紳士協定のレビュー・感想・評価
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ユダヤ人差別の隠れた社会問題にメスを入れた演劇映画のカザン監督らしさと役者の演技
第二次世界大戦の戦前から戦中に舞台演出を約10年手掛け、「ブルックリン横丁」(1945年)で映画監督デビューしたエリア・カザンは36歳になっていました。この作品は下町に生きる貧しくも健気な一家を微笑ましく描いたホームドラマの佳作でしたが、今改めて想い出すとカザン監督らしくない題材でした。異色の社会派映画の硬派のイメージが強く、それでいて多様なジャンルに挑戦した経歴から、つかみどころの難しい作家であり、映画監督の個性という点では一貫していません。強いて言えば、役者の演技を最重点に芝居の完成度を求めた演出家だったと思います。それ故出演する俳優の充実度が常に高く、アカデミー賞などの映画祭や業界の年間優秀賞のノミネート含め演技賞対象として名誉に導いた実績を数多く遺しました。このカザンが38歳の時、社会派監督の特徴を最初に印象付けたのが、20世紀フォックスのプロデューサー、ダリル・F・ザナックに売り込んで監督した、ユダヤ人問題に一石を投じたローラ・Z・ホブソン原作『Gentleman's Agreement』(1947年)のこの映画になると思います。アメリカ社会の暗部を扱った理由から日本公開も40年遅れて、更にそこから約40年たって漸く今回鑑賞する機会を得ました。
来年建国250年を迎えるアメリカは、ネイティブアメリカンの大陸にイギリスのピューリタン始めヨーロッパから様々な人種が入植して変遷してきた世界でも異質な国家と言えるでしょう。特にアフリカから黒人の人たちが強制的に連れてこられて、人種差別が社会問題として長く映画でも扱われてきました。開拓初期には同じ白人の間にもあったといいます。これらの事は、多くの西部劇映画やモーリス・ターナーの「モヒカン族の最後」(1920年)、ウィリアム・ワイラーの「西部の男」(1940年・中国系移民)、ジョージ・スティーブンスの「ジャイアンツ」(1956年・メキシコ人の境遇)、ノーマン・ジュイソンの「夜の大捜査線」(1967年)、スコット・ヒックスの「ヒマラヤ杉に降る雪」(1999年・日系移民)、テレビドラマ「ルーツ」(黒人ドラマの名作・1977年)など個人的に見聞するものの、ほんの僅かな認識に過ぎません。そして昨年、私が最も敬愛する俳優の自伝『ポール・ニューマン語る』でアメリカにおけるユダヤ人問題を初めて知って驚きました。ポール(1925年~2008年)の父アーサー・ニューマン・シニアはユダヤ人で伯父ジョーとスポーツ用品店を営み成功を収め、幼少期のポールは裕福層が住む地域で生まれ過ごしました。でも多感な中高生時代にユダヤ人差別に合っています。
理解できたのは、ユダヤ人には閉ざされている道があるということだけだった。たとえ自分ではその道に進みたいと願っていたとしても。この事実は、兄と私を深く傷つけた。そして、その埋め合わせをしようとした時期が、私の人生にあったと思う。
十五歳前後で、排斥というものの存在を理解した。当時はだれもが入りたがった男子社交クラブへの入会を申請した私に、~中略~ 会合から帰ってきた友だちのロジャーには、こう告げられた。「まいったよ」と彼は私に言った。「ほんとうに申しわけない。でもユダヤ人は入会できないっていう会則があったんだ」
品川亮・岩田佳代子訳者、早川書房発行
ヨーロッパの18世紀後半から19世紀において、特に英仏でユダヤ人問題が顕在化し、19世紀後半には反ユダヤ主義が社会問題化した歴史がありました。この背景には国民国家の市民の人権や平等の意識が、啓蒙思想の寛容と共に社会に波及したからとあります。映画ではフランス陸軍大尉アルフレド・ドレフュスの罷免事件を扱ったウィリアム・ディターレの「ゾラの生涯」(1937年)やロマン・ポランスキーの「オフィサー・アンド・スパイ」(2019年)で知ることが出来ます。しかし、ナチスのホロコーストがあった第二次世界大戦中から戦後において、自由と平等を標榜するアメリカ民主主義社会でユダヤ人排斥が行われていたことは、他の根強い人種差別と比較し、公然と行われていなかった理由により情報が限られていたのだと思います。これら差別意識が強いアメリカでは、白人、アングロ・サクソン人、プロテスタントの頭文字から採ったワスプ(WASP)の言葉が、特権階級を揶揄する意味で使われていると言います。
