ジョニーは戦場へ行ったのレビュー・感想・評価
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トラウマ映画と聞いて見てみれば
医療従事者にとって最大級の課題、などと偉そうなことは云えないけれど、患者の尊厳を如何にして守るのか、考えさせられる作品でした。けれども、なぜだろう。「苦しいのは、あなただけじゃない」という意見が思い浮かぶのは何故か。この映画に登場する、看護に携わる人々もそりゃあ見ていて辛いだろう。例え、五体満足でも色々な問題を抱えて生きているはずだから――中盤から登場する看護師がかけている十字架のペンダントが実に象徴的だったと感じています。合わせて、彼に送ったメッセージも。
心の叫びが誰にも届かない孤独と絶望
まず作家としてキャリアをスタートさせ、1930年代後半から映画の脚本も書き始めたダルトン・トランボは、第一次世界大戦で四肢を失った兵士を英エドワード皇太子が見舞い額にキスをしたことを伝える記事に着想を得て、小説「Johnny Got His Gun」(映画の原題と同じ)を1939年に出版した。伝記映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」でも描かれていたように、共産党員だったトランボは赤狩りのターゲットになり、議会侮辱罪で禁固刑になり収監されたほか、1960年までの約10年間執筆した脚本に自身の名義がクレジットされなかった。
「Johnny Got His Gun」の映画化の企画はまず1964年に立ち上がるが、資金難で頓挫。しかしトランボは諦めず、脚本だけでなく自ら監督も務め、ようやく資金調達にも成功して1971年に完成させた。同年のカンヌ映画祭ではグランプリ(2席)を受賞している。
砲撃で顔面の器官を失い、損傷した四肢も手術で切断された主人公ジョー。大脳機能も失われて何も感じず何も考えていないと医師から診断されていたが、ジョーは実際には意識があり、五感のうち触覚だけが残っていた。また、頭部を意識的に動かす運動機能もある。戦争で四肢を失ったキャラクターという点は2010年の若松孝二監督作「キャタピラー」が似ているが、閉じ込め症候群の状況という意味では2007年製作の仏・米合作映画「潜水服は蝶の夢を見る」にも類似する。
反戦映画の傑作として評価の確立した作品ではあるが、トランボが小説を執筆してから赤狩りがらみの不遇の時代を経て、理不尽な権力によって言葉が消される、存在が消される孤独と絶望を裏テーマとして映画版に加味したのではないかと感じた。
なお、「ジョニーは戦場へ行った」は2024年のカンヌ・クラシックスに選ばれ、その際に仏大手映画会社ゴーモンが4Kデジタルプリント版を製作した。冒頭のクレジットでもカンヌ・クラシックスとゴーモンのロゴが出るので、仏主導の4K版の日本上映権をKADOKAWAが買い、今回の終戦80年企画リバイバル上映としたものと察せられる。
今回ネットで調べて知ったトリビアをひとつ。映画「ジョニーは戦場へ行った」の権利は意外にもヘビーメタルバンドのメタリカが所有している。権利の詳細は不明ながら、おそらく上映・配信・二次利用に関するものだろう。経緯もなかなか興味深い。バンドのソングライターの1人であるジェイムズ・ヘットフィールドは、閉じ込め症候群の男をテーマに曲を作るアイデアを温めていた。ツアー移動中のバス事故で不慮の死を遂げたベーシストのクリフ・バートンが生前ヘットフィールドにトランボの原作小説を勧めていたこともあり、メンバー全員で映画を鑑賞し、そうして楽曲「One」が生まれた。「One」はバートン没後初のアルバム「メタル・ジャスティス」に収録され、シングルカットされる際にはメタリカにとって初のミュージックビデオも制作。このMVには「ジョニーは戦場へ行った」の本編映像がかなりの尺で引用されている(YouTubeで視聴できる。ちゃんと測っていないが、MV本編7分45秒のうち映画からの引用は3割程度か)。しかし、MTVなどでMVがオンエアされたり、コンサートで映画の映像を映し出すたびに使用料を支払うことをわずらわしく思ったバンドは、映画の権利を買い取ることにしたんだそうな。今回のリバイバル上映の売上の一部もメタリカに入るのかと思うと、ちょっと楽しい。
半世紀ぶりの鑑賞 記憶してたのより ずっといい映画でした
