終電車のレビュー・感想・評価
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題材はよいのだが…
題からして旅や移動が関係してくるものと思っていたが、まったく違っていた(笑)
題材がおもしろい。占領下のフランス。この時代についてフランス人は特別な思い入れや自負心があるのだろうな。興味深かった。フランスのイメージもアップ。
が、気を張って頑張っていたマリオンが、ベルナールにコロリと落ちた、それは興醒め。落ちないと映画にしてしまっては鑑賞者にウケない?それとも、とつぜん落ちるその落差が面白いのかもしれない(特に男性には)? しかし私には、作品が急に安っぽくなったように感じられた。ねぇ、ここまできたら初志貫徹しようよ!と言いたい。だいたい解放後ベルナールとルカにマリオンが挟まれて、いったい3人はこれからどうなるのよ?
それからカトリーヌ・ドヌーヴは、おっとりしたお嬢さま路線や、いいところの奥様役のほうが好きだ。表情があまり変わらない人だと私は思うが、その落ち着いた感じは、上品役の方が活かされるような気がする。
マリオンの平手打ち
トリュフォーの晩年(と言うにはあまりにも若すぎる死!)の傑作なのは言うまでもない。「アメリカの夜」の流れを汲む虚構と現実の交錯、脇役に至るまでの登場人物の面白さ、サスペンス仕立ての演出、そして何よりも劇場を仕切る大女優マリオンの美貌と貫禄たるや見事なもので、表情だけで微妙な女心を表現するカトリーヌ・ドヌーヴの演技力。何度見ても見る度に新しい発見がある奥の深い作品だと思う。最近、サブスクの配信で再見したのだが、何度見ても、1ヵ所だけ謎の場面がある。映画の終盤頃、マリオンがベルナールに思い切り平手打ちをするのだが、その理由が今一つ分からない。まさに「女は謎」と言うトリュフォーらしい謎なんだが、どなたかその真意を教えて頂けないだろうか?
おもしろかった。
偉大なる大女優
フランス映画らしく
ストーリーの時代設定が現代でも1942年であっても
なにかを生業に日々の暮らしに生きる人の姿を描いていて
1980年に作られていながら
映画そのものが1942年に作られたかのような触感を覚える
フランス人特有の洒落た言い回しやウイットもあって楽しめた
そして
何よりもカトリーヌ・ドヌーブという女優の、もはや表現することが
不可能とさえ思えるほどのその容姿、仕草、声色の全てに美しさや
可愛らしさが溢れている
それにベルナールとその身体を合わせたときに洩れてくる
“Oui,oui・・・oui・・・”という喘ぎ声の
艶やかさが
レイモンが “灯りを消しますよ”そう言ったときに応えた
“Oui,oui!”の軽やかさとの対比が
際立って至高のエロティシズムを表現していた
ドヌーブが出演する作品は、彼女がいなくては決して成り立つことのないものになっていることが
大女優の大女優たる所以なのだろうと思う
カトリーヌ・ドヌーブという女優を見られるだけで幸せになれる
映画だった
ナチスの恐怖
地下室の演出家
ドヌーブ
ナチス占領下のパリで繰り広げられる女性劇場支配人の奮闘記。
表面上、本作は「演劇のバックステージもの」の体裁をとっている。
トリュフォーとしては、映画製作の舞台裏を描いた『アメリカの夜』につづく芸能ものとなる(じつは、もう一本、ミュージック・ホールを舞台にした音楽ものを企画していて、三部作にするつもりだったようだが、この映画を撮った4年後にトリュフォーは亡くなってしまった)。
「ナチス占領下のパリで、演劇の舞台を継続することに奮闘する人々の群像劇」に、「南米に亡命したと見せかけて地下室に今も隠れ住んでいる演出家」をめぐるサスペンスが絡んでくる。
実話というか、当時あった同様の「噂」が元ネタらしいが、なんだか『オペラ座の怪人』を想起させるような設定だ。
でも実際には、稽古は思いのほかスムーズに進んで、状況はたいして緊迫しないし、これといった困難もないまま初日はふつうに幕を開け、大喝采を浴びて成功をおさめる。途中、一度だけゲシュタポのガサ入れが入るが、あんだけ地下室で潜伏中の演出家が煙草とか吸っているのに、人の気配にも全く気付かずにそのまま出て行くおまぬけぶり。
