劇場公開日 2015年2月14日

「9時間でもまだ語り足りない」SHOAH ショア La Stradaさんの映画レビュー(感想・評価)

9時間でもまだ語り足りない

2025年3月5日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

SHOAHとはヘブライ語で「災厄・絶滅」を意味し、聖書にも記されている言葉なのだそうです。

本作は、ユダヤ人の絶滅を目指したナチス・ドイツの強制収容所で一体なにがあったのかを現場に居た人々が語ったインタビューだけからなる四部作・9時間半の 大作です。制作に10年以上を要し、1985年に公開されたのですが、日本公開はそれから更に10年経ってからの事でした。そして、今回はそれから更に 20年を経ての再公開となりました。

作品は音楽もナレーションもなく、監督の質問の声とそれに答える人々の語りだけが続きます。

明日をも知れぬ命のユダヤの人々、収容所に関わるドイツ人と共に、今回新たに気づいたのは、それを見ていた地元ポーランドの人々の視線でした。当時ナチス・ ドイツに占領されていたポーランドの人から見ると収容所のユダヤ人とは複雑な関係になります。収容所の傍の農場で働いていたポーランド人、ユダヤ人を運ん だ機関車の運転士のポーランド人。それらの人々の訥々と語る言葉に嘘はないのでしょうが、でも、もう一歩踏み込んで欲しかったという思いが残りました。

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当事者へのインタビューだけで綴るホロコーストの長編ドキュメンタリー作品の第2部です。

第1部を観た時点では「ちょっと踏み込みが浅いんじゃないのかな」と感じる点がありました。特に、ナチスドイツとユダヤ人の間にあって「傍観者」的な立場にあったポーランドの人達が自分たちの土地で進みゆく惨劇に対してどう感じていたのか知りたい思いが残りました。

ところが、監督は勿論そこを計算していたんですね。2部でその疑問への答えが明らかになって行きます。明らかにガス殺されると分かるユダヤ人が集められ移送されるのを見て恐ろしさ・悲しさを感じると共に、ユダヤ人を「金持ちで自分達を搾取していた」と感じていた当時のポーランド人の複層的な心理がインタビューによってゆっくり明らかになって行きます。

そのインタビュー時の監督のアプローチが非常に巧妙なのです。口調は穏やかで笑顔さえ浮かべながら質問を繰り出し、重要な答えを引き出した時には喰らい付いて更なる問いを続けるのです。すごくしたたかです。

また一方で、当時の生き残りのユダヤ人から、大量殺戮のプロセスが明らかになって行きます。僕は、ユダヤの人達は、いわゆる「ガス室」と言う建物に閉じ込められてそこにガスを送られて亡くなったのだと思っていました。でも、それは「殺し方」の一部に過ぎなかったんですね。如何に効率よく殺し、処分するかについてドイツ人らしい生真面目な技術革新が繰り返され、それを記録した文書が読み上げられます。工場の製造設備の記述を思わせる様なその内容には言葉を失いました。

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当事者へのインタビューだけで綴るホロコーストの長編ドキュメンタリー作品の第3部です。

収容所へ移送されて来たユダヤの人々がどの様にガス室へ送られて行ったのかのプロセスが愈々詳細に語られ始めます。監督は具体的な場面、ディーテールにこだわって証言を引き出して行きます。収容所の元ドイツ伍長の語る口調はどこか機械的に響くのですが、「トレブリンカ収容所の唄」を求められるままに歌い始めるに及んでちぐはぐでグロテスクな世界観が爆発します。

収容所での下働きとして従事していたユダヤ人の語る日々の業務の様子は苛烈を極めます。その人は証言の途中で感極まって言葉が出なくなってしまうのですが、カメラはその長い沈黙の間もその人を追い続け、監督は「話さなくてはだめだ」と冷たく迫ります。その沈黙こそが思い出したくない日々を雄弁に語っていました。

さて、全編9時間半の四部作も愈々明日が最終日です。終りなどない物語なのでしょうが、心して臨みます。

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当事者へのインタビューだけで綴るホロコーストの長編ドキュメンタリーも愈々最終回・第四部を迎えました。

今回は、我々日本人にも知られているアウシュビッツでのお話にかなりの時間が割かれました。ユダヤ人でありながら収容所で労務員として働いていた男性が、多くの人々が意味もなく死んでいくのを見送るのに堪えきれなくなった時、ガス室に向かう女性が「ここで見た事を語り伝えるのがあなたの仕事よ」と諭すエピソードは胸を打ちました。

さて、こうして9時間半の作品を見終えてみると、意外と「まだまだ語られるべき事があるはず」「もっと、聞きたい話がある」と気付かされます。特に、このシリーズの中ではドイツ人の証言が少な過ぎたと感じられました。登場するドイツ人は当時ある程度の地位にあった人ばかりです。ところが、生き残りのユダヤの人達の話では酷い暴力をふるっていたドイツ兵もしばしば登場します。そんな人たちは当時その場をどう感じていたのでしょう。また、今それをどう思っているのでしょう。決して責める訳ではなく、その声を聞きたいと思います。それは取材が非常に難しいでしょうし、インタビュー出来たとしても公開が難しい場合もあるでしょう。しかし、それがない限り、本作は完結する事がないと信じます。

さて、4日間にわたる夜遅くまでの映画鑑賞を終えて、マラソンを走り終えた様な達成感もありました。観客は毎日25人程度でしたから、ほぼ同じ人達で大作と取り組んだ事になります。こんなテーマの時に適当な表現ではないかも知れませんが、皆さんが「戦友」の様に思えたのでした。

  2015/7月 鑑賞

La Strada