シンドラーのリストのレビュー・感想・評価
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今だからこそあらためて再鑑賞しよう
25年以上前に前職での海外出張で東欧に半月程滞在したことがあり、大半はポーランドに居ました。第二次大戦中、ナチスが行ったホロコーストの象徴と言われるアウシュヴィッツ強制収容所が在った現在のポーランド南部オシフィエンチムへ日帰りで行ったことがあります。映画「シンドラーのリスト」の撮影地が当時、私の滞在していたクラクフであり、ここクラクフは古城があるヴィスワ川に囲まれた美しい古都でした。
しかし、映画は悲惨な内容で、ユダヤ人への迫害とナチスの人道無き暴力がこれでもかとあからさまに描かれています。
監督のスピルバーグはモノクロの方が説得力があるという判断から3時間以上の長編モノクロ映画となっていますが、ラストのシンドラーの墓前までの行進だけがカラー映画になります。また見逃してしまいがちですがろうそくの炎とゲットーの解体の時に現れる少女の着る赤いコートだけがカラーで描かれていることが分かります。しかしいくつかのシーンの後、この赤いコートを着た少女が、多くのユダヤ人の遺体の山の中にいるのが分かります。人間の命の尊厳や生の実感をモノクロからカラーに変えて観る私たちに訴えているとのことです。切なくて悲しい場面ですが鑑賞した際はぜひ見つけてください。
元アウシュヴィッツ強制収容所は負の世界遺産ですが、全く観光地化されていなく、広大な平原に残る収容所の建物は毅然と存在していて、ホテルも土産屋も売店も無い質素な場所です。ここで多くの人間が亡くなっていったという暗い雰囲気や押し付けがましい宗教色は皆無でそれがかえって訪れた者は寂寥感に襲われます。
主人公シンドラーは当初は金儲け目的の実業家としてクラクフに赴きましたが、ホロコーストの現実を知り、私財を投げ打ってユダヤ人の命を助け続けました。
戦争が終結し、年月が経ち、シンドラーが救ったユダヤ人たちがシンドラーの墓前に向かいます。多くのユダヤ人が実在の姿で行進しています。
ここで涙腺が崩壊します。戦後の現時点なのでモノクロではなくからーなのだと合点がいきます。
今、ロシアのウクライナ侵攻により罪のない住民や多くの子供たち亡くなっています。80年前には隣国ポーランドではホロコーストで150万人以上のユダヤ人が亡くなっています。
人殺しの戦争はいつになったら無くなるのでしょう。いつまで同じ過ちを繰り返すのでしょう。
この映画は戦争の愚かさと命の尊さを教えてくれます。
この「現在」だからこそ近日中に再びこの「シンドラーのリスト」を観ようと心に決めました。
【”一つの命を救う者が世界を救える。”人間の愚かさと、ホロコーストの恐ろしさと哀しさをリアリズム溢れるトーンで描いた作品。今作は”本当の力(パワー)とは何であるか”を示した反戦映画でもある。】
ー 久しぶりに鑑賞したが、矢張り心が重くなる作品である。モノクロで映し出されるドイツのSS達によるゲットーに閉じこめられたユダヤ人の虐殺のシーンや、遺体を燃やすシーンなど暗鬱たる気分になる。-
■ドイツ人実業家、オスカー・シンドラー(リーアム・ニーソン)はポーランドで工場の経営を始め、ユダヤ人の労働力で事業を拡大させていく。
しかし、やがてナチスによるユダヤ人迫害が熾烈になって行く中で、その現実を目の当たりにした彼は、密かにユダヤ人の救済を決心する。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・後半まで、観ていてキツイ作品である。それは、描かれるモノクロのユダヤ人虐殺シーンがリアルに感じるからである。
・シンドラーも前半は、野心ある実業家として、ユダヤ人を安い賃金で働かせ、利益を得ている男として描かれる。
・レイフ・ファインズ演じるクラクフ収容所所長のアーモン・ゲート少尉も、戦争の中で徐々に精神を病んでいく。
ー 酒を過剰摂取しているが故に、痩せこけたユダヤ人たちとは対照的に、彼の下腹部は醜く膨らんでいく。-
・ドイツの戦況が悪化する中、クラクフ収容所の閉鎖が決まりアウシュビッツに送られて行く人々。そんな中、シンドラーは”自分の工場を存続させるため”という名目で、多くのユダヤ人を故郷のチェコの工場に連れて行く。
ー シンドラーが、人間性を取り戻していく様を、リーアム・ニーソンが見事に演じている。-
■白眉のシーン
1.イザック・シュターン(ベン・キングズレー)に、チェコの工場に連れて行くユダヤ人の名前をタイプライターで書かせるシーン。
