スモークのレビュー・感想・評価
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日常のような非日常があたたかいで賞
心あたたまる映画だった。
人と人との繋がりが素敵で、
ぐっときた。
それぞれの登場人物を深く描いていて、あくまで日常の一コマとして映しているところがよかった。みんな上手く繋がっていて、でも最後にどーんと集大成!って感じでもなく、あくまで日常的。そこがいい。
禁煙中の人は観ないほうがいいかも(笑)
タバコのスモークのように、ぷかーっと過ぎてく日常が、重さがないようで、実は重いことを伝えてくれる映画だった。
日常こそ映画
時が経つに連れて…
渡る世間に鬼はなし
久しぶりに観た
エンディングから全てが始まったのか…
ポール・オースターの映画
行きつけのオーギー・レンという店主が経営するタバコ屋に作家のポール・ベンジャミンが訪れるところから始まる。ポールは妻を銀行強盗の巻き添えで亡くしてしまって以来書けないでいたのだった。ポールが考えごとに耽っていた時に危うく車にはねられるところをラシードという黒人の青年に助けられて、ポールはラシードを二晩泊める。ラシードはポールの元を去り、片腕が義手のガソリンスタンドの店主のところに行く。そしてそこで働かせて欲しいと頼む。一方ポールのところにはラシードの叔母が行方を訪ねて現れ、事情を話す。その片腕が義手の男は実はラシードの実の父親らしいというのだ……これがこの映画のプロットである。
二十年前に恵比寿ガーデンプレイスで封切りされたこの映画を観て以来、クリスマスになると必ず観たくなってしまう。それぐらい私にとって吸引力の強い作品なのだけど、今回の鑑賞も充分に楽しめた。当時はウェイン・ワンという監督については全く無知なもので、ポール・オースターが脚本を手掛けたということが動機となって映画に関しては無関心を決め込んでいた私もこの映画を観るべく重い腰を上げたのだった。当時はポール・オースターをかなり熱心に読み込んでいた時期だったので、この映画も「ウェイン・ワンの映画」ではなく「ポール・オースターの映画」として観た覚えがある。
そういうわけなので、映画的無知が未だに尾を引いていることもあってウェイン・ワン監督特有の撮り方の指摘を出来るわけではない。せいぜい出来ることと言えばやはりポール・オースターが書いた「スジ」を注目することぐらいでしかないのだけれど、観れば観るほどこの映画は「父と子」の関係をある意味では率直過ぎるほどに描いた映画なのだなと思わされる。ポールとラシードの関係は映画のとある場面では擬似的な親子関係になぞらえられる。もちろんラシードが実の父親サイラスを訪ねて行くくだりもまた「父と子」の関係そのものだろう。ポールが開陳する、雪山に閉じ込められた自分の父の死体と遭遇する息子の逸話もまた「父と子」をなぞっている。
そして、ポール・オースターらしいなと思うのは「偶然」がこの映画をテンポのあるものとして仕上げているからでもある。ポールとラシードの出会いは「偶然」によってもたらされるものであり、ラシードが持ち逃げしているカネもまた「偶然」手に入れたものであるからだ。そのカネは回り回って思い掛けないところに行き着くのだけれど、これは流石にネタを割ることになるので詳述は控えたい。「偶然」……つまり意図しない出会いや別れと言ったものがこの映画を良作足らしめているのではないかと思う。ポール・オースターのストーリーテラーぶりが発揮された一作であると思う。
もしくは「嘘」。この映画では登場人物はよく「嘘」をつく。ラシードは自分の正体をポールに明かさないし、カネを持ち逃げしていることも「嘘」に入るのだろう。先述したポールとラシードが逆転した親子であるという「嘘」もまた重要だ。真偽が定かではないということで言えば、オーギーの娘であるというフェリシティも実際のところ何処まで信じていいかも分からない。真偽が定かではないということで言えば最大の「嘘」の可能性を秘めているのはやはり、最後のオーギーのクリスマス・ストーリーということになるのだろう。
