死霊の盆踊りのレビュー・感想・評価
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C級映画を楽しむという発明。
これは純粋に映画の評価ではない。ダメ映画の代名詞ともされる『死霊の盆踊り』が、かくも長い命を持って繰り返し観られている。間違いなく、本作と本作を日本に紹介した江戸木純は、まったく新しい映画の鑑賞法を提示したと思うのだ。 『死霊の盆踊り』の出来栄えは、B級、C級、Z級みたいなランク付けが無意味なくらい、本当にヒドい。例えば同じエド・ウッド絡みでも『プラン9・フロム・アウター・スペース』みたいな映画は、確かにヒドいかも知れないが、同時にそれでもこの映画を作りたかったという情熱が感じられて、愛嬌が魅力にもなっている。要するに、可愛らしいダメ映画なのだ。しかし『死霊の盆踊り』は違う。とにかくタルい。腹が立つくらい面白くない。本当に、観客を面白がらせたいという気持ちがないのではないか。 B級、C級の映画を観るという行為はどこかスカしていて、さあ、どれだけヒドいか笑ってやろうという試みでもある。そして、得てして作り手が本気な部分を、無理解により冷笑するようなシチュエーションが起きがちだと思う。しかし『死霊の盆踊り』は、そういう当たり屋気質に真っ向から立ち向かう。どうだ、本当のダメ映画の神髄を見せてやる!と。 映画に作り手にそんな意図があったとは思わないが、この映画を繰り返し劇場にかける興行には、映画好きの物好きな好奇心に限界を押し広げようという、結構壮大な効能があるのではないだろうか。
どうしようもねえwww
ただただ、クソ映画でした。 本当は何も書きたくないけど、それは私のポリシーに反するので、良かった点をいくつか。 ・音楽は結構頑張ってた。 ・「プラン9・フロム・アウタースペース」とセットで観ると、いくつか爆笑ポイント有り。骸骨ネタとか、カンペガン見おじさんとか…。 ・狼男とミイラ男の造形はまあまあ…かなぁ…。 だめだ、もうない(笑)本当に徹底して美女の残念な半裸ダンスを延々と見せつけられるだけ。魅力のかけらもないアホくさいダンスを何十分も。地獄です。「プラン9・フロム・アウタースペース」はメッセージ性や役者の演技等、映画らしいところがいくつかあり、割りと楽しめたのですが、これはダメでした。 いっそ脇役の狼男とミイラ男で別の映画作って欲しかったです。
人生で意味のない90分を過ごそう
山道を走行中のカップル 車内での会話シーンは夜背景 引きで車が映し出されるシーンは昼間 炎の悪霊だの水の悪霊だのがローテーションストリップを延々と物陰から鑑賞するカップル 敵(恐ろしくクオリティーの低い狼男とミイラ男)に捕まりピンチorストーリーが進むかと思いきやS席に通され引き続きストリップ鑑賞 こんな感じで上映時間残り2分までパツキン女のパイオツフリフリを見るだけの何の有り難みも無い裸踊り映画 しかし、友人達との話のネタにはなるから見ていて損は無いかも知れない
想像していた遥か上を行く作品
伝説の超カルトムービー。 それが何と劇場で観られる、こんな機会はそうそうあるまいと足を運んでみました。さすがですねシネマシティ。 物語は死霊の宴に紛れ込んでしまった人間の、エロテックホラー。 なのですが、始まってみるとひたすら半裸の女人の踊りが繰り返されるというカオスな作品でした。 本当に、変わるがわるおっぱいダンスが続くだけのシュールな作品です。もちろん色っぽさなんて微塵もありません。 結構序盤から「オレは一体何を観ているのだろう…」と感じてしまいましたよ。 しかも劇場ですから尚更でしたね。 こう何というか、想像していた遥か上を行く作品でした。
退屈は最大の責苦
