劇場公開日 1951年11月23日

「何とも乱暴なエクスポージャー(曝露療法)!」白い恐怖 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5何とも乱暴なエクスポージャー(曝露療法)!

2024年8月30日
PCから投稿
鑑賞方法:その他

知的

萌える

こんな風に、急激に強引にやったら悪化すること必須!!!
でも、サスペンス/映画としては、ぐいぐい押してきて面白い。

記憶喪失の男の真実を探す物語。
しかも、男は殺人を犯したという。
男を愛した女は、それを信じず、妄想に取りつかれているのだという。

果たして、男の思い込みか?女の狂信的願望か?

精神病院で、父を殺したと思い込んでいる男の顛末を前半に入れ込み、不安を煽る。
剃刀で喉を掻っ切った精神病院に入院している、父を殺したと言う男。
 だから、後半、JBが剃刀をもって、階下に行くシーンでは、その演出・映像と相まって、緊張感が半端ない。
 そんなJBの先、階下にいるのは、何も気が付いていないかのような、好々爺・老精神分析医ブルロフ博士。
 父を殺したと思い込んでいる患者の主治医が、男の無実を狂信的に信じている女・コンスタンスであることもミソ。この患者の訴えも「思い込み」と映画の中で言われるだけで、父は実は存命なのか、亡くなっているにしろ死因は語られていない。
 コンスタンスの誤認かもしれない可能性もなくはない。
 そして、コップを通した映像。幻の演出?と思わせて…。

一夜明けて、明かされるブルロフ博士の行動理由。さすが、経験豊富な老練な精神分析医だ!
 「女は、恋する前は優秀な精神分析医だが、恋した後は患者となる。(思い出し引用)」とは、コンスタンスに言う、ブルロフ博士の言葉。女だけじゃなくて、男も同じと思うが、コンスタンスの状態を表現するのに、ぴったり。
 ブルロフ博士が、一貫して、コンスタンスのスーパーバイザーの役を果たす。
 だが、コンスタンスには通じない。頭ではもちろん理解しているのだが、心がどうにも動かない。その、知と情熱に揺れ動くさまを、バーグマンさんが見ごとに演じている。だから、見ている私としては、ハラハラし、でも応援したくなる。

JB演じるペック氏は、どこか、浮ついてきょどきょどしていて、かと思うと、コンスタンスに強引にアプローチしたりして、精神不安定な男を演じている。かの有名な『ローマの休日』の時より、青臭いの新鮮。

正直、期待したダリ氏の夢の部分は、今となったら、特に目新しいものではない。20分あった映像をあの部分しか使わなかったと聞く。20分全編を見てみたい。

それより、上記のコップを通した映像や、後半、収監されたJBを心配するコンスタンスの映像とか、シーン・シーンで唸る映像が多い。

推理ものとして見ると、つっこみどころ一杯ではあるが、恋する女の一途さと相まって、最後まで予断を許さず、見せてくれる。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

精神分析。
 Freudが初めた治療法。ユング等ヨーロッパ各国から熱心に教えを乞うた医者もいるが、どちらかと言うと、初期は芸術関係者に受け入れられていた。
 ナチスの台頭により、ユダヤ人だったFreudはイギリスに逃れ、ある精神科医たちはUSAに逃れ、一時期、USAでの、精神病治療は精神分析一辺倒だったと聞く。
 基本、毎日、分析を受けに行かなければならず、時間とお金を必要とする治療であって、それだけの余裕を持つ者として、精神分析を受けることが、ある意味、ステイタスとなっていたとも聞く。

今では、認知行動療法の一つとして説明されるエクスポージャー(曝露療法)。
 精神分析の初期にはこんなやり方をしていたのかな?
 エクスポージャーとは、恐怖の対象に現実に向き合う方法だが、実際の治療では、患者本人がある程度耐えられるところから徐々に始めると聞く。そして、安心・安全を確実に担保してから、最も克服しなければいけない危険に向き合うと聞く。この映画のような強引かつ急激な方法をとったら、再トラウマ決定。

また、夢分析もこんなに単純ではない。
 夢分析は、Freudから分かれたユングの方がさらに発展させているように聞くけれど…。
 そもそも、夢も幾つもの層があり(『インセプション』ほど作為的ではないか、何か:出来事や感情の侵入によって変化することもある)、意味づけも夢占いのように1対1ではなくて、”個人”の意味づけも重要なのだが。

ブルロフ博士の説明等、簡潔に精神分析を説明している部分もあるが、
治療としては、そりゃまずいということも多々ある。
 特に、時折、JBが治療を拒否して喚き散らす言葉は、精神分析を学び始めの治療者が犯すミスに対して、患者が文句を言うことそのままで、笑ってしまった。
 Freud等の理論は、不可解なことが解ったような気がして、つい、その理論を押し付けたくなるんだな。「解る」ことを重要視する現代では、特に。
 そして、無意識にでも忘れたくなるようなことを思い出させるって、傷口に指を突っ込んでぐりぐりするのと同じ。そんなサド的行為を強要されたら、噛みつきたくなるよ。それでも、それをすることで困っていることが解消するから”治療”として成り立っているのだけれど、だからこそ、慎重にしなければいけないのだが。

そして、倫理の問題。
 精神分析の初期には、教育分析(コンスタンスが精神分析医になるために受けた分析)で、分析した者と、分析された人が結婚したケースもあるが、うまくいかなかった。
 そんな失敗を重ねて、心理療法、特に精神分析には”やってはいけない”とされているタブーが多い。
 例えば、面接室以外で会うなんて、そうしたとたん、「それは精神分析ではない」と言われてしまう。
 臨床心理士・公認心理師の倫理綱領に照らし合わせれば、恋人関係と治療関係は、”二重関係”に当たり、認められない。

だから、この映画では、コンスタンスが、精神分析医としてJBをというより、愛の力がという印象が強い。そして、理性では迷いながらも、愛の力でぐいぐい突き進むコンスタンスのなんと凛々しいことよ。
 加えて、精神分析治療としても突っ込みどころ満載だが、その知識で次々と謎が会召されていくので、爽快。

精神分析医やカウンセラー、精神科に携わる者は、JBのコンスタンスへの不満にこそ、耳を傾けるべきだと思う。

とみいじょん