「『世界残酷物語』とは似て非なる仕上がり。やっぱり監督って重要だなあ。」続・世界残酷物語 じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
『世界残酷物語』とは似て非なる仕上がり。やっぱり監督って重要だなあ。
ヒューマントラスト渋谷でのヤコペッティ三本立てで、『世界残酷物語』に引き続いて視聴。
『さらばアフリカ』を最初に観てからの三本目だったので、さすがにいささか脳がグロッギー状態だったが、しょうじき前作に比べてあまり楽しめなかったのは、必ずしも体調のせいだけではあるまい。
やってること自体は、そう変わらない。
ゲテモノ食い、奇形、動物虐待の告発、文明の虚飾、未開人の習俗、エッチネタ。
だが、満足度は月とすっぽんである。
前作では流れで伝わってきた、異境へのあくなき憧憬と、
人間の営みへの限りない執着が感じられない。
絵に力が足りない。
音楽に力が足りない(オルトラーニは抜けて、ニーノ・オリヴィエロが担当)。
編集のリズムが悪い。
ネタが全体に小粒で、盛り上がらない。
ヤラセがヤラセ臭すぎて、しらける(前作のヤラセはクールで締まっていた)。
全体に、単なる小ネタの寄せ集め、羅列にしか感じられない。
これはいったいどういうことか。
で、あとから帰り道に調べたら、案の定、これはヤコペッティの監督作品ではなく、撮りためてあった素材を用いて、相棒のフランコ・プロスペリが追加撮影を加えて編集したものらしい。
むべなるかな。
やっぱり、基本スタッフに指示を出してるだけとはいっても、監督さんがクオリティに果たす役割ってホントに大きいんだな、と改めて痛感させられた次第。
とはいえ、ネタとしてインパクトの大きいものはいくつかある。
人為的に奇形化させられた子供たちのくだりは、観ていてかなりえぐられる。映像を観るかぎり、作りなしの実話だろう。さすがにひどい。こんな『孤島の鬼』みたいな非道が本当に現実で行われてるとは……。わざわざ子供たちに枷を付け直して、フィット具合をカメラに収めることを優先するスタッフの冷血ぶりにも震撼させられる。
フラミンゴがイギリスの立てた工場の廃棄した毒で、次々に死んでゆくシーンも、ショッキングだ。その理由や背景にインチキがあるかどうかはさておき、「死んでゆく」という現象自体は、ゆるぎない現実としてフィルムに刻印されている。
メキシコの脳みそアイスと、ユダの体を模した人体お菓子のエピソードも面白かった。こういうの子供のときから食べてるから、長じて敵を首チョンパしたり、一族郎党皆殺しにするような大人に育つんだよ(笑)。
あと、教会内での集団ヒステリー(ヤラセだとしてもマジで怖い)と、「集団ヒステリーを起こしたことを恥じて」膝立ちで歩いて血を流して許しを乞う話、似たようなので、舌で地面を舐めて血を流すスペインの奇祭の話も興味深かった(こっちもまあまあ嘘くさいが)。
いま上げた三つはすべて、むしろキリスト教にこそ「闇」と「未開」がひそむという話だ。
キリスト教という宗教は、血まみれのキリストの姿を「贖い主」として崇拝する以上、本質的に暴力と血とサドマゾキズムを教義のうちに内包しているし、その御身と血を聖体拝領という形で食することが是とされる以上、カニバリズムとも共鳴しやすい(ユダのお菓子など、まさにそのアンチテーゼというわけだ)。
キリストはわれわれの原罪を肩代わりして受難し、鞭打たれ、磔刑に処せられたがゆえに、その「血」と「痛み」を信者自らが擬似的に体感しようとする発想は、決してエキセントリックなものではないし、むしろ聖セバスティアヌス(弓矢で射られてなお法悦を得る)や聖ヒエロニムス(性欲を抑えるため自らを石もて打つ)などの聖人の存在は、彼らの自傷的な欲求をも正当化するものだろう。
単に残り物のフィルムだからかもしれないし、追加のインチキ撮影をしやすかったのがヨーロッパってだけかもしれないが、前作『世界残酷物語』以上に、ヨーロッパ(白人、キリスト教、文明)サイドの「未開」にまつわるエピソードが多めなのは、そこそこ興味深いところだ。