ジョニーは戦場へ行ったのレビュー・感想・評価
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トラウマ映画と聞いて見てみれば
医療従事者にとって最大級の課題、などと偉そうなことは云えないけれど、患者の尊厳を如何にして守るのか、考えさせられる作品でした。けれども、なぜだろう。「苦しいのは、あなただけじゃない」という意見が思い浮かぶのは何故か。この映画に登場する、看護に携わる人々もそりゃあ見ていて辛いだろう。例え、五体満足でも色々な問題を抱えて生きているはずだから――中盤から登場する看護師がかけている十字架のペンダントが実に象徴的だったと感じています。合わせて、彼に送ったメッセージも。
重苦しい内容に白黒シーンがさらに輪を掛ける
確かに重い反戦映画だと思う。
ジョニーには他に生きたかった人生があったはず。
戦争に行く行かないの岐路に立ったとき戦争を選んだ。彼女の反対を押し切って。
それが描いていた人生を歩めなくなった原因。
映画には悪いけれど中途半端ではないか?
戦争は悲劇を生むと言うことは伝わってもジョニーがモールス信号でやりとりができるとわかった後、暗い部屋に戻されてしまった後、どう生きたのかが描かれずじまい。
この作品ができて50年以上経ち、他にも一杯、「戦争はあかん」という映画があるのに今日もどこかで戦争で犠牲になる人たちがいる。
かなしいかな其れが現実。
ジョニーは戦場に行ったけれどその後、どこに行ったんや。
この映画は彼を2度殺していないか?
半世紀前の
…作品。
しかし今も戦争は起きている。
人間って馬鹿なんですかね。
戦争映画ってなんで作られるんだろう。
戦争の愚かさを知らしめるためではないんだね、多分。
夢?妄想?の中で父や恋人や友達と会うジョニー。
せつない…。
0053 五感がないまま生きていくって
1973年公開
何故かパンフレットは持っているのだが劇場で見たわけではない。
高一で本作となぜかリンクした北杜夫の「夜と霧の隅で」を
読んだが難解すぎてさっぱり頭に入らない。
閉所恐怖症の拙は胴体だけで生きていく、なんて絶対無理。
すぐに命を絶った方が良い。ありゃー腕がない。
飛び降りだー。あれー脚がない。
強烈な一作。でも心が見ることを拒否する。
もう死を受け入れなければならない年代になればゆっくり
見れるかな。
このように事実に基づく表現なら戦争反対!もわかるが
おパヨは虚偽をまぶせて言うことを聞け!だから
支持がないんだよね。
70点
テレビ初鑑賞 1975年11月30日『日曜洋画劇場』
テーマが難しい。反戦ってこうなりたくなければ戦争に参加しないってこ...
自分だったら…と想像すると、よりキツいラスト
戦争の惨さ以上に、医療現場の患者対応の粗さにモヤモヤを感じた。
おそらく当時にも、本人はもう何も感じない「だろう」という予想のもとで劇中のような扱いを受けていた人はいただろうと思う。
ただ生かされている状態の中でも、ナースの優しさで陽の光を感じたり、会話をしたりといった喜びを感じられていたところでの、あのラスト…救いのなさ、絶望感を感じてしまう。
軍人として戦争に行った段階から道具として政府に扱われているのかもしれないが、負傷して多くを失った状態でも尚あのような扱いを受けるのは、自分だったらと想像するととても苦しかった。
忘れたい
反戦映画ですから
重かろうとは思っていましたがここまでとは…。
戦争モノも色々ありますが
凄惨なシーンとか非道な大虐殺とか、
もちろんそれらのシーンも慣れてしまっては
本当はいけないのでしょうけども
この映画のキツさったら…。
実際にこういった状況になられた
兵士も一人二人ではなかったのだろう。
そう思うとまた落ち込む。
息をすることに絶望しか見出せない生って。
遺言があれって。
正直観たくなかった。
忘れたいくらいです。
駄作ともつまらないともおもわないが
あんまりにも心に傷を負わす。
絶対に戦争はいけないと胸に刻まれる。
個人的な好みの問題です。
