スモークのレビュー・感想・評価
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映画ってこうでなきゃな。
淡々としていているようで人物の気持ちの機微の変化を丁寧描かれた晴らしい作品だと思う。
こじれた人には心の琴線に触れるモノがあり、嘘にも人を幸せにするものもあるなぁと思わせる映画です。
吸わないタバコを
公開当時観たが、定点撮影の事以外ほぼ忘れて初見の様に楽しんだ。
何故かハーベイ・カイテルの真っ赤なアロハだけは見た途端そうそう、と思い出した(^-^)
観るきっかけは、ポール・オースター好きからだが、メインのストーリーに加え、色んなエピソードのひとつひとつが正に、と言えるようなものばかり。氷漬けの父親との再会のエピソードは、萩尾望都の漫画で脳裏に再現された。エンディングで映像化されたエピソードに至っては、内容いかんを問わず詰め込みすぎ?の感が。
今回一番印象に残ったのは、フェリシティの最後の表情の変化でした。
また観たいと思う映画です。同時にポール・オースターの本も読みたくなりますね。ついでに…
日常のような非日常があたたかいで賞
心あたたまる映画だった。
人と人との繋がりが素敵で、
ぐっときた。
それぞれの登場人物を深く描いていて、あくまで日常の一コマとして映しているところがよかった。みんな上手く繋がっていて、でも最後にどーんと集大成!って感じでもなく、あくまで日常的。そこがいい。
禁煙中の人は観ないほうがいいかも(笑)
タバコのスモークのように、ぷかーっと過ぎてく日常が、重さがないようで、実は重いことを伝えてくれる映画だった。
日常こそ映画
何か起きるけど、なにも解決はせず、青年との関係もすっきりすることはなく、ただ日々が過ぎていくだけのようだが、よく見ると落ち込んでいた主人公はなんだか元気になっているじゃん。という、日々の生活、その中での緩やかな友情の凄さっていうのかな。を感じた。
ラストはBGMが少しかかるけど、それ以外は全くなしで、電車やら車やら雑踏といった実際の生活の背景音を意識的に入れている。それでストーリーを見せていくというのは凄い。音楽に頼らないという意味で映画的だ。
時が経つに連れて…
おっ, 何で以前に公開していた作品を今ヤるんだろう?と思いつつ, 鑑賞記録。 至ってストーリーは単純というか,後からレビューを書きたくなった。 後から後から,じわじわと回想シーン的な部分の温かみの良さを醸し出す作品だからこそ、『デジタルリマスター版』?というものが作り直された意味を感じちゃったんだよねぇ~( ͡° ͜ʖ ͡°)
渡る世間に鬼はなし
味のある役者を活かし、余韻を愉しむ作りをしており、描写不足は受け手に補わせる手法。
同じ場所や時間でも、そこに写るのは掛け替えのない一瞬であり、その一コマ一コマが物語を作る。
ベタな話だが、多忙な現代社会において魅力がある。
久しぶりに観た
以前観た自分の記憶と違っていて、とても新鮮だった。主役二人の演技が素晴らしかった。
白人と黒人は隣同士でも違う銀河にいるというセリフに、アメリカの分断を感じた。
オーギーが、カメラを手に入れた後なぜあれらの写真を撮り始めたのか? 俺のコーナーだという言葉、良かった。
アメリカ版『深夜食堂』?逆かw
以前にラジオで玉袋筋太郎氏が押していた作品。いつか観てみたいとは思っていてもなかなかDVD借りる余裕がなかった。
この度、デジタルリマスター版での復刻ということで、思い切って映画で観てやろうと恵比寿まで出かけたのだが、まぁクリスマス色で独占されたガーデンプレイスは人でごった返していて、日本人のクリスマスはすっかり根付いたんだなぁと実感することしきり・・・
そんな映画館も、リバイバル作品にも拘らず満杯に近い客席の埋まり様。そんなに愛されている作品なのかと期待も高まる。
ストーリーはそこまで難しい内容ではない。タバコ屋の親父(ロバート・デ・ニーロ+トミー・リー・ジョーンズ÷2)とその常連の作家の周りに起こる色々な出来事を群像劇として進んでいく。親父の元妻、作家の道路への飛び出しを防いだ黒人青年、そこから派生する青年の生き別れた父親、親父の娘かもしれない女の子、それぞれに過去を背負い、その中で人生をリスタートさせていきたいと藻掻く人達だ。ハートウォームな作品であり、確かにクリスマスの話としてはぴったりである。ラストに語られる、親父のカメラにまつわる話は、観ている観客をより穏やかに暖かく包み込む。
うーん、これは・・・ 邦画、いや日本のコンテンツの得意技の題材じゃないのか?小説、漫画、芝居に限らずこの手の話は常に産まれ続ける。そうかだから日本で受けているのね。登場人物や舞台を変えれば、どうこうも変えられる魔法のプロットかもしれない。
この手のジャンルの名称は分からないが、多分ついているんだろうなぁ。それほどある意味定石通りの作品なのだ。
クロージングでの若いときの親父が尋ねたアパートに盲目のお婆さんが出てきて、大歓迎され、ハグをされる。顔と顔を擦り併せた時、そのお婆さんは自分の孫ではないと気付くが、親父の嘘に付き合う。その時のお互いの顔の変化の演技、この映画の一番の秀逸な演出と演技であった。
1995年に映画館、たしか脚本の授業で98年に観て、18年ぶりに3...
