ジョニーは戦場へ行ったのレビュー・感想・評価
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トラウマ映画と聞いて見てみれば
医療従事者にとって最大級の課題、などと偉そうなことは云えないけれど、患者の尊厳を如何にして守るのか、考えさせられる作品でした。けれども、なぜだろう。「苦しいのは、あなただけじゃない」という意見が思い浮かぶのは何故か。この映画に登場する、看護に携わる人々もそりゃあ見ていて辛いだろう。例え、五体満足でも色々な問題を抱えて生きているはずだから――中盤から登場する看護師がかけている十字架のペンダントが実に象徴的だったと感じています。合わせて、彼に送ったメッセージも。
50年ぶり
学生時代に観た時は単なる反戦映画としてしか理解出来ませんでした。しかし、その後世界情勢(民主主義 vs 共産主義)とそれに纏わる歴史、アメリカでの赤狩り、そして、ドルトン・トランボの追放等を知った上で50年ぶりに本作を観ると、ジョニーはトランボ自身であり、そのことを描いていると認識しました。要は、赤狩りにより、共産主義者と見做された人達(含むトランボ)は皆一様に言論の自由、表現の自由を抹殺され、社会に存在しないものとして無視されました。何を発言しても、社会は聴こえないふりをするのです。その立場に置かれた人達の叫びが、この映画のメッセージではないかと。恐らくアメリカでは本作は反戦ではなく政治的映画として認識されていると思います。
「執念」の作品は「祈り」の映画だった、、、
さっき「ジョニーは戦場に行った 4K版」を観終わりました、、、
いわゆる『反戦』映画ですが、それだけではとても括り切れない超傑作です!!
民主主義、自由、正義、、、のために戦場に行ったジョニー、、、
いったい民主主義、自由、正義、、、とは何なのか、、、そのための戦争(殺人及び被傷、被殺、、、)とは、いったい何なのか、を思いっ切り深く考えさせられる作品です
ネタバレはしませんが、現実と夢(幻想)の交錯の中で、、、ジョニーの運命の歯車が廻っていきます、、、
ラスト、絶句の最中で涙が滲みました
戦後80年、上映される価値が充分すぎるほどある1971年の作品です
これ以上は語らず、より多くの方々に終戦の上の『平和』とは何かを重く実感して頂ければ幸いです
ジョニーだけが特別なわけではない
倫理観の歪み
「キャタピラー」を鑑賞した時に知り、気になっていた作品でしたが、地元川越のスカラ座にて上映ということで観てきました。
非常に重いテーマを含んだ作品で、単なる反戦映画としてだけではなく、個人の尊厳についても深く考えさせられる映画でした。
声にならない悲痛な叫び、わずかに動く首の全力の訴え、夢と現が交錯する「無」の世界の中で自死することも叶わない…。怖すぎる。そしてそれ以上に怖ろしいのは彼を研究対象の「物」として扱う医師達。しかし、この医師達もまた、戦争に巻き込まれ、否応なしにこの研究を続けざるを得なかったのではないか。この戦争を通じた「倫理観の歪み」が本作のテーマの一つではないかと思いました。
「こんな体では生きていけない…!」ジョーの心の叫びが頭から離れません。
※余談
こんな短いレビューに2日間も費やしてしまった。それだけ軽々しく扱えない作品であること。そして深く考えさせられる作品であるということだ。
※川越スカラ座は、外観、内装含め昭和の香り漂うレトロな雰囲気のコミュニティシネマですが、資金難による閉館が迫っている状況です。現在「川越スカラ座閉館回避プロジェクト」を実施中で、LINEスタンプや川越スカラ座グッズの購入による支援が可能です。(詳細はHPにて)館内にて募金も行っております。ご興味を持たれた方は是非、この独特な雰囲気の映画館を体験してみてください。
威勢の良さに用心せよ
