タクシードライバーのレビュー・感想・評価
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ものすごく地味だった 渋いとかはなく地味
会話シーンが長いが特に伏線だったり面白い会話だったりすることもなく、物語の進行状会話しているような感じ
その日暮らしだったのがタクシードライバーに就職し生活が安定
したらしたでこんなのでいいのかと社会人病と中二病を併発したデ・ニーロ
色々用意してたまたま使うことが起きて成功してしまう
成功するともっと大きなことをしたくなる
全体的に身勝手な男というかどの立場で何を言うてんねんと
昔の時代特有の男が言ったことが正義って感じがどうも受け入れ難い
説得力あればいいけどその場でテンション上がって言ってるだけなのがどうも
唯一タクシー仲間のおっちゃんの「人間なるようにしかならん」だけが説得力あった
若いデニーロがかっこいいのと最後のどんぱちは良かったけど意味のない会話が多くて退屈だった
オチもいい話になってたけどだいぶ無理矢理でしょうもねぇなと感じた
古い映画だから仕方ない
たまたまかもしれませんが、
最近似たような映画をよく見る気がする。ジョーカー、ファイトクラブ。主人公は孤独で不満を抱えている。デ・ニーロの演技。あの間がすごい。
アメリカの深い闇
ん十年ぶりに観た。確かな後味の悪い記憶が残っていたので恐る恐る観た。やっぱり今観てもそのインパクトは相当で暗い気持ちに陥ってしまった。狂気に満ちたトラビスを演じるデ・ニーロには今更ながら戦慄してしまう。そして幼さを消し去ったジョディー・フォスター、どんな脇役をやらせても存在感が半端ないハーベイ・カイテルがその緊張感を助長する。
記憶になかったのはハッピーエンドまがいの終わり方。あまりにも後味が悪いので、さすがのマーティン・スコセッシ監督も興行収入を考慮して最後に主人公を英雄化したのかなとも一瞬思ったりもしたが、これって監督のアメリカ政府に対する強烈な皮肉なんですよね?ベトナム戦争が生んだこの殺人鬼をヒーローにまつりあげることをどれほどのアメリカ人が許容できますかって。想像できないほどの深い闇をこの国に落としたベトナム戦争。この作品にも我々日本人にはとうてい理解しきれない部分が多分にあると思います。
神格化
観たのは、もう30年以上前にレンタルビデオで、観ましたが、当時から既に名作という刻印が押されていたので、どんなものかと思ってみた覚えがあります。
んでもって、ストーリーも、有名なシーンも、何年経ってもいまだに、当時観た感覚と共に覚えている。まあ、常にものまねする人もいるからっていうのもあるのかもしれないけど、
やっぱり、名作っていうのは、こういうものなんだなぁって思う。
昔の作品で名作と名高いので、このタイミングで鑑賞。ただ、ボクにはよ...
