続・世界残酷物語のレビュー・感想・評価
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前作よりテンポだけは良くなった
初手で「それほど残酷ではありません」と断りが入ってから、基本ギャグ路線な編集とナレーションで進みます。
前作のダラダラ感は消えたものの、あまりにベースがコミカル過ぎてもはや残酷感ゼロ。たまに入ってくる真面目なエピソードも全然響きません。
作品のテーマがブレブレ…いやまぁ、そもそもテーマなんかねぇよという作品かも知れませんが…
二匹目のドジョウは弱かった
ヒューマントラスト渋谷さんの企画で、ヤコペッティ三作品鑑賞中の二本目です。
世界残酷物語を踏襲しているので、その作風に目新しさは感じられません。
うーむ、なんとなくですが、虚部分が多めかな?(笑)
二匹目のドジョウ狙いで、さらに一作目の結果があり余裕が出た(のかな?)監督の悪ふざけ(良い意味で)がふんだんに散りばめられたような一本でした。
まー、続編というか、アナザーストーリー的な感じです。
ラストがアレで終わるとは(笑)
悔しいけど、笑っちゃいました。
名作は常に新しい
リバイバル上映だが有名な映画なので鑑賞してみた。本当は一作目を先に観たかったのだが、都合で続編を先に鑑賞することになった。
残酷物語というほど残酷ではないと、映画の冒頭に断られる。加えて一作目がイギリスで上映禁止になったことについての皮肉なアナウンスが流れる。イタリア人はアイロニカルな側面もあるのだ。
ニュース速報のように次から次へと場面が変わり、アナウンスが的確だが些か嫌味っぽく解説を加える。映像は当時の世界各地の残酷な風習であったり、奇妙なイベントであったりする。
60年ほど前の映画だが、映像のレトロ感を除けば不思議に古さを感じない。現在で同じことが行われていたとしても、少しも可笑しくないからだ。というか、略略同じような事例が存在していると言っても過言ではない。日本も例外ではなく、東京にはキスだけをさせる風俗店があると聞くし、東南アジアの実習生の受け入れは、形を変えた人身売買そのものだ。暴力団に管理される外国人売春婦の問題もある。現実のほうが映画よりもずっと残酷である可能性があるのだ。
体育会系の部活では上級生が下級生を一列に並べて順に殴るなどは日常的にある事例だ。やる方はすでに心が歪んでいるが、やられる方は、自尊心が破壊され、やがて心が歪む。暴力の連鎖の誕生だ。
日本人は身近で行なわれている人身売買の実態に気づかない。マスコミが報道しないからだが、インターネット上には情報が溢れかえっている。調べれば調べられるはずだ。日本人が人権に鈍感なのは選挙の投票率の低さに現れている。人権蹂躙の政治が続いていることに気づかない。
改めて本作品の「新しさ」に気づいた。名作は常に新しい。鑑賞する人に啓発し問題を投げかけ思索の契機をもたらすからである。一作目も観てみよう。
『世界残酷物語』とは似て非なる仕上がり。やっぱり監督って重要だなあ。
ヒューマントラスト渋谷でのヤコペッティ三本立てで、『世界残酷物語』に引き続いて視聴。
『さらばアフリカ』を最初に観てからの三本目だったので、さすがにいささか脳がグロッギー状態だったが、しょうじき前作に比べてあまり楽しめなかったのは、必ずしも体調のせいだけではあるまい。
やってること自体は、そう変わらない。
ゲテモノ食い、奇形、動物虐待の告発、文明の虚飾、未開人の習俗、エッチネタ。
だが、満足度は月とすっぽんである。
前作では流れで伝わってきた、異境へのあくなき憧憬と、
人間の営みへの限りない執着が感じられない。
絵に力が足りない。
音楽に力が足りない(オルトラーニは抜けて、ニーノ・オリヴィエロが担当)。
編集のリズムが悪い。
ネタが全体に小粒で、盛り上がらない。
ヤラセがヤラセ臭すぎて、しらける(前作のヤラセはクールで締まっていた)。
全体に、単なる小ネタの寄せ集め、羅列にしか感じられない。
これはいったいどういうことか。
で、あとから帰り道に調べたら、案の定、これはヤコペッティの監督作品ではなく、撮りためてあった素材を用いて、相棒のフランコ・プロスペリが追加撮影を加えて編集したものらしい。
むべなるかな。
やっぱり、基本スタッフに指示を出してるだけとはいっても、監督さんがクオリティに果たす役割ってホントに大きいんだな、と改めて痛感させられた次第。
とはいえ、ネタとしてインパクトの大きいものはいくつかある。
人為的に奇形化させられた子供たちのくだりは、観ていてかなりえぐられる。映像を観るかぎり、作りなしの実話だろう。さすがにひどい。こんな『孤島の鬼』みたいな非道が本当に現実で行われてるとは……。わざわざ子供たちに枷を付け直して、フィット具合をカメラに収めることを優先するスタッフの冷血ぶりにも震撼させられる。
フラミンゴがイギリスの立てた工場の廃棄した毒で、次々に死んでゆくシーンも、ショッキングだ。その理由や背景にインチキがあるかどうかはさておき、「死んでゆく」という現象自体は、ゆるぎない現実としてフィルムに刻印されている。
メキシコの脳みそアイスと、ユダの体を模した人体お菓子のエピソードも面白かった。こういうの子供のときから食べてるから、長じて敵を首チョンパしたり、一族郎党皆殺しにするような大人に育つんだよ(笑)。
あと、教会内での集団ヒステリー(ヤラセだとしてもマジで怖い)と、「集団ヒステリーを起こしたことを恥じて」膝立ちで歩いて血を流して許しを乞う話、似たようなので、舌で地面を舐めて血を流すスペインの奇祭の話も興味深かった(こっちもまあまあ嘘くさいが)。
いま上げた三つはすべて、むしろキリスト教にこそ「闇」と「未開」がひそむという話だ。
キリスト教という宗教は、血まみれのキリストの姿を「贖い主」として崇拝する以上、本質的に暴力と血とサドマゾキズムを教義のうちに内包しているし、その御身と血を聖体拝領という形で食することが是とされる以上、カニバリズムとも共鳴しやすい(ユダのお菓子など、まさにそのアンチテーゼというわけだ)。
キリストはわれわれの原罪を肩代わりして受難し、鞭打たれ、磔刑に処せられたがゆえに、その「血」と「痛み」を信者自らが擬似的に体感しようとする発想は、決してエキセントリックなものではないし、むしろ聖セバスティアヌス(弓矢で射られてなお法悦を得る)や聖ヒエロニムス(性欲を抑えるため自らを石もて打つ)などの聖人の存在は、彼らの自傷的な欲求をも正当化するものだろう。
単に残り物のフィルムだからかもしれないし、追加のインチキ撮影をしやすかったのがヨーロッパってだけかもしれないが、前作『世界残酷物語』以上に、ヨーロッパ(白人、キリスト教、文明)サイドの「未開」にまつわるエピソードが多めなのは、そこそこ興味深いところだ。
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