ー ドイツ兵に、次々に殺されたユダヤ人たち。だが、当たり前だが、ユダヤ人一人一人にはキチンとした名前がある人間である事を雄弁に語るシーンである。-
2.ドイツの敗戦が決定した際に、シンドラーがドイツ兵に周囲を囲まれながら、工場で働いていたユダヤ人たちに語りかけるシーン。
一方、ドイツ兵が一人、又一人姿を消していくシーン。
3.ラストのカラーで描かれた、且つてシンドラーに助けられた人々が、その子供達と共にシンドラーの墓に石を置いて行くシーン。
ー 私はこのシーンまでは、只管にキツイ想いで観て来たが、矢張りこのシーンは沁みるのである。-
<今作は”本当の力(パワー)とは何であるか”を示した反戦映画である。
中盤まで、非常にキツイシーンが続くが、現況下観ておきたい作品の一つであることには間違いないであろう。
それにしても、(極一部であるが)人間とは過去の過ちから学ばない生き物である、と思った作品でもある。>
■ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」を読み返した翌日に、数十年振りに鑑賞。
善も悪も
観ている間は最後のシンドラーさんが会計士に泣き縋る場面を少し白々しく思ってしまったのですが、
観終えてからぼんやり考えてみると、元々はユダヤの人たちを助けるつもりなんてさらさらなかった彼が、感謝され、助けを乞われるうちに変わっていった。周りの環境によって善にならざるをえなかった。それが、私はもっと助けることができたはずなのに、という想いの吐露は本物の人を助けたいという善の感情だったのではないかと。あなたは善であれと作り上げられた彼ではなく、内から込み上げた思いがそうであったんだなと思うと切なくなりました。
戦争では誰も幸せになれない
両親を助けて欲しいと女性に懇願され、女性を追い出し慈善事業でないと悪態をつくが、ちゃんと両親を助けたのが良かった。このシーン以降は、シンドラーを素直に応援できました。
最後の戦争が終わり逃亡するシーン。シンドラーが「もっと救えた」と助けた人より助けられなかった人のことを思い泣き崩れるシーンはとても感動的でした。
以下は気になる点です。
・アウシュビッツに送られた女性陣
毒ガスの話の伏線があって、シャワー室で本人たちが怖がっていると、逆に大丈夫だなと思えました。本人たち知らない状況の伏線で、シャワーを喜んでたりすると、結構ドキドキしたかもしれません。
・終戦前に全財産を失ったらどうしたのか見たかった。
武器を作らずに全財産を失っても、ドイツ軍の武器をユダヤ人には作らせたくないという気持ちが伝わりました。
ただ、終戦前に全財産を失った場合のシンドラーの苦渋の決断が見たかったです。皆が生きていくためには、品質の良い武器を最低限は出荷するのも止む無しと思うのですが。
以上
辛い
評価が多くの方より低いのは普通ということではなく、私が映画に求めているのが創造や空想だからだ。
だから普段から実話はあまり好んで観ない。
あとは人にも勧めたいかどうか、、、
白黒なので多少緩和されているものの戦争や迫害の悲惨さが生々しく伝わってくる。
私の知っている戦争映画の中では片手に入ってくる作品だが人に勧めたいかと問われるとお勧めはしにくいかな、、、
ただただ辛く悲しい、心が重たくなる作品。
あの狂気の世界でシンドラーの様に振る舞える人がいる事が唯一の救いだ。
人生で一度は見るべき映画
初めに言っておくと、この映画は視聴するのには覚悟がいると思う。すくなくとも、暇だから何となく観るような映画ではない。
作中ではユダヤ人がなんの躊躇いもなく銃殺されていくシーン等があり、かなりジョッキングな映像が流れる。
また、3時間15分という長尺で、ラスト以外は白黒映画なので、抵抗もある人は多いと思う。
しかし、これはたったの80年ほど前に実際に行われたことであり、この悲劇を知るためにも、皆が一度は観るべき映画だと思う。
スピルバーグってすごい
3時間超えの映画なのでずっと躊躇していたけどようやく観る気が起こりました😅
長時間のドラマにもかかわらず中だるみもなく、何気ないシーンでも
飽きることなく魅せることが出来るスピルバーグの上手さに感心しました。
どこまでが実話なのかウィキペディアで調べたら
映画は大筋で合っているようで、シンドラーがホントに命がけで
ユダヤ人を救っていたので大変感動しました。
収容所でのユダヤ人はひどい扱いを受けていたことは知ってましたが、
スピルバーグの描写により克明にされました。
それにより現実にあの状況で私財をすべて注ぎ込み
動く事ができる人間は殆ど居ないのではないでしょうか?