昔の作品で名作と名高いので、このタイミングで鑑賞。ただ、ボクにはよく分からなかった。映画が終わったあとにネタバレサイトで色々解説みたら、この映画のメッセージが深すぎて自分の理解度の低さを嘆いています。
「病めるアメリカ」を描いた佳作
戦役を終えて(名誉除隊)母国に帰国したものの、戦争後遺症のため不眠に悩むトラヴイス。
何年ほど戦役に就いていたのかは本作では描かれていなかったと思いますが、除隊してもなおその若さなら、退役しても生活できるほどの恩給がついていたとも思えない。
結局、食べるためには戦争後遺症(不眠症)をおしてタクシードライバーとして働かざるを得なかったのでしょう。
その現実。
そして、タクシーの運転席から彼の目に映るアメリカは、街頭にあふれる売春婦、麻薬の売人、そして「お定まり?」のコンビニ強盗(同じ店で今年5回目とか)など、堕落しきったアメリカ社会で、そんな社会のクズを一挙に洗い流してくれる雨も、一向に降りそうにない。
「俺は、こんな国のために、命を危険に曝して、ベトナムで戦役に従事してきたのか」という無念も、トラヴィスの胸中には去来したのではないかとも思います。
評論子は。
加えて、選挙で選ぶべき政治家は、「ベトナム戦争の悲劇」や「社会の腐敗、失業、インフレ」は口にするだけで頼りにならず、おまけに、せっかく良い関係になれそうだったベツイとの関係も、ふだん行きつけのポルノ映画館に誘ってしまうという大失態から、簡単に破局ー。
(たぶん、戦争に行っていて、二十代の若者らしい遊びには疎く、そういうことの発想が乏しかった彼には、「娯楽」といえば、ポルノ映画館ぐらいしか思いつかなかったのだろうとも思います)。
そんな境遇のトラヴイスが自分にもできること、否、自分にはできることとして、銃を買い、筋トレを始めて自分の衰えた肉体を(ベトナム戦争の海兵隊時代並みに)鍛え直して、自ら現代のアメリカ社会の「掃除」に乗り出そうとする姿が、なんとも痛々しい限りです。
彼が当初の目的としていたであろうことには間一髪で失敗はしてしまったものの、娼館での派手な銃撃戦の末に、唯一、まだ13歳にもならない「ひょっ子の売春婦」のアイリスを両親の元に帰すことのできたことが、唯一のトラヴイスの成功(功績)だったのでしょうか。
作中の彼のそういう姿が、何とも胸に痛々しい一本でもありました。評論子には。
(マシューが知らなかったということは、アイリスは、おそらくは彼女の本名。そして身近だったマシューにすら教えていなかった本名を、アイリスはトラヴイスには教えたのだと思いました。)
「病めるアメリカ」を描いた、いわゆるアメリカン・ニューシネマの一本として、佳作であったと思います。
評論子は。
男なら一度は通りそうな恥がリアルに描かれる
ベトナム戦争後という時代背景はあまりこの映画の主軸としては関係なく、孤独で不満を抱えた男というのはいつの時代も哀しく滑稽である。
主人公の虚勢や不満や嫉妬、そしてフラストレーションが向かう矛先と行動……実際にあそこまで爆発することは稀だが、男として誰もが通ってきた『わかる』が主人公に詰まっているなぁ……という点がこの映画の特筆すべきリアリティーだと感じた。
孤独がひとを壊す
孤独が絶望感につながり、テロリストを生み出すのか、命の使い道を失い、行き当たりばったりに事件をおこす。映画では人助けとして結末している。ここまでのことでなくても、人は気持ちの持ちようで生きていけるということなのか!いろいろ投げかける映画であった。若きジョディとロバートデニーロがよかった。
忘れない為にレビュー
結局彼は何か自分の人生に対し目的を探していたのかな?🤔
彼女は出来ない、毎日機械的で退屈な仕事の繰り返し、そんな生活を送っていたら孤独や虚無感、人生の意義みたいな事も考えたくなる。そして毎晩彼の目に映るのは腐った街。
ここで彼は「やる」人間だと思いましたね。普通の人は目の前で間違った事が行われていても見て見ぬふりをする。何故なら自分に被害が被るから面倒は避ける。
