風景が美しかったです。時間がゆっくり流れるのもその風景にマッチしていました。
先住民との交流も見ていて楽しかったです。だんだんと分かり合って、打ち解けていく様子がいいですね。
ですが私はあまり乗り切れなかったなと思います。いつもスピーディーなアクション作品を観ることが多いからか、少し退屈というか、盛り上がりを感じにくかったです。落ち着いていて、大人な映画という印象。
ラストもしっかり最後まで描かれないので、ちょっともやもやしてしまいました。感動があるのはわかるのですが。
先住民について描いた数少ない傑作‼️
アメリカ発展において、恥ずべき行為として2つあると思う。一つは黒人奴隷制について、これは映画で描かれることが多い内容である。もう一つが西部開拓におけるインディアンの土地の略奪、虐殺である。後者を描いた映画をあまり観ないのはなぜだろうか?
今作も初めはインディアンがどことなく野蛮なように見える。しかし、主人公は交流していくことで少しずつ友好を深め、彼らが家族や仲間のためを思って行動していることに気づく。
表層的な部分だけ見て判断せず、主人公のように誠意を持って他の白人も接していれば…
バッファローの死体を放置したり、インディアンだから殺そうとする、フロンティアの白人の非情さ、罪に目を背けずに描いた点が良かった。
砦にいた白人たちのウザさ加減がすごい良かった笑。あいつらがインディアンにやられる様はスカッとしたし、エンタメとしても優れていると思った。
主人公はスー族の白人女性と結ばれ、スー族と別れを告げて終わるが、その後のインディアンのことを思うと切なくなる。
アメリカの開拓前の自然風景とか、原住民との交流、野生の狼との触れ合...
アメリカの開拓前の自然風景とか、原住民との交流、野生の狼との触れ合いなど、心温まるシーンはいっぱいあるんだけど、他のレビューにもあるように見ていて釈然としない気持ちになる側面もあり。難しいテーマの作品。色んなことを考えすぎて疲れてしまった。。
「タタンカ!」
だいぶ昔にWOWOWで見た。主人公がインディアンに殺されそうになって絞り出した言葉、「タタンカ!」(俺はアメリカバイソンがいるところを知っている)。頭に指を立てて角を示して必死に「俺は仲間なんだ」と訴えるところがとても良かった。
人と人のコミュニケーションは、結局その人が何を望んでいて、それに対して俺は何をできるのかを、短い言葉で相手の目を見て伝えることなんだと、テレワークの昨今改めて思った。
いつまでも心に残る作品
すごく長い映画ですが具体的にどんなエピソードがあったのか今ではすっかり忘れました。私が覚えてるのはこれを胸を打つ良い映画だったということです。 ケビンコスナーが、新大陸の知らない人々のために一生懸命頑張ろうという姿が素晴らしいです。今ではすっかり人気がなくなった彼ですが最高傑作だと思います。この作品は公開当時とても人気が出て有名になった作品ですからまだいつか見てみたいと思います。
絶滅危惧種となった理由へのObjection
群れを襲う単体の外敵に捕食されることを知らなかったアメリカバイソンは、襲撃に立ち向かう習性を持っていたと考えられています。白人の入植前、6千万頭と推測されるバイソンの個体数は、1890年には1,000頭にまで激減します。ライフルを持つ白人の狩猟に対しても怯まず、逃げることなく立ち向かった事が、自らを絶滅の縁にまで追いやった一因になったと言う説もありますが。
異論ありです。
誰がそんなデタラメ過ぎる説を唱えてるんだか。
スー族に限らず多くのネイティブアメリカンの種族は、バイソンを追いかけ、定住することなく移動式住居の生活を送っていました。衣食住のほぼ全てを、バイソンに依存していたのです。白人は最初、食料・皮革を得るために。後には害獣として、バイソンの狩猟を行っていましたが、インディアンの絶滅政策に伴い、「インディアンを飢餓に陥れる」と言う目的で、より大規模なバイソン狩りを押し進めます。アメリカの平原には、殺害されたままで放置されているバイソンの死体の群れが転がっていたと言う時代があったはずです。
