第三の男のレビュー・感想・評価
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あのBGMが印象的で、中身も面白かった。
『第三の男』鑑賞。
*主演*
ジョセフ・コットン
*感想*
売れない作家ホリーが、親友ハリーが死亡したと知らされ、ホリーが独自に調査するサスペンス。
ホリーは調査する中で、親友ハリーの秘密、親友の死を見届けた男二人と謎の第三者、食い違う証言など、いくつもの謎が散らばっています。
光と影の使い方が絶秒で、あのBGMが印象的。どこかで聴いた事がある。
何かのテレビCMで流れたような…?
僕の予想を裏切る形で終わったので、少しビックリしました。
あのBGMが印象的で、中身も面白かったです。(^^)
闇に浮かぶオーソン・ウェルズの横顔
確か、初見は中学生時代。
有名なラストシーンと共に、鮮烈に記憶に残っていたのが、闇に浮かぶオーソン・ウェルズの横顔だった。
当時は、背伸びをして、正月の深夜などに放送されるいわゆる名画を、眠い目をこすりながら観ていた。身近に名画座もなかったし、テレビも録画できるような時代じゃなかった。
でも、そうやって観た映画たちは、どこかしら、今も強い印象を残している。
改めて鑑賞して、こんなに闇がしっかりと描かれているとは思わなかった。というより、制作された当時は、実際に闇が深かったのだろう。そのおかげで、光とそれによってもたらされ陰影が、グッとドラマチックさを高めている。特に、追いつ追われつするシーンで、大きく伸びた影も同時に走るところなんか、しびれるくらいカッコいい。
中学生の頃には気がつかなかった、連合国軍それぞれの思惑、闇市場の功罪、割りを食う立場の人々、アメリカに対するヨーロッパのプライド、男女の割り切れない恋愛感情といったこの映画のテーマに関わる部分にも目がいくが、やはりそれを全体的にはサスペンスとしてまとめ上げ、映像と音楽との魅力で惹きつけるというところが、この映画が名作だと言われる所以だとつくづく思った。
これが、サブスクで観られることの有り難さ。
感謝。
ジョゼフ・コットンを追いつめた少年
この作品は普遍的なラブストーリーですね。悪に染まった男ハリー・ライムと、そうと知りながら愛さずにはいられない女アンナ、何とかして彼を救いたい親友ホリー・・・この危うい三角関係を、世界的に有名な光と影のモノクロ映像、ツィターによるテーマ音楽で魅力的に彩った名作です‼️夜、窓から洩れた光が隠れたハリー・ライムの顔を照らしだす場面、ウィーンの大観覧車、下水道を舞台にした追っかけ、アンナがホリーに目もくれず枯れた並木道を立ち去っていく有名なラストシーンまで、すべての場面が工夫されてるというか、鑑賞する毎に新たな魅力を発見できますよね‼️そしてオーソン・ウェルズによる "鳩時計''は周りの友人へのウンチクとして何回使わせてもらったか分かりません‼️でも私が一番印象的だったのはボールを拾いに登場する子供‼️ジョゼフ・コットンを「人殺し!人殺し!」と追いかけていくその不気味さは、初見以来30年以上、脳裏に焼き付いて離れません‼️
名作を見る
作品は知ってるけれど、なぜか触手が伸びずにいたのですが、これは面白いから。と、勧めてくれたので見ることに。
音楽があまりにも有名ですが、ストーリーも展開も良くて、観て正解でした。
流石グレアム・グリーンが映画のために書き下ろした作品なだけあって、非常に優れたフイルムノアールであり、ミステリーです。小説だけ読むと、なんとも物足りない感じがあるので、まず、映画を見ることをお勧めします。いや、映画だけでもいいかも笑
一途な友情や愛情への忠誠心のように見える部分もあるのですが、私的にはファムファタールだとも思えました。
さすが名作!じっくり見て納得。
聞き覚えのある音楽で始まり、ストーリーにも引き込まれ、最後は一途な愛を貫いた女性の歩く姿にしびれた。
怖い場面もその音色で和らぎ、ドキドキする場面ではそんな情景を奏でるツィターという楽器による全編の音楽もよかった。
歴史背景を感じさせる名作。