だか今作の主人公はどんな方法を使ってでも間違いを正そうとする姿勢が見られた。
政治が変えれないなら俺がする、周りがしないなら俺がするみたいな極端で悪いですが😅
そして彼の悶々とした日々が晴れる出来事、確定ではないが人生の目的や意義を見つけ、見出した。ある意味恣意的な模索。
長くなりましたが最後に、結局の所殺人は殺人であるしダークヒーローみたいな綺麗な言い方はしたくない。これを肯定してしまうと世も末。認めたくはない。
自分の中で解消できない人生の不満が、社会に対する攻撃として表れている
トラビスはベトナム戦争の帰還兵で、心を許せる家族も友人も誰一人いない孤独な男。学歴や知識、技術も無いので良い仕事には就けず、生きるために仕方なく働く毎日。さらに仕事柄、ニューヨークの人々の堕落ぶりが目につきやすいので、余計に負の感情が溜まる。性格も独り善がりなので、女性に対して相手を考えないアプローチをして嫌われる。そのような自分の中で解消できない人生の不満が、社会に対する攻撃として表れている。孤独で闇を抱えた男の描写が面白い映画。
アイリスを助けようと殺人にまで手を染めるところも、独り善がりの極みだと思う。ただ、ラストシーンで通常通り働いている姿を見ると、映画後半からの彼女を助けようとする行動は全て妄想なのかと思った。それでは最後のタクシーでのベッツィーの「新聞を見た」という発言は何だったのか。この辺の解釈は観客の判断に委ねられているのかもしれない。『キング・オブ・コメディ』のマーティン・スコセッシ監督の作品なので、それも有り得ると思った。
格差社会の現在、この映画にはまだまだ商品価値が…
もう何度目の鑑賞が分からない位だが、
けだるい街の雰囲気とそれを浄化したい
主人公の想いを映像と音楽で描いた
見事なタイトルバックが懐かしい
キネマ旬報ベストテン第1位選出
(但し、アカデミー賞は「ロッキー」
「大統領の陰謀」「ネットワーク」「オーメン」に
さらわれ、
作品賞・主演男優賞・助演女優賞・作曲賞の
ノミネートのみで無冠)
の、マーティン・スコセッシ監督作品を
TV放映を機に再鑑賞。
今回の鑑賞で印象的だったのは、
そもそもがこの物語の登場人物については
全員がその不器用性が強調されており、
その結果、それぞれ正義と不義の
境目ギリギリの生き様を
見せていたことだった。
主人公の主人公は勿論、
売春少女や彼女のヒモの男性も、
少し社会状況が変わっていたら
別の生き様があったのではと
思わせるような人物描写だった。
日本でも同じような状況の人物による
同じような事件を多く目にする。
彼らが
もう少し優しい社会に触れていたなら、
売春少女が再生したように、
この作品の登場人物にも別の人生が
あったのではとの想像も。
中でも、この作品の主人公は
現状社会への苛立ちを
暴力で解消しようとした。
しかし、
少し前に観た、同じスコセッシ監督の
「エイジ・オブ・イノセンス」の主人公は、
愛する人への想いを阻害する
現状社会への苛立ちを
解消しないままにその人生を送った。
どちらがより良い選択だったか。
マーティン・スコセッシ監督は、
その両極端の事例を
我々に示したのだろうか。
また、監督は男女二人のこの先の関係を
どう想像させようとしているのだろうかと
改めてラストシーンを注目もしてみた。
しかし、彼女は立ち去る主人公のタクシーに
再度視線を送ることもなく、
さっさと自宅の階段を上がっていった。
事件を切っ掛けにお互いの理解が進んだかに
見えた二人ではあったが、
それを阻害する格差社会が眼前とあることを
監督は示したのだろうか。
そうだとしたら、
格差社会が何かと問題になる現在、
この映画にはまだまだ商品価値が
あるような気もした。
否定と肯定の手のひら返し
久しぶりに鑑賞。
初見当時は内容がよく分からず、モヒカン頭で演説会場を襲おうとする危ない奴の映画ということしか覚えてなかった。だが、歳を重ねたせいか、感想も変わってきた。
この映画は、ある意味「戦争」を描いたものとも言える。