お釈迦様が「黄泉の国とはこんなところじゃ」と、蓮池のほとりにお立ちになり、この光景をゆび指しておっしゃるならば 僕はなんとしてでも改心して善人になりたいと思います。 三流スリラー作家とその妻が、墓場にてその一晩、幻の中に見せられた“あの世“の姿。 芥川龍之介ならば喰い入るようにこの90分を観察し、手帳に記録をしたのでありましょう。 まさに「苦役を受け入れる哲学」と「上映終了を待望する宗教」を、直球で受け止めざるを得なかった映画体験でした。 地獄には、言われているような鬼も閻魔も針の山もなかったのです。 退屈と睡魔だけが地獄の全てなのでした。 ・・・・・・・・・・・ 「時間の無駄にしかならない、クソ映画を教えてください。」 ⇒「Yahoo知恵袋」で、ふと目に止まったこの質問の回答の1本がこれ=本作品でした。 50年を経て「満足度0%」を誇る偉業とは いやはや。 世界遺産としてMoMAお買い上げの資格有りと見た。 上記の他、知恵袋の回答には 「バケモノの子以降の細田作品。」 という辛辣なものもあって笑えました。 ここ映画.comでもレビューが作品本体を超えてます。 たまにはこんなのも良いかと。
エド・ウッド映画にしては魅力に欠ける
エド・ウッドは本作とどう折り合いをつけていたのだろうか。いくら低予算のやっつけ仕事とはいえ、こんなものが自らのフィルモグラフィーに加え入れられてしまうというならば首の一つや二つ括りたくなっても不思議ではない。「自分には才能がない」と自覚するには十分すぎるほど酷い映像証拠だ。 物語はないに等しく、さまざまな文化的背景を持った美女たちが真夜中の墓地でひたすらぎこちない半裸舞踊を披露していく。そこには恐怖もなければ緊張もなく、もちろんエロスとタナトスの恍惚的な交わりなどといったものが見受けられるわけもない。児戯に等しい、いやそれにも劣るほど陳腐で情感に欠けた舞踊を、これまたやる気の感じられないカメラがなんとなく追いかける。物理現象としては常に何かが動いているはずなのに、この停滞しきった映像は何なんだ。フレーム単位で眠気が倍加していく。 「もはや一周回って天才」などという手垢に塗れた批評を下す気はないが、ここまで徹底的につまらなさを追求した作品というのは確かに珍しい。ただその珍品性に90分の価値があるかというと、絶対にない。荒唐無稽ながらも映画に対する監督の熱意の燐光がそこかしこに空転的に迸っていた『プラン9・フロム・アウタースペース』を見たほうが「エド・ウッド体験」としては何倍も有意義だろう。 エド・ウッド作品の魅力は、彼の熱意と周囲のシニシズムの克明すぎるギャップにある。それはエド・ウッドだけが空回っているとも形容できるし、逆に彼の圧倒的な熱意が万物を置き去りにしているとも形容できる。どちらにせよ不遇きわまる彼の映画人生に、ティム・バートンよろしく感傷を重ね合わせる快楽というのは確かにある。しかし本作には彼の熱意がほとんど感じられない。いかにも間に合わせのエロティック・ホラーといった趣で、記名性に乏しい。誰一人やる気がなく、ゆえにただひたすらにつまらない。擁護の余地もない。どうしてこんなものが彼の代表作として知れ渡ってしまっているのか甚だ疑問だ。
エド・ウッドは踊り続ける
ネタを求めて夜の墓場へ車を走らすホラー小説家。恋人の制止も聞かず、それが仇となり、車は誤って転落。 やがて意識を取り戻して2人が見たものとは…!? 悲しい死を遂げた女たちが墓から蘇り、半裸で踊り続ける。 夜の帝王と闇の女王が催す妖しい宴。 2人も捕まってしまって…!? 脚本はエド・ウッド。 昨年、『プラン9・フロム・アウタースペース』と共にHDリマスター版が上映。 ロッテントマト支持率驚異の0%! 史上最低映画にも選出! 共にレンタルしてきて、サイテー映画の宴! 噂には聞いていたけれども、確かにこれは聞きしに勝る。 某キャッチコピーに掛けて言うなら、 残念ながら『死霊の盆踊り』について語れる事は何も無い。自分の目で確かめろ。 中身ナシ、下らないアホな設定、学芸会レベルの演出や大根演技…。 極め付けは、半裸の美女たちが自慢のデカパイを揺らして踊り続ける。 