内容は第二次世界大戦後の各国分割統治下にあるドイツ🇩🇪の中で起こる第三の男について。往年の名作と云われる作品だけに冒頭の20分は引き付けられました。三角関係の絡れから逃れられ無いお互いの姿は、眼に見え無い呪いの様にも映り1945年当時の男女関係の理想とする所が見え隠れして面白かったです。好きな台詞は『新作は第三の男です。』丁度ミッドポイントにもなる作家によるインタビュー場面はハッキリしていてすきです。映画の最初と最後で墓に土をかけるシーンではアンナの死を受け入れる思いが切なく我が強い当時の女性像の一端を見た様な揺り戻しの変化が楽しかった。名場面では下水道を逃げるハリーが広い下水部屋につき其々の穴から声や音がして自分を脅かす当時のドイツが抽象的に表現され迷う姿が国を無くした民族の行末を暗示させる上手い表現でした。ホリーに自分の最後を希望するシーンの名演技は圧巻で、ホリーをこの街に呼び戻した目的が、そうであるかの様に思われ逆光で帰ってくるホリーは人の心を無くしてハリーと一体になった様に感じた。何か失くすと言うことは何か得る事を痛い程感じさせる苦い大人の我儘な作品。
第二次世界大戦が生んだ唯一の産物
言わずと知れたサスペンス映画の金字塔である本作は、今や神格化し、このタイトルを聞いただけで誰もがひれ伏してしまう。
そのため、あまりに期待し過ぎて楽しめなかったという人もいるかもしれない(私はそんなことはなかったけれど)。
何故この「第三の男」がすばらしいのかを書き出してみると・・・
・戦後の退廃したウィーンを舞台にし、リアルタイムで行われていた闇市や密売を描いたという点
・占領地区が細かく分類されていたという時代背景で進行する上質のサスペンス
・音楽は民族楽器であったチターのみを全編通して使用し、それがすばらしい効果を上げている
・脚本を文豪のグレアム・グリーン、監督を全盛期のキャロル・リードが務めている
・ジョセフ・コットンとオーソン・ウェルズという実生活でも親交があった二大俳優演じる渋い、魅力的すぎるキャラクターたち
ぐらいだろうか。
三流の西部劇作家マーティンズ(コットン)は親友のハリー(ウェルズ)を頼ってアメリカからウィーンへとやって来る。
しかし、ハリーの住むアパートへ着くと管理人から彼は死んだと聞かされる。
ここから物語が始まるわけだが、僅かに傾いたカメラは不気味さを醸し出しており、斬新な映画的手法として成立している。
ハリーは聞くところによると事故死したようだが、不審な点が多く、納得のいかないマーティンズは独自に真相を突き止めようと捜査を始める。
タイトルの「第三の男」とはこの事故に関わった人物の事で、皆ハリーの顔見知りだったのだが、アパートの管理人の証言によって存在が明らかになった"第三者の男"を指している。
中盤まではこの謎に包まれた"第三の男"探しと、ハリーの恋人で舞台女優のアンナ(アリダ・ヴァリ)とのロマンスに費やされている。
しかし、そこから全てが覆される。
あえて記さないでおくが、後半からぐっと強くなるウィーンの荒廃感は記録映像のようだ。
すばらしい名シーンの数々は俳優の完璧な演技、ロバート・クラスカーによる"影"のコントラストが際立つカメラワーク、グレアム・グリーンのユーモアを織り交ぜた脚本に支えられ、色褪せるどころか現代に生きる我々をも驚かせてくれる。
テーマも多く潜んでおり、表面上では悪は罰せられるべきという単純なものだが、人間の二面性、冷静な残虐さ、さらには女の性(さが)にまで触れているように感じた。
ラストはグリーンの小説と異なるが、多くの人が賞賛する通り、最高の幕切れだろう。
「ハリー・ライムのテーマ」を演奏するチターの弦にタイトルが映るファースト・シーンから、名高い一本道のエンディングまでの105分間は完成された芸術であり、戦後間もないという時代背景も手伝って"映画史上最高"のタイトルが最も良く似合う名作となった。
500年の民主主義が生んだのは鳩時計だ
「イタリアでは、ボルジアの下での30年間、彼らは戦争、テロ、殺人と流血の日々だったが、彼らはミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチとルネッサンスを生んだ。スイスでは、彼らは博愛精神を持ち、500年の民主主義と平和を保っていた - そして、それは何を生んだか? 鳩時計。 じゃあホリー。」
ハリーライムの台詞。
皮肉な言葉。
バカ正直なホリー、何てバカげた名前なの…
この作品は隅から隅まで素晴らしい映画史上に輝く名作だ。
カサブランカのように俗な似非政治ロマンスとは大違い。
何処から論じても長い話になってしまうので、ここでは男を徹底して振りまくる女のクールさをあげたい。
主人公のホリーは卑劣な犯罪を犯した友人ハリーを、警察に引き渡す手伝いをするのだが、それに対してハリーの恋人は厳しく非難する。
「バカ正直で小利口で人畜無害のホリー、何てバカげた名前なの」