どうせならナチス贔屓の評論家をもう少し有能な設定にでもして、「二度目に観に来たときの演出の変更が、どう考えてもルカ・シュタイナーにしかできないやり口だ」と看破して、真の演出家が地下に匿われていることを見破るくらいのサスペンスはあってもよかったのに。せっかく「隠れて演出している」というフックがあるのに、あまり生かされずに終わってしまうのはもったいない。
地下で、シュタイナーがいろいろ勝手に貼ったり書いたりしてるのも、あとでナチに踏み込まれたときに発覚するときの伏線なのかと思って観ていたが、ぜんぜんそんなことはなかった。
結局、なにかありそうに見えて、サスペンス/スリラー/ミステリー映画としてはほとんど機能していないのが実情だ。
とはいえ、トリュフォーの真の眼目は、実のところ、そちらにはない。
いや、一見、戦時サスペンスみたいにこの映画が見えるのは、むしろ「まやかし」であり「めくらまし」だといっていいのかも。
この映画の面白さは、「本当にやろうとしていること」から観客の目を逸らして、たくみに隠蔽するそのやり口にこそある。
彼がここで本当にやろうとしているのは、演出家ルカ・シュタイナー(ハインツ・ベンネント)と、その妻にして女優で現支配人のマリオン(カトリーヌ・ドヌーヴ)、相手役を務める若き新人俳優ベルナール(ジェラール・ドパルデュー)の三人をめぐる、水面下の心理的な駆け引きと恋愛模様なのだ。
秘めたる想いは、観客に対しても秘められる。
だから、作中の某人物が気づいて指摘するまで、観客もまた気づかない。
でもいったん気づいてしまうと、あちこちに伏線が張られていたことに気づかされる。
「戦時下サスペンス」としてはゆるめの作りだが、
「愛のサスペンス」としては、なかなかどうして手の込んだ、凝った作りの映画だったりするのだ。
なんで、無視していたのか。
なんで、あんなに激怒したのか。
なんで、彼が●●ときいて、ひっぱたいたのか。
なんで、あの人物だけが、そのことに気づくことができたのか。
言われてみると、首肯できることばかりだ。
ラストのネタもいかにも演劇的。
ていうか、トリュフォー/ドパルデューのコンビということで、昔観た『隣の女』のイメージが強すぎて、あの映画のラストの印象に心が引っ張られていたんだろうなあ……今回、珍しくぜんぜんオチを予期できておらず、ものの見事にひっかかってしまった(笑)。
まあよくよく考えれば、直前に半分おふざけみたいな後日談をやったあとで、そこまで酷い話をやるわけがないんだけどね。
個人的には、ドヌーヴが37にしてはちょっと、とうがたっているというかばばくさい感じがするが、こういうのがお好きという方もいらっしゃるだろう。
ドパルデューは、ちょうど脂の乗り切っていた頃で、一挙手一投足がもうすばらしい(『1900年』の時よりは肥ってて、『シラノ・ド・ベルジュラック』や『グリーン・カード』の時よりは痩せているw)。今の彼がプーチンと懇意だろうが、飛行機のフライト中にビンに放尿しようがしまいが、そんなことはどうでもいい。天才とは、こういう役者のことを言うんだろうなと。
あと、どうでもいい話だが、最近読んだ、ナチス・ドイツ時代のニュルンベルクを舞台にしたミステリーで、ちょうど「高価なストッキングを買えない女性たちが、脚に色を塗ったり、裏の線を描きこんだりして、はいているふりをしていた」って話が出てきたところだったので、おお、まさにこれのことかと思いました。こういうのって不思議に被るよね。
38歳のドヌーヴ
38歳のドヌーヴ
美貌に見とれているうちに芝居が終わっていた。
トリュフォー の
「終電車」= Le Dernier Métro
いい題だ。
ぎりぎりに駆け込む終電車には人生が詰まっている。
ドイツ軍の侵攻で、フランス国土は分断されている。
生活物資も困窮する中で、ユダヤ人狩りのホロコーストをすり抜けながら劇場を切り盛りするマリオン(=ドヌーヴ)。
大勢の登場人物たちが、その実生活と劇中劇を重ねながら占領下を生きているという設定の群像劇だ。
ラブロマンスなのか、戦争映画なのか、はたまたサスペンスや文芸作品なのか?