実はこの映画、大学一年生のときの学祭で講義室のにわか仕立てのスクリーン上で観ました。日本で劇場公開されてから数年後の、サイゴンが陥落してベトナム戦争が終結した年でした。どういう経緯で誰といっしょに観たか、まったく憶えていません。観た経緯などまったく憶えてなくても、これを確かに観たという記憶はずっと残っています。顔面に白いカバーをかけられてベッドに横たわる主人公。主人公には四肢がなく…… モノクロで見たこのイメージはかなり強烈でトラウマになるほどでした。
この鑑賞間隔が50年というのは私にとって最長の間隔になります。高校生から大学生ぐらいの時期に観た主な映画はほぼこれまでの人生で再鑑賞していますので、よほど長生きでもしない限り、この50年というのが生涯最長記録であり続けると思います。それもこれも1回目が劇場やTVで自ら進んで観たわけでなく、学祭の催し物で上映されていたものをたまたま観たことから始まっているからで、映画に対してもやはり縁みたいなものがあるのだなあと感慨にふけりたくなります。
さて、50年ぶりに観てみるとやはり記憶と違ってるなあという箇所がいろいろと出てきます。
まず、主人公の名前。題名からジョニーだと思い込んでいましたが、ジョーでした。原題の “Johnny Got His Gun” は第一次世界大戦時のアメリカの新兵募集のキャッチコピーだった “Johnny, get your gun” から、来ているようです。ジョーは第一次世界大戦の欧州戦線で現在の残酷な状況になります。銃を取った何千何万の「ジョニー」のなかにはこういった過酷な運命に晒された者もいたということです。
また、モノクロで流れるジョーがベッドに横たわっているシーンのイメージが強烈過ぎたせいかもしれませんが、私の記憶の中ではこの映画は全篇モノクロのはずでした。でも、実際は現在進行中のジョーの病室のシーンはモノクロで描かれますが、彼の回想というか夢というか幻想というか、ベッド上の彼の脳裏に浮かんだ様々なイメージはカラーで語られます。
実は今回の再鑑賞で私の印象に残ったのはこのカラーで描かれた回想パートでした。恋人のカリーンと過ごした一夜とか、出征の見送りに来たカリーンとの結局これで最後となる会話とか、釣り好きだった父親との思い出とか、一つ一つのエピソードの描き方はけっこうステレオタイプ的で演出も少し緩いのかなという気もするのですが、これが病室のベッド上のジョーのモノクロのパートの合間に挟まれてカラーで登場すると、モノクロパートとカラーパートのコントラストで胸が締めつけられるような感じがしました。
最初に観たときには、状況に関するアイデア(主人公が戦争によってかなり酷い状態にある)だけが取り柄のゲテモノ趣味に縁取られた映画みたいな印象だったのですが、今回の鑑賞では作劇術の見事さに舌を巻きました。子供だった頃のジョーに対して、父親が「民主主義」という言葉を口にするシーンがあるのですが、このあたりには、この映画の原作小説を書き、この映画の脚本も書き、監督までしたダルトン•トランボが皮肉を込めて言わせていると感じました。トランボは特に脚本家としての評価が高く(代表作は『ローマの休日』)、自身が監督をしたのは本作のみですが、この作品からはトランボ脚本のさすがの巧みさとこれは自身で監督すべき作品だとしたトランボの決意も伝わってくるようでした。
何はともあれ、50年前の私は身近な人の死など まったく経験したことがなく「死」について考えたこともない人間でした。それから50年もたちますと親やら親戚やら恩師やら友人やら同僚やら、様々な人たちの死を経験してきました。まだ「死生観」などという言葉を口に出せるほどの人生修行は積んでおりませんが、やはり本作の主人公ジョーの状況については、「生」とは? 「死」とは? 人間としての尊厳とは? とかの哲学的な課題が浮かんできます。はたち前の若造だった50年前の自分の感想とは違うーーそこに50年の歳月の重みを感じます。
でも、私個人が歳月の重みを感じていても(ただトシをとっただけだろと言われそうですが)、広く世界を見渡すと戦争、紛争の起きている場所こそ違え、50年前も今も戦火が上がっている地域があります。世界の平和を願わずにはいられません。
半世紀ぶりにこの作品を観てこうやってレビューを綴ってみてもいろいろと考えることが多く、感慨深い時間を過ごすことができました。この巡り合わせをくださった映画の神様に感謝です。
