死霊の盆踊りのレビュー・感想・評価
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C級映画を楽しむという発明。
これは純粋に映画の評価ではない。ダメ映画の代名詞ともされる『死霊の盆踊り』が、かくも長い命を持って繰り返し観られている。間違いなく、本作と本作を日本に紹介した江戸木純は、まったく新しい映画の鑑賞法を提示したと思うのだ。
『死霊の盆踊り』の出来栄えは、B級、C級、Z級みたいなランク付けが無意味なくらい、本当にヒドい。例えば同じエド・ウッド絡みでも『プラン9・フロム・アウター・スペース』みたいな映画は、確かにヒドいかも知れないが、同時にそれでもこの映画を作りたかったという情熱が感じられて、愛嬌が魅力にもなっている。要するに、可愛らしいダメ映画なのだ。しかし『死霊の盆踊り』は違う。とにかくタルい。腹が立つくらい面白くない。本当に、観客を面白がらせたいという気持ちがないのではないか。
B級、C級の映画を観るという行為はどこかスカしていて、さあ、どれだけヒドいか笑ってやろうという試みでもある。そして、得てして作り手が本気な部分を、無理解により冷笑するようなシチュエーションが起きがちだと思う。しかし『死霊の盆踊り』は、そういう当たり屋気質に真っ向から立ち向かう。どうだ、本当のダメ映画の神髄を見せてやる!と。
映画に作り手にそんな意図があったとは思わないが、この映画を繰り返し劇場にかける興行には、映画好きの物好きな好奇心に限界を押し広げようという、結構壮大な効能があるのではないだろうか。
あっちがCatsならこっちはBatsだね
1965年公開作品
TSUTAYAレンタル
初鑑賞
監督は『多淫マダム 』『淫欲(秘)地帯 』『ポルノ同窓会/輪獣』『陰熟ブルーSEX/ホステス絶頂篇・若妻恍惚篇』『女囚脱獄・鎖なき欲望のままに 』のA・C・スティーヴン(スティーヴン・C・アポストロフ)
脚本は『K-9 友情に輝く星』『グレンとグレンダ』『プラン9・フロム・アウタースペース』のエドワード・D・ウッド・Jr.
粗筋
満月の夜の墓場で死霊の若い女が上半身裸にパンツ一丁の姿で1人ずつ出てきては変な踊りを披露する
そんな宴をドラキュラのような姿の白髪の紳士と魔女のような姿の闇の女王が見物しているという構図
車を運転中に交通事故に遭ったばかりに作家とその恋人が巻き込まれる
原題は『Orgy of the Dead』
翻訳すると「死者たちの乱交」
なお乱交はしていない模様
それを日本の配給会社は『死霊の盆踊り』として売り出す
アメリカには盆踊りはないだろう
間抜けなタイトルである
それでも原題より良心的と言える
車の運転中の事故のわりに2人が綺麗に仰向けになって横たわっているだけというのも不自然だ
ドラキュラ風の男がこちらに話しかけるシーンはカンペを読んでいることがバレバレ
変な踊りは彼女らのその場で思いついた適当なアドリブだろう
事前に演出家の簡単なイメージは伝えられているかもしれないが
それにしても酷い
全裸じゃないのは倫理的なものか
あちらは局部は無修正でもOKらしいから修正の予算を削るためでもなさそうだ
白人女性が次々に現れ裸踊りするだけの内容に男の自分でもうんざりしてくる
オッパイプルンプルンだとしても
なんかこの人たちバカみたい
男はギリギリ起きていられるかもしれない
だけど女は途中で寝てしまう人が続出するだろう
1965年は日本の年号だと昭和40年
スワローズが国鉄からサンケイになった年
NPBで初めて開催されたドラフトの年
ソ連の宇宙飛行士が世界初の宇宙遊泳を達成した年
この3年後の68年に名作『猿の惑星』が公開されている
それを思うと尚更酷く感じる
女の裸踊りはつまらない
その点でいうと裸芸で一世を風靡したとにかく明るい安村やアキラ100%はすごいな
裸踊りの与作さんも好きだったな
どうしようもねえwww
ただただ、クソ映画でした。
本当は何も書きたくないけど、それは私のポリシーに反するので、良かった点をいくつか。
・音楽は結構頑張ってた。
・「プラン9・フロム・アウタースペース」とセットで観ると、いくつか爆笑ポイント有り。骸骨ネタとか、カンペガン見おじさんとか…。
・狼男とミイラ男の造形はまあまあ…かなぁ…。