「スジ」ばかりに言及してしまったが、この映画のキモはやはり最後の最後にオーギーが昼食を奢って貰った際に語るクリスマス・ストーリーのシークエンスだろう。カメラはオーギーが語るクリスマス・ストーリーを長回しで、最後には口元をこれ以上あり得ないぐらいクローズアップして映し出す。敢えて回想シーンを挿入させるという小細工はせず(いや正確には、ひと通り終わった後に回想シーンが始まるのだが)オーギーの語りだけで長丁場を持たせることに成功しているのだ。これは言うまでもなくオーギーを演じたハーヴェイ・カイテルの力業に拠るものだろう。聞き手に回るウィリアム・ハートもまた素晴らしい。
なんだかんだ言って結局今回の鑑賞もポール・オースターの「スジ」だけに注目した観方をしてしまったのだが、ウェイン・ワン監督はそんなポール・オースターの描く極めて繊細な「スジ」を損なうことなく巧く活かした映画化を行っていると思う。これはまだ読めていないポール・オースターの作品群も読まなければならないな、と思った次第である。もちろん未見のウェイン・ワン監督の作品も観なければならないわけで、こればかりは来年の課題として見逃して欲しい。ともあれ、最後の最後にトム・ウェイツの「Innocent When You Dream」が流れる一連のシーンはやはり落涙を誘うものだった。
ハーヴェイ・カイテル……個人的にこの俳優を知ったのはこの映画からなので、思い入れがそれなりに深い俳優である。この映画では北野武氏さながら、派手なシャツに身を包んだフットワークの軽そうな、剽軽な中に男のダンディズムを漂わせる役柄を演じ切っていると思わされる。この俳優とはその後テオ・アンゲロプロス『ユリシーズの瞳』やクエンティン・タランティーノ『パルプ・フィクション』でも出会うことになるのだけれど、それはまた別の話だ。そんなに派手な役回りを演じているわけではないが、くっきりと記憶に焼きついて離れない佇まいは流石だと思う。
にやっとしちゃう大人の話
オヤジたちがほくそ笑む渋い話
人間のそのままさ
煙の奥に見える繊細な人間描写
愛煙家でなければゴホゴホと咳き込んでしまいそうな 煙、煙、煙…
タイトルの通り、全編を通して喫煙シーンがこれでもかと出てきます。
それもそのはず。舞台は大都会の片隅にたたずむ煙草屋。
煙草屋の店主、常連の作家、その作家を助けた少年の3人を軸に
オムニバス形式で描かれるのは男同士の友情、恩義、男女の愛情、親子の絆と
どれも日常に溢れる人と人との関わり合いの形。
ストーリーには大きな起承転結といったモノもなく淡々と進んでいくのですが
人物の一人一人がとても丁寧に描かれており、日常に起こる様々な出来事を通して
お互いの関わり合いが深くなっていく様子が繊細に表現されています。
人物設定にはしっかりと物語があり、無駄な音楽や過剰な演出を排除した
ハリウッド大作にはなかなか見られない(いい意味で)ちまちました心理描写。
それはまるで質のいいヨーロッパ映画や日本映画をみているよう…
出演している役者さんたちもみんな魅力的で、表情や細かな動きで見せる「演技」は
揃いも揃って素晴らしいの一言。突っ込み所が見当たりません。
オムニバスのトリを飾るのは作品の核となっているストーリー。
2人の会話形式で語られる物語はよくできた「ちょっといい話」。
真偽のほども分からない物語ですが、男2人で語り合うその空気がたまらなくイイ。
そこにアクセントをつけるのはやはりタバコの煙…
個人的にはタバコは苦手ですが
今ほど愛煙家の肩身が狭くなかったあの頃…
子供の目には大人達のタバコを吸う姿がやけにカッコよく映ったものです。
エンターテイメントとしては退屈なこの手の作品ですが
心にじんわり染みる大人のヒューマンドラマ。
何度でも観たくなるお気に入りの作品です。
※他サイトより転載(投稿日時:2008/02/29)
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