終戦80年企画として市川崑監督の『野火』とともに上映されたのが、本作『ジョニーは戦場へ行った』でした。“終戦80年企画”というタイトルから、てっきり『野火』同様に第二次世界大戦を題材にした作品かと思いきや、本作の舞台は第一次世界大戦下のヨーロッパ戦線でした。とはいえ『野火』同様、本作にも戦闘シーンはほとんど登場せず、戦争によって目・鼻・口・耳をすべて失い、さらに四肢を切断された青年ジョー(ティモシー・ボトムズ)の悲劇が、静かにしかし強烈に描かれていきました。
もっとも、第二次世界大戦と無関係という訳ではありません。監督であるダルトン・トランボが第二次世界大戦勃発直後の1939年9月3日に発表した原作小説は、その反戦的・反政府的な内容から、1945年には絶版(事実上の発禁)となったそうです。終戦後に復刊されたものの、1950年に朝鮮戦争が始まると再び絶版となり、当時のアメリカ政府から強い警戒を受けていたことがうかがえます。
また映画版も、ベトナム戦争の最中である1971年に公開されました。つまり小説版にしても映画版にしても、徹頭徹尾反戦であり反政府の色が濃く、戦争を讃えるどころか、その本質を徹底的に問い直す作品となっていました。
本作の原題『Johnny Got His Gun(ジョニーは銃をとった)』は、第一次世界大戦におけるアメリカの志願兵募集歌「Over There」に登場する「Johnny, get your gun(ジョニーよ、銃をとれ)」というフレーズを絶妙に皮肉ったものです。この「Over There」は、YouTubeで聴くこともでき、軽快なテンポと威勢の良さが特徴の、まさに国威発揚のための軍歌でした。
その歌に乗せられ戦場に向かったジョーを待っていたのは、冒頭にも書いた通り目を覆いたくなるような運命でした。戦争は本来、ないに越したことはありませんが、仮に百歩譲って戦争を避けられなかったとしても、問題はその後の対応にあります。ジョーが戦死していれば「英雄」として讃えられたのでしょうが、再起不能な重傷を負って帰還した彼に国家が用意したのは、人体実験の道具としての扱い、そして死ぬまでの隔離でした。
奇跡的に首と頭部だけをわずかに動かせたジョーは、モールス信号を使って必死に意思を伝えようとします。実際、彼の訴えは看護師の一人に伝わったのですが、軍上層部はその事実を無視し、彼の存在を外部に知らせることなく封じ込めてしまいます。この理不尽さには、怒りしか覚えませんでした。
もちろんこれはフィクションですが、国家権力が都合の悪い事実を隠蔽しようとするのは今も昔も変わらず、本作の描写には強いリアリティを感じました。
『野火』と併せて本作を鑑賞しましたが、結局のところ、洋の東西を問わず、最前線に送られる兵士たちは“使い捨て”にされる存在であることを、改めて痛感しました。威勢の良いことを言う政治家たちに、決して踊らされてはならない、そう強く思わされる二本立てでした。
そんな訳で、本作の評価は★4.2とします。
4Kレストア版(解説付)を鑑賞しました
戦後80年の節目の4Kレストア版再上映を、角川シネマ有楽町にて、映画評論家・町山智浩さん、松崎健夫さんの解説付きで鑑賞
①WWIの両手両足欠損のカナダ人兵士を英国皇太子が慰問して額にキスしたという逸話を元に、1939年にダルトン・トランボが書いた小説を、著者本人が1971年に映画化した本作。1939年はアメリカがWWIIに参戦するかが争点になっていた頃、そして映画化した1972年はベトナム戦争中という、後から俯瞰するとタイムリーな製作タイミングとも言える
…とはいえど監督はそこまでの反戦思想は無かったのではないか、というお二人の評価
②ジョニーの記憶と妄想(カラー映像)、現実(モノクロ映像)が、混沌としたまま行き来する筋立て。原作は全て一人称で、読者の読み解く力を必要とするが、映画ではその点は明瞭なので、観ていてもそう難しくはなかった