1995年に映画館、たしか脚本の授業で98年に観て、18年ぶりに3回目として観ましたが、「あーわかるわー」とクスリと笑ってしまう箇所が増えました。
ブルックリン行くとこんなんかなと
エンディングから全てが始まったのか…
白黒映画だと思って敬遠してたのだけど、再上映の情報を目にし、観てみようと思った。
今はほとんど観られなくなった古き良きミニシアター系と言うのだろうか、派手さはないけど日常の大切さ、何もない幸せを教えてくれるようは優しい作品だった。
全ては1つの何気ない善意から始まったと言うのも良かった。それによって劇的に人生が変わるのではなくて、いつもの日常にちょっとしたスパイスが加わり物語が流れて行くのがリアルで心地良かった。
エンディングが特に良くて、「オーギーレンのクリスマスストーリー」という短編があって、そこから脚本を作ったと言うのを知って好感が増した。
ポール・オースターの映画
行きつけのオーギー・レンという店主が経営するタバコ屋に作家のポール・ベンジャミンが訪れるところから始まる。ポールは妻を銀行強盗の巻き添えで亡くしてしまって以来書けないでいたのだった。ポールが考えごとに耽っていた時に危うく車にはねられるところをラシードという黒人の青年に助けられて、ポールはラシードを二晩泊める。ラシードはポールの元を去り、片腕が義手のガソリンスタンドの店主のところに行く。そしてそこで働かせて欲しいと頼む。一方ポールのところにはラシードの叔母が行方を訪ねて現れ、事情を話す。その片腕が義手の男は実はラシードの実の父親らしいというのだ……これがこの映画のプロットである。
二十年前に恵比寿ガーデンプレイスで封切りされたこの映画を観て以来、クリスマスになると必ず観たくなってしまう。それぐらい私にとって吸引力の強い作品なのだけど、今回の鑑賞も充分に楽しめた。当時はウェイン・ワンという監督については全く無知なもので、ポール・オースターが脚本を手掛けたということが動機となって映画に関しては無関心を決め込んでいた私もこの映画を観るべく重い腰を上げたのだった。当時はポール・オースターをかなり熱心に読み込んでいた時期だったので、この映画も「ウェイン・ワンの映画」ではなく「ポール・オースターの映画」として観た覚えがある。
そういうわけなので、映画的無知が未だに尾を引いていることもあってウェイン・ワン監督特有の撮り方の指摘を出来るわけではない。せいぜい出来ることと言えばやはりポール・オースターが書いた「スジ」を注目することぐらいでしかないのだけれど、観れば観るほどこの映画は「父と子」の関係をある意味では率直過ぎるほどに描いた映画なのだなと思わされる。ポールとラシードの関係は映画のとある場面では擬似的な親子関係になぞらえられる。もちろんラシードが実の父親サイラスを訪ねて行くくだりもまた「父と子」の関係そのものだろう。ポールが開陳する、雪山に閉じ込められた自分の父の死体と遭遇する息子の逸話もまた「父と子」をなぞっている。
そして、ポール・オースターらしいなと思うのは「偶然」がこの映画をテンポのあるものとして仕上げているからでもある。ポールとラシードの出会いは「偶然」によってもたらされるものであり、ラシードが持ち逃げしているカネもまた「偶然」手に入れたものであるからだ。そのカネは回り回って思い掛けないところに行き着くのだけれど、これは流石にネタを割ることになるので詳述は控えたい。「偶然」……つまり意図しない出会いや別れと言ったものがこの映画を良作足らしめているのではないかと思う。ポール・オースターのストーリーテラーぶりが発揮された一作であると思う。
もしくは「嘘」。この映画では登場人物はよく「嘘」をつく。ラシードは自分の正体をポールに明かさないし、カネを持ち逃げしていることも「嘘」に入るのだろう。先述したポールとラシードが逆転した親子であるという「嘘」もまた重要だ。真偽が定かではないということで言えば、オーギーの娘であるというフェリシティも実際のところ何処まで信じていいかも分からない。真偽が定かではないということで言えば最大の「嘘」の可能性を秘めているのはやはり、最後のオーギーのクリスマス・ストーリーということになるのだろう。