アメリカンバイソンの習性なんて、関係ない話ですやん。
ネイティブ・アメリカンへの政策も、同じレベルな訳で。
スー族は、白人に狩られ、皮を剥がれ、放置されているバイソンの骸を見つけ、茫然とします。当時カリフォルニアでは、インディアンの絶滅政策に基づき、「駆除した」インディアンの証拠としてハンターが持ち込んだ「インディアンの頭皮」と引き換えに、賞金を出していました。あのバイソンと、それを眺めるスー族の立場は、全く同じだったって事です。
広大な大陸への入植者であった白人は猟銃によって、ネイティブアメリカンも、アメリカンバイソンも絶滅の縁に追いやり、そして、保護した。この映画の中で、「狼と踊る男」は、滅ぼそうとされる側と、滅ぼそうとする側のハイブリッドであり、白人の罪を告発すると言う役回りが与えられていました。
1991年に7個のオスカーを獲得したこの映画。この手の「白人達の罪を告発する映画」は、アカデミー賞で高い評価を得る傾向があります。でも。今も、ネイティブアメリカンは社会で冷遇され、差別され虐げられ続けている。告発を称賛しながら、現実では一向に変わらない社会ってのもねぇ...まぁ、少しづつではあっても良い方向に向かってるかも知れないんでしょうが...なんて、暗澹たる気分にさせられる映画でした。
午前十時の映画祭で鑑賞。
下書き感想文を書き直してアップするぞ週間。コロナ感染症ピークアウト戦略の我が国ですがヤバいです。致死率二桁%の変異体発生はほぼ間違いなく。東京・大阪・愛知・北海道は封鎖するしかないと思われます。中国からの感染者流入を止められなかったのは失政(野党の反対を言い訳にしてはいけません)でした。今回は毅然とした決定を望むばかりです。
と言うことで新作はしばらく見れそうにないので記憶を辿りつつ感想文を書きました。
I always wanted to see the frontier, before it's lost. まったり異文化交流
午前10時の映画祭で観賞。三時間ある長い作品なのでちょっと敬遠していましたが、「今のタイミング逃すと暫く観ないだろうな」「映画好きを名乗る為の教養」という想いが沸き起こって観に行ってきました。やっぱりこういう作品は映画館で観たいですよね!
長い作品だけあってダンバース中尉とスー族とのやり取りとか、それはもうじっくり撮ってあります。テンポが早い最近の映画に慣れてると昔の映画って余計に長く感じてしまうのですが、そのじっくりした感じがまた1つの味なのでしょう。
「インディアンは差別用語なのでネイティブ・アメリカンと言いましょう」と変わった後の世代なのでインディアンと連呼される本作は先ずそこから違和感がありましたが、観てると「インディアン、カッケー!」ってなります。あんなにカッコいい文化なのに他者を理解しない白人に滅ぼされるのが残念でなりません。
観ているとスー族にどうしても感情移入してしまうわけなのですが、歴史ではインディアンは白人に虐殺されるって事を知ってたりもするわけじゃないですか。で、「虐殺されるシーンまであったらしんどいなぁ」っと思ってたら、そこまでなく最後は字幕で終わってたのでちょっと安心しました。
勿論本作は白人側から描いたファンタジーです。「実際はインディアン虐殺してたくせに」っていう意見もわからなくもないのですが、映画ですもん。夢見ましょうよ。本作からハリウッドにおける映画でのインディアンの描きかたも変わったと聞きます。そういった意味でも映画史において価値のある作品だと思いました。
異文化との共生と調和を考える今こそ観るべき!