一文字違いの友人が自分の恋人を警察に売ったのだから、当然だ。しかも、この間抜けな友人は自分に惹かれて、さりげなく誘いをかけている。バカな名前の、バカな男、ホリー…すべての感情のこもった罵倒が、女のハリーへの愛情の深さを浮き彫りにする。
そしてラストシーンで、並木道の彼方から歩いてくる彼女のシーン。
ホリーは未練から道の途中でわざわざ車を降り、彼女に声を掛けて貰えるかもしれないという微かな期待を抱きつつ彼女を待つ。すべてを察した警官から「あまりみっともない真似はするなよ」と忠告されたにもかかわらず。
美しい並木の紅葉がハラハラ散るなかを彼女は歩き続け、落ち続ける落葉を彼女が踏みしめ、踏み砕きながら、ゆっくりとホリーに歩み寄ってきて、ホリーは知らぬふりをしながらタバコの煙をふかして待ち続け、すぐそばまで彼女が歩み寄ってくる…そして彼女は枯葉を踏みしめ踏み砕きながら、見向きもしないまま歩み去っていく。
どうにもならないホリーの恋心と、どうにもならなさにホロリとさせられるのは、或いは男だけかもしれない。
学生時代に憧れの女性たちと観たのに、どんな感想か聞きそびれてしまったっけ…
カメラワークが不思議
全編を通してヱビスビールが飲みたくなるミステリー作品。この表題の意味が暫くわからないが、中盤で判明してから物語が大きく動き出す。それにしても、ホリーやアンナの口から語られるハリーの姿と実際の彼の容貌の印象が結構違って最初は違和感あり。ラストシーンもかなり印象的。
ビール飲みたくなる
ずっと後回しにしてた『第3の男』観ました。
戦後はこうゆうことが頻繁に起こっていたんですねー
ハリーとホリー、20年?以来の仲でも人って変わるのね。
最初からハリーは生きてると思っていたから途中現れた時はビックリしなかったけど、ホリーは最後、友情で逃がすかと思った。ほんとに打ったのかな…
最後の終わりシーンでアンナは最後までハリーを愛していたのが分かったから切なくなった。
名画と名曲
先日の「禁じられた遊び」と同様
ひとつの楽器だけで終始場面が作られる
軽くて単調なのに不思議とハマる…
こんなんでいいの?と思うけど
昔の映画だもんね…
フイルムノワールの美しい表現と根底に潜むギャップみたいな
さらっとした演技がなんともカッコ良い
親友を訪ねウィーンにやってきた主人公。しかし、親友は事故で死んだと...
親友を訪ねウィーンにやってきた主人公。しかし、親友は事故で死んだと伝えられる。彼との友情から事件を調べ始めると、事件現場に第三の男がいたことが分かる…
どことなく怪しい登場人物、そして明らかになる衝撃の事実とラストの緊迫感溢れる銃撃戦。
当時は衝撃的だったのかもしれないが、今見るとあまり驚きはない。ただ、オーソンウェルズの怪演は主役を食うほどの印象を残してさすがだなと思った。
音楽がちょっと明るめで内容にあっていない気がした。
知った気になっていると後悔する映画
評価の高い映画です。有名です。でも解説読んで知った気になっていると、本当の魅力は味わえないかも。
ミステリーとしては「へっ?」というところ満載。なのに、どんどん惹き込まれる。
本当は重い現実をベースにした物語。
なのに、恵比寿駅で流れている、あの軽妙なテーマ。
平坦な画面、斜めの画面、端の切れた画面が入り乱れ、妙に押しつかなくさせられ、前半は素人が撮ったもののような不思議な違和感がじわじわと…。
それが…。
闇夜に浮かぶ…。
悪戯っ子のようなウェルズの表情。
有名な観覧車の場面。
地下水道の場面。
ラストの場面…。
やっぱり批評を読むことと、自分が味わうこととは違う。
平板とも思える前半。
巨悪。
友情と人としての道義と、恋心…。
何をどう選択するのかの生き様が入り混じる後半。
ラスト。女心は複雑です。ハリーへの愛を貫いた?う~ん、そうかな?元彼を殺した愛する人の胸には簡単には飛び込めないよね。愛していればなおさら。そんな葛藤抱えて、愛する人に声かけたら自分が崩れちゃう、だとしたら無視するしかないよね。自分を保つためにも。
なんて、彼女の気持ちをいろいろと妄想してしまいました。
女は複雑。
そんな人の心の機微を丁寧に描き出した物語です。
構成が良かったが、音楽のミスマッチ及びキャラクターが平面的だったのが残念。
小道具や場面展開には見るべきものが多く、大変勉強になった。1949年当時では画期的だったのではないかと思った。また、混沌とした時代に翻弄された人々の哀愁も漂う。