行為を起こす者にとっては、相手の不義を正すという大義のもとに行われる「正義」だが、別の立場から見ると、圧倒的に認められない。しかも、その評価は、ちょっと見方が変わるだけで、肯定にも否定にも手のひら返しのように変わる。
主人公の「少女を救う」という大義は、世界の至る所で代理戦争を戦うアメリカそのものの大義のメタファーであり、戦争によって精神的に傷つき、自分の考える正義を歪に肥大化させた主人公そのものもまた、アメリカ自身のメタファーなのだろう。
主人公に「政治には詳しくない」と語らせつつ、大統領選挙をストーリーに絡ませるあたりも、挑発的だと思った。
銃の持つ重み、弾き飛ばされる指、描かれる血の生臭さがリアル。
繰り返されるテーマ曲のメロディは美しくセンチメンタルで、古臭さを感じないのに、後半につけられている効果音には、50年という時を感じてしまうのはなぜなのかが、自分としてはおもしろかった。
これ以上のニューヨークはない
言わずと知れた名作。相当久しぶりに鑑賞したが、やはり素晴らしい映画だった。
若き日のデ・ニーロの演技力、そして年若き娼婦を演じるのはジョディ・フォスターで当時驚きの13歳だそうだ。
物語的にはベトナム戦争を経験し荒廃する都会と青年の焦燥感とやるせなさ。観る側を何とも言えない気持ちにさせる。
そしてスコセッシの撮るフィルム時代のニューヨーク、これ以上の描写は今後絶対にないだろうと思う。
個人的にはアメリカンニューシネマとして文句のつけようがない作品。
2012年11月第三回午前十時の映画祭にて
中々まとまらない。
皮肉なエンディングやジョディ・フォスターの妖しさはわかるけど、デニーロをただのおかしな人と言ってしまうのも違うし、かといって彼に肩入れする気にもなれないし、うまく咀嚼できないけどうま味はする。
さて、どうしたものかわからない。
オールタイムベスト10で絶対的に今だに上位の作品
小さい頃に正月の深夜にテレビでたまたまやってて見たのですが変わり者の主人公が変な事して最後は少女を助けたくらいの思い出だったのが ある程度歳をとってから鑑賞したらデニーロがカッコ良過ぎて痺れましたね。
この頃って映画の影響でランボーが流行ったからランボーナイフを買うとかバックトゥーザフューチャーを見てアメカジ的な格好を真似するとか作品を見る事による影響って相当ありましてタクシードライバーは今だにタンカースジャケットのトラヴィス 仕様のやつを持っててM-65に空挺のワッペン付けてキングコングカンパニーのワッペン付けて着たりしてますし今だに定期的に鑑賞するくらいイカした映画だと思ってます。
善良な一般市民と(善良であるべき)政治家。悪を退治するのはどちらか。
主人公トラヴィスは、夜の生活を営み、危険な場所でもどこでも行く深夜営業のタクシードライバー。そうした底辺の生活を送る人間がもつ、世の中を綺麗にして欲しいという要望に対して、政治家は首をかしげ、難しいとだけ言う。政治家は演説ではきれいごとを言い、その支持母体の人間であるべツィの方も底辺の人間である主人公のことを理解してはくれない。トラヴィスは反感を覚え、この腐敗に満ちた世界をべツィもろとも破壊したい欲求に駆られ、銃をも手にするようになる。しかし、べツィへの暴力も、政治家の暗殺も失敗に終わる。
他方で、トラヴィスは自らの手で、本当の悪、世界を汚す存在へと立ち向かい、「浄化」を実践するのである。(そのきっかけとなったのは、たまたま夜のコンビニで「黒い」人間を撃ち殺したシーンにある。コンビニの店長はトラヴィスに礼を言い、市民は暴力を望んでいることが明らかとなる。)トラヴィスは売春宿の男たちを撃ち殺し、英雄になる。暴力は、正義を行使する手段でもあったのだ。アイリスの両親も、英雄トラヴィスへ感謝の言葉を寄せる。
ところどころ色んなものへ陶酔する危うさを持ち、女性であれ何であれ美しいものを付け回すオタク気質の主人公ではあったが、彼を英雄的行為へと駆り立てたものは何だったのか。最後のシーンでは、生活は以前と変わり無いものの、主人公の眼には充実感と自信とが溢れている。べツィも、現実社会の負の側面に夢砕かれたのだろうか、序盤と終盤とでは表情ががらりと変わり、終盤では哀愁漂わせる非力な女性へと変化している。