以前に衛星放送で観て、大自然の描写が美しく
撮影当時でもすでに激減していた本物のバッファローを
寄せ集めて撮影された暴走シーンの迫力など、
いつか映画館で観たいと思っていた作品。
上映時間は長いけれどほとんどダレることもなく、
主人公と先住民のスー族とのふれあいの段階や
愛馬や、
タイトルとなった狼とのコンタクトの様子も
生き物同士として観ていて心が暖かくなる。
そしてラストシーンに静かに涙が溢れて来る。
本当に良い映画です。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
自分たちと違う生き方をしているからといって
それを排除するのではなく、
お互いにお互いを知ることで調和して行く。
それは人と人だけでなく
自然のサイクルともお互いに折り合いをつけて、
感謝しながら調和してゆく。
今の時代に改めて見直すべき映画だな〜
誇り高きスー族の戦士たちと
醜悪な白人の兵士たちの対比が
観ていて本当に腹立たしい〜〜
スー族を理想的に描きすぎという意見もあるそうだけど
部族同士の争いによる戦闘シーンも描かれていて
決して彼らを無条件に「平和の民」と
美化している訳でも無いと私は感じた。
彼らが戦うのは家族や誇りを守るためであって
けして汚い政治に操られたり
イタズラに利益を貪るためでは無いことが
ちゃんと伝わって来る。
別れのシーンであの声が山にこだまして
ああ、涙〜〜
観てよかったです。
@お勧めの鑑賞方法は?
映画館で観ましょう!
あの雄大なバッファローの狩のシーンはスマホなんかじゃ
伝わらないわ!!
午前10時の映画祭で観た
■全ての民族と争わない事。
ケビンコスナー演じる主人公は、スー族を殺害する事なく友好的に仲良くなった。
■決して手を出さない
はじめスー族に脅された時、主人公は手を出さなかった。
手を出さなければ友好的になれる。
■バッファローの出現を教えてあげる
主人公はスー族の喜ぶことを進んでしてあげること。
仲良くなるコツである。
インディアン討伐の頃の話である、、
迫力のロケーション、夕焼けの美しさ!
午前十時の映画祭10で観賞。
日本公開は1991年。
リアルタイムで劇場観賞した後、ソフト化直後にレーザーディスクを購入して何度も観た。
今はプレーヤーが壊れて本棚の飾りになっているが。
公開から30年近く。映像は陳腐化しているのではと懸念したが、ロケーションの美しさは色褪せず、バッファロー狩りシーンは大迫力。CGもドローンもない時代に見事な撮影だ。
公開当時、ダンバー中尉(ケビン・コスナー)は実在の人物だと言われていた気がするが、勘違いか。エンディングのテロップで実話だと思いこんでいたのかも知れない。
ただ、史実のインディアン大虐殺に材をとっているらしく、原作小説が発表された当時は、白人を非難しているとして出版を拒否した出版社があったとか。アメリカはまだそんな状況だった。
原作者自らが脚色に当たっている。
ケビン・コスナーが文字通り私財を投げうったチャレンジは、西部開拓史が先住民族掃討の歴史でもあったことと、インディアンが呪術を崇拝する野蛮人ではないことを示した。
今でこそインディアンの描き方に正しくない部分を指摘されたりしているが、他民族を正確に描くことはドキュメンタリーでも難しいこと。
当時としては大きな挑戦だったと思う。
スー族の敵であるポーニー族は旧来の野蛮人的な描かれ方に見えるが、白人と組んでスー族の壊滅を画策している狡猾さも描かれている。
“拳を握って立つ女”を演じたメアリー・マクドネルは、どことなくシガニー・ウィーバー寄りの芯の強さを感じる風貌で、本作のキャスティングは良かったと思う。
主人公と結ばれるのが白人だというのは、結局インディアン差別かともとれるが、インディアンの娘と結ばれれば良かったかといえば、そうとも思えない。
フロンティアスピリットを開拓精神と訳すが、意図せず英雄となった主人公が志願したフロンティアの地とは、人口密度が一定以下の開拓途上地域を指していて、その算定基準の人口に先住民族を含まないという定義があったらしい。
フロンティアという単語の印象が変わる。
アフリカから拉致して奴隷にした黒人たちの解放のために戦った北軍も、インディアンの虐殺には抵抗がないという不条理。
人は、人を差別して自分よりも下層民を作ることで存在価値を認識する生き物だ。