(別の映画の話題だが、東京物語や浮雲などの戦後映画にも、戦争の傷跡を色濃く感じる。)
最近見た映画の中では、「道」の次に感情移入出来なかったので、その理由を考えてみた。
①葬式で始まる映画にしては音楽が明るすぎる。コミカルな印象を受けてしまう。棺桶から志村けんが出てくるんじゃないか?と思うくらい明るい。
②キャラクター造形について。
●主人公のホリー
友達の彼女に求愛するのがやばい。この時点で私の感情移入対象はハリーへ・・・(個人的な体験で、友達に彼女を取られそうになったことがあるので)。
●ハリー
ただ悪いだけで、まるで良い面が描かれないところが非常に残念。少しでもアンナを心配する描写があれば人間味が出たのに重ね重ね残念。例えば、「ワクチンの横流しで得たお金でアンナの難病を治す」とかいう設定にする方が良いと思った。だから、ハリーがすごく平面的で薄っぺらい。
●アンナ
仕事でどれだけ成功しているか分からないが、強制送還されそうになってる人間にしては良い生活をしすぎな感じがして、感情移入出来ない。ただし、アンナだけが芯を貫いて、ハリーを思い続ける所がこの物語における一筋の光明とも言える。むしろ、アンナの一気通貫した人間性を際立たせるために、ホリーやハリーが脇役のように配置されているのではないかと思うくらいアンナだけが際立って芯を貫いている。
一気通貫した人間性は主人公に持ってくるべきだと痛感した。例えば、ハリーとアンナを結婚させて逃がすために犠牲になるようなホリーであれば感情移入できる。
一途な愛は名画をも超えて
久しぶりの鑑賞だったが改めて名作
と再認識。
映像、音楽、話の展開の上手さ等、
映画の魅力要素満載には
驚かされるばかりで、
説明不足も許されるがごとく
数々の疑問を置き去りにしたままでも、
サスペンスフルな緊張感でラストまで
観る者をグイグイ引っ張る。
しかしこの驚きも、
あの有名なラストシーンにも繋がる、
ヒロインのもう愛されることも無い
不正義の相手への一途な愛が
この映画の完璧さえも超越しているように
思えて、別の意味で驚かされる。
尚、後に映画化される
同じグレアム・グリーン原作の映画
「ことの終わり」に
“第三の男”が登場します。
それが果たして誰かなのかは
「ことの終わり」
を御覧いただいてからのお楽しみです。
既に観たと思い続けていたが・・・しかし、初めて観たような気がしてきた。
オーソン・ウェルズは影の中で恐ろしいほどセクシーだ。
この映画は彼の存在がすべてかのようだ。光と影。白と黒。先の大戦後のウィーンと言う街はヨーロッパの気質のすべてを物語っていたのだろう。
空前絶後の正義感に充ち溢れたアメリカ人作家の途方の暮れ方は観るものをハラハラさせ気の弱い女子供は映画館を出てしまうかもしれない。難民に近い劇女優は自分を捨てた第三の男を待ち焦がれてすべてを拒否する。そして第三の男の夢見たものは何か?
それを解き明かすカギとなるのはこの街の地下下水道と長く真っすぐに伸びる道。
ハードボイルド映画の新しい手法はヌーベルバーグにかき消されてしまったかのようだ。
でも、そんなことはどうでもいいのだ。モノクロの説得力に魅了され、映画音楽の効果を見せつけられた。否応なしにだ。
脚本、演出、演技、撮影、音楽、すべてが揃っていて、好きになれない
戦後の荒廃したウィーンを舞台に、友人の殺害事件の謎を解明するアメリカ人の三文小説家を主人公にした完璧なサスペンス映画。グレアム・グリーンの巧妙な起承転結で惹きつけるオリジナル脚本とロバート・クラスカーの考え尽くされた構図に光と影のコントラストが見事な撮影、そして律動的に心地良い緊張感を生むメロディーを民族楽器ツッターで奏でるアントン・カラスの音楽、これらが完全一体化したリードの演出には感嘆しかありません。
ただ、ラストシーンが象徴する悪の道に染まる友人を愛した女の堅固な情動が独占しすぎて、主人公の活躍が徒労に終わる物語の虚しさに、どうしても物足りなさを感じてしまう。名優オーソン・ウェルズとアリダ・ヴァリふたりの存在感と比較して、主演のジョセフ・コットンの演技力含めた魅力が弱く、役柄も善人過ぎて深みがない。設定の売れない作家はあっているのだが。映画史上の名ラストシーンでも、好きではない。
キャロル・リード作品では、「邪魔者を殺せ」「落ちた偶像」が気に入っているし、名匠66歳の遺作「フォロ・ミー」が一番好き。
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