ジャバーウォッキーのレビュー・感想・評価
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単独初監督の時点で反骨のビジュアリスト=ギリアム節が全開!
デビュー作にはその監督のすべてがある、と言うが(実際には常にそうでもないとは思う)、テリー・ギリアムの場合はほぼほぼ当たっている。中世への憧憬と映像への偏執的なこだわり、既製のものを打ち壊そうとするアグレッシブさと権力を笑いのめそうとする反骨精神。そして手作りのあたたかみを重視するクラフトマンシップ。厳密にはギリアムの初監督作は『モンティ・パイソン ホーリー・グレイル』(テリー・ジョーンズと共同)であり、『ホーリー・グレイル』の映像の美しさも素晴らしいのだが、作品全体から作家の個性が溢れ出すという点で、『ジャバーウォッキー』はたしかに映画作家ギリアムの第一歩だろう。
一方でモンティ・パイソンを引きずっているようにも思うのは、観客の共感など一切気にしない全編を覆う皮肉な笑い。夢を許さない現実と葛藤する個人を描くのがギリアムの作家性だと思っているが、この時点では「めでたしめでたし」で終わるおとぎ話の雛形はそのままに、ブラックな悲喜劇に仕立てている。逆に言えば、ストーリー的なエモーションを排除していることで、最もピュアにビジュアリストとしてのギリアムの才能を味わえる作品といえるかも知れない。
ギリアムのソロ監督デビュー作に4Kで触れられる喜び
ギリアムが77年に製作した記念すべきソロ監督デビュー作である。「鏡の国のアリス」に登場するナンセンス詩にインスピレーションを受けて構想が膨らんだらしいが、物語そのものは「アリス」とはなんら関係がない。マイケル・ペイリン演じる桶屋のせがれが、王国を揺るがす凶悪な怪獣退治へと巻き込まれていく、というあらすじを聞くだけで、お馴染みのギリアム・テイストが目に浮かんでくるかのよう。当時のギリアムは30代後半だが、すでに映像は奇想天外に彩られ、怪獣との対決シーンや、そこに至るまでのまるで螺旋階段を永遠と上り下りするかの様な不条理な語り口にも確たる個性と持ち味が刻まれている。唯一、”笑い”と”ストーリー”との兼ね合いで苦労する面が窺えるものの、それも今こうして見ると新鮮だ。彼がいかにパイソンズ的なものを克服し、独自色を開花させようとしたのか、その奮闘ぶりが伺えファンには非常にたまらない伝説の一作である。
このあとの『バンデットQ』(1981)『バロン』(1988)につながるスタイルやブラックユーモアの片鱗が見受けられましたね。
目黒シネマさん「~テリー・ギリアム傑作選~」(2024年8月11日~17日)にて初期作『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』(1975)『ジャバーウォッキー』(1977)、中期作『フィッシャー・キング』(1991)3本鑑賞。
“コメディ界のビートルズ”「モンティ・パイソン」は、今から半世紀前、東京12チャンネル(現:テレビ東京)でタモリさんもテレビ初出演したギャク番組『空飛ぶモンティ・パイソン』を観た記憶が薄っすらとありますが、幼心に「8時だョ!全員集合」とは違う英国のシュールな笑いが理解できず、ずっと食わず嫌い…。
今回の特集上映で初トライ。
因みにギリアム監督は英国人ではなく生粋のアメリカ人。
社会人になってから渡英したようで長く誤解をしておりました。
『ジャバーウォッキー』(1977)
テリー・ギリアムの単独監督デビュー作。
『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』(1975)に続いて舞台は中世。
怪物ジャバ―ウォッキー退治のコミカルファンタジー。ナンセンスでベタなギャグは変わりませんが、このあとの『バンデットQ』(1981)『バロン』(1988)につながるスタイルやブラックユーモアの片鱗が見受けられましたね。
完全に、とことんに、マンガ。
テリー・ギリアムの長編デビュー作だそうです。見た後で知りました。またぞろ、ルーカス・フィルムによるレストア公開にございます。今んところ外れ率は1/3です。と言うか、3本しか覚えてない。本作鑑賞の結果、外れ率は1/4になりましたw
やっぱりトチ狂ってます。シュールってんじゃなく、曖昧さ無しで明確にトチ狂ってますから!
