「大御所監督によるインディアン・シューティングムービーへの決別宣言」シャイアン TRINITY:The Righthanded Devilさんの映画レビュー(感想・評価)
大御所監督によるインディアン・シューティングムービーへの決別宣言
北米先住民の悲劇の歴史を描いた叙事詩的西部劇。
いまだに誤解されているが、敵の頭皮を剥ぐという蛮行は本作に描かれるように元は白人の専売特許だった。
最初は戦利品として(東洋の首級と同じで賞金が掛けられていた)、のちには土産物として多くの先住民が殺され白人に頭皮を持ち去られている。先住民の行為は、いわばその報復に過ぎない。
ヒロインのデボラは平和と人種平等を唱えるキリスト教フレンド派(クエーカー)の信者。
差別主義的な軍人アーチャーからの求婚を拒むのはそのためだが、先住民に親身にするもう一つの理由は彼女らフレンド派もまた邪魔な存在として社会から抑圧されていたから。
ベテラン曹長のウイチョウスキーは酔った勢いでポーランド系だという出自を明かし(彼らもアメリカ社会ではマイノリティとして差別された)、除隊を申し出る。
ポーランド人だというだけで虐殺を繰り返す故郷のロシア兵と同じことは出来ないという理由からだった。
先住民に同情的な西部劇は、数は少ないものの戦前にも製作されていたが、それらの多くにユダヤ系やあらたに渡ってきたヨーロッパ人などのマイノリティが関わっている。
フリッツ・ラングの『西部魂』〈1941〉はその好例。
一方、1964年に公開された本作の監督は『駅馬車』〈1939〉や騎兵隊ものなどのインディアン・シューティングムービーで、散々先住民を悪者扱いしてきた西部劇の大御所ジョン・フォード。
『國民の創生』〈1915〉に俳優として参加していた彼には、本作より前に黒人への偏見を扱った『バファロー大隊』〈1960〉という異色西部劇もある。
作中登場するダルナイフとリトルウルフは実在した北方シャイアンの酋長だが、物語は潤色されている。
女を争って酋長と若者が殺し合うという誤解を招く表現もあるし、先住民の主要な登場人物を白人やラテン系の俳優が演じているのも相変わらずだが、J・フォードが先住民擁護の映画を発表したことは、当時のハリウッドには衝撃だったに違いない。
『シャイアン』は巨匠みずからの贖罪を兼ねたインディアン・シューティングムービーとの決別宣言であり、終結宣言だったのだと自分は思う。
ベトナム戦争がやがて泥沼化していく時期に本作が製作されたことに加え、奇しくも同じ年にイタリアで作られた『荒野の用心棒』から始まるマカロニ・ウエスタンブームが世界に受容されたことで、もはや従来のアメリカ型の価値観が世界標準ではなくなったことが露呈する。
その後、ジャンルの大半を占めた差別主義の映画が撮れなくなっために、本場ハリウッドの西部劇は衰退の途を辿ってゆくことに。
作中、約20分間続くダッジシティの場面は明らかに蛇足。
違和感を感じた当時の観客を足止めさせる目的だったのか、それとも、映画会社から捩じ込まれたか。
ただ、メディアが事実を曲げて誇張合戦を繰り広げ、煽られた市民が騒然とするさまは、皮肉にもフェイクニュースの拡散に踊らされる現代の民情と大差ない。
数多くの映画で大西部の象徴として映し出されるモニュメントバレーの奇巌が、本作では先住民の墓標のようにも見える。
ダルナイフの「犬でさえ好きな所へ行けるが、シャイアンは行けない」との言葉に込められた先住民たちの無念が心奥深く突き刺さる。
NHK-BSにて視聴。