本当にそれが作品の大半以上を占め、延々見せられる。 よくこれ企画通ったなぁと言うより、よくこれ思い付いたなぁとある意味感心。 エド・ウッドはおバカなのか、それとも異才なのか…? 確かに怪作・珍作の類い。出来映えなんてとてもとても褒められたもんじゃなく、採点で★5なんてご冗談を。 でも決して、駄作とは感じなかった。私にとって駄作とは、先日見たとても映画とは呼べない代物のヤンキーおバカ。 あんなのに比べたら、本作はまだまだ“映画”。 珍妙だけどエドの映画愛。 どんなにバカにされようとも、酷評されようとも、オリジナルのアイデアで映画を作り続けていく。 そう考えたら、長い歳月を経ても尚(一部の間で)エドの作品は愛され続けている。 こういう監督が居るから、映画は面白い。 “史上最低の映画監督”じゃなく、エド・ウッドもまた名匠なのかもしれない。
おっぱいファンク
軒並み形のいい乳房のトップレス死霊が入れ替わり立ち代わり踊り続ける事90分。 美女がパンツ一丁で大真面目にキレ味の悪いダンスを踊る絶妙な間抜けさ。 1965年にこんな斬新なミニマムコメディが生まれたとは。
くだらなすぎて寝れます
墓場で霊が裸踊りするだけ。あまりにくだらなくて眠気に耐えれない。 史上最低、満足度0%、と訳のわからん宣伝してるから、話のタネに観たけど、その通りくだらなかった。 この作品に比べれば、これからどんな映画だって良いと思えるはず。 そういう意味では価値ある経験だった、のかも。
ビデオ屋あさりの日々
まさか劇場で? 映画好きを自認する先輩方々が必ず口にしていた名作。 俺もあんなカッコいい会話がしたいぜと踏み込んだ迷宮。 ビデオ屋での日々、見つけた時には思わず叫んだ。 (チェーン店ではお目にかかったことがないというのが当時の共通認識であった、目撃した場合は報告義務があった) クソ映画を見たからなんだ?とは、見ていなければ語れない?のか。 思い出し苦笑いしてしまうシーンの数々。 振り切れた自由を感じる名作。 クソっ!
人類には2種類のタイプが...
『死霊の盆踊り』を観たか、そうでないか。 というのは大袈裟ですが、江戸木純氏の『地獄のシネバトル』を学生時代にバイブルとしていたものとして、まさかスクリーンでこの作品を見る機会を得られる(しかも、岡山で!)とは思ってもいませんでした。 内容はまあ深く語るのもアレですが、様々なダンサーの個性的な踊り(そのレベルもまちまち。魅せられる踊り子さんも数名おりました)の合間に挟まれるグダグダな芝居。ツッコミどころしかない展開。 さすが50年以上経ってもサイテー映画の名をほしいままにするだけはあります。 とはいえ90分超をなんだかんだで観てしまうなんとも言えぬパワーを感じ、よい金曜の夜を過ごせたなという清々しい気分で劇場を後にできました。 次は酒でも飲みながらワイワイ観てみたいですね。
初めて寝ちゃいました
映画館で初めて寝てしまいました とは言え味があって、何年経っても笑い話として思い出せる良い作品だと思います 退屈なんだけどおかしくて堪らない…… 何なんだこの振り付けは…… そんな作品です
素晴らしい!
今から54年前に作られた映画。最低だとか、ロッテントマト0点だとか、評価の低いことこの上ない。しかしだ!54年経って未だにある一部の人々を劇場に運ばせる映画であるこの事実をどう捉えるか?もう一度言うが最低の映画だと見做される作品である。それは、言い換えれば見たい氣を起こさせる何かがあるということだ。最低が最高になることもあるのだ。私はこれを作り上げた関係者たち及び日本で公開されるべく奔走された人たちに礼を言いたい。よくぞ世に残してくれた!純粋な情熱に裏打ちされた稀有な作品である。これは間違いなく映画史に残る日陰の金字塔だ。
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