世界観はナチュラルにディストピア。そうなんですよ。核戦争後でもなく、宇宙人の侵略を受けたでもなく、パンデミックでもゾンビでもないのに。ナチュラルにディストピア。あ。モンスターはいたかw
で、このモンスターがウルトラマン太郎的でして。ウケました。槍一本持てれば対戦しても良い、と思うくらいに怖かったw
原作は「詩」らしく。「詩」の行間をラリった頭で埋め尽くしたら、こうなりまちた!なサイケデリックな不潔ワールド。もうね。とにかく、汚い。役者さんに同情してしまうよ、全くw
いずれにしてもマンガです。ダイナミックマンガです。サイケに逝ってます。デビュー時点ですから、思い切り逝ってますが、メジャー公開も意識してでしょうから、道徳的許容範囲の臨界点にはとどまってます。
おススメは出来ませんが、ラリった頭でひねり出したジョークに付き合ってあげても良いよ、と言う寛大なココロの持主と、同じ様にラリってる方・過去そうだった時期がある方には、壮絶におススメです。
コメディとはなんたるやを知る
ガラパゴスな日本のお笑いよ。
笑いの技術ばかりで争うのではなく、コメディの精神性を見習う芸人が、もっともっと出てきても良いのではないだろうか。
テリー・ギリアムの原点ともいえる「ボス/ブリューゲル的中世」を舞台とした「ヒーローの御伽噺」。
僕にとって、テリー・ギリアムの『未来世紀ブラジル』は、「人生の一本」だといっていい。
圧倒的な幻視性と、めくるめくビジュアルイメージの奔流。
ぶっとんだブラック・ユーモア。予測もつかない物語の展開。
何より、大して強くもない男を主人公にとった、ヒロイックな冒険ファンタジーであること。
すべてが完璧で、すべてがいとおしい。
人は、あの映画のラストを「悲劇」というかもしれない。
でも、僕はそうは思わない。
あの映画では、「幻想への逃避」が前向きに認められているから。
「現実での敗北」が、「夢での勝利」で上書きされて、何が悪いのか。
サム・ラウリーは闘い、闘い、闘いぬいた。
結果として、物語はああいう結末を迎えた。
でも、だからなんだというのだ?
あれは、闘いぬいたからこその、ご褒美なのだ。
僕は、あの映画のラストは、究極のハッピーエンドだと思っている。
そして、現実で厳しさに直面したときにはいつも、イマジネーション(夢想)の世界は現実と等価値であり、そこでは常に僕が王様なのだということ、そう考えることが決して逃避ではなく、精神的勝利への真の道筋なのだ、ということを『ブラジル』をよすがに思い出す。
だから、僕にとって『ブラジル』は、永遠に大切な映画でありつづける。
でも、じゃあ他のギリアム作品がそこまで好きかと言われると、実はちょっと困ってしまう。
正直なことを言えば、僕は『バンデッドQ』にしても、『バロン』にしても、ノリがあまりにも暑苦しすぎて得意ではないし、『ラスベガスをやっつけろ』や『Dr.パルナサスの鏡』に至っては、むしろ苦手な部類の映画に属する。
『フィッシャーキング』と『12モンキーズ』は封切り館で観て十分に面白かったが、「テリー・ギリアムだから面白かった」と取り立てていうような映画でもなかった。
テリー・ギリアムというと、「夢想癖のある」「ドン・キホーテ的な主人公」が「中世的な世界観」で「聖杯探求やお姫様救出」を目的に「怪物」と戦う「ヒロイック・ファンタジー」を、「ダークな笑い」と「社会風刺・権力批判」を散りばめて「寓話的テイストで」描き出す監督というイメージがある。
一部の雇われ映画や原作付きの作品でも、いろいろと妥協は図りながらも、この「枠組み」の大元だけはたいてい残されているのが面白い。