モノクロとカラーの切り替えが非常に印象に残っている
戦争によって目・鼻・口・耳を失い、医者からは四肢を奪われた主人公。
かろうじて動く頭、そして思考によって自分の希望を伝えようとするも…。
回想シーンではカラー、搬送後の病院ではモノクロというように、
過去と現在でカラーとモノクロを切り替える表現が印象的でした。
戦争で感覚を失い、病院では自由を奪われた。
”頭”を使って他人との意思疎通に成功するも、誰も彼の意見を聞いてくれず。
心の支えだった優しい看護婦も追い出され。自分を殺してくれる人も居ず、
かといって自◯することもできず、足がないので逃げ出すこともできない。
意思のある肉塊として、死ぬまで実験台として利用され続ける。
救いのない映画でした。
戦争そのものを描いたシーンはほぼないのですが、
戦争が起こると何が失われるのか、誰に利用されるのか?
そういったことも学べる映画だと思います。
傷痍軍人のアコーディオン
ジョーのモノローグが切なすぎる
予告で観ていたジョーの状態が、
よもや冒頭からそうなるとは思っておらず、いきなりで驚いた。
そしてジョーの状態は衝撃的。
但し、簡易な表現なので観客に想像させる見せ方が上手い。
実際、私も想像しながら観ていた。それだけで痛々しく感じた。
ジョーの回想と夢?妄想?が入り混じり、
目覚めると現実世界で看護師さんへ一方的に頭の中から話しかける、
その繰り返しで紡ぎあげられていくのが見事。
また、絶望していたジョーが、看護師とコミュケーションをとれるように
なることで、希望を見出していたところ、またそこから絶望へ突き落とされ
「殺せ」をモールス信号で連呼する悲しさ。
戦争、軍の責任逃れ(ジョーの状態を隠蔽)、
安楽死、などなど、さまざまな問題を取り上げている。
最後の最後までジョーに希望がもたらされることがないエンディング。
今まで観たなかでも強烈な印象の反戦映画。
多くの方に観ていただきたい作品。
一つの事案に対し多角的視点で判断する事の重要さ
まず、この映画を鑑賞しようとしたきっかけは、某ヘビメタバンドの曲のビデオクリップにこの映画の映像が差し込まれていて、当時はその映像に恐怖を感じました。
曲のライナー(解説)は走り読みでこの映画のタイトルが頭に残り、歌詞はこの映画の世界そのものであり、私個人として第一次世界大戦だけでなく反戦というか当時のアフガニスタン紛争事案に対して訴えている内容なのだと私は感じました。
そのビデオクリップから35年近くが経過しある映画館でこの映画の宣伝を見て鑑賞してみたくなりました。
さすがに、当時のような恐怖は感じないだろうと。
当時とは異なるが、別の恐怖を感じました。
終戦という時期における企画なのかもしれないが、映画というエンターテインメントの枠だけでは収まりきれない強烈なメッセージを感じましました。
戦争も恐怖を感じましたが、ヒト、人間に恐怖を感じる作品だと感じました。
何が正義で何が悪か、理由をつけ自身で納得をし行動をすることが殆どであると思いますが、判断に至るまでの過程でどのような情報に触れその判断に至ったのか。
ジョーは行かないという判断もできたはずでしょうが、戦場へ行った。
きっと、ヒト、人間、大多数の意見、幼い頃からの環境で洗脳とは言わないが一つの流れの中に巻き込まれ幻想のようなものを抱きながらそれを大義と捉え、きっと、というか劇中のセリフでもあるように国のため、同年代も参加しているしという流れもあり、戦地に向かうのでした。
きっと何かに対して賛成、あるいは反対とし意思表明をする機会はあるが、逆らえない流れはある。
作品の中では、不幸にも生かされてしまい、意思疎通がしっかり行えないながらも手段を見出し、理解してもらえると信じて本心を伝えたものの、国という巨大な組織の前になかったものとされ、また闇に閉じ込められてしまう。
病院に運ばれた当初よりも扱いが酷くなるようなニュアンスで幕を閉じる。
延命処置は本当に必要なのかというところまで考えさせられる映画だったと感じた。
自然の摂理、生と死、ヒトも動物、理由は様々だが死は必ずあるものと考えると、他者の思いで延命をすることが必ずしも善であるとは言いがたい。
主人公も、自分の希望が通らないときは…と伝えているにも関わらず、闇に閉じ込め生かし続ける事は無責任とも感じた。
考えさせられる作品だった。
地の底から聞こえるような冒頭で、あぁ主人公の状況なんだな、と解ると...