1946年にコスモポリタン誌に連載され、翌年小説が200万部のベストセラーとなったローラ・Z・ホブソンの原作の映画化権をいち早く取得したプロデューサー、ダリル・F・ザナックの先見の明と商魂には感心します。ユダヤ人が多いハリウッドにおいて唯一ユダヤ人でない大物プロデューサーであったザナックは、同時に独裁者でもありました。興行面を最優先にしながらも、社会的反響のある題材を意欲的に採用し名作を数多く遺した映画の巨人です。このユダヤ人問題の原作をユダヤ人でないザナックが選んだことにも、彼の資質が窺われます。脚本のモス・ハートは、フランク・キャプラの名作「我が家の楽園」(1938年)の原作となる戯曲をジョージ・S・カウフマンという人と共作し、ピュリッツァー賞受賞の経験者です。主演のグレゴリー・ペックは「白い恐怖」「仔鹿物語」「白昼の決闘」に続く作品で31歳の若さと、その清潔感からくる誠実な個性が主人公フィリップに嵌り、すでに安定した演技力を見せます。婚約者キャシー役のドロシー・マクガイヤは「ブルックリン横丁」で二児の母親役を経験してか、ペックと同年齢ながら貫禄が感じられる演技でした。この作品のある意味主人公より物語上重要な立場にいる女性です。上流階級に生まれ良識と分別がありながら、ユダヤ人を装うフィリップと付き合う中で、反ユダヤ主義を潜在的に持っている周りの人たちに合わせてきた価値観を意識し、自分の偽善に苦しみます。ユダヤ人差別を身を持って経験する主人公の設定と、このキャシーの恋愛心理にユダヤ人差別の複雑さが絡んで、単なる差別問題の告発物に収まっていないのが、ホブソン原作・ハート脚本の優れた点でした。このふたりと交友するファッション編集者アンを演じたセレステ・ホルムが、フィリップに好意を持っている微妙な心理を上手く表現していました。カザン演出の的確さと、当時の名女優バーバラ・スタンウィックに似た美貌と存在感が印象に残ります。「ソルジャー・ブルー」(1970年)のラルフ・ネルソン監督が最初の結婚相手で、20歳で産んだ長男テッド・ネルソンが有名な社会学者になっているプライベートも興味深く、この演技でアカデミー助演女優賞を受賞して映画史に遺ったのも幸運でした。主要登場人物でフィリップの親友でユダヤ人の軍人デイブ役のジョン・ガーフィールドと、フィリップの秘書エイレンを演じたジューン・ハヴォックも手堅い演技で物語に活かされています。エイレンがユダヤ人の出自を隠して雑誌社に採用されていたことや、彼女自身が差別を受けるユダヤ人と同じに見られたくない心理も人物表現として深みがありました。そして、アン・リヴィアが演じたフィリップの母グリーン夫人が、19世紀の啓蒙思想を体現した模範的女性像としてフィリップ親子を温かく包み込みます。病弱の設定がリヴィアに合わない配役の違和感を演技力でカバーしています。ホルムと並んでアカデミー賞にノミネートされましたが、「陽のあたる場所」(1951年)の主人公の母親の適役には劣るように感じました。兎に角、このように役者の演技を観ていくと、カザン監督の演技指導力は流石であると、再認識させられます。音楽アルフレッド・ニューマンに撮影アーサー・C・ミラーの両巨匠については、音楽が冒頭のタイトルバックとラストカットのみで、舞台が殆ど室内の演劇映画のためミラーのカメラワークも地味に終わっています。
外見だけでは分からない白人社会の人種・宗教に絡んだアメリカ多民族国家のユダヤ人差別問題に風穴を開けた小説の演劇映画として見応えのある作品でした。前半が幾分もたついた印象を持ちましたが、後半は展開の意外性とテンポが合って物語が完結しています。アメリカ社会の過去の一面を知る上で、とても勉強になるカザン作品でした。
【”僕は6カ月間、ユダヤ人になる。そして、偏見に対し何もしない事が問題なのだ!”今作は、キリスト教徒の男が反ユダヤ主義の実態を経験する様と、差別を無くすには何をすべきかを描いた社会派作品なのである。】
■ライターのフィリップ・スカイラー・グリーン(グレゴリー・ペック)は、妻を亡くした後、息子トミーとニューヨークに来て、週刊誌の編集長ジョンから反ユダヤ主義に関する記事の執筆を依頼される。