スピルバーグがモノクロにした意図はわかりませんが、
モノクロである事により画面から醸し出す雰囲気は重厚だった。
非常に良かったですが、趣味ではないので★は4つ。
ストーリーや物語としての運びは申し分ないと思います。
ユダヤ人虐殺の記録を残す意味でも大変素晴らしい映画でした。
生命のリスト
オスカー・シンドラーの勇気ある行動に驚くと共に、彼を人を惹きつける魅力に溢れた人物として表現したリーアム・ニーソンの男気溢れた華のある演技と、エキストラ含む数多くの出演者の皆さん( 肌を晒しての出演はかなりの勇気が必要だと思います。多くの人々にこのおぞましい出来事を伝えたいという強い意志と願いを感じました。)のリアルな演技による映像に、ラスト迄引き込まれました。
シンドラーが、もっと救えた命があったと嗚咽する姿に涙が溢れました。
多くの人々が疑問を抱えながらも、その思想に流されていく、この悪夢のような出来事が二度と起きてはならないと、改めて強く感じました。
NHK - BSを録画にて鑑賞
何故モノクロ映画なのか
最初は何故この映画はわざとモノクロに撮ったのだろうかと見始めた時思いました。しかしラストシンドラー自身が追われる身になり、「バッジを売っていたらあと1人助けられたかもしれない…」と泣き崩れるシーンで全て解りました。
たまたまシンドラーの目に止まっただけの普通の赤いコートを着た少女、この少女だけ作中では色が付いています。2度目に登場した際に少女は死体となって運ばれています。たった2回の登場でした。
そして最後シンドラーが泣き崩れるシーン、まだまだユダヤ人を救えた、少なくともあの赤いコートの少女だけでも救えたのだと激しく後悔をしていたのですね。ユダヤ人を1人でも多く救いたいというシンドラーの思いを強く象徴するかの様なあの赤いコートを着た少女。あの2回の登場でシンドラーの全てを表していたのだと思います。
この為にモノクロにしたのだとしたら本当に素晴らしい演出だなと思いました。
史実に忠実を礎とするホロコーストからの救助史を描いた映画
オスカー・シンドラーが当初、人格者でも英雄でもなく、女と酒好きの金儲け主義者であったことをきちんと描いていて、事実通りとは言え、映画全体に深みを与えている。また、このシンドラーがナチス軍人達を金と酒・女・宝石等で念入りに調略する描写も、彼の成し遂げたことへの説得力を感じた。ただ、このシンドラーが、何処で何故、何がきっかけで、全財産を投げ出してまで1000人以上のユダヤ人救助に至ったのかは、自分的には判然とせず、すっきりとはいかなかった。
一方、ユダヤ人を楽しんで殺している様に見えるアーモン・ゲートは、その背景にあるストレスや弱さや幼稚さが、演技力のなせる技もあってか、見事に描かれていた。
重層的画像も含め、白黒に一部カラーも使った映像は、スピルバーグらしく深みが有り、美しい。また、アウシュビッツでシンドラの工場へ行くはずのユダヤ人が、ガスと見せかけて、シャワーで水を浴びるところは、ジョーズ以来のらしい演出。
全体的に、抑え気味の演出で、最後にシンドラーとユダヤ人の交流で、静かなしかし大きな感動を引き起こすのは、流石に凄い計算。
救われた方々の具体的な名前への拘りは、歴史的事実の記録を重んずるユダヤ民族の国民性のなせる技いうことであろうか。
なぜ?
他の映画や本によると、状況はもっともっと過酷だったように感じる。
事実なのだろうけど、なぜシンドラーが私財を投げ打ってまでユダヤ人達を救ったのかがいまいちわからなかった。
そもそもナチスに良心が米粒ほどでもあったなら、600万人もの人達を殺すことはなかったのに。
シンドラーだけがなぜ?と。
お金持ちの実業家だったから?
シンドラーの立ち位置は?
ヒトラーは知っていたの?
1%にも満たない人達だが、救われた人達は本当に運が良かった、としか言えない。
シンドラーはもとより、会計士のおかげだな。
ラストの指輪を渡すシーン この車を売ればあと10人助けられた この...