地の底から聞こえるような冒頭で、あぁ主人公の状況なんだな、と解るという恐さ。
キリストが登場して、あぁこれは彼の幻想(幻覚?)の物語なんだな、と解らせる。
畳みかけるように意思疎通ができるかと思いきや、さらに地獄の様な深淵に突き落とされて終わるラスト(冒頭に戻るような)。
説明されずとも解る状況描写が凄いな、と。自分が生まれた年に作られた映画ですが、昔の映画って凄いんだな、と単純に思いました。
伝えたい事も明確にわかります。今なら(エセ優しさ蔓延)無理な表現かもしれないですね。
なんで行ったかなぁジョー…。
列車に乗る前の2人の会話が音もなく、字幕も無かったので、最後に聞こえるVerがあるのかと思ってたけど、無し。特に意味はなかったのかな?
ジョニーが来たなら伝えてよ…
オマエ…ホントによく頑張ったな!
邦画の『キャタピラ』並みにエグッい。
ただ息だけしてたら…生きていることになるのか?
活きていてこその人生、、そう思うのは傲慢か?
ただ…コレだけは言いたい、
時代が時代とはいえ、ジョニーの行く末を…外野が決めるな!
25-101
全世界の政治家、各国首脳陣に鑑賞をオススメします
第1次世界大戦中にヨーロッパ戦線へ出征したアメリカ人兵士ジョーは、爆弾を受けて目、鼻、口、耳を失い、運び込まれた病院で両腕と両脚も切断されてしまった。脳は死んでいると思われてたジョーだが、首と頭はわずかに動き、皮膚感覚は残っていて、脳は無事だった。そんなジョーは、鎮痛剤を打たれ意識が朦朧とするなか、出征前に最愛の恋人カリーンと過ごした夜の事、釣り好きだった父との日々を回想しながら、自分の希望をモールス信号を使って周りに伝えるが・・・さてどうなる、という話。
1971年公開だから、50年以上前の作品だけど、今みても全く古さは感じない、全世界の各国首脳にみてもらいたい作品だと思った。
戦争でほぼすべての身体機能を失った青年兵士の視点から、戦争の非人間性を描いていて、引き込まれた。
戦争は負けたら当然悲劇だが、勝っても死者や負傷者は出るわけで、死ねなかった青年が、自分の希望を伝えるのだが、聞き入れてもらえず、医者の実験台にされていく悲劇を伝えているのだろう。
この作品の中で言ってたが、戦争は科学者の能力を試すだったか技術を向上させるだったか定かじゃないが、とにかくお金を使って自分の希望を叶えていく格好の場であった事も否めたいのだろう。
原題を直訳すると、ジョニーは銃を得た、であり、第一次世界大戦の志願兵募集時の、Jonny Get your gun(ジョニーよ銃を取れ)への皮肉らしい。そんな深い意味を込めた所も素晴らしいと思った。なので、戦場に行ったのはジョーであり、ジョニーではありません。
それはさておき、反戦作品というだけじゃなく、いろんなことを考えさせられる名作だなぁ、と思った。
タイトルなし(ネタバレ)
今回が3度目くらいか。過去は、ホール上映とビデオ録画だったので映画館では初。
第一次大戦で塹壕のなかで爆撃を受けた青年ジョー(ティモシー・ボトムズ)。
出征前夜の恋人カリーン(キャシー・フィールズ)のことを思い出す。
するうち、手足がなく、顔の大半も失っていることに気づく。
軍医たちは、肉塊と化したジョーに意識などないと考えたが、意外にも意識はあった・・・
といった物語。
出征前の追憶、死と直面しての幻想・・・ それらがカラーで描かれます。
父(ジェイソン・ロバーズ)やキリスト(ドナルド・サザーランド)が登場するジョーの意識は、追憶だけでないから、いくつかのエピソードは難解でグロテスクかもしれません。
観察対象としてのみの治療を受ける現実世界はモノクロ。