いつも「同じ映画を作っている」と奥さんに指摘されたギリアムは、確かにそうだといって、自作を次のようにまとめてみせる。「社会があり、そのなかに個人がいる。夢を持った男がいる。しがない男が何かを成し遂げるけど、それは彼が求めていたものとどこか違う。彼は何かを得る。ときには思ったほどのものじゃないし、ときには思ったよりいい。だけど、願い通りのものが手に入ることはめったにない。常に探求がある」(『テリー・ギリアム』フィルムアート社)。
で、『ジャバーウォッキー』である。
モンティ・パイソンの一員として、テリー・ジョーンズと共同で監督した『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』を経て、いよいよ単独の監督作として撮った彼の「第一作」である。
内容は、まさに上で書いたとおり、そのまんまの筋書きといってよい。
デビュー作には、監督のすべてがあるとは、まさにこのことだ。
さらに、本作では「ボス/ブリューゲル」の世界を再現するという明確な意図がうかがわれる。冒頭あたりにヒエロニムス・ボスとピーテル・ブリューゲルの絵画が実際に引用されているし、ギリアム自身も「これはモンティ・パイソン映画ではなくて、ボスとブリューゲルの絵画世界を再現することが目的の映画だ」とはっきり発言している。
僕にとっても、ボスは大学の卒論のテーマとして扱った思い入れの深い画家であり、何度もここで書いているとおり、この両画家の絵画から影響を受けた「中世の闇」映画は、好物中の好物である(『裁かるるジャンヌ』『薔薇の名前』『マルケータ・ラザロヴァー』『異端の鳥』『神々のたそがれ』……)。
その意味では、テリー・ギリアムのボス/ブリューゲル愛は、まさにご同慶の至りといったところだ。
テリー・ギリアムは、動物、死骸、あばら家、糞尿、教会、奇顔の老人、売春婦、不具者、盲人、いざり車、猥雑な酒宴、ロマ風の音楽、粗野な村人、血みどろの戦闘、死体のぶら下がる樹といった、ボス/ブリューゲル風の「中世」の呪物を画面内に導入しながら、それらをあくまで「笑い」と「ユーモア」の延長上で処理しようとする。
実際、ボスやブリューゲルの絵画は、単にグロテスクで恐ろしいだけではない。そこには常に知的な遊戯性と、社会風刺と、滑稽味、ブラック・ユーモアの要素が含まれている。ギリアムは、ネーデルラント絵画のもつ猥雑で下世話だが、浮かれ調子で魅力的などんちゃん騒ぎの世界を、そのまま映画として再現しようとしたのだ。
その一部には、徹底した糞尿趣味も含まれる。とくにボスの作品には肛門と脱糞、放尿、糞尿といった要素が頻繁に挿入される。排泄は、「暴飲・大食の罪」とセットとなった、「七つの大罪」の描写にはかかせないモチーフなのだ。心理学的には肛門期固着といった要素もあるのだろうが、『ジャバーウォッキー』にせよ『神々のたそがれ』にせよ、あるいは『ライトハウス』にせよ、ボス的世界に挑む映像作家にこのあたりに特別に共鳴する人々が複数出てくるのは、実に興味深い。
ちなみに、たとえば本作に登場する「尻を外に突き出して糞をする男」のモチーフは、ピーテル・ブリューゲルの『ネーデルラントの諺』の中段右上付近に同様のネタが見いだせるし、「自分の足を切り離して見世物にしている物乞い」は、ヒエロニムス・ボスの『聖アントニウスの誘惑』の中央パネル、聖アントニウスの真後ろあたりに存在するモチーフの転用である。
お話は王道のヒロイックファンタジー。
眼目はボス/ブリューゲルの絵画世界の再現。
そう聞くと、まさに僕にとってはご褒美のような映画で、何も文句はない、と言いたいところなのだが……正直、この監督の「笑い」のオフビート感自体は、あんまり得意じゃないんだよなあ……。
笑えるネタが2割くらい、あとはまあまあ、素で見ちゃったかも。
