「言い様のない沈黙を煙草の煙で埋めて」スモーク 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
言い様のない沈黙を煙草の煙で埋めて
ええと、これ、実は一昨年のクリスマスに投稿しようと
してたレビューです。まあほら、ね、クリスマスも
海外じゃほぼ新年のイベントじゃないですか。
縁起の良い映画ってことでひとつ許してくださいな。
(のんびりにもほどがある)
ウェイン・ワン監督、ポール・オースター脚本。
大好きな映画『スモーク』が一昨年前に
デジタルリマスターで再上映。この日は
クリスマスイヴだったので、クリスマスっぽい
映画が観たいのうと、ちょっと遠出して
初来訪の静岡シネギャラリーにて鑑賞。
舞台は1990年夏のニューヨーク、ブルックリン。
妻を亡くして以来、本を書けないでいる作家ポールと、
彼の行きつけの雑貨屋の主人オーギーを中心に語られる、
少し可笑しくて、哀しくて、そして暖かな人間模様。
……え、真夏のニューヨークを舞台にした映画の
どこがクリスマス映画だって? 本作を未見の方なら
そう思うだろうが、それはエンドロールまでのお楽しみ。
…
雑貨屋の主人オーギーのライフワークは、
同じ時間、同じ場所で写真を毎日撮り続けること。
アルバムに収められた写真は一見すると同じだが、
無数の人々の無数の表情、そのひとつひとつが毎回異なる。
それは彼/彼女が確かにその瞬間に存在し、生きていた証だ。
普段想像するのは難しいが、雑踏で通りすがる見知らぬ人々
にもこの物語の主人公や、自分自身と同じくらいの、
いやもしかするとそれ以上の密度の人生が存在している。
その優しい視線が、つらい環境に置かれた
ひとりひとりの登場人物たちに注がれている。
生き別れた父のことを理解したいと、
身分を隠してその父の仕事を手伝い続ける少年。
喪失を分かち合い受け容れて欲しかったろうに、
醜く頑なな態度しか取れずに泣いた少女。
…
タイトル『スモーク』の意味を考える。
とある場面で、父と息子との間に流れる張り詰めた沈黙。
その言い様のない沈黙を、お節介焼きな作家と雑貨屋の
煙草の煙がふんわりと埋めていく。それをきっかけに、
刺々しかった沈黙が、少しだけ柔らかい沈黙へ変わる。
この父子はきっとこの先もやっていけるだろう。
なんとなくだけど、そんな心持ちになる。
受け容れられない人間との間で流れる沈黙は
苦痛だが、逆にその沈黙が苦痛でなければ、
それはその人を受け容れ始めている証拠だ。
相手がいることを受け入れる気持ち。
相手と沈黙の時を共に過ごそうという気持ち。
煙はきっと、相手を受け入れようとする優しさだ。
冒頭でポールが語る、煙草の煙の重さを
量ったというウォルター・ローリー卿の逸話。
煙草の重さを量り、そのあと秤の上で
煙草を吸い、灰をそのまま秤に落とす。
最後に吸殻を乗せ、最初の煙草の
重さから引けば――それが煙の重さ。
それまで費やした人生と、これから費やす人生。
その合間を埋める煙。煙こそ、これまで自分の
人生以外に費やしてきたものなのかも。
…
映画の最後、オーギーがポールに語る物語は、
本当か作り話かは分からないけれど、思わず
涙が出てしまうほど堪らなく優しい物語だし、
その一方で残るわずかな後ろめたさが、
そこに真実味を与えていると思う。
「秘密を分かち合えない友達なんて友達と言えるか?」
薄く微笑みながら、旨そうに煙草を燻らせるオーギーとポール。
そして流れるモノクロのエンドロールと、しわがれ声で
トム・ウェイツが唄う『Innocent when you dream』が、
煙のように目に沁みる。
この映画を観れば、誰かと一緒に温かい食事を
摂ることの幸せさや、人に優しくすることで自分の
心が満たされる感覚を多少なりとも思い出せるはず。
遅くなりましたけれどハッピー・ニュー・イヤー。
今年も・今年は・今年こそ・善い年になるといいですね。
<了>