トラヴィスの二度目の恋のチャンスはうまく行くのだろうか。
閉塞感の漂う世界観に息が詰まる部分が多いけれども、一般的なアメリカン・ニューシネマや戦後フランス(というか、ニューシネマのモチーフはほとんど戦後フランスにある!)の作品とは少し趣向を変えており、おぼろげながらも未来へと前進しようとしている。人々はどこへ向かおうとしているのか、「ゆくへもしらぬ」(『新古今集』)未来だが、梶はしっかりと握っているようだ。
(2019/11/03)
何かと名前が上がるので観てみまし。
joker公開時によくこの作品の名前が上がってたのを思い出し鑑賞しました。
名前が上がるのがよく分かるほどの内容でした、jokerはこの作品を大きく重くした作品なのだと思いました。
jokerを先に観ましたのであちらのインパクトが大きいですがタクシードライバーを先に観ていたらjokerはオマージュに見えるかも知れません。
誰もが想い、悩むこと。その日々にケリをつけてくれる。
日々溜まる鬱憤やこの世の全てが腐って見えてしまう
自らどうにかしたいがどうにも出来ない現実は分かっていることからくる無力感
誰しもが人生で一度は感じ、潜在的に感じている孤独、絶望は現代日本で言う"厨二病"と言ってしまうとそれまでだが、その極地にあるトラビスはヘラヘラと笑いながら、鋭く凝視する眼光は恐ろしく、一見すると日常だが画面には常に緊張感が漂う
終盤、トラビスの決断により事態は動くが願っていたよりも世界はあまり変わらない
個人的には、思っていたよりも"良い結末"となったことが意外だった
不思議な魅力のある映画
現代にも通ずるモヤモヤした日々
主人公(R.デ・ニーロ)は何に悩んでいるのか...現代なら鬱と言われるかもしれないが、彼は夜を中心にタクシー・ドライバーしながら自分なりに必死に考え、行動し解決しようとする。彼女がほしいのか、単に女遊びがしたいのか、筋トレに励んだり、世の中を変えたいと政治に興味を持とうとしたり...オシャレして歩いてる街の人を見て羨ましいのか、怒りを感じるのか、自分は何に興味があるのか何をしてもわからない。自己顕示欲とも言えるでしょう。
こういう気持ちって今も一緒だと思うのです。現代は複雑になる一方ですから尚更だと思うのです。一人の方が楽なのか、またステータスある人生を送れば晴れるもんなのか...一つ一つ達成していくしかないと言えばそれまでですが「何してもつまらない」「この世の中なんだよ」と思いながらモヤモヤ過ごす。誰もが心の奥にある満たされない心の叫びを描いているのだと思います。
「何がしたいわけ?」「楽しんだ方がいいじゃん」--- そんな目で観たらつまらんでしょうが、この映画の良さはストーリー以外にもある。まずデニーロはじめジョディ・フォスター、ハーヴェイ・カイテル...と現在まで長く第一線で活躍するスターが複数いること、そしてこれが遺作らしいバーナード・ハーマンのサックスを主としたサントラも映画とマッチしており、名作と思ってる人が多い点ではないかと。。私もその一人です。
悪く言えばシリアスなものは苦手という人には不向きでしょう。
昼より夜、まさに深夜劇場。寝れない時に染みる映画の一つであります。
余談ですが「あばよ、デニーロ」というB級映画も、この映画の影響で気に入ってしまった思い出があります。
---強いてケチ付ければジャケット---
ビデオの時はポケットに手を入れ下を向きながら「このままじゃいけない、何とかしなきゃ...」街を歩きながらそんな雰囲気を感じたのですが、DVDになってから「パンク・デニーロ」の顔アップで反社会的アウトローの側面が強調されてしまい、せっかくいい話なのに敬遠する人が居るんじゃないか、と思ってしまう。ビデオテープ時のジャケットに戻した方がいいなぁ。
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