だが、人間を人と認めないという発想は差別を越えて区別しているわけで、全く恐ろしい思考だ。
主人公は、軍隊が自分を追って来るから部族を巻き込まないために妻を連れて去る。
だが、軍隊の目的はスー族掃討だという皮肉がこの映画の後日譚となる。
エンドロールで、トゥーソックス(狼)はダブルキャストだったことに初めて気がついた。
Neil Young ニール・ヤングが一枚かんでおったとは (インディアン嘘つかない)
🎵午前十時の映画祭は 今年限りでラストを迎える 鈍いあたしは今頃知った まるで人生一周遅れね はやる心で 日曜 迎えた~~~
東京ららばい(中原理恵)の節でご唱和お願いいたします😅
Dances with Wolves
観ました❗良かった~
一匹狼🐺や愛馬🐴との友情も含めた、男の物語。
新型肺炎に懸からないように、マスクをして、中国人の多い歌舞伎町のTOHOシネマズに向かいました。
南北戦争のさなかにも先住民(インディアン)との戦いや先住民同士のいさかいもあったのかとあらためて知りました。史実と違うかもしれないけど。
判官贔屓というか、やはりモンゴロイドのわたしは、カムチャッカ半島、アラスカを越えてアメリカ大陸に渡った遠い先人としてのインディアンを応援したい気持ちが強いです。ナバホ族、ズニ族、ポピ族などのラグや装飾品なども大好きです。
第2次世界大戦中、米軍は先住民出身者からなる暗号専門の部隊を組織したそうです。たぶん、言葉の意味や文法などが日本語と似ていて、文字文化がないから、かえって音で記憶しやすいと踏んだからかと思いますが、多分に民族的な差別に基づいて先住民に忠誠心を誓わせる目的もあったのではないかと思われます。使えるものは何でも使う。さすが、白人は狡猾ですね。
コスナーの主演/監督で、スー族の女性とのラブストーリーでもある本作ですが、お相手はインディアン女性ではなくて、幼少時に捕らえられた設定の青い目の白人女性でした。通訳としての重要な役割もあるわけです。
1997年のアンジェリーナ・ジョリー出演の True Woman(ロード・トゥ・ヘブン)も南北戦争当時の話しでしたが、インディアンの血が混じることのタブーも描かれます。アンジェリーナ・ジョリー自身がイロコイ族の血が混じるので、率先して出演したのではないでしょうか。でも、イロコイ族っていい名前ですね。わくわく😃💕します。
スー族と他部族のいさかいの場面ではライフルが大活躍しますが、部族同士の喧嘩にライフルを使うことに酋長が同意するかなぁと思いました。白人が部族間抗争にわざと銃を与えて、仲違いを強めたのでではないかと。 そんなことをレビューを書こうとすると考えてしまうのですが、そうじゃなければ、繊細かつ大胆な男気と先住民の生活を含めた北米大陸の自然に感動する良作です。インディアン役の役者たち、みんなステキでした。エキストラの先住民も多かった。今ではこんな映画作れるとは思えない。
バイソン(バッファロー)の群れのシーンもすごかったです。動物は一切殺していないと最後にクレジットが出ましたが、本当? 特撮? 今ならVFXですが、でも、趣(おもむき)ないでしょうね。 映画館の大画面でのデジタルリマスターはすごく良かったです。
追記
バッファローの大群を狩る撮影シーンは3500頭で行われ、至近距離での撮影は飼いならされた2頭で行われ、そのうちの一頭はニール・ヤングが所有、調教した「マンモス」君だとか。へー、ニール・ヤングすげー。特撮なしだそうです。驚きました。
ニール・ヤングは好き。声が。曲もね。有名な曲は、 Heart of Gold. Album は Southern Man、Only Love Can Break Your Heart の入っている After The Gold Rush が好き。ニール・ヤングのバックバンドは Crazy Horse だったけど、バッファロー飼ってるニールの方が crazy だよね。 反骨のロッカーだから、スケールが違う。
参考文献:https://ciatr.jp/topics/235831
初公開時以上に、いま観る価値の高い作品
初公開時にも観ているのですが、昨年『荒野の誓い』を観た際にこの映画のことを思い出し、それ以降、再度鑑賞したくなった作品です。
1863年、米国は南北戦争の最中。