ラストの指輪を渡すシーン
この車を売ればあと10人助けられた
このバッヂを売ればあと1人は助けられた
と、泣き崩れる…
いやあなたはここに居る1000人もの人を助けてくれた
25年前くらいに見たまま、久々の鑑賞
ずっと観るか躊躇してました
冷酷なアーモン少尉やその部下がその時のご機嫌で簡単に人を撃ち殺すのが、映画とは言え観るに耐えないから…
ドイツとソ連に挟まれた国ポーランド、そしてその中のユダヤ人 史上最悪の歴史
シンドラー氏はどう見てもアメリカ人
あの時代に、民間の企業が軍とつかず離れずして金儲けをしていたこと、その延長上にユダヤ人マネーが存在したことをはっきり示している点で面白かった。ただ、シンドラー氏を英雄のように取り扱っているところが真実味を欠き、「もっと助けられたのに」と嘆くシーンは蛇足に感じた。
尊い行いを忘れない
70~80年代にヒット作を次々放ちながらも、オスカーに縁が無かったスピルバーグ。
そんな彼が遂にオスカーに輝き、名実と共に名匠となった記念碑的な作品であると共に、映画史に永遠に刻まれる名画。
スピルバーグ作品の中でもやはり本作は、特別な作品であり、特別な感情が込められている。
自身もユダヤ人であるスピルバーグ。自身のルーツを描く。
当初は同じユダヤ人であるロマン・ポランスキーが監督予定だったが、辛すぎると断ったのは有名な話。
スピルバーグも撮りながら辛いシーンだらけだっただろう。
しかし、伝える為に、残す為に、よくぞ撮り上げた。
重厚で、ドキュメンタリーのようなリアルさと迫真さに満ちながら、それでいて繊細。
間違いなくスピルバーグのキャリアBESTの演出力。
時に残酷ながらも、美しい、ヤヌス・カミンスキーによる白黒映像。
そして、ジョン・ウィリアムスの名曲。
全てが、奇跡のような素晴らしさ。
最近完全にタフなアクション・スターが定着したリーアム・ニーソンだが、やはり本作が最高の名演。重厚な名演で、『リンカーン』の時叶わなかったスピルバーグとの再タッグを見たい。
背筋も凍る収容所所長のレイフ・ファインズ。この時の冷血な演技が後のヴォルデモートに繋がったのかな、と。
そして、オスカーの計理士で片腕でもあるベン・キングスレーの好助演。
キャスト陣の熱演/名演も素晴らしい。
もう何度も見ているが、何度見ても、胸が苦しい、心が痛いシーンが続く。
ナチスによるユダヤ人強制移住退去。その渦中で行われる殺戮…。
逃げ隠れするユダヤ人たち。さ迷う赤いコートの少女…。
オスカーの工場で働く片腕の無い老ユダヤ人が、ナチスによって無情に射殺される。
朝起きて、ランダムにユダヤ人を射殺する所長は戦慄…。
ある日、灰が降る。その灰は…。
この世の光景とは思えない、ユダヤ人死体の焼却処分…。
その一方、心に迫る、心に響くシーンも多くある。
いきなりラストの名シーン中の名シーンになるが、
身に付けていたバッジ一つで後一人救えたと嗚咽し後悔するオスカー。それまで弱さや脆さを見せなかった彼が初めてそれらを見せ、本当に目頭熱くなる。
あるユダヤ人女性が父母を助けて欲しいと求め、追い返すが、その父母を雇い入れる。
列車にぎゅうぎゅう暑苦しく押し詰められたユダヤ人たちに、せめてもとホースの水を捧ぐ。
作り上げた“生命のリスト”。
最後カラーとなり、オスカーの墓石に石を置く“生命たち”。
ほとんどがオスカーのシーンだが、それもその筈。
本作はシリアスで重厚な作品だが、人一人の尊い行いを描いているのだから。
そもそもオスカーは最初から、人命を助けるつもりは無かった。
全ては金儲けの為。
軍に人脈を作り、軍相手に商売をし、戦争という絶好の機会にたんまり稼ぐ。
ユダヤ人たちの事もただの労働力。
ユダヤ人を雇い入れたのも、低賃金で手っ取り早く使えるからだろう。
しかし…
目の当たりにしたユダヤ人たちの迫害、虐殺…。
この時、彼は何を思ったか。
間違いなく、何かを感じた。
それを機に、ユダヤ人たちを助けようと奔走する…。
表向きは依然、豪腕な実業家。ユダヤ人たちにも面と向かって優しさは見せない。
が、その本心は…。
名前を覚えてるくらい、一人一人を思いやる。
オスカーの心境の変化に深く心打たれる。
また、ナチス相手のビジネス手腕にも天晴れ!