映画にはこういう強いメッセージのものも
なきゃいけないとは思うけども好きじゃない。
私はどこかに娯楽性が欲しい派。
辛い映画
30年ほど前、民放深夜放送でたまたま観たのだけれど、あまりにも悲惨で最後まで観ることができなかった。その後ずーと気になっていたが、なかなかこの映画に出会えず、今回やっと出会えた。
大佐は彼は感情も思考もない。ただ生きているだけ。今後の参考の為の研究材料として生かしておくんだ。人間として扱うように。と伝える。しかし暗い部屋で人目を避けて窓も開けられずシーツも替えられない。
心ある婦長さんが来て、シーツを替えるように指示して窓を開ける。風を感じ、明るさを感じるジョー。そう、彼は感じているし、感情もある。自分に両手両足がなく、目もない。顎もないことも理解できている。そして過去を思い出し、何日過ぎたのかも考えながら、どうしたら自分の思いを伝えることができるのか考えてもいる。
顎がないことが想像することもできないが、そんな状態でも生かされるジョーの辛さ。そんな状態でも自分の生きる術を考え外に出たいと願う。叶わないならいっそ殺してほしい。必死に考え、モールス信号で自分の気持ちを伝える。モールス信号を理解できる軍人が現れるも、彼の願いは叶えられない。外に出ることはもちろん叶わず、殺されることもない。優しかった看護師が彼の願いを叶えようとしたが阻止され、看護も外される。
ジョーはそんな状態でもサーカスの見せ物になれば、自分の生きる意味があると考える。太陽の光が当たることで喜びを感じる。五体満足なのに些細なことで弱音をこぼす自分が情けなく思える。
実際に彼のような犠牲者がいたようで、戦後15年生きたとのこと。やはり戦争はあってはならない。
『ミリオンダラー・ベイビー』と並べて見てはいけないと僕は思う。
肉の塊になっても、人間としての『性』が無くなっていない。残酷な事だが、生きている証拠。それを手助けする看護師の愛の力。『無償の愛(アガペー)』だと思う。キリスト教的であり、僕等日本人には分からない。
肉の塊だったが、徐々に人間性を取り戻し、悪夢を見て、死にたいと自我を持つ。『我思う故に我あり』か?いずれにしろ、
それが『生への讃歌』だと僕は見た。そして『人間死ぬときは誰でも一人』と避けられない運命を解いている。『尊厳死を肯定する行為』と『障害への恐怖心』と間違って解釈してはいけないと感じた。この映画では、看護師の『究極の選択』を否定している。僕はその点を評価している。この映画を『悪夢』で終わらさなければならない。そして、そうなりたくなければ『デモクラシーの為に戦わなければ良い』のである。実に明解だ。反戦映画としても傑作だと思う。
筋金入りの真のハリウッドテンだと思う。
『ミリオンダラー・ベイビー』と並べて見てはいけないと僕は思う。
脚本家ダルトン・トランボの反戦と生命の尊厳を問うた畢生の映画
監督のダルトン・トランボ氏は、約一か月前の9月10日にハリウッドの自宅で心臓発作により亡くなった。赤狩りによる弾圧に様々な困難を強いられた脚本家として有名であり、代表作に「栄光への脱出」「いそしぎ」「パピヨン」などがある。監督作品を他に聞かないので、今回が初の監督進出ではないかと思われる。それも長年温めてきた自作の小説『Johnny Got His Gun』1939の漸く念願叶っての映像化である。30年以上の波瀾万丈の時を経て処女小説を監督する、作家生命の集大成として感無量にあったと思われる。テーマの反戦主義は、この作家トランボの執念の想いが乗り移ったような圧倒的なメッセージを持つと共に、広くは人間の生命の尊厳について直接的に問い掛ける。これは、観る側も覚悟をしなければならない。