激戦地であるテネシー州セント・デービッドでは、脚を負傷した北軍少尉ジョン・ダンバー(ケヴィン・コスナー)が野戦病院に運び込まれていた。
負傷した脚が切断される直前、ベッドから抜け出たダンバーは、膠着状態にある平原に、馬を駆って飛び出していく。
彼は自殺覚悟だったのだが、不意を突かれた南軍は彼の行動を機に統制を失い、この場で大敗を期してしまう。
功績を認められたダンバーは、赴任地に対する希望が出すことが許され、フロンティアである最西部サウスダコタのセッジウィック砦に赴任した。
そこは粗末な小屋があるばかりの小さな土地で、周りには荒涼とした荒野が拡がっていた・・・
というところから始まる物語で、その後、ダンバーは砦に近づいてくる一匹の狼と接近し、近くに集落を構える先住民族のスー族と出逢うことになる。
かつてのハリウッド製西部劇では悪役・敵役としか描かれていなかったアメリカ大陸先住民族(インディアンと呼ばれ、この映画でもそのように呼ばれている)。
が、アメリカンニューシネマ以降は、単なる悪役・敵役ではない描かれ方もしたが、これほど丹念に彼らの習俗が描かれ、その遭遇過程も丁寧に描かれた映画は、たぶん初めてだったと思う。
ダンバーがスー族と出逢い、彼らを理解し、そしてスー族のひとびともダンバーを理解するようになる過程が素晴らしい。
未知なるものに対する恐れは、未知なるが故であり、同じ人間であることがわかれば、理解の糸口はあり、理解しあうことは可能。
当初の、ダンバーが彼らに振る舞うコーヒーと砂糖、彼らから贈られる毛皮。
ともに、見つけ出したいとしているバファローのこと。
そして、バファローの狩り。
このバファローハンティングのシーンは圧巻で、ものすごい数のバファローの間を疾走するダンバーやスー族。
アップとロングを併用しての大迫力シーンで、ダンバーは、このバファローの大群を最初に見つけ、スー族の伝え、そして狩りでも活躍したことで、「疑わしき余所者」から「信頼される隣人」へと観方が改められる。
そして、狩りのシーンに先立ち、白人狩猟者による毛皮を剥がれたバファローの死体群を写すことで、白人文化と先住民文化の違いを明らかにする。
白人文化下のバファローを毛皮と舌を得るためのモノにすぎないが、先住民たちの文化下でのバファローは彼らの食糧・生命を繋ぐためのものである。
その後、ダンバーはスー族の文化に共感し感化され、ほとんどスー族の一員のようになり、「狼と踊る者」という族名を貰うことになる(これがタイトルの由来)。
そして終盤。
辺境の地と思われていたセッジウィック砦にも北軍の兵士たちはやって来、砦に戻ったダンバーは彼らに捕らえられてしまう。
無断逃亡の軍規違反、さらに「白人文化を棄ててインディアンに成り下がった野郎」という白い眼でもって。
そして、白人たち軍人の追撃は、当然のことながらスー族にも近づいていく・・・
終盤以降、スー族の行く末については映像で語ることも出来たろうが、それは敢えて行わっていない。
映像化してもただただ悲惨なだけで、先に描かれた皮を剥がれたバファローたちと同じにならざるを得ないからだろう。
失われた文化(言い換えれば、滅亡させてしまった文化)に対する郷愁だけでなく、その責任の重さも含めて、映画は字幕で紹介するにとどまっている。
このあたりは、品が良いと思う。
難点ではないのだけれど、ダンバーが先住民族の文化を理解する一助を担っているのが、幼い頃にに両親を先住民族たちに殺され、彼らに育てられた白人女性「拳を握って立つ」で、彼女のような仲介者がいないと互いに理解しあえないのかもしれず、そういう意味では、相互に理解するためには少なからずの犠牲や痛みも伴うのかもしれない。
そんな犠牲や痛みなどなく、互いに理解できれば良いのだけれども・・・
初公開の時以上に、いま観る価値の高い作品だと感じました。
付け加えて、ジョン・バリーの音楽、かなりの力作で、映画の格をあげているでしょう。
壮大なスケールの映画でした。 鑑賞途中から予想される悲劇的な展開に...
壮大なスケールの映画でした。
鑑賞途中から予想される悲劇的な展開に身構えてましたが、そこは描かれず。
でも史実ではもっと痛ましい現実が有ったんでしょうね。
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