「アジア人はもう見えない存在ではない!」誰がビンセント・チンを殺したか? Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
アジア人はもう見えない存在ではない!
「誰がビンセント・チンを殺したのか」、1982年に彼はデトロイトのバーでバッチェラーパーティーを楽しんでいて、喧嘩になり外で、二人の白人によって頭をバットで殴られ、その4日後、亡くなった。しかし、当時のチャールズ・カウフマン裁判官はこの白人、ロナルドとマイケルに軽い判決、過失致死罪を与えた。監獄にも入らず執行猶予3年だけだった。そしてわずか3000ドルぐらいの支払いが命じられただけだった。
私は彼の名前は知らなったが、ドキュメンタリー映画になっていたので顔は知っていた。 日本語のクラスで、日系人・日本人強制収容所の中に強制収容された人々の人権について、話し合ったのをたまたま、英語の先生に話した。その時、その彼女に『ビンセント・チン』を知ってるかと聞かれ、2017年のNBCニューズの記事を一緒に読んで話しましょうと言われた。その記事の最後の方に、このドキュメンタリー映画の話が載っていた。 彼女と話し合うのにもっと理解がいると思ってドキュメンタリーを観た。
1980年ごろは今とは全く違って、日本の自動車会社の勢いがすごく、クライスラー・フォード、などは衰退し始めていた。ロナルドとマイケルの暴言を借りれば、『ちびの奴らのおかげで、仕事がなくなったんだよ』が喧嘩の争いになったわけだ。『you little m—f—s』は日本人のことだけど、この二人にとって、ヴィンセンをスケープゴードにしただけだ。アジア人はみんな似ていて誰が中国人か日本人か検討がつきゃしない。不幸にもビンセントが被害を被り、母親の慟哭(母子二人の生活)と結婚するはずだったガールフレンドの流れる涙は拭いきれないようだった。それに増して、判決の軽さはとは。ビンセント・チンの死の重さは人間ではない。動物の死として扱われたと。
監督はかなりのアメリカのアジア系の人々やアジア系の若者たちにインタビューを。でも、若者はビンセント・チンの名前をもう知らない。月日が経ってしまった。ヴィンセント・チンの話こそアジア系の差別、それと、差別を考えてみるのに必要なストーリーなのだ。だから、監督たちはビンセント・チンの死を無駄にせず、歴史上のこの不公平な事件を顧み、差別という意識を高めて、差別のない社会を作ろうとドキュメンタリー映画にしていると思う。
最後の『この話を皆に伝えなさい。』『この話を皆に伝えなさい。』はパワーのある言葉だと思う。 このような事件をおこさないようにと学ぶことは人々の意識にいれることだ。特にアジア人は見えにくい存在で、アジア人の話はあまり聞かないけど、一丸となって、差別と戦おうと。『誰がビンセント・チンを殺したのか』というタイトルには差別というのは私たち皆、社会の責任で、それをなくすためには差別を教育を含め透明化しよう。何が差別かしらない人もいる。それに、差別をしているのに気づかない人もいる。
透明化することで、人間の見方が変わってくるよという意味だと思う。
グラン・トリノ(2008年製作の映画)Gran Torinoの撮影場所とビンセント・チンの住んでいたところは同じくハイランド・パーク。20年の歴史の違いがあるが?