だめだ、もうない(笑)本当に徹底して美女の残念な半裸ダンスを延々と見せつけられるだけ。魅力のかけらもないアホくさいダンスを何十分も。地獄です。「プラン9・フロム・アウタースペース」はメッセージ性や役者の演技等、映画らしいところがいくつかあり、割りと楽しめたのですが、これはダメでした。
いっそ脇役の狼男とミイラ男で別の映画作って欲しかったです。
人生で意味のない90分を過ごそう
伝説の作品。
夜間に走ってる車が突然昼間になったり、夜の帝王みたいなおじいちゃんが終始用意されているであろうカンペに目を向けながら話していたり、一周して名作。
最後助かった時に旦那だけタンカに乗れないシーンは噴き出しました。
三倍速で見るのをオススメします。
想像していた遥か上を行く作品
退屈は最大の責苦
お釈迦様が「黄泉の国とはこんなところじゃ」と、蓮池のほとりにお立ちになり、この光景をゆび指しておっしゃるならば
僕はなんとしてでも改心して善人になりたいと思います。
三流スリラー作家とその妻が、墓場にてその一晩、幻の中に見せられた“あの世“の姿。
芥川龍之介ならば喰い入るようにこの90分を観察し、手帳に記録をしたのでありましょう。
まさに「苦役を受け入れる哲学」と「上映終了を待望する宗教」を、直球で受け止めざるを得なかった映画体験でした。
地獄には、言われているような鬼も閻魔も針の山もなかったのです。
退屈と睡魔だけが地獄の全てなのでした。
・・・・・・・・・・・
「時間の無駄にしかならない、クソ映画を教えてください。」
⇒「Yahoo知恵袋」で、ふと目に止まったこの質問の回答の1本がこれ=本作品でした。
50年を経て「満足度0%」を誇る偉業とは いやはや。
世界遺産としてMoMAお買い上げの資格有りと見た。
上記の他、知恵袋の回答には
「バケモノの子以降の細田作品。」
という辛辣なものもあって笑えました。
ここ映画.comでもレビューが作品本体を超えてます。
たまにはこんなのも良いかと。
エド・ウッド映画にしては魅力に欠ける
エド・ウッドは本作とどう折り合いをつけていたのだろうか。いくら低予算のやっつけ仕事とはいえ、こんなものが自らのフィルモグラフィーに加え入れられてしまうというならば首の一つや二つ括りたくなっても不思議ではない。「自分には才能がない」と自覚するには十分すぎるほど酷い映像証拠だ。
物語はないに等しく、さまざまな文化的背景を持った美女たちが真夜中の墓地でひたすらぎこちない半裸舞踊を披露していく。そこには恐怖もなければ緊張もなく、もちろんエロスとタナトスの恍惚的な交わりなどといったものが見受けられるわけもない。児戯に等しい、いやそれにも劣るほど陳腐で情感に欠けた舞踊を、これまたやる気の感じられないカメラがなんとなく追いかける。物理現象としては常に何かが動いているはずなのに、この停滞しきった映像は何なんだ。フレーム単位で眠気が倍加していく。
「もはや一周回って天才」などという手垢に塗れた批評を下す気はないが、ここまで徹底的につまらなさを追求した作品というのは確かに珍しい。ただその珍品性に90分の価値があるかというと、絶対にない。荒唐無稽ながらも映画に対する監督の熱意の燐光がそこかしこに空転的に迸っていた『プラン9・フロム・アウタースペース』を見たほうが「エド・ウッド体験」としては何倍も有意義だろう。
エド・ウッド作品の魅力は、彼の熱意と周囲のシニシズムの克明すぎるギャップにある。それはエド・ウッドだけが空回っているとも形容できるし、逆に彼の圧倒的な熱意が万物を置き去りにしているとも形容できる。どちらにせよ不遇きわまる彼の映画人生に、ティム・バートンよろしく感傷を重ね合わせる快楽というのは確かにある。しかし本作には彼の熱意がほとんど感じられない。いかにも間に合わせのエロティック・ホラーといった趣で、記名性に乏しい。誰一人やる気がなく、ゆえにただひたすらにつまらない。擁護の余地もない。どうしてこんなものが彼の代表作として知れ渡ってしまっているのか甚だ疑問だ。
エド・ウッドは踊り続ける
ネタを求めて夜の墓場へ車を走らすホラー小説家。恋人の制止も聞かず、それが仇となり、車は誤って転落。
やがて意識を取り戻して2人が見たものとは…!?
悲しい死を遂げた女たちが墓から蘇り、半裸で踊り続ける。
夜の帝王と闇の女王が催す妖しい宴。
2人も捕まってしまって…!?
脚本はエド・ウッド。
昨年、『プラン9・フロム・アウタースペース』と共にHDリマスター版が上映。
ロッテントマト支持率驚異の0%!
史上最低映画にも選出!
共にレンタルしてきて、サイテー映画の宴!