彼は悩んだ末、自らユダヤ人”フィル・グリーン”を名乗リ、体験取材を始めるが、その話が広まった途端、周囲の態度が微妙に変わり彼自身も様々な嫌な体験をする。
知り合ったキャシー(ドロシー・マクガイア)とは、惹かれ合うが彼女の何処か煮え切らない態度に、フィリップは苛立つのであった。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
■フィリップがユダヤ人となって経験した嫌な事。知ってしまったユダヤ人差別の実態。
1.母が心臓を悪くしたときに、やって来た医者が笑顔で何気なく”次はユダヤ系の医者に診て貰う方が良いですね。”と言った事。
2.アパートの名入れに”フィル・グリーン”と書いた時に、管理人から拒絶された事。
3.ホテルを予約したのに、”満室です”と言われた事。”ここは非開放ではないな"と念を押したのに。
4.息子のトミーが学校で”汚いユダヤ人”と言われて苛められた事。
5.ユダヤ人秘書のエレイン・ウェールズが、今の職に就くために名前を変えていた事。それを聞いたジョンは直ぐに、採用方針を変える様に人事部長に指示を出すのである。
・そんなフィリップに、第二次世界大戦から戻って来たユダヤ人の友人デイヴ・ゴールドマンからユダヤ人への差別”紳士協定”の実態について実体験を学んでいく過程も上手い。そして、彼は兵役から戻った後にユダヤ人という理由で、仕事や家を持てないでいる実態も、この作品のラストと上手く連動している。
■フィリップは”ユダヤ人に成ったらという事を提案した”キャシーに惹かれて行くが、彼女の煮え切らない態度にモヤモヤして、つい喧嘩してしまう二人。
そんな、キャシーにデイヴ・ゴールドマンが、告げた言葉が素晴しい。
”君は、その差別的な発言をした男の言葉を聞いた時にどうした?”
”不愉快だったわ。けれども、我慢したの。”
”それだよ。偏見に対し、何もしない事が問題なんだ!”
今作では”反ユダヤ主義”をテーマとしているが、このデイヴ・ゴールドマンの言葉は、日本でもいまだに蔓延る性差別、人種差別(日本だと、アイヌ民族だろうか)、宗教差別などなど・・。だが、それを聞いても内心では憤慨しながらも知らないふりをしている事こそが差別を助長していると、今作はメッセージを発信しているのである。
<ラスト、フィリップのユダヤ人の友人デイヴ・ゴールドマンの粋な計らいがスカッとするし、この作品の風合を高めている。
彼は、わざわざフィリップの前でキャシーに電話し、彼女がフィリップを連れて行った家にデイヴの家族を住まわせ、彼の家族が不快な思いをしないように隣に引っ越す事を彼に聞こえる様に話すのである。
それを聞いたフィリップはキャシーを訪ね、強く抱きしめるのである。
今作は、キリスト教徒の男が反ユダヤ主義の実態を経験する様と差別をなくすためには何をすべきかを描いた社会派作品なのである。>
暗黙のうちに慣習となっていた社会問題を告発
1947年、米国でベストセラー小説を原作に製作・公開された映画が、40年後に日本で初めて公開されたとは驚き。自由と平等の国のイメージダウンを懸念したのだろうか。確かに、日系移民の排斥運動や黒人差別については知っていたけれども、アンチ・セミティズム(反ユダヤ主義)については無知だった。
主人公の彼女の言動を見て、アメリカ人でも、良くないこととは分かっていながらも長いものに巻かれてやり過ごしていくことがあるんだな、私と同じだ、と少し安心した。「何も言わないのはダメ、ノーを言わないと」と叱られても、原作小説を書いた人のような勇気も知力もないし…。でも、映画のラストシーンの彼女のように、まずは自分の友人や知人に対してなら、自分にできることはしたいし、できそうだと思った。だから、当時、原作も映画もヒットしたのだろう。
映画の中で批判されているメディアは当時のニューヨークタイムズ紙っぽい。調べてみたところ、当時のオーナーはそちらの主義の人だったそうで、正義の報道を謳っていた割に、第二次世界大戦中のユダヤ人迫害についての記事はとても少なく、掲載されてもとても小さかったそうだ…。
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