小説だと冒頭は傷の痛みで半ば狂気に、段々と論理的思考をしはじめ、正気になればなるほど自らの残酷な運命を思い知らされる筋立てになっているそう
③妄想シーンでドナルド・サザーランドがキリスト役で数度登場する。キリストは新兵らと賭博に興じていたり、戦地に向かう汽車で雄叫びを上げたり、大工として地味にコツコツと十字架を作っている(笑)。妄想の中でキリスト教徒であるジョニーが自分の命運を問うが、キリストにすら匙を投げられてしまう
④ジョニーを演じたティモシー・ボトムズは若手ハリウッドスターとして注目株で、この映画公開当初は恋愛戦争映画として公開されたらしい…。ロビーに公開当時のポスター置いてあったが、確かにヒロインと別れの駅で抱き合う図柄で、これを期待して観に行った客は鬱になっただろうと推察
確かに、どこから見てもアメリカの片田舎の純朴な青年で、よくある戦争映画に出てくるような血気盛んなタイプではない。そんな青年に信じられないような不運が訪れるのだから、鬱映画の誉れ高い作品である
【感想】
ラストに「国のための死は名誉であり、華美である」というメッセージが、わざわざ皮肉的に出る
日本では初めは恋愛戦争映画として公開されたが、ベトナム反戦運動の機運と共に、反戦映画として捉えられて今日に至る
反戦映画という面もあるが、尊厳死というものをどうとらえるか、問いかけているように感じた
自殺を固く禁じられているキリスト信者である彼ですら、それを切望してしまうほどの絶望的な肉体のなかに、鋭利な知能を持ちながら封じられててしまう、終わりなき悲劇に自ら幕をおろせないとは…!
癌末期の壮絶な痛み、身体が動かせなくなる病など、患者自らが尊厳とともにその生を終わらせたいと願うことを、そのつらさを感じぬ他人が禁じることは果たしてできるだろうか?
戦争映画の名作が4K版にて公開です
原作はダルトン・トランボの同名(原題: Johnny Got His Gun)で、原作者自身の脚本、監督作。
タイトルは「ジョニーよ銃を取れ(Johnny Get Your Gun)」という、第一次世界大戦時の志願兵募集のスローガンを皮肉ったもの。
過去のシーンや空想はカラー、現実のジョーのシーンはモノクロで描かれてる。
この色の使い分けが、分かりやすくとても印象的。
傍目には、ただ意識もなく、生きているだけの状態として扱われている最中、ジョーは夢うつつの中で、父親や恋人、かつての仲間たちと再会する。
そこには思い出もあれば、妄想も混じってる。
でも頭部と胴体だけの彼にとっては、それがたったひとつの“人間としての活動”だったのかもしれない。
たしかに彼をこんな状態に追いやったのは、戦争だし、軍隊なんだけど、これは、負傷兵の話じゃなく意識不明、植物人間状態に陥った全ての人に通じる話だと思う。
命令通りに戦いに行き、その結果「哀れな生き物」にされてしまったジョー 。
何も見えず、何も聞こえず、ただ暗闇の中に取り残された彼の姿が心に刺さる。
反戦映画というより、人間として「尊厳」「生とは何か」を考えさせられる作品だと感じた。
2度観たくない内容
重苦しい内容に白黒シーンがさらに輪を掛ける
確かに重い反戦映画だと思う。
ジョニーには他に生きたかった人生があったはず。
戦争に行く行かないの岐路に立ったとき戦争を選んだ。彼女の反対を押し切って。
それが描いていた人生を歩めなくなった原因。
映画には悪いけれど中途半端ではないか?
戦争は悲劇を生むと言うことは伝わってもジョニーがモールス信号でやりとりができるとわかった後、暗い部屋に戻されてしまった後、どう生きたのかが描かれずじまい。
この作品ができて50年以上経ち、他にも一杯、「戦争はあかん」という映画があるのに今日もどこかで戦争で犠牲になる人たちがいる。
かなしいかな其れが現実。
ジョニーは戦場に行ったけれどその後、どこに行ったんや。
この映画は彼を2度殺していないか?
