「映画「アンナ・アーレント」で知った彼女の哲学を裏付けるようなアイヒマンの言動も、果たして…」スペシャリスト 自覚なき殺戮者 KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
映画「アンナ・アーレント」で知った彼女の哲学を裏付けるようなアイヒマンの言動も、果たして…
以前、映画「ハンナ・アーレント」の鑑賞
からアドルフ・アイヒマンのことを知り、
このドキュメンタリー作品に誘われた。
この映画、ハンナの著書に基づき、
膨大な既存のフィルムから構成したもの
とのことだが、
何かハンナの哲学を裏付けるような
アイヒマンの裁判時の言動のように見えた。
このドキュメンタリーで印象的だったのは、
アイヒマンが終始、
「移送の技術的管理を行っていただけ」とか
「命令通りに任務を実行しただけ」との
発言に終始していることと、
ユダヤ人絶滅のための協力者として
ユダヤ評議会という組織が形成されていて、
より広い責任構図にこだわる裁判官がいた
ことだった。
映画「ハンナ・アーレント」では、
アイヒマン等の犯罪は、
“思考停止の結果、
平凡な人間が残虐行為に走る”
とのハンナの哲学的視点が印象的だったが、
このドキュメンタリーでは
ナチスによる絶滅政策に、
組織だった抵抗を行わなかったユダヤ人にも
責任の一端が、との観点も充分にうかがえる
作品だったのではないだろうか。
ただ、このドキュメンタリー映画だけでは
上記の裁判官の対応もあり、
アイヒマンは問われている事件に
どこまで主体性を持ち得ていたのか、
また、アイヒマンが絞首刑になった経緯が
明らかではなく、
ハンナ・アーレントと共に
この裁判を傍聴したという松村剛さんの
「ナチズムとユダヤ人」を読んでみた。
この本によると、
アイヒマンは、移送の管理だけどころか、
むしろ、
アウシュビッツ収容所所長のルドルフ・ヘス
にガスによる大量殺害を指示するなど、
虐殺全般をリードする立場
だったとのことで、
私はオーム真理教でサリンの精製に携わった
エリート信者が重なった。
能力はあっても善悪の判断に欠けている
という点では同じような人間像に感じる。
また、ユダヤ民族だけの土地を求める
シオニズムに驚異を感じていたアイヒマンの
ユダヤ人への行為は確信犯だったように
読み取れた。
戦争はこのような残虐な人間を生む、
人類として最悪の行為なのだろうと
つくづく思い知らされる映画鑑賞であり、
読書体験となった。