暗闇無音の世界で、日の移り変わりを知るシーンの強烈さ、クリスマスを知るシーンの歓喜と切なさ。ラストの声なき叫びの無限に続く地獄。
緊張感は半端なく、容赦しない。
人間は神が作り出したかもしれないが、彼は人間が作り出した・・・
トラウマ必至の映画です。
人間としての尊厳さえ無視されることは極めて現代的なメッセージ
ずっと観たかった映画でした。
かなりの途中まで気が付かなかったのですが、ジョニーが負傷後の現実世界は全てモノクロで、ジョニーの回想と回顧と妄想と死者との対話は全てカラーで表現されていることが、物語性に深みを与えていると思いました。
恋人役のキャシー・フィールズが可憐で良いです。その父親役の俳優も雰囲気があって良かったな。名前が分からないけれど。
ジョニーの父親役のジェイソン・ロバーズも善き。
物語のキーパーソンとなる親切な看護婦役の俳優もとても良かった。この人も名前が分からないけれど。
ジョニーに意識があり、意志疎通ができることが明確になっても、それは軍によって闇に葬られ、人間としての尊厳さえ無視されることは、極めて現代的なメッセージに思えました。
原作は、1939年に発表されているのですね。
夢みるように眠りたい
原作小説の「ジョニーは銃をとった」は随分前に読んでいる。その後トランボ自身によって映画化された本作も見たが、小説があくまでジョーの想念の流れのみによって成り立っているのに対して、映画ではベッドに横たわるジョーや病室、病院の人々の客観描写があるために、沈黙と闇の中に取り残されている感覚が弱まり、随分と印象が異なる。
回想や幻想シーンがカラフルで、現実の病室がモノクロという手法はいいとしても、全体としてはいささか紋切型の描写にとどまっていて、残念ながら原作には及ばないと思う。
主人公の名前をジョニーと勘違いしている人が結構いらっしゃるみたいだが、johnnyはあくまで戦意高揚の歌のフレーズ“johnny get your gun”を揶揄したもので、彼の名はジョーだ(「アニーよ銃をとれ」というミュージカルもあった)。
原作に「彼はまだ考えることのできる心を持った死者だった。」という一行がある。触覚以外の感覚を失った一人の青年の、果てしのない苦悩の物語である。
Johnny get your gunの果て
公開時以来の54年ぶりの再見でした。戦場で両手足・視覚・聴覚を失ったものの医療研究サンプルとして生かされ続ける青年を描いた物語です。戦場で両手足を失った兵士が鳥籠に入れられて帰って来たという噂が広がったという話に原作・監督のダルトン・トランボが想を得たと、当時の記事で読んだ覚えがあります。時と共に多くの場面は既に忘れていましたが、クリスマスとラストの鮮烈なシーンだけは明瞭に頭に残っていました。中学生だった僕にはそれだけ衝撃的だったのでしょう。ただ、ダルトン・トランボ監督って当時初めて聞く名前だったのですが、それが「ローマの休日」の脚本家だったと後に知って驚きました。今回改めて本作を観ると、上手い語り口だと改めて感心。
また、主人公の名はジョーなのに、なぜタイトルはジョニーなのか当時は戸惑ったのですが、”Johnny get your gun”という戦時の新兵募集キャンペーン・フレーズがあったと後で知りました。Johnny がgun を取った結果どうなったかを描くのが本作の狙いだったのです。
そして、そのフレーズが歌にもなっていると知ったのですが、当時はそれを聞く術がありませんでした。しかし、今やYoutube で視聴可能です。戦争は笑顔で遣って来る。威勢の良い言葉に騙されるな!
「I am the boss!」の男じゃないか?
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