中軸となるテーマも主演者もあいまいで、統一感がなくて、どこか散漫としているのだが、
監督としてはそこが狙い目であったようなのだ。
あの時代の庶民の生き様と、強いられた暮しのプリズムを舞台の上に再現させる取り組みだ。
地下室に隠したもうひとつの人生、
掛け持ちオーディションでいつも次なるステージを狙う女優、
女好きだがレジスタンスでもある男優、
闇市場の泥棒女、演劇に魅せられたドイツ兵、生地屋の使いの娘、レズビアンの衣装係、ユダヤヘイトの評論家、大道具係の男・・
世の中と折り合いをつけながら、妥協や迎合もしながら、空襲や停電をかいくぐってそのいっとき劇場に集まる大勢の
ステージを見つめる目の光が非常に印象的だった。
寒くて、食べ物がなくて、魂も飢(かつ)えていて、人々はそれゆえに劇場へ殺到する。
自由を手中にしたいと藻掻く庶民たちの《自分を生きる事》への渇望を、トリュフォーは撮ったと思う。
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僕たちは「終電車」には、なにがしかの思い出があるのではないかな。
電車に乗れただろうか?
それとも逃したか?
降り立ったホームから君はどこを目指したか?
大久保で終電を逃し、しばし呆然としたあとカプセルホテルに泊まったこともある。
同じ大久保で、駅のホームの向こうに見えた粗末な民家の看板「簡易ベッド1800円」に泊まったこともあった。布団の上に誰かの荷物が置いてあったがおばちゃんが「今夜その人は帰って来ないから大丈夫よ」と言っていた。
地下鉄で寝ていて目が覚めたら電車がどこかに止まっていて誰もいない車庫に入っていたことも・・
どれもこれも青春の思い出。彼女と会いたくて会いたくて、デートの帰りの「終電車」を逃した時のほろずっぱい思い出だ。
あれから数十年、
今夜の僕はどんな電車に乗って、どの辺を走っているだろうか、
どこへ行きたいと願っているのだろうか。
DVDのタイトル画とテーマの切ない調べだけで、これだけの思い出が心のホームに押し寄せてくる。
不思議な後味の映画だった。
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とても良かった
ドヌーブの脚が、
新進俳優と劇場支配人の妻であり女優でもある女性の恋。
そこに描かれている感情はその言葉ほどに単純ではないが、ここでは全編にみなぎるカトリーヌ・ドヌーヴの色香についてまずは言及したい。
階段を昇るときにスカートから覗くものに男の目は釘付けになる。
この脚が、ドパルデューに押し倒された際には、性行為そのものを思わせるに充分な妖しさを放つ。脚だけでこれだけのエロチシズムを表象するとは。
若い男を相手にこのような妖艶さを隠しきれない妻。その一部始終を秘密の地下室から見ている夫。
ナチの迫害から逃れ身を隠しているこの夫が、劇場の芝居を演出し、なおかつ美しい妻の恋をも演出する。他人に自分の妻を抱かせて興奮する男がいるらしいが、この夫もその一人であろう。
とある、エロティシズムの極地である。
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