この人の場合、笑いのセンスがあまりに振り切れてて、「モンティ・パイソン」以上に「置いてけぼり」感がハンパないんだよね。デブの想い人ネタも、ウンコネタも、足をちょん切る物乞いのネタも、ひねくれすぎてて若干ひいてしまうっていうか……。べつにジョン・ウォーターズの映画や『神々のたそがれ』は、げらげら笑いながら腹を抱えて観ている口なので、「やりすぎ」が嫌ってことではないんだと思う。
「笑わせにかかってる」のがはっきりしているのに、思い切りすべってるのが辛いんだろうな。
物語のテーマとしても、『未来世紀ブラジル』のような「一切センチメンタルな演出などしていないのに心に強烈に響く」ような奇跡は起こらず、単に気の抜けた「なろう小説」みたいな冒険譚になっている。オチもだからなんなのって感じ。
なにより、語り口があっちこっちに撚れていて、筋が追いづらいうえにテンポが異様に悪い。これは他の『バンデッドQ』や『バロン』でも感じられたテリー・ギリアムの悪い部分だ。
手持ち主体のカメラワークも、さすがに狂騒的すぎて、目がちかちかする。
とはいえ、「活人画」(ヴィヴァン・タブロー)としての視覚的インパクトは申し分なく素晴らしいし、低予算といいながら、全編に行き届いた驚くほどの美意識と入念な作り込みには、とにかく頭が下がる。この妥協を許さない絵づくりへのこだわりぶりは、テリー・ギリアム最大の魅力であり、同時に弱点でもあるだろう。
怪獣ジャバーウォッキーとの対決シーンも、思いがけず日本の特撮みたいな着ぐるみバトルになっていて、結構興奮した。なんでも、あの怪物の中には裏表で人間が入っていて、そのせいで膝の曲がりが生物学的に正確で、かつ羽根の羽ばたかせ方も自然なのだそうだ。
終盤のベッタベタな音楽の使い方も、大いに昂揚感があって良い。
司教の登場シーンでグレゴリオ聖歌の「怒りの日」が流れ、主人公の出陣シーンでは、「怒りの日」がそのまま援用されるベルリオーズの「幻想交響曲」の終楽章がBGMに導入される。得体の知れない騎士の登場シーンでは「はげ山の一夜」、凱旋のシーンでは「展覧会の絵」の「キーウの大門」が流れる、みたいな感じ。若干アイディア自体は直接的で子供じみている気もするが、劇伴としては十分効果的だ。
何より「幻想交響曲」の終楽章は、百鬼夜行の描写音楽であると同時に、アヘンで見た幻影とも解釈されうる。すなわち、一介の青年が「本当にたなぼたで怪獣ジャバーウォッキーを倒してしまう」という夢物語が、『未来世紀ブラジル』同様、「本当の夢物語にすぎない」可能性を示唆する選曲とも考えられるのである。
総じて、もう少し観客におもねるというか、少なくとも「寄り添って」キャラ設定とストーリー運びを工夫できるようなら、もっと誰にでも面白い映画を作れる監督さんなんだけど、そこで客そっちのけで趣味性に突き進んでしまうところが逆にギリアムの個性であり、魅力でもあるんだろうね。
ちなみに、僕はこの映画を新宿で結局見損ね、巡回先の本厚木の映画館までわざわざ追いかけて行って観たのだった。
観終わったあとは、せっかくここまで来たのだからということで、百名店にも選ばれている本厚木のラーメン屋「麺や食堂」で昼を食べて帰ったのだが、店に入って初めて、この店の名称がもともと「麺や食堂ブラジル」だったことを知り、びっくり。
思いがけない、「ブラジル」締めでございました。
ギリアムのルーツとなるダークなファンタジー
未見だったテリー・ギリアムの単独での監督デビュー作。「モンティ・パイソン」のメンバーだったので、今作の前にそちらの作品を共同監督していたはず。
時は暗黒時代ということで「中世ヨーロッパのいつか」が舞台のようだが、怪獣も登場するファンタジーであり、「モンティ・パイソン」の流れを汲むナンセンスてブラックなコメディでもある。
「未来世紀ブラジル」以降、特別な存在になったギリアムだが、彼のルーツを知るのに欠かせない逸品だ。
なかなか汚く、理不尽でユーモアに満ちている。 ノンストップで事件が...