噂には聞いていたけれども、確かにこれは聞きしに勝る。
某キャッチコピーに掛けて言うなら、
残念ながら『死霊の盆踊り』について語れる事は何も無い。自分の目で確かめろ。
中身ナシ、下らないアホな設定、学芸会レベルの演出や大根演技…。
極め付けは、半裸の美女たちが自慢のデカパイを揺らして踊り続ける。
本当にそれが作品の大半以上を占め、延々見せられる。
よくこれ企画通ったなぁと言うより、よくこれ思い付いたなぁとある意味感心。
エド・ウッドはおバカなのか、それとも異才なのか…?
確かに怪作・珍作の類い。出来映えなんてとてもとても褒められたもんじゃなく、採点で★5なんてご冗談を。
でも決して、駄作とは感じなかった。私にとって駄作とは、先日見たとても映画とは呼べない代物のヤンキーおバカ。
あんなのに比べたら、本作はまだまだ“映画”。
珍妙だけどエドの映画愛。
どんなにバカにされようとも、酷評されようとも、オリジナルのアイデアで映画を作り続けていく。
そう考えたら、長い歳月を経ても尚(一部の間で)エドの作品は愛され続けている。
こういう監督が居るから、映画は面白い。
“史上最低の映画監督”じゃなく、エド・ウッドもまた名匠なのかもしれない。
おっぱいファンク
くだらなすぎて寝れます
なぜ「史上最低」と呼ばれているのかを、私が解説します。
それは。肝心かなめの「裸踊り」が残念過ぎるからです。
決して、主演男女が素人役者さんだからでも無く、話の整合がガサツなせいでも無く、ボキャブラ貧困なセリフのせいでも無く、撮影がズサンだからでも無く、手抜きなオチのせいでもセットのせいでも変装メイクのせいでもありません。
ただ、ただ、踊り子さんのガタイが良すぎて、チブサブルブルアクションがキモくて。全くもって、マジでまーったくもって、1μも萌えなかったからです。
愛すべきクソ映画ってあるじゃないですか。愛すべきクソ芸人とか、クソゲーとか。クソが付くと逆に煽られる人って結構多いと思うんです。なぜならば、ヲタが屈折した光悦にひたる時間を与えてくれるから。「史上最低の映画」なんて言われると「絶対見たい!」になる訳ですよ。
言って良いですか?
これ。ただのクソ映画です。
もうね。なんて言うか。最初は服を着て出てくるんです。そんでもって、ちょっと油断すると、いきなりトップレスになってるんですよ。見えそで見えない所で焦らしてからの3回転捻りとか。そんな、風情もカタルシスも一切無し。もう、いきなり突き出してブルンブル。
マジで盆踊りの子もいるし。
炎上商法かねぇ。やられたねぇ。
って事で。盆踊りの感想を述べてみた。映画としての、あらゆるクォリティは商業映画として「史上最低」を冠するに相応しいモノの一本だと断言できますが。まぁ。そこは。ねぇ。愉しめる方も、おられてでしょうねw
コロナ明けの一本目が、こんなんでええんじゃろか???(エエンジェルス)…
( )内は小声です。
思った以上に、ぐだぐだでした。
友人より、「これを見もせずに(ダメな)映画を語るな」とのことで、一念発起して見に行きました。
前情報も十分に仕入れて臨みましたが、まだ甘く見ていました。
こんなに長い90分映画は『人類遺産』以来です。
あちらはまだ見応えのある所もありましたが…
(おそらく)60分を超えた辺りで「まだまだ後がある」的な発言が出て、マジかぁ…、と思ってしまいました。
有名な映画ですし、見られたことの満足感はあります。
各パートの長さが3分の1くらいだったら、そう悪くないポルノ映画だったのかもしれません。
(その場合、歴史に埋もれていただろうな、とも思いました)
ビデオ屋あさりの日々
人類には2種類のタイプが...
『死霊の盆踊り』を観たか、そうでないか。
というのは大袈裟ですが、江戸木純氏の『地獄のシネバトル』を学生時代にバイブルとしていたものとして、まさかスクリーンでこの作品を見る機会を得られる(しかも、岡山で!)とは思ってもいませんでした。
内容はまあ深く語るのもアレですが、様々なダンサーの個性的な踊り(そのレベルもまちまち。魅せられる踊り子さんも数名おりました)の合間に挟まれるグダグダな芝居。ツッコミどころしかない展開。
さすが50年以上経ってもサイテー映画の名をほしいままにするだけはあります。
とはいえ90分超をなんだかんだで観てしまうなんとも言えぬパワーを感じ、よい金曜の夜を過ごせたなという清々しい気分で劇場を後にできました。
次は酒でも飲みながらワイワイ観てみたいですね。
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