「日々の幸福。」太陽はひとりぼっち Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
日々の幸福。
果たして本作は「愛の不毛」を描いた作品なのだろうか?アントニオーニ監督の代名詞「愛の不毛」。さらに主演のモニカ・ヴィッティの代名詞である「アンニュイ」さ・・・。確かに本作には何の「答え」もない。ヴィッティ演じるヴィットリアの口癖は「わからない・・・」。真夏のローマ、焼け付く暑さが画面から滲み出て、倦怠感に溺れそうになる。事故で人が死んだり、株の大暴落により、ヒロインの母が大きな負債を背負ったり、世界は核の恐怖にさらされていたり、ドラマティックな事件が起こっているのに、ヒロインも監督も一向に無関心。全財産を失った男が、カフェで花の落書きをするように、人間大きなショックを受けると無感覚に陥るが、ヒロインのこの無感覚さはそれとは違う。前作『情事』は、それこそ愛の不毛を描き、ヴィッティのアンニュイ感100%だったが、本作のヴィッティは「笑う」。ハスキーな声をあげて笑う彼女だが、心から笑っているわけではない。何かの答えを求めて無理やりに笑っているようだ。本作は1シークエンスがとても長い。冒頭、ヴィットリアが婚約者と別れるシーンの長回しが、煮え切らない男に対する彼女の苛立ちを的確に表現していて見事だ。この息苦しくいたたまれないシーンから、彼女の「やりきれなさ」が全編をひっぱる。そんなモチベーションの低い彼女と対照的なのが、ドロン演じる証券取引所のディーラー、ピエロ。彼はとにかく「忙しい」。仕事場ではひっきりなしに何かをしゃべったり、叫んだり。片っ端から電話をとったり、セカセカ動く。片時もじっとしていない。彼の恋愛はせっかちだ。「明日も明後日も会おう」という彼のストレートな恋愛表現に対する彼女の答えは「わからない」・・・。この一方通行の恋愛を「不毛」というなら、不毛でない恋愛は世の中には無い。ヴィッティのアンニュイな表情に騙され、「愛のない愛」「情熱のない愛」に縋る現代人の虚無感を表現した作品と思いがちだが、私は本作の彼女は「幸福感」に酔いしれていると思うのだ。それを表現しているのが飛行場のシーンだ。友人の夫のパイロットが操縦するセスナに乗った彼女が、飛行場で周囲を見回すシーン。この1シークエンスもとても長い。直接的なストーリーとは関係ないこのシーンにこれだけ丁寧な描写をするからには、ここに本作のテーマがあるに違いない。晴れた空を見上げ、彼女は「微笑む」。この恍惚とした幸福感。人間意味なく幸福になることもあるのだ。疎ましい婚約者と別れ、親しい女友達とバカ騒ぎをし、新しい恋に踏み切る・・・。世界に何が起ころうとも、彼女は彼女の日常世界で幸福なはずだ。ただ、どんなに幸福でも、どこかに「不安」を感じることがあったり、突然の不幸がふりかかるかもしれない。本作は「不毛」や「倦怠」を前面に押し出しているのではなく、幸福の中に巣食う「不安」や「絶望」を表現しているのだ。それがラストシーンの荒涼とした都市の描写に繋がっているのだと思う。無機質な都市が醸し出す寂寥・・・。それは活気あるはずの大都市の正体。幸福な情事の後、また会う約束をしながら、何かの不安に駆られ振り向く彼女の凍りついたような表情に未来の希望は見えない・・・。これが「愛の不毛」の正体ならば、正しく「愛の不毛」3部作の完結篇に相応しい作品だ。