素直に感動するシーンもある。生命維持だけの植物人間とされたジョーが、暗い病室で光を浴びて、その温もりに反応する場面や、看護師が彼の胸に指で優しくメリークリスマスとなぞり、初めて意思の疎通をする場面など。これら、戦場で一塊の肉体になった病院内の現在進行場面は、モノクロ映像で撮られている。出兵前の恋人とのエピソードの冒頭シーンと、少年の日々を追憶するエピソード集や幻想シーンは、カラー映像で対比されているのだが、演出の観点から言えばこれが凡庸であった。映像の特質としてカラー映像の演出は、モノクロ映像より難しい。色彩設計から、光の配分、情報過多の絞り込みなど、演出の意図を構図に落とし込むのがモノクロ映像より求められるものが多い。結果論ではあるが、全編モノクロ映像であった方が良かったのではないかと思った。
それでも、ひとりの作家がほぼ半生を懸けて映画を制作した事実、それも戦争をテーマにした作品で人生が激変した歴史、そこにあるひとりの人間の生き方を知れば、この作品が描きたかった本質に少しは辿り着けるのではないかと思う。映画演出の評価を離れて、ダルトン・トランボ氏の作家証明になる畢生の“映画”であることに、尊敬と称賛を惜しむことはない。
1976年 10月20日 高田馬場パール座
名作だけど面白くはない
あまりに気の毒
主人公は「ジョー」と呼ばれていて、ジョニーは出てこないけど、ジョニーはジョーのことでいいのだろうか。イギリスではどっちも大差ないのだろうか。大脳を失っていながら、意識があって、モールス信号への返事で激しく首を振っているのが痛々しい。そんな主人公の回想と現在を行き来する構成で、見ていると眠くなり何度も寝落ちして見終わるのに苦労した。
タイトルなし(ネタバレ)
METALLICAの『ONE』のモチーフとなった映画と聞いて、本作品を観賞しました。
この映画の訴える反戦の激情と、ジョーの底知れぬ絶望感は圧倒的です。
観賞後も、ジョーのSOSが脳裏を離れませんでした
悪夢の断片としての戦争
史上最高にして最強の反戦洗脳映画
恐らくこれを超える反戦映画は作れないだろうと思える映画だ
ベトナム戦争たけなわの時代の公開だ、米国では戦死者、傷病者、手足切断の帰還兵を身近に感じたはずだ
ベトナムの戦地での悲惨な実情が映像としてテレビで毎日伝えられているその最中に、本作の公開だから、大きな反響となりベトナム反戦運動が盛り上がるひとつの大きな力になったのは間違いない
強烈なメッセージ性を放つ
若者だけが戦場に送られ悲惨な目に遭うのだ、戦争の大義を叫び鼓舞する大人は戦場には行かないのだ、大人の言うことなんか聞くな、徴兵忌避しろ、逃げろと、人を殺すなと
現在は白黒、記憶の中の過去、夢の中の幻影はカラーで表現して互いに関係しあいながら物語は進行する
陰惨な物語を目を背けさせず最後まで牽引する監督の力量はものすごい
実力ナンバーワンの脚本家上がりらしい見事な構成の脚本と演出だ
若い時にこれを見せられたら確実に洗脳されるだろう、ひとたまりもない
自分も高校の文化祭で見せられたものだ
だか大人になった自分がまた本作を観たときに感じたものは違っていた
この映画の主張するところや、悲惨な運命への哀れみに共感するのは今も変わらない
しかし、ベトナム以降も我々はあまりにもたくさんの現実を見てきた
冷戦の激化とソ連の崩壊、湾岸戦争、911とテロ戦争、アフガン戦争、イラク戦争、天安門事件で戦車に轢かれる人々、チベットやウイグルの民族浄化と迫害、東シナ海や南シナ海の現状、核兵器とミサイルで恫喝する隣国
大人になった自分は、本作を利用するさらに汚い大人の手口を感じてしまうのだ
それは繁華街で「戦争するくらいなら、殺されよう」と歌いビラを配る団塊左翼老人の姿と重なるのだ
それが21世紀に生きる我々の視線だ
団塊左翼老人達の主義主張や理想に連れて行かれた先の若者たちや、子供たち、まだ生まれていないその我々の子孫たちの運命を考えるのだ
それは団塊左翼老人達の夢想の為に若者や次の世代を犠牲にしようとする利己主義なのだ
本作を彼らが利用する洗脳の道具にしてはならないと強く思う
本作の真の価値は洗脳の道具ではないところにある
この作品、反戦映画なのですが、私の中では恐怖映画です。本当にこんな...
救われない結末、、、
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