なかなか汚く、理不尽でユーモアに満ちている。
ノンストップで事件が起きまくるからテンポは良いが、ちょっと置いてかれてなんだか眠くなってしまった。
テリー・ギリアムの初期作品
この監督の世界が既に繰り広げられている初期作品。猥雑、汚さ、品の無さ、妙なユーモア。全てがこの監督ならではの美術と衣装と脚本によって、他の誰にも真似することの出来ない変態的な映像とシナリオが物凄い密度をもって映像に焼き付けられている。この作品以降はこなれてトーンも落ち着いて見やすくなっていると思う。荒削りの妙な緊張感と弛緩が散りばめられたテリー・ギリアムの青春期に於けるある意味歪んだ爽やかさを感じ取れる稀有な作品である。新旧問わず作品を鑑賞する度に変に感銘を受ける監督である。アレクセイ・ゲルマン「神々のたそがれ」は、この作品の影響を少なからず受けているのではないかな?
デニスの大冒険🗡️
森の中で何だか韻を踏んでる詩から始まった素敵な物語?違う、違う!音楽が、人物の恐怖の表情が、血だらけ惨殺死体が~!モンティ・パイソンの世界じゃんねー!
変なデニスにお父さんに近所の人々にウキウキします。ガンガンやってくれ~!王も姫もみーんな変、名前も変で歯も顔もすごい!大男のシスターもお馴染み感があって嬉しかった。懐かしかったけどすごく古いなんてことは思わなかった!
昔懐かしいタイプのひねりの少ない映画(のリバイバル放映)。迷ったら候補作。
今年196本目(合計472本目/今月(2022年7月度)8本目)。
もともとが1977年公開で、今年は4Kリマスター版としての公開ですが、案外公開されている映画館は少ないようです(というより、シネマート系列だけ??)。
ストーリーはここの特集・予告に書いてあるのがもうほぼ全てで、本当に何のひねりもなく、平和に暮らしていたある城下町にモンスターが現れ、それをどうやって退治しようか…という「だけ」、というか、「だけ」というと失礼ですが…、余りひねりがないタイプの映画です。1970年代の映画ってこんなのが多かったんでしょうか??
そういう意味では2時間ほど(105分)とはいえ飽きさせない展開ですし、日本ではDQやFFなどいわゆる「一般的なファンタジーRPG」をプレーしていた経験があれば、ストーリーは本当に一本筋なので混乱する要素もまるで存在せず、この意味ではおすすめかな、というところです(私がみたシネマートの回でも3割埋まり程度でした)。
まぁ確かに、50年ほど前の映画なので、いろいろ表現など古臭い部分もあるし、字幕など妙にわかりにくい点、ほか、なぜかしらこの映画、架空の国であるのに英語を話している(ただし、かなりゆっくりめ)なところ、「何語かよくわからないほど超スピードな人がいたりする」(ただし、英語ではある模様…。準1でも聞き取りができないのでかなり厳しい)など、「今の観点からすると」若干不親切な点も確かにありますが、聞き取りがどうのといっても字幕は(わかりにくいところはあるにせよ)ありますし、ストーリーは本当にわかりやすいので(というか、わからないという類型が想定しづらいほど本当に一本道過ぎ)、迷ったらおすすめ…といっても、シネマート系列くらいでしかどうもやっていないっぽいです。
こういう「古き良き時代の映画」というのは今になっても多くの映画館で定期的に流してほしいな、と思った一作でした。
特に減点対象なり見当たらないのでフルスコアにしています。
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