やがて戦争が終わり、ユダヤ人たちは自由の身に。
明暗分かれ、ユダヤ人たちを助ける為に私財を投げうったオスカーは破産。ナチスの党員でもあり、裁かれる身。
オスカーは自分の事を英雄など思っていない。感謝される身でもない。
ユダヤ人たちを使って金儲けを企んだ、ナチスと同じ非道な人物…。
しかし、1100人のユダヤ人を救い、その“生命”の子供たち子孫たちは今、どれほどか。
誰もがシンドラーの名を忘れない。
オスカーがあるシーンで、後の自分について語った台詞がある。
「オスカー・シンドラーか。
あいつの事なら覚えてる。
あいつは凄い事をやった。
誰にも出来ない事を」
当初の目的とは違ったかもしれない。
が、確かに凄い事を、誰にも出来ない事をやったのだ。
ユダヤの教え。
“一人の生命を救う者が世界を変える”
簡単に誰にも出来ないが、誰もがしなければいけない。忘れてはいけない。
その尊い行いを。
見て良かった
ずっと見なきゃと思っていて、時間が長いので中々見る機会を取れずにいました。
モノクロで良かったと思います。
カラーだったら、より辛かったと思う。
難しすぎず、簡素すぎない流れで、分かりやすかった。
文章で読んだり、テレビの特集などで知ってはいましたが、その時代の空気感が伝わってきた。
ラストの車で「あと10人、ピンであと2人か1人は救えたのに、その努力をしなかった。」とシンドラーが泣き崩れるシーンで涙が流れた。
もっと早く見れば良かったと思った。
目を背けない描写
ナチスドイツによるユダヤ人の組織的大量虐殺を描く作品。戦場のピアニストのように、人が虐殺される場面がカメラを背けずに映し出されるため見るのは非常に辛い。日本に住む私たちが普通に生活を送っていれば、ニュースでは未だに戦争が起きていることを知っていても、実際どれほど悲惨で残酷な事態かは想像できない。そのためこのように目を背けない描写は私たちに問題提起するようにも感じる。実際に起きている事態はこんなにも悲惨なのだ。
確かにシンドラーは実際にはこの作品で描かれるような人物ではなかったかもしれない。しかし、この作品が後に伝えるべきこととして、この描き方は正しかったと思う。
オスカーへ指輪が贈られるシーンの「金があれば…」というセリフに、ビジネスなどの財政的な側面が戦争に大きな影響を与え、それによって犠牲になる人命が存在する現実を暗に感じた。そして、「努力すればもう1人救えたのに、しなかった」という言葉には、私たちの現在の実情とも絡み合い、胸が痛んだ。今この世界に生きる私たちが見逃している現実について考えさせてくれる。
本当の「パワー」とは何か
第二次世界大戦中、一旗揚げようとポーランドにやってきたドイツ人実業家、オスカー・シンドラー。
金にモノを言わせてナチス軍の上層部に取り入り、迫害されていたユダヤ人を労働力として軍用ホーロー鍋を作る工場を始める。
リクルートされたユダヤ人たちは、自分たちを迫害する立場であるはずのシンドラーが何を考えているのかわからず当惑顔。
しかし彼がひどい差別主義者でないことや工場の待遇も悪くないことを知って、多くのユダヤ人が工場で働くことを承諾する。
そして有能な計理士を据えて経営は軌道に乗る。
しかしある日、シンドラーは、ナチス軍の収容所長アーモンとその部下たちが何の罪もないユダヤ人をいたずらに虐殺しているところを目撃する。
「戦争は人間の汚いところを浮き彫りにする。戦時中でなければ彼も普通の男だ」と、それまでアーモンにもある種の理解を示し、彼を諭すことさえあったシンドラーだったが、あまりにも凄惨な光景を目の当たりにして、ナチス軍のやり方に違和感を覚える。
しかし表立って抵抗すれば自分自身が罰せられる可能性もある。
そこで、シンドラーは自分の工場で働くユダヤ人の人数を増やして、彼らを収容所から救い出すことにとする。
終戦間近、敗戦が色濃くなってきたナチス軍は、生き残ったユダヤ人を他の収容所からアウシュビッツに送るようになった。
さすがのシンドラーも軍の権力の前になすすべがなく、工場を閉めて故郷のポーランドに帰ろうとするが、信頼関係を築いていたユダヤ人の計理士と話すうち、自分にまだできることがないか思案するようになる。