半世紀前の
…作品。
しかし今も戦争は起きている。
人間って馬鹿なんですかね。
戦争映画ってなんで作られるんだろう。
戦争の愚かさを知らしめるためではないんだね、多分。
夢?妄想?の中で父や恋人や友達と会うジョニー。
せつない…。
0053 五感がないまま生きていくって
1973年公開
何故かパンフレットは持っているのだが劇場で見たわけではない。
高一で本作となぜかリンクした北杜夫の「夜と霧の隅で」を
読んだが難解すぎてさっぱり頭に入らない。
閉所恐怖症の拙は胴体だけで生きていく、なんて絶対無理。
すぐに命を絶った方が良い。ありゃー腕がない。
飛び降りだー。あれー脚がない。
強烈な一作。でも心が見ることを拒否する。
もう死を受け入れなければならない年代になればゆっくり
見れるかな。
このように事実に基づく表現なら戦争反対!もわかるが
おパヨは虚偽をまぶせて言うことを聞け!だから
支持がないんだよね。
70点
テレビ初鑑賞 1975年11月30日『日曜洋画劇場』
テーマが難しい。反戦ってこうなりたくなければ戦争に参加しないってこ...
自分だったら…と想像すると、よりキツいラスト
戦争の惨さ以上に、医療現場の患者対応の粗さにモヤモヤを感じた。
おそらく当時にも、本人はもう何も感じない「だろう」という予想のもとで劇中のような扱いを受けていた人はいただろうと思う。
ただ生かされている状態の中でも、ナースの優しさで陽の光を感じたり、会話をしたりといった喜びを感じられていたところでの、あのラスト…救いのなさ、絶望感を感じてしまう。
軍人として戦争に行った段階から道具として政府に扱われているのかもしれないが、負傷して多くを失った状態でも尚あのような扱いを受けるのは、自分だったらと想像するととても苦しかった。
忘れたい
反戦映画ですから
重かろうとは思っていましたがここまでとは…。
戦争モノも色々ありますが
凄惨なシーンとか非道な大虐殺とか、
もちろんそれらのシーンも慣れてしまっては
本当はいけないのでしょうけども
この映画のキツさったら…。
実際にこういった状況になられた
兵士も一人二人ではなかったのだろう。
そう思うとまた落ち込む。
息をすることに絶望しか見出せない生って。
遺言があれって。
正直観たくなかった。
忘れたいくらいです。
駄作ともつまらないともおもわないが
あんまりにも心に傷を負わす。
絶対に戦争はいけないと胸に刻まれる。
個人的な好みの問題です。
映画にはこういう強いメッセージのものも
なきゃいけないとは思うけども好きじゃない。
私はどこかに娯楽性が欲しい派。
辛い映画
30年ほど前、民放深夜放送でたまたま観たのだけれど、あまりにも悲惨で最後まで観ることができなかった。その後ずーと気になっていたが、なかなかこの映画に出会えず、今回やっと出会えた。
大佐は彼は感情も思考もない。ただ生きているだけ。今後の参考の為の研究材料として生かしておくんだ。人間として扱うように。と伝える。しかし暗い部屋で人目を避けて窓も開けられずシーツも替えられない。
心ある婦長さんが来て、シーツを替えるように指示して窓を開ける。風を感じ、明るさを感じるジョー。そう、彼は感じているし、感情もある。自分に両手両足がなく、目もない。顎もないことも理解できている。そして過去を思い出し、何日過ぎたのかも考えながら、どうしたら自分の思いを伝えることができるのか考えてもいる。
顎がないことが想像することもできないが、そんな状態でも生かされるジョーの辛さ。そんな状態でも自分の生きる術を考え外に出たいと願う。叶わないならいっそ殺してほしい。必死に考え、モールス信号で自分の気持ちを伝える。モールス信号を理解できる軍人が現れるも、彼の願いは叶えられない。外に出ることはもちろん叶わず、殺されることもない。優しかった看護師が彼の願いを叶えようとしたが阻止され、看護も外される。
ジョーはそんな状態でもサーカスの見せ物になれば、自分の生きる意味があると考える。太陽の光が当たることで喜びを感じる。五体満足なのに些細なことで弱音をこぼす自分が情けなく思える。
実際に彼のような犠牲者がいたようで、戦後15年生きたとのこと。やはり戦争はあってはならない。
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