「スジ」ばかりに言及してしまったが、この映画のキモはやはり最後の最後にオーギーが昼食を奢って貰った際に語るクリスマス・ストーリーのシークエンスだろう。カメラはオーギーが語るクリスマス・ストーリーを長回しで、最後には口元をこれ以上あり得ないぐらいクローズアップして映し出す。敢えて回想シーンを挿入させるという小細工はせず(いや正確には、ひと通り終わった後に回想シーンが始まるのだが)オーギーの語りだけで長丁場を持たせることに成功しているのだ。これは言うまでもなくオーギーを演じたハーヴェイ・カイテルの力業に拠るものだろう。聞き手に回るウィリアム・ハートもまた素晴らしい。
なんだかんだ言って結局今回の鑑賞もポール・オースターの「スジ」だけに注目した観方をしてしまったのだが、ウェイン・ワン監督はそんなポール・オースターの描く極めて繊細な「スジ」を損なうことなく巧く活かした映画化を行っていると思う。これはまだ読めていないポール・オースターの作品群も読まなければならないな、と思った次第である。もちろん未見のウェイン・ワン監督の作品も観なければならないわけで、こればかりは来年の課題として見逃して欲しい。ともあれ、最後の最後にトム・ウェイツの「Innocent When You Dream」が流れる一連のシーンはやはり落涙を誘うものだった。
ハーヴェイ・カイテル……個人的にこの俳優を知ったのはこの映画からなので、思い入れがそれなりに深い俳優である。この映画では北野武氏さながら、派手なシャツに身を包んだフットワークの軽そうな、剽軽な中に男のダンディズムを漂わせる役柄を演じ切っていると思わされる。この俳優とはその後テオ・アンゲロプロス『ユリシーズの瞳』やクエンティン・タランティーノ『パルプ・フィクション』でも出会うことになるのだけれど、それはまた別の話だ。そんなに派手な役回りを演じているわけではないが、くっきりと記憶に焼きついて離れない佇まいは流石だと思う。
絶妙な大人な魅力♪♪
ブルックリンのタバコ屋の店主を主人公に、そのタバコ屋に集う ちょいと(だけw)クセのある者達の とある日常。
これが、良いっっ!! 物凄く♪
二枚目ではないと思うのだが斜に構えつつ小洒落た男達の会話にニヤリと させられ、
実は要所要所に語られる各々の物語に気が付けば感情を持って行かれ、
そして何て事無い様に描かれるものの中々な(笑)事件の数々に感じる哀愁…。
使命にも
愉しみにも
嘘っぱちにも
友情にも
問題にも、
実に良い距離感を保っている姿が
とてもとても爽快で素敵なのだ◎
更にっっ、Tom Waits の曲が 是また cool!!
12月になると ついつい観たくなる珠玉の逸品♪♪
にやっとしちゃう大人の話
この手のオムニバス映画が大好物です。
ニューヨークの街角のとあるタバコ屋。
そこ行き交う人々の日常と非日常。
悲喜こもごも。
丁々発止の粋な会話。
やっぱり人間て基本的には善い生き物で、そうありたいと願ってると思える作品。どこか大阪ぽくて親近感。
オヤジたちがほくそ笑む渋い話
最後のクリスマスの話が”いい話”なのかどうかはわからないが、作品全体を通じて伝わってくる雰囲気はすごく良い。
ただ少し映像が平坦で味気ない。予告編の映像はいい感じだったのに。とにかく、予告編のフィルムっぽい映像を期待してみたので、少しがっかりさせられた。
しかし、内容的にはオヤジたちがほくそ笑んでしまうような話。
感動するようなストーリーではなく、ちょっとだけ心がなごむ渋い作品。
人間のそのままさ
人間一人一人を、むずがゆいほどじっくりとカメラに収める。こんな映画が撮りたいな。突き詰めてみれば、科学も医学も宗教も映画も音楽も、ひたぶるに人間が人間を追求する材料と言う事になる。この映画は、人間の悪いところ、良いところ。また、どうしようもない情けなさ、そして奇跡的な人情。人間のどんな部分も切り捨てず、そなわった全ての部分を抱きしめたい、そんな温かい気持ちにさせてくれる映画。
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