そして崖っぷちで彼が思いついたのは、ポーランドで新しい工場を始め、そこで今まで雇用していたユダヤ人たちを改めて雇うというものだった。
膨大な額の賄賂をアーモンに支払ってユダヤ人たちを「買い」、彼らの名前をリストにし、ポーランドに輸送する。
ただ輸送車の名前が羅列されただけのリスト。
その紙切れが、1200人ものユダヤ人の命を救うことになった。
新しい工場では武器の生産をするようになったが、軍人たちに工場内での理由なき殺人を厳しく禁じるとともに、不良品を作ることでドイツ軍に徹底的に抵抗した。
しかし、不良品の多さに対する軍からの苦情を躱すために代用品を他から買ったり、食費や軍への賄賂がかさんだりして、ついに彼の財産は底をついてしまう。
その直後の終戦は、彼にとって不幸中の幸いだった。
ナチス軍の戦犯となってしまったシンドラーは、ユダヤ人たちを解放して自らも姿を消す。
シンドラーの逮捕や処刑を阻止するために集められた署名を手渡しながら、雇用者たちは涙ながらに感謝を述べるのだった。
たった一人の人間が、どこまでできるんだろう。
たった数枚の紙切れが、どこまでできるんだろう。
もう限界じゃないか、もう限界じゃないか・・・
スレスレのところでその限界を超えて、何度もなんども、人の命が助けられていく。
こんなに心が痛くなる映画は久しぶりに見たなぁ。
ナチス軍のメンバーだった彼が、馬に乗って丘を駆け下りて、ユダヤ人の愛人と並んで虐殺の現場を目の当たりにしてしまったシーン。
自分たちのやっていることは本当はおかしいんじゃないか。
戦争中とはいえ、度が過ぎているんじゃないか。
誰かが阻止しなければいけないんじゃないか。
個人的にものすごい差別主義者ではないけれど、立場としては迫害する側で、迫害している張本人ともビジネス上とはいえ親交がある、そんな彼が少しずつ目を覚まして、状況を客観視して、自分の信じた正義や「パワー」のために立ち上がるのが、かっこよすぎた。
アーモンを諭すシーン、彼に理解を示すシーン、めっちゃ肯首。
非人道的だし、非理性的だし、本当にアーモンはどうしようもないカスでクズだけど、戦争っていう最悪の非日常の中でもなお人間が人間らしく、理性を保って存在し続けることがいかに難しいか、ということも真実なのだろうと思う。
だからほんとに戦争は二度としちゃいけないよね。
これは、好きな映画ベスト5に入りそう。
戦争は人の悪い面を浮き彫りにする
同じ人間をなんの躊躇もなく殺せる側も、確かに罪深い戦犯だが、命令に倣うしかなく、躊躇したら気が狂う状況を前に、気が触れてしまった戦争の被害者。戦争は人間の悪い面を浮き彫りにするというシンドラーの言葉通り、善悪の理性をなくさないと自分の命が危なくなる戦争のおぞましさ、危機を前に残虐に変わってしまえる人類のおそろしさをこれでもかと感じさせられる。トラウマになるほどの大量虐殺シーンが続く。実際はカラーで臭気も漂うその場に居合わせたら、防御本能が働き、正しい正義も理性も感情も持てなくなってしまう人間が出るのもわかる。あんな小さな赤いコートの少女も、カラーだったら埋もれてしまっていただろう。モノクロだから大勢の中の1に目がいくが、実際はひとりひとりの人格や人生になど目がいかず、大勢が1になってしまうから、戦争が起こるのだと感じた。自分と同じように、相手にも大切な人生や未来や家族がいる事を考えてはいけない空気。
最初は損得のために動いていた女好きのシンドラーも、ユダヤ人迫害を目の当たりにする生活を通して、自分の持ちうる力を最大限用いてユダヤ人救済に力を尽くす。
どうにもならない状況で迫害をやめようと声高に叫ぶのではなく、ドイツ人かつナチス党員としての自分の立場を利用して上手く立ち回り、社交性や頭の回転の速さや立場や権力や財産など全ての力を、救える人命を増やす事に貢献させていて賢さを感じた。
シンドラー自身も危険なのに、彼は自分の力を奮い立たせる事ができて、「力と正義は別。力は人を殺す正当な理由がある時に殺さない事だ